9月26日(木)晴れ。
掛け布団を出した。朝方に使ったがお陰様でぐっすり眠れた。なんとなく「おでん」が食べたくなって炊いた。なぜおでんは「炊く」のか。西日本の方では「煮る」ことを「炊く」とも言うので、それが伝わったとのこと。そういえば、真っ黒い出汁でたくおでんは「関東炊き」という。私は、カツオと昆布で炊いた透き通った出汁の関西風の方が好きだ。
先日、伊勢佐木町の書店有隣堂に行った時に、文芸評論家の福田和也さんが亡くなった後なので「追悼コーナー」でもあるのかと思ったら、追悼コーナーどころか彼の本も書棚に見つけることが出来なかった。少し寂しい思いがした。現在発売中の『週刊新潮』の「墓碑銘」は「文芸評論家、知の巨人・福田和也さんの博覧強記(はんらんきょうき=広く書物を読み、いろいろな事をよく記憶していること)」。そして産経新聞9月27日には「福田和也さんを悼む」の記事。
その記事によると、記者が「福田さんと最後に会ったのはおよそ6年前のことだだ。産経新聞社の取締役から『江藤淳さんの全集を産経で出せないだろうか』との相談を受け、ならば江藤さんの弟子だった福田さんに相談してみるのがいいと思います。まず会いませんかと答えた。すぐさま福田さんに連絡を取り、上野のうなぎ屋で顔を合わせた。衝撃的だった。頬はげっそりとこけ、手はブルブル震え、言葉もなかなか出てこない。そこには毎月100冊読み、文学、歴史、政治、社会など多岐にわたるテーマで毎月300枚もの原稿を書き夜な夜な乃木坂(東京都港区)あたりでたっぷり飲み食いしていたころの『無頼』とでもいうべき福田さんの面影はまったくなかった。全盛期のめちゃくちゃな暮らしぶりで痛めつけられた肉体が、主である福田さんに復讐を始めたのか、と感じた」。
私も、書店で福田さんの著書『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』を買った時に、そこにあった最近の福田さんの写真を見て、その変わりように「エッ」と声を挙げてしまった。享年63歳。日本の大切な「知」が失われてしまった。