白雲去来

蜷川正大の日々是口実

風がうなるか。

2024-01-27 14:45:32 | 日記

1月25日(木)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、昨日スーパーで買っておいた総菜の天ぷらセットを天つゆとタマゴでとじた「煮天丼」。これが好きでたまに作る。しかしいつも思うのだが、あんなに痩せたエビをどこで仕入れているのだろうかと。ガリガリの痩せた老人に思いっきり洋服を着せて、着ぶくれしている姿をいつも思い出す。安いエビ天を買ってくると、洋服ではなかった衣がスポッと外れて、栄養失調の裸のエビが姿を見せる。天ぷらセットはスーパーの物はだめで、やはりデパ地下の有名店に限る。

わが陋屋(ろうおく=むさくるしい家)は、建物の関係か風の通り道となっており、少しの風が吹いても風音が気になって仕方がない。有難いことに、周りは建売の住宅が多いせいか、風が通る音だけしか聞こえないが、一昔前ならば、竹でや丸太で組んだ垣根などに当たって、まるで笛を吹くような音が聞こえたものだ。この音を「虎落笛(もがりぶえ)」と呼ぶことを知ったのは大人になってから。「虎落」の「もがり」とは、竹を筋違いに組み合わせた冊のことを言う。語源は、大昔は、人が死ぬと、その屍(かばね)を一定期間据え置いたと言う。その仮の葬儀場を囲む柵のことを「もがり」と呼んだそうだ。それがなぜ「虎」の字に当てられたのかは、不明である。(私が知らないだけなのかもしれない)この虎落笛の音は、「鳴る」よりも「唸る」という形容の方がふさわしい。「風が唸る」。書いていても寒くなる。

それにしても18年も20年も前に知り合った女性がいきなり出てきて、「あの時本当は嫌だったの」と言われ、思わず「エッ、何かしたの」。「最後までは行かなかったけれど、危なかったじゃん。それを言いたかったの」。実名だと深刻さが増すからめんどくさい。有名人も大変だなぁー。まっ世の中にはちょっと有名になると勘違いするのがいるから、そんな連中と関わりあうこともなく生きてきたのが幸運かもしれない。どうでもいいけれど。


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『刑事たちの挽歌』で懐かしい人の名前が・・・。

2024-01-25 17:34:40 | 日記

1月22日(月)曇り。

朝食は抜いた。昼食は「チャーハン」に大根の味噌汁。夜は、お世話になっている方と、時局を肴に一献会。いつも行く「浜一寿司」で待ち合わせたが、定休日を忘れていた。急ぎ河岸を替えて、京急の井土ヶ谷駅近くの焼き鳥屋「ばくだん」へ。軽く飲んでから、六ッ川街道の「ひなた」へ転戦。九時前に帰宅。

『刑事たちの挽歌』を読んでいたら、懐かしい人の名前を見つけた。「ミスター捜査一課長」と言われた寺尾正大氏だ。氏とは神楽坂の料亭で一度だけお会いし、食事をしたことがある。同席したのは、野村先生や新右翼の担当公安を永くつとめたS信氏と彼の上司で、「宮忠」こと公安三課長の宮崎忠氏のお二人。その宮崎氏から紹介されたのが寺尾氏だった。特に私に用事があったわけではなく、「たまには一杯やろう」と言うことで誘われた。確か野村先生が亡くなられた翌年の事だと記憶している。寺尾氏は、偶然にも私と下の名前が一緒で、それで親近感を感じてくれたのかもしれない。その寺尾さんの死亡記事を見たのは、4年前の一月だった。

昨年、群青忌の案内をS信氏に送った所、奥さんから電話があり、2年前に亡くなられたとのこと。葬儀の際に奥さんが棺に野村先生のDVDを入れてあげようと思ったが、ケースはあるのだが、中身がなかった。後日、再生デッキを見たら野村先生のDVDが入ったままになっていたそうだ。ほとんど公安警察の人とは会うことのなかった先生だが、珍しくS信氏とは、気が合った。先生の葬儀の時もS信氏が、朝まで棺に寄り添っていた姿が忘れられない。

宮崎さんはお元気だろうか。何でもご子息も、ご子息の奥さんも警察官として活躍していることをネットで知った。暖かくなったらS信氏のお墓参りに行って見たいと思っている。確かお住まいは奥多摩と記憶している。お墓も近くにあるのだろうか。それにしても『刑事たちの挽歌』は、捜査一課という人たちの執念と正義感が感じられてとても感動した。良い本との出会いは、良い人との出会いに似ている。


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本二冊をイッキ読み。

2024-01-25 16:19:38 | 日記

1月21日(日)雨。

雨が降って寒い一日だった。10時近くまで寝ていて、のそのそと起きてから遅い朝食。おでんに紅鮭。夜は、伊勢志摩の社友から送って頂いた牡蛎を堪能した。私は牡蛎料理が好きだ。夏牡蛎のようにあまり大きいのは苦手で、小ぶりの牡蛎に目がない。今回の殻付き牡蛎は、その私の好物サイズ。

レモンを沢山買ってきたので、まず生牡蛎。そしてオーブンを250度にして10分焼いてから殻を外して身を取り出す。ニンニクを沢山切って、オリーブオイルと塩コショウでアヒージョ。更に、外した牡蛎の水けをキッチンペーパーで取ってから、塩コショウして、茶こしで薄力粉をまぶす。ニンニクのみじん切りがオリーブオイルの中で良い香りが出てきたら牡蛎を入れてさっと炒める。そしてたっぷりのバターと仕上げに醤油で香りづけをしたら出来上がり。家族四人名で一人10個は平らげた。伊勢志摩の社友に感謝である。

