白雲去来

蜷川正大の日々是口実

はるばる来たぜ函館へ。

2009-05-30 12:40:51 | インポート

五月二十七日(水)晴れ。

 都はるみの歌ではないが「三日遅れぇーの」どころではない四日も遅れてブログを更新している。ありがたい事に、少しブログをサボると愚妻の携帯に「ブログが三日も更新されていませんが、蜷川さんに何かありましたか」といったようなメールが入る。まあ三日、四日の空白はご勘弁願います。単に飲みすぎか、どこかに旅に出ているかのどちらかですから。

 そんな訳で、今日から二泊三日で函館行きです。実は、昨年の群青忌で実行委員長を務めて頂きました隠岐康氏の同級生が函館におりまして、その彼と二十年ぶりに連絡が取れて、会いに行く事になり、私もご相伴と相成ったわけです。一時十五分のJALで函館へ。わずか五十五分のフライトで着。空港には隠岐氏の青山学院時代の同級生が待っていてくれた。二十年ぶりの再会とのこと。同級生のS氏は余り変わっていない、ということ。隠岐氏の方は、「俺が分かるかな」と少々心配気味だったが、案ずるよりも産むが易し。

 S氏の車で、二日間の宿となる函館国際ホテルへ。私は、函館には今回で五回目である。その内の二回は野村先生と一緒だった。遺著となった「さらば群青」の十六頁に掲載されている「土方歳三終焉の地」での野村先生とのスナップ写真の時、平成三年が最初だった。

 そんな事を思い出しているうちにホテルに着。ここも三回目である。とりあえず旅装を解いてから港附近の散策に出た。景色というものは、ある意味で恐ろしい。それはわずか十年や二十年では変わり様がない佇まいに茫然とすることがある。写真を撮っても、確実に二十年の時を経た自分がそこにいる。「美しい」「懐かしい」などと眼福を重ねているうちに、歳をとって行くものなのである。

 港の周りの赤レンガ倉庫を改造した観光名所も、インフルエンザの影響なのか人影はまばらである。函館は二回目だが観光は初めてという隠岐氏と記念写真を撮った。その後、「西波止場」という所で海産物などを見て廻り、二三品買って早速自宅に送った。

Cimg6264 函館港をバックに。

Cimg6260 ここに来るのも五回目です。

 午後六時、野村先生の友人で函館で会社を経営しているO氏や大行社の世田谷支部に所属しながら函館で運動している若い人たちと合流しての食事会。五稜郭の近くの居酒屋で旧交を暖める一献会。

れていたので、十時過ぎにホテルに戻り、シャワーを浴びて早目に寝た。

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わがままは許してはいけません。

2009-05-30 11:37:45 | インポート

五月二十六日(火)晴れ。

 一日、自宅で仕事。連載させて頂いている「実話ドキュメント」の第八十三回を脱稿。今回のテーマは「土佐の高知を読む」である。先月から今月にかけて真面目に原稿を書いた。この調子で頑張ればいずれ単行本程度にはまとまるかもしれない。

 話は変わるが、子供の躾は親の態度が肝心なのは言うまでもない。昔、デパートのおもちゃ売り場で、床に寝転んで、ものすごい勢いで泣いている子供を見たことがある。少し離れた所からどうなる事かと、冷やかし半分で見ていたら、その親は、子供の剣幕に圧倒されたのか、怒らずに、なだめるようにおもちゃを買って与えた。これを見たときに、あの子供は、次もきっと同じことをやるに違いないと思った。本来ならば、公衆の面前でそんな態度をとったならば、そんなわがままは絶対に許さない、と無視して、その場を離れてしまうか、ビンタを張ってでも、おとなしくさせたほうが教育上も、またその子供の将来のためにも良いのは、言うまでもない。今回の、北朝鮮の核実験の報に接して、そう思った次第である。

 夜は、恒例の「ヨンドン会」を野毛の「弥平」にて行なった。大好物のカツオで一杯やった。終了後は友人と関内に転戦。サリーの店が一杯なので、近くの店で飲んでから、そのまま地元のスナックに転戦して帰宅。

 


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泉水博氏の慟哭が・・・。

2009-05-28 18:01:39 | インポート

五月二十六日(月)曇り。

 朝食の後に事務所へ。様々な手紙の中に、鈴木邦男さんからのものがあった。鈴木さんからの手紙を解読するのは大変な作業で、いつも愚妻と、ああではないか、いやこうではないかと、大体、全て判読するのに三十分以上かかる。石原慎太郎さんもやはり難解だったが、何といっても、一番読めなかったのは、亡くなった見沢知廉氏だった。原稿を貰っても、三分の一も読めれば良い方で、結局は校正を読み合わせで行った。頭の良いことと字の綺麗さとは正比例しないものだと、つくづく感じてしまう。

