五月二十七日(水)晴れ。
都はるみの歌ではないが「三日遅れぇーの」どころではない四日も遅れてブログを更新している。ありがたい事に、少しブログをサボると愚妻の携帯に「ブログが三日も更新されていませんが、蜷川さんに何かありましたか」といったようなメールが入る。まあ三日、四日の空白はご勘弁願います。単に飲みすぎか、どこかに旅に出ているかのどちらかですから。
そんな訳で、今日から二泊三日で函館行きです。実は、昨年の群青忌で実行委員長を務めて頂きました隠岐康氏の同級生が函館におりまして、その彼と二十年ぶりに連絡が取れて、会いに行く事になり、私もご相伴と相成ったわけです。一時十五分のJALで函館へ。わずか五十五分のフライトで着。空港には隠岐氏の青山学院時代の同級生が待っていてくれた。二十年ぶりの再会とのこと。同級生のS氏は余り変わっていない、ということ。隠岐氏の方は、「俺が分かるかな」と少々心配気味だったが、案ずるよりも産むが易し。
S氏の車で、二日間の宿となる函館国際ホテルへ。私は、函館には今回で五回目である。その内の二回は野村先生と一緒だった。遺著となった「さらば群青」の十六頁に掲載されている「土方歳三終焉の地」での野村先生とのスナップ写真の時、平成三年が最初だった。
そんな事を思い出しているうちにホテルに着。ここも三回目である。とりあえず旅装を解いてから港附近の散策に出た。景色というものは、ある意味で恐ろしい。それはわずか十年や二十年では変わり様がない佇まいに茫然とすることがある。写真を撮っても、確実に二十年の時を経た自分がそこにいる。「美しい」「懐かしい」などと眼福を重ねているうちに、歳をとって行くものなのである。
港の周りの赤レンガ倉庫を改造した観光名所も、インフルエンザの影響なのか人影はまばらである。函館は二回目だが観光は初めてという隠岐氏と記念写真を撮った。その後、「西波止場」という所で海産物などを見て廻り、二三品買って早速自宅に送った。
午後六時、野村先生の友人で函館で会社を経営しているO氏や大行社の世田谷支部に所属しながら函館で運動している若い人たちと合流しての食事会。五稜郭の近くの居酒屋で旧交を暖める一献会。