過日、テレビで警察の150年史を見た。その警察の事件史の中で、記憶に残ったのが「ルーシー・ブラックマン事件」だった。その事件は、今から24年前の、平成12年年7月に神奈川県三浦市でイギリス人女性ルーシー・ブラックマン が強姦されて死亡した事件。元英国航空乗務員で、ホステスとして六本木で働いていたブラックマンが、友人に連絡後に行方不明になった。3日後には、男からブラックマンの友人に電話があり、不審に思った友人が警察に捜索願を出した。容疑者として逮捕された男は、200人以上の女性を、逗子マリーナにある所有のマンションに連れ込み、酒や薬で眠らせてから暴行する、という異常な男だった。

その事件について書かれた本を読んでみようと思って、アマゾンで買ったのが、日本在住10年の英紙「ザ・タイムス」の東京支局長だったリチャード・ロイド・バリーという人が書いた『黒い迷宮』(早川書房)という520頁の本と、高尾昌司氏の『刑事たちの挽歌ー警視庁捜査一課・ルーシー事件』(文春文庫)の二冊。著者の高尾氏は、一九四六年東京都生まれ。米海軍第7艦隊司令部従軍記者章取得後、台湾、タイに駐在。アジア各国の紛争取材を経て帰国。湾岸戦争でもイラクに一ヵ月余り滞在。『週刊ポスト』や『週刊現代』などの週刊誌を中心に活躍。豊富な警察人脈をもとに、オウム真理教事件、和歌山毒物混入カレー事件、世田谷一家殺人事件などを追い続ける。(同著・著者紹介)今日はここまで。

 

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久しぶりに「やまと」へ。

2024-01-20 15:26:32 | 日記

1月20日(土)曇り。

今日から一泊二日で旅行に出る子供を見送ったのが9時。寒いし寝足りなくてまた布団に入った。二度寝すると必ずと言ってよいほど夢を見る。目的地にたどり着けない・・・と言ったものばかりだ。

昨日、みなとみらいのフェス会場で行われた「釣り具フェスタ」にやって来た盟友らと久しぶりに「やまと」へ。近所に住む佐伯さんも合流。このお店が初めての人が二人。「やまと」は連れて行った人の殆どが「また行きたい」と言ってくれる。定番の「もも揚げ」「手羽揚げ」「生皮揚げ」「団子揚げ」を堪能。その後、関内に転戦。日にちが変わる前に帰宅。

「やまと」のある藤棚商店街は、東京裁判において東條さんや日本の戦争指導者が刑死した際に荼毘に付した久保山火葬場の近くにある。火葬場があるくらいだからお寺も多い。現在も発行しているかは知らないが、そのお寺がスポンサーとなって?『久保山タウン新聞』という地元の様々なお店を紹介しているタウン誌を発行している。その新聞に「やまと」がどーんと紹介されているのを見たことがある。まあ常連さんは今更の感もあるが、これで少しでも新しいお客さんが増えて貰えばファンの一人として嬉しい限りである。

久保山と言うと、前述のように東京裁判で理不尽にも死刑となった東條さんや戦争指導者を荼毘に付した火葬場があることで知られているが、大正期日本のアナキストであり「大逆事件」にて逮捕され、後に獄死した金子文子が幼少期に暮らしていた場所でもある。彼女は、関東大震災の二日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、愛人である朴烈と共に検挙され、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪となった。その後、服役中に獄死。享年23歳。

その彼女の獄中手記『何が私をこうさせたか』という本は、私の中の「心に響く」一冊である。その『何が私をこうさせたか』の中に、彼女が幼少期に住んでいたと言う大正時代の久保山の描写がある。「二度目に叔母がつれ戻されたとき、私たちはまた引越した。それは横浜の久保山で、五、六町奥に寺や火葬場を控えた坂の中程にあった」。久保山を通るたびに、いつも文子が暮らした家はどの辺にあったのだろうかと、思いをめぐらす。

 


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久しぶりに「天ぷら屋」へ。

2024-01-19 16:03:57 | 日記

1月18日(木)晴れ。

朝食は、白菜ともやしときくらげのあんかけ、鶏のから揚げ。昼食は、愚妻と伊勢佐木町の天ぷら屋の登良屋で天ぷら定食。夜は、エビのガーリック炒め、モスバーガーの余ったポテトフライにベーコンと玉ねぎをオリーブ油とニンニクで炒めてジャーマンポテト風。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

横浜に天ぷら屋がどのくらいあるのかは知らないが、行くのは今日の登良屋と馬車道の「天七」と関内の「天吉」の三軒だけである。単に天ぷら屋と言ってもそれぞれ味や揚げ方が違う。登良屋は、ごま油の香りが凄いが、何せメニューに値段が一切ない(と思う)。天ぷら定食だけを食べていれば、まあ庶民的な値段だが、名物のメジマグロやキンキの煮つけなどをその気になって頼むと、会計の時に、小心者の私などクラッとする。「天七」も安くはないが、まあ酒など飲まずに、食事をする分にはさほどではない。浪人の私が頻繁に行ける店ではないことは確かだ。

先日、岐阜の花房東洋先輩から電話が入って「京都で隠れ家的な肉料理の良い店を見つけたので、是非案内したい」とのこと。桜の季節ごろには訪ねてみたいと思っている。新横浜駅から「のぞみ」で京都まで約二時間。あっという間である。先日、池波正太郎の本を読んでいたら「…江戸から京都まで百二十五里二十丁。鍛えぬかれた秋山大治郎の足ならば、十日はかかるまい」という文章があった。京都も場所によるが、朝早く新横浜駅を出て、「のぞみ」に乗り二時間。昼に着いて食事を兼ねてのんびりと一杯やったってその日のうちに横浜に戻れる。いい時代になったものだ。


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