深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

インナージャーニーをセルフで行う 1

2012-05-07 23:45:55 | 症例から考える

ゴールデンウィークは連休の5/4、5の2日間、東京・吉祥寺で行われたエネルギー・マスター(EM)養成講座にアシスタントとして参加。そこでまた、EMのインナージャーニーのワークだけでなく、いろいろなことを学んで帰ってきた。

さて、今回はこのインナージャーニーをセルフで行ってしまおうという話。この記事のために選んだ曲はアニメ『空(から)の境界』第5章「矛盾螺旋」の主題歌でもあった、Kalafinaの歌う『sprinter』

──I'm calling 遠く足掻く僕の唄が
君の頬を空に向けられたら
独りじゃない……

剥き出しの真実(ほんとう)が こんなカラクリの心にも
溢れ出すほど詰まっていたんだ

光の早さで消えて行く昨日へ手を振って
何処までも明るい砂漠を
今、僕等は時を蹴り走る

風に向かい破れた旗を振り
君のいない道を 僕は僕の為
行くんだ……
螺旋(せかい)の果てまで………



インナージャーニーは基本的に、ボイジャー(旅行者)と呼ぶクライエントがセラピスト(これをサポーターと呼ぶ)の誘導と援助によって行うもので、ワークはボイジャーとサポーターの1対1の個人セッションという形か、1人のサポーターが複数のボイジャーに行うグループ・セッションという形で行われる。

が、私はどんなメソッドでも自分が自分自身に使えるようにしてしまう質(たち)なので(それはキネシオロジーでもクラニオでも同じ)、インナージャーニーもセルフで行ってきた。そういうふうにしてしまうのは、私に友達が少ない/いないからでもあるのだが、日常的に自分自身に対して使っているからこそわかること、見えてくるものもあって、それによって得たノウハウこそ、私にとって最高の財産である。


さて、インナージャーニーをセルフで行うということだが、それ自体は特に難しくない。インナージャーニーは、深くリラックスした状態で無意識の旅を始める第1ステージ、心理的なブロックや過去の感情を解放する第2ステージ、インナーチャイルドと出会い再誕生する第3ステージ、価値観・人生観を再構築し未来を選択する第4ステージと、全部で4つのステージから成っている。それぞれのステージで何を行うかは何度かセッションを受け、また自分でセッションを誘導していれば自然に覚えてしまうので、それをただ自分自身に対して行えばいい。細かい部分があいまいでも、全体としての方向性があってさえいれば、そのことが問題になることはない。

一連のインナージャーニーにかかる時間は、私の場合だが、約1時間である。別に「1時間でまとめよう」などと時間を決めて行っているわけではないが、終わるとほぼ1時間が経っている。ボイジャーに対して行う通常のセッションでは、確か90~120分かかるところだが、それは事前の説明や注意、ステージごとの誘導の時間を含んだものだから、それを除くと実質的には、やはり1時間くらいなのではないかと思われるので、セルフで1時間というのは順当なものだと思う。

ただ、通常のセッションとセルフのそれとでは大きく異なる点がある。通常のセッションでは、インナージャーニーの全てのステージを通じてサポーターがボイジャーの体に手を触れていて、そのことが意識の深い部分へと分け入っていくボイジャーにとって大きな安心材料になっているが、セルフではそれがない。

これは明には語られていないが、実はインナージャーニーの本質とは、ボイジャーが単に「意識の深いところに入って、そこに抱え込まれた感情やトラウマを解放し、新たなセルフイメージを確立する」というのではなく、「そうした一連のジャーニー(旅)を、支援してくれるサポーターの存在を感じながら行う」ところにあるのではないだろうか。

だとすると、セルフでインナージャーニーを行うためには、そうしたサポーターの存在に代わる「何か」があった方がいいかもしれない。そして、その「何か」とは、クラニオで言うところの「リソース」ではないかと思う。そこで、この文章の最後に、その「リソース」について、少し長くなるがフランクリン・シルズの『クラニオセイクラル・バイオダイナミクスVol.1』の8章からの引用を。なお、リソースそしてリソース化について、より詳しく知りたい方は『クラニオセイクラル・バイオダイナミクスVol.1』をゼヒお読みください(と、ちゃっかり宣伝)。

リソースとは,その人が世の中に存在することを支え育む,精神的,心理感情的(psychoemotional),そして身体的/構造的な側面を成り立たせているものであり,また病変や毒素による影響など内的なものであれ,事故やケガ,感情的なショックなど外的なものであれ,脅かされ危険な環境にいる人が引き出すことのできる強さである.
(中略)
 リソースは多くの方法で認識することも拡充することもできる.リソースには外的なものと内的なものの両方があり得る.それは,人々がどのように家庭環境や持っている友だち,経験を共有する仲間を作るか,内なる生,恐怖やその他の感じの調子にどう対処するか,あるいは思考過程がどう働いているか,ということに関わるのかもしれない.スピリチュアルな生活や内なる旅を中心に展開するかもしれない.ほとんど全てのものがリソースになり得る.例えば,人がどのように身を守るのかを知るのは大切なことだろう.例えば,退いたり逃げたりすることで機械的,習慣的にストレスに対応しているならば,そういう振る舞いをもっと意識的に体験し,圧倒されていると感じる状況において有効な選択肢として使うことができる.習慣的な反応であったことが意識的な選択やリソースになり得るのだ.解離することでストレスに対応しているなら,一度それが体の中でどのように感じられ,その感覚と結びつくかがわかれば,解離することさえ意識的な選択肢であり,リソースとなり得るのである.
 人が体験する内なる感覚の性質も,その人にとってのリソースとなり得る.不快感しかわからない人は,ショック症状が現れた時,より簡単に圧倒されてしまうだろう.空間の考え方はこのことと相互に関連する.不快感しかわからない人は,そのシステムには圧倒されないようにショック症状を処理する余地がないのだろう.空間の知覚は全体として,余地,暖かさ,解放,平穏として感じ取られる体感と結びついている.余裕を持ってリソース化された感覚によって,人は圧倒されることなく困難だったり恐ろしくなるような感覚の縁にアプローチすることができるのだ.
 リソースによって,人は適切で有効なやり方で人生の体験に出会うことができる.リソースは,満たされ満足できる形で人生を送る力を強化し土台を与える,どんなものでもあり得る.どのように自分自身をリソース化したかをわかってもらうことは,人々を非常に力づけることになる.例えば,お気に入りの服やジュエリーを身につける,といった単純なことに気づかせることが癒しになることもある.同様に,リソースが友だちや活動,そしてリソースを用いるべき思い出の中にあることをわからせることが役に立つこともある.こういった種類のことや,それらと結びつく感覚に注意を向けさせることは,その人が内的なリソースに触れる手助けになり得る.この種の内なる気づきが役立つことが,治療の状況の中ではっきりわかることがある.セッション中,患者に感情失禁のようなトラウマの影響が現れた時は,よりリソース化された感覚に知覚をシフトさせることで,変化を抑制しスロー・ダウンすることができる.

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