白雲去来

蜷川正大の日々是口実

週刊新潮の謝罪記事を検証する。

2009-04-17 11:39:35 | インポート

四月十五日(水)晴れ。

  昨日とはうって変わって良い天気である。午前中は治療。午後からはのんびりと読書。

  夕方近くに、知り合いの記者から、明日発売になる「週刊新潮」の謝罪記事の早刷りをメールで送って頂いた。最近は、便利で、十頁もの分量でもPDFで取り込み、そのまま送信できる。ファックスだと、どうしても字がつぶれて読みにくいが、PDFならばその心配はない。まして今いるのは自宅ではないのでファックスは無理だ。

また、パソコンの環境が良いので、ランケーブルがなくともインターネットがつながる。

  早速、週刊新潮の謝罪記事に目を通した。

  私の第一印象は、「言い訳に終始し、見苦しい」「往生際が悪い」というものだった。そのタイトルが笑わせる。「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」というもの。これでは、まるで新潮社が被害者のようではないか。

  冗談ではない。しっかりした裏付け取材もせずに、証言をそのまま掲載したヨタ記事を読まされた、読者はもとより、事件に関係あるような嘘を書かれた児玉、野村両先生のご遺族とその関係者こそ被害者ではないのか。しかも、今回の謝罪記事の中には、児玉、野村両先生に対する謝罪の言葉が一行もない。

「どうして騙されたのか」という検証も確かに大事であり、「虚報」(私は、絶対に「誤報」ではなく「虚報」と思っている)を四週にわたって掲載したことの経緯を説明するのは当然のことである。しかし、その前に、読者、児玉、野村両先生のご遺族や、それに連なる方々に紙面で謝罪することの方が先ではないか。お前らに何のメンツがあるというのだ。事の重大さが分かってないようだ。

  私は、子供のころに、母から「お礼と、お詫びは、早い方が良い」と教わった。以来、そのことを肝に銘じている。新潮の社長のお里が知れる、と言われても仕方がない。

  新潮側は、私達、抗議団と面談した際に、「島村に対して金銭の提供は一切ない」と公言した。

 しかし、謝罪記事の中で、新潮は「手記を掲載すれば原稿料が発生するのは当然のことであり、源泉徴収も行っている。四回の連載で一回二十万円(十万円は「新潮45」)」が高いかどうか、調べれば、すぐ答えはわかったはずだ」と書いている。

冗談ではない。「高いか、安いか」といった問題ではない。原稿料だろうが、何だろうが、「金銭の提供」には変わりがない。

それならそうと、なぜ、そういう説明を我々の前でしなかったのか。

やましい気持ちがあったから、と受け止められても仕方がない。

 私は、今回の新潮社の謝罪、検証記事に関することは、正直言って、細かい部分を除けば、ほとんど知っていた。

有難いことに、他社の記者の方はもとより、

「あんな危ない記事を書いて、あいつらは新潮を潰す気か」という良識ある新潮の内部の方からの情報の提供にも助けられた。

私が接触した記者や、知り合いのマスコミの方々、あるいは新潮の内部の人たちも一様に、「新潮の大スクープ」は、「島村と取材班とのマッチポンプ、すなわち『捏造』である可能性が強い」との感想を持っている。

 正直言って、新潮が「騙された」などと思っている者は、新潮の取材班以外に皆無に等しい、と言っても過言ではない。

 長くなるので、明日、続きを書くことにします。


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