白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ついにマスコミが島村を追い詰めた。

2009-04-10 10:17:15 | インポート

四月九日(木)晴れ。

 起床後から電話が鳴りっぱなしだった。マスコミや同志、先輩、知人、そして社友会の人たち。もちろん、今朝の産経、毎日、朝日の各新聞や「週刊文春」を読んだ人たちからだ。

 恥ずかしい話であるが、浪人生活ゆえ、私には定期収入がない。例えわずかな金額であっても、毎月決まった日に支払いをする、という事が中々できない。従って、以前は、資料にするために新聞五紙を取っていたが、今では産経新聞一紙のみである。それでも、現在は、インターネットが発達しているので、興味のある報道はパソコンで読むことができる。朝日、毎日のニュースは、パソコンで見た。

 ついに島村が虚言を認めた。

 文春の記事は、昨日、知り合いの記者から早刷りを送って頂いていた。新聞広告では、「新潮VS朝日『赤報隊』実名告白者に直撃六時間ー『オレは阪神襲撃の実行犯じゃない』」というもので、島村の顔写真まで出ている。その「文春」の記事の中で笑えたのは、「野村さんと面識はあったけど、オレは犯行声明文を書いてくれなんて頼めるような立場じゃないですよ。新潮の手記では、野村さんを『ダンナ』と呼んでいたことになってるけど、そんな呼び方できるわけない」と否定した。

 涙を流して否定! 

 毎日新聞によれば、「87年1月に朝日新聞東京本社を銃撃した後、右翼の野村秋介氏(故人)に犯行声明文を作成してもらった」との内容については「(犯行声明との関連で)野村さんの名前は出していない」と涙を流し否定し、朝日新聞静岡支局爆破未遂事件に関しては「おれはバカだから爆弾なんて作れない」と関与自体を認めなかった。

 新潮社から金を貰っていた。

 朝日新聞は、昨日の私のブログを裏付けるように、「新潮、襲撃手記に九十万・・・証言者『記事はウソ』と主張」と報道している。当初、新潮社は、マスコミ各社に対して「金銭の提供はない」とコメントしていたではないか。本当かどうかは分からないが、島村と新潮社側とで、金の事で揉めて、「それなら金を返せ」と言われたとか。品性のない者同士のバトルを一生やっていろ、という感じである。

 因みに朝日新聞は、「情報提供者に金銭などの対価を支払うと取材側意向に合わせて証言内容を変える可能性がある。このため朝日新聞では、原則、情報の提供者には対価を渡さないことにしている」とか。当初、新潮社は、二月二十六日の抗議の段階では、島村に、金銭の提供はない、と話していたのである。

 産経は、「新潮 裏付けあったかー雑誌報道史に禍根」との見出しで、新潮の虚報を批判して、ご丁寧にも島村の顔写真をカラーで出している。実は、島村を直撃取材をしたのは、文春、毎日、産経の三社である。一社だけでは、新潮に揚げ足を取られかねないとの判断から、三社の共同取材となった。

 しかし、まだ島村の証言にはウソがある。「実行犯ではないが、若い衆二人がやった」「野村先生と面識があった」「児玉先生の所に四ヶ月だけ居た」という下りである。この期に及んで、まだこれだけのウソをつく。しかし、ついに島村を追い詰めた。私達にとっては、難儀で、体力の要した戦いであった。暴発寸前の若い人達に、「合法的にやっても、絶対に勝てる戦いだ」と、自重を促し、全国の一門や社友会にも、新潮社との戦いの経緯を逐次報告した。

 その間、かつて島村の拠点が北海道ということもあって、二回も足を運び、北海道の同志諸兄の協力と支援を仰いだ。特に、草莽塾の坪岡公康氏、島村が所属していた無名塾の伊藤清隆塾長には、的確なアドバイスを頂き感謝に堪えない。勿論、田中清元、前田伏樹の両盟友や大行社の谷口壽美雄総本部長、石澤博文、梶浦直樹の社友にも大変お世話になった。

 阿形充規先生が新潮社に対して行った抗議がきっかけとなって、我々が結集した。犬塚哲爾先輩の情報力と人脈の影響も大きかった。さらに青年思想研究会の市村清彦氏には、児玉先生に関する資料を提供して頂き、検証原稿まで寄せて頂いた。(「燃えよ祖国」に掲載する予定です)木村三浩代表とは、それこそ二人三脚で情報を収集した。この方たちとの共同戦線がなかったならば、新潮社の対応も、また違ったものになっていたに違いあるまい。常に心配を頂いた、三本菅啓二先生には、衷心から御礼を言いたい。また、親しくしているマスコミ関係者からの情報提供が、なくしては、私達の動きも制限されたものになったであろう。感謝しています。

 経過報告にお集まり頂いた、諸先生や諸先輩には近々、報告会を催す予定です。しかし、まだ、今日の段階では、あくまで「経過報告」に過ぎない。完全に、島村も新潮社も「虚報」を認めて、謝罪を表明してはいない。特に、「右翼の名前を標榜して、アメリカの関係者から金を貰い、人殺しをした」として、児玉、野村の両先生が、あたかもその事件に加担したかのように語った、島村からまだ直接的な謝罪を受けていない。もしこのまま真摯な謝罪をせずにいたのならば、マスコミ各社に顔写真が公表された以上、彼の安住の地など日本中にない。

 島村の写真と彼が毎日新聞に語った一問一答は、 ここをクリック!  (毎日新聞社のページ「毎日jp」)

 我々は、彼に危害を加えるつもりなど毛頭ない。「全てウソでした」と話し、謝罪をすれば、それでいいのだ。民族派運動、児玉、野村両先生の名誉が恢復されることが大事であるから。

 決して戦いは終わったわけではないのだ。

コメント (2)
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