四月二十四日(金)晴れ。
いやはや、ぼやーっとしていると、あっという間に季節に先を越されてしまう。久しぶりに車を使わずに事務所まで歩いて見たら、先月の今頃は桜に胸ときめかせていたのに、道端にはツツジやハナミズキ、小手毬が町を彩っている。いつも思うが金が無くとも、天気が良くて花がきれいで、とりあえず、そこそこ健康であれば、それだけで幸せな気持ちになる。しかし、そう思っていても、いざ金に詰まると花をめでる余裕がなくなるのだから、人間が小さいとしょんぼりするときがある。窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ。の荘子の心境には程遠い私であります。
ああ貧乏してもカツオが食べたい。鰹節の「柳屋」というお店の案内には「カツオと鰹節」の話が沢山掲載されていて楽しい。有名な、「『目には青葉山ほととぎす初鰹』の一句は毎年の様に晩春、初夏の話題になります。この句は、江戸時代の大坂の俳人山口素堂の作で、その季節のさわやかな『目には青葉』の新緑、『耳にはほととぎす』の音色、『口には初鰹』の美味という三輻対の喜びをたたえたもの。よく『目に青葉』と『は』の字を落とした例があるのは気になります。四月頃いちばん早くとれる走りの鰹。中でも鎌倉や小田原の辺りから馬や船で江戸へ送られて来る物が最も早く、また高価で、天明頃、日本橋石町の富豪が一尾二両三分の初鰹を馳走したと伝えられる」とある。「まな板に小判一枚初がつお」の句があるくらいだ。そして、「鎌倉を生きて出でけん初鰹」の芭蕉の句は有名である。
夕方、居ても立っても居られず「そごう」へ車を飛ばして鮮魚売り場へ。あったぞ、あった。一さく千円。ふふふ、なめてんじゃん。まっいいかと買った。家族には、エビチリとフリッターを作ってやろうとむき海老を購入。録画しておいた映画を見ながら、酔狂亭で独酌。
いやはや、ぼやーっとしていると、あっという間に季節に先を越されてしまう。久しぶりに車を使わずに事務所まで歩いて見たら、先月の今頃は桜に胸ときめかせていたのに、道端にはツツジやハナミズキ、小手毬が町を彩っている。いつも思うが金が無くとも、天気が良くて花がきれいで、とりあえず、そこそこ健康であれば、それだけで幸せな気持ちになる。しかし、そう思っていても、いざ金に詰まると花をめでる余裕がなくなるのだから、人間が小さいとしょんぼりするときがある。窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ。の荘子の心境には程遠い私であります。
ああ貧乏してもカツオが食べたい。鰹節の「柳屋」というお店の案内には「カツオと鰹節」の話が沢山掲載されていて楽しい。有名な、「『目には青葉山ほととぎす初鰹』の一句は毎年の様に晩春、初夏の話題になります。この句は、江戸時代の大坂の俳人山口素堂の作で、その季節のさわやかな『目には青葉』の新緑、『耳にはほととぎす』の音色、『口には初鰹』の美味という三輻対の喜びをたたえたもの。よく『目に青葉』と『は』の字を落とした例があるのは気になります。四月頃いちばん早くとれる走りの鰹。中でも鎌倉や小田原の辺りから馬や船で江戸へ送られて来る物が最も早く、また高価で、天明頃、日本橋石町の富豪が一尾二両三分の初鰹を馳走したと伝えられる」とある。「まな板に小判一枚初がつお」の句があるくらいだ。そして、「鎌倉を生きて出でけん初鰹」の芭蕉の句は有名である。
夕方、居ても立っても居られず「そごう」へ車を飛ばして鮮魚売り場へ。あったぞ、あった。一さく千円。ふふふ、なめてんじゃん。まっいいかと買った。家族には、エビチリとフリッターを作ってやろうとむき海老を購入。録画しておいた映画を見ながら、酔狂亭で独酌。