富山きのこクラブの皆様
先週とは打って変わった寒い日(気温16℃)、中央植物園で「池田先生を囲んで」の講演会が催された。
ご存知、「北陸のきのこ図鑑」の著者で、富山の観察会にもたびたびお出でになる。
冒頭に栗林さんからの挨拶があり、続いて先生のご自宅や普段の研究の様子・ライブラリ等を撮影した写真の紹介があった。
●先生がきのこの研究を始めたきっかけは、終戦当時、アメリカ軍の占領下で紙飛行機を飛ばすことさえ許可されなかった理科の授業の中で、ぶらぶら野外観察で生徒が持ってくるきのこの名前が答えられなかったことに拠るそうだ。
●金沢大学に相談に行っても「きのこのような下等植物は扱わない」と門前払いを食らわされた。
など…研究を始めた当初のからのエピソードを紹介された。
●最初に川村清一のカラー図入り図鑑を見て、彩色きのこ画を記録として残すようになった。当時はまともな絵筆も紙も無く、また、実践例も無く画材店に相談しながら試行錯誤を繰り返した由。原画は図鑑の掲載図画よりもはるかに美しい。
「石川のきのこ図鑑」を出版するまで5年掛かった。石川で初めての横書きの原稿であった為に、ラテン語の学名などもめちゃくちゃの配置となった。また、絵の原稿を印刷したことも無かったので、この図鑑は石川の印刷技術の向上に少なからず貢献したものと思われる…と半ば冗談でおっしゃったが、率直な実感だと思われる。
池田先生の約1890種の標本の内、1400種が科学博物館へ移されることとなっている。石川にはその標本番号の対比表は残そうと考えておられるそうだが、残りの485種をどうしようかと思案の最中、そろそろきのこは卒業して好きな草木の栽培をやりたとのこと。聴講者からは、残りの種もきちんと整理が付くまで続けてもらいたい由、要望が出された。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行ってしまう。
結局、池田先生をきのこの研究へと突き動かしたものは、子供との約束と始めたらとことん極めなければ気が済まない性分のようだ。
これからも北陸のきのこ会をご指導して頂きたいと願うのは…身勝手と言う物だろうか?
講演会終了後、野沢さんの案内でキサケツバタケを観察に行った。このキノコは池田先生が一番最初に描かれたキノコだそうで、稀菌とのこと。
同所に多数群生していた…ツバナシフミズキタケと思われるが、ひだの色がチョット異なるようで…調査中。
「先生の一番お好きなキノコ料理は?」との私の質問に、「キノコは好んで食べない」とのお答え(^^;
伊藤家では、件のキサケツバタケはオーブングリルで美味しく頂いた。
因みに、池田先生いわく「北陸のきのこ図鑑」の食毒に関しては、かなり厳しく記述した由。食毒に関してはアレルギーのように個体差が大きい場合も有り、軽々に判断できないとのこと。先述のツバナシフミズキタケは「北陸のきのこ図鑑」では「有毒。幻覚性中毒の恐れ有り」となっているが…幼菌の会の「きのこ図鑑」では「小麦粉のようなにおいと味あり。食用。」とある。
伊藤家では毒抜きシャグマは食すれど、かくの如ききのこは食卓に上らない。
野澤さんご注意
_/_/_/_/_/ 伊藤春雄 _/_/_/_/_/