 鈴木さんからの手紙には、意外なことが書かれていた。それは、日本赤軍がハイジャックをして、逮捕されていた仲間を奪還した際に、一緒に、釈放されたのが一刑事犯だった泉水博氏である。泉水氏はその後フィリピンで逮捕され日本に逆送された。そして岐阜刑務所に服役中の泉水氏と鈴木さんは面会をしてきたと書いてあった。

 泉水氏のことは、野村先生が「友よ山河を亡ぼすなかれ」の中に「君に泉水博の慟哭が聞こえるか」に詳しい。泉水氏の話では、野村先生の本が読みたいとのこと。来週早々に手紙を書いてみるつもりでいる。

 夜は、近くの魚屋で「メシ゜まぐろ」を買って一杯やったが、残念ながら失格だった。ニュースは北朝鮮の核実験で大騒ぎである。アホなキャスターが「日本も毅然とした態度で臨まなければ」と言っていたが、「毅然とした態度とは」、「これ以上核実験を繰り返したならば、先制攻撃をするぞ」と、毅然と抗議することではないか。それが不可能ならば、アメリカに頼る以外に道はない。

 


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正田商事の二十周年に出席。

2009-05-25 22:21:10 | インポート

五月二十四日(日)雨。

 午前中は、「大吼」の最後の編集作業。ようやく全ての校正が終了したのが、二時過ぎだった。今日は、午後四時から、野村先生の一門である埼玉の正田秀幸氏の会社の創立二十周年のお祝いが、西川口の正田氏の経営するギャラリーで行なわれる。

 三時半に、志村馨君と保土ヶ谷で待ち合わせて西川口へ。湘南新宿ラインが開通してから新宿や埼玉方面に行くのが本当に楽になった。三時三十二分の大宮行きに乗って赤羽で乗り換えて約一時間で西川口着。会場に着いたときには野村先生の奥様や岩上先輩、隠岐康氏など一門が揃っていた。まず野村先生の奥様が挨拶した後に私が祝辞を述べた。正田さんとは今の会社が出来る前からのつきあいである。和気藹々の雰囲気の中でアット言う間に二時間が過ぎて、野村先生の奥様と隠岐、志村の両氏と共に会場を後にした。

 折角の休み、中途半端な時間なので、隠岐氏にわがままを言って、浅草の「駒形どぜう」で二次会。三人で焼酎四合瓶を一本開けて、「どぜう」を二枚食べて九時に解散。横須賀線で帰宅。


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衣替え、訃報、酒・・・。

2009-05-24 12:17:40 | インポート

五月二十三日(土)晴れ。

 八時起床。良い天気である。朝食の後は、家族総出で、衣替えを行った。四人しかいない家族でも、冬物から夏物に変えるとかなりの量になる。納戸を整理して、夏物を出したが、わずか一年前にもかかわらず、「あれ、こんな物があったの」とか「あれは何処へしまった」など大騒ぎである。衣替えと納戸の整理と、片付いたのは夕方の四時を過ぎていた。沖縄の女性カメラマン石川真生さんから「上京しました」との電話が入る。そういえば昨夜遅く、携帯に着信が入っていた。若い人たちを紹介したお礼と、彼女の写真展が行なわれるとのこと。以前、私も、彼女に写して頂き、「アサヒグラフ」に出たことがあった。ご盛会をご祈念致します。

 今日は、岳父の命日。家族で仏壇に手を合わせていたら、中学の同級生から連絡があり、やはり同級生で葬祭場を経営していたK氏が亡くなり、今日、その通夜式が彼の葬儀場で行われるとの連絡が入った。二、三年前には一級上の先輩と、同級生の葬儀が行われた場所である。今日、通夜が行われるK氏とは、単に同級生という事だけで、個人的な付き合いはなかったが、やはり同級生ということで、感慨深いものがある。

 来月は、岸悦郎、小早川貞夫両先生、盟友だった内海政人氏の命日である。ある先輩から教わって、我が家では「名刺供養」というものを行っている。過去に名刺交換をし、その後亡くなってしまった方の名刺を重ねて仏壇に納めてある。一番上は野村先生である。その方々も、名刺ケース二箱にもなってしまった。合掌。

 夜は、大日本昭和会の相澤淳氏、大行社の横浜支部長の内川徳彦氏の二人が来訪しての一献会となった。来客の予定がなかったので、冷蔵庫からあり合わせのもので、つまみを作った。まず、長芋の千切り、きくらげとインゲンのニンニク炒め、豆腐のごま油炒めと北海道の尾崎修さんから届いたアスパラガスのオリーブ炒めの四品。

 「黒霧島」を切らしていたので、「甕雫」を開けた。しかし、内川、相澤の両名、夕方から飲んでいたらしく、七時近くに来た時はすでに酔っており、ほとんど○△×○□××状態。遅れて、清水常二氏が「霧島」の白を下げて来訪。楽しい酒席となった。

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