白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ヘロヘロな一日だった。

2009-04-05 09:43:16 | インポート

四月四日(土)晴れ。札幌から帰宅。

 いやはや、昨夜は見事木村三浩氏の姦計にはまって、寝たのが深夜二時半。議論好きなのを忘れて、つい付き合ってしまった。六時に起きるのは、気力、体力、酒臭との戦いに、体力を要した。シャワーも浴びる暇もなく、荷物の整理。下を向くと吐きそうになる。フラフラになりながら、ベルボーイを呼んで、パッケージダウンが終わったのは、六時五十分。ロビーには梶浦直樹君、石澤博文君、大翔君らがすでに待っていた。すぐに千歳に向かうが、車の中で目を開けているのが辛かった。運転をしている梶浦君に悪いと思いつつも、つい居眠りをしてしまう。七時に空港着。皆で、お茶でもと思ったが、とてもそんな気分ではなく、三人にお礼を言って、早々に手続きを済ませゲート前の椅子で寝た。

 九時の飛行機で羽田へ。気持ちよく寝ていたら、客室乗務員の「誰か来て下さい」との悲鳴で起こされた。私のすぐ後ろでバタバタしている。すわっハイジャックか、と思ったら、若い人が顔面蒼白で通路に倒れて乗務員に助けられている。手伝ってあげて、私の席の前に寝かす。一番年上と思われる乗務員が酸素ボンベなどを持ってくるなどして、他の若い乗務員に指示を与えて、きぱきと処置している。さすがだナァー、と思った。何でも、軽い貧血だったそうだ。仕事に、命を賭けている、というその姿に接し、二日酔いで死にそうになっている自分を恥ずかしく思った次第。これも何もかも、山浦、木村両先生にお付き合いしたせいだ、と責任を転嫁して、また寝た。

 十時半に、羽田着。故三浦和義氏が所属していたプロダクションのA社長から、花見の誘いがあったが、今日は、午後一時から行われる後輩の結婚披露宴に出席しなければならない。迎えに来た車で、急いで自宅に戻った。

 自宅で着替えを済ませて、披露宴の会場となったホテルに着き、受付を済ませたのが、開宴の五分前。セーフだった。統一戦線義勇軍の針谷大輔議長や清和、米倉の同志等と同席。披露宴は新郎新婦のアイデアであろう。中々内容の濃いものであった。歳のせいもあってか、新婦が両親に対してお礼の言葉を言う場面では、わが子と重なり、思わず落涙してしまった。爽やかで感動的な披露宴だった。特に感心したのは、新郎の挨拶の後に、「横浜市歌」が流れたことだ。私は、この歌が好きだ。何度もこのブログに書いたが、歌詞の中の「されば港の数は多かれど、この横浜に勝るあらめや」というくだりがいい。よその港に行くことがあると、必ず、この歌詞が浮かぶ。ヨコハマの波止場の風景と共に。ちなみに明治四十一年に制定されたこの歌の作詞は、森鴎外です。

 ここのホテルには、知り合いが多い。先日も、ここの社員でもあり社友のY氏と会った折に、酔っ払った勢いで、「当日は、私のテーブルに『黒霧島』を置いておくように」とリクエストしたのが、今回はアダとなった。二日酔いと寝不足で、とても昼間から「黒霧島」の気分ではない。しかし、テーブルの係りの人も「黒霧島」をご用意してあります。と耳元で囁く。隣の針谷議長も「威勢悪いですネェー」。えーいままよ。とロックで飲んだ。不思議なことに、この一杯で二日酔いがあっという間に吹き飛んだ。

 披露宴が、終了後に二次会に誘われたが、若い人たちばかりなので、さすがに遠慮した。引き出物の入った、「ティファニー」の手提げ袋を持って、横浜を歩くのは、田舎者のガキようで、さすがに気恥ずかしかったが、まあいいか。

 帰りの車中で爆睡。自宅に戻って夕食後に、レンタルしたDVDで三国志の赤壁の戦いを題材にした「レッド・クリフ」を見た。金のかかった良い映画だが、個人的に言えば、CGを多用したこの監督の映画が余り好きではない。なぜかこの監督の映画を見た後に、CGなどない時代の映画を見ると、とても新鮮に感じてしまう。品の良いCMを見ているような気がしてならない。まぁ所詮、素人のたわごとです。孔明の活躍がクローズアップされていなかったのは、日本人が演じていたせいなのだろうか。

 夜は、酒を避けて寝た。今日は、一日、難しいこと、ややこしい事を考えずに過ごした。

コメント (2)
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