白雲去来

蜷川正大の日々是口実

断食三日目。

2012-05-31 19:22:58 | インポート

五月三十日(水)晴れ。伊豆高原にて。

七時に目覚まし時計の音で起床。良い天気なり。七時半から、太極拳を模した朝の体操を十五分ほど先生の指導で行う。
終了後に、サロンで参加している人たちと話をするが、関西方面の人が多い。男の人は、ほとんどが初老と言った感じ。

八時半から、一時間のウォーキングに出る。別荘地なのでほとんど人が歩いていない。軽く汗をかいた。シャワーを浴びてから朝食。五〇〇カロリーしかないが、空腹に慣れたお腹には十分である。
その後、部屋で、仕事に没頭する。折角原稿を書き上げても、インターネットの調子が悪く、送れない。仕方がないので帰宅してから校正をすることにする。
お腹が空いていて
あまり考えることをしたくないので、ここの宿のオーナーの車を借りて、隠岐氏とドライブに出た。

稲取の海岸の近くにある鮮魚店には、断食に来ると必ず寄る。隠岐氏の紹介なのだが、このお店の「キンメダイの味噌漬け」がとても美味しい。しかし、愚妻と上の子供が、「甘い味付けの魚は美味しくない」というので、最近は、アジの開きやエボダイやサバの干物のみを買うことにしている。
その後、浄連の滝の方まで足を伸ばし、湯が島と言う所にある「東府屋」という古民家風の旅館のテラスで、お茶をした。
断食のオーナーに紹介されたのだが、とても素晴らしい旅館である。その昔、唐人お吉が二年ほど逗留していたとかで、記念館まで作ってあった。

宿に戻ってから、また三十分程度歩いてから入浴。夜は、近くのツタヤで借りた「ブラックスワン」を見てから寝た。


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断食二日目。

2012-05-29 15:21:45 | インポート

五月二十九日(火)晴れ。

昨日の伊豆は夕方から本格的な雨になった。六時の簡単な食事を終えると、あとは何もすることがない。当然、自室に戻って、原稿の校正や、それに飽きると本を読んだりで、結局寝たのは十二時を過ぎていた。

体のガソリンが切れているのか、今朝は五時半に目が覚めてしまった。遮光カーテンを開けると良い天気。鶯の鳴き声が聞こえてきた。朝の体操は七時半。それまで時間があるので、パソコンを開けて原稿に向かった。

そういえば、昨日から読み始めている「百代の過客」にとても面白いものがあった。日本人による外国への旅を詳細に記述した最初の日記は、幕末に締結された日米通商条約を批准するために、万延元年(一八六〇)、使節団の一員としてアメリカ合衆国に派遣された村上淡路守範正のものではなかったかと、ドナルド・キーンは書く。もちろん村上以前にも、海で嵐に遭遇して漂流し、ロシアやアメリカに渡った人たちもいるが、残念ながら、彼らのほとんどが武士階級ではなかったために、難しい文字を書けなかったのと、日記を書くような習慣がなかった。

キーンは、村上の日記を、「見聞した事柄を作者が詳細に叙述しているからだけではなく、その叙述がきわめて個性的であり、時として文学的価値さえ認められるからである。この日記はまた、毎日詠んだ歌を欠かさず挿入するという、古い日記の伝統も踏襲している。」と評している。キーンは、村上が、当時の日本人の誰もが感じていた外国人への偏見にも驚いている。

村上らの一行は、アメリカに着く前に、ハワイに立ち寄り、当時のカメハメハ四世国王に謁見した。その時の国王の印象を詠んだ歌に大笑いしてしまった。「御亭主はたすき掛けなりおくさんは大はだぬぎて珍客に逢ふ」。

断食から帰ったら、村上の日記を探して読んでみたいと思っている。まだ断食が二日目というのに、かなりふらふらしている。とりあえず、昼から一時間半ほど歩いて、風呂で汗を流した後に、これを書いている。そうか、午前中に、お世話になっている人、お二人に手紙を書いた。空腹と睡魔と闘いながら仕事にいそしむか。


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伊豆で一週間の断食へ。

2012-05-28 20:28:39 | インポート

五月二十八日(月)晴れ後曇り。

八時に起床。下の子どもと一緒に朝食をとる。今日から、恒例の「断食」に行く。社友の隠岐康氏が私の体を気遣って毎年、この時期に伊豆高原にある「断食」に連れて行ってくれる。本当は、昨日からだったのだが、お互いに用事があり、一日ずれた。一時二十分の「踊り子」に乗るために、朝から細かい用事を済ませるために、てんやわんやである。それでも大事な用事を一つ忘れてしまった。

「踊り子号」で隠岐氏と合流。今日から酒は勿論、食事もろくに取れないので気を引き締めなければ。

夕方に、いつもの場所に着。体重測定をしたら、「どうせ断食に行くのだから」と気が緩んだ昨今のせいで、五キロも太ってしまった。

先日の肉離れの事もあるので、余り激しい運動をせずに、朝晩に一時間ずつ、計二時間のウォーキングをするつもり。

原稿も書かなければならないし。細々とした用事をこなそうと、持ち込んだ。読書は勿論。とりあえず、一週間の休刊日と思って頑張らなくては。あーあ腹減った。


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金太郎の故郷、足柄山へ。

2012-05-28 20:25:28 | インポート

五月二十七日()晴れ。海軍記念日。

「あの日上がったZ旗を父が仰いだ波の上」(「海の進軍」)今日は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」のハイライト、「日本海海戦」で我が帝国海軍がロシアのバルチック艦隊を撃滅した武勲輝ける日である。戦前は、この日を海軍記念日として祝日だった。

朝は、七時に起床。朝食の後に、サリーファミリーと待ち合わせの場所である横浜駅に行く。今日は、いつもお世話になっている神輿会の「天狗会」の会長が主催する大雄山のお祭りがある。それに出席のために愚妻とサリーファミリーに同行した。

横浜から東海道線で小田原まで、そこから大雄山線に乗り換えて終点の「大雄山」へ。ここの足柄山は金太郎伝説で有名なところ。駅前には、まさかりを担いで熊にまたがった金太郎の銅像があった。駅のすぐ近くの市役所から、神輿が出発する大雄山最乗寺まで送迎のバスが出る。

私は、この曹洞宗のお寺に来るのは初めてであるが、とても立派なお寺で驚いてしまった。何でも六百五十年もの歴史があるそうだ。まずはお寺に参拝。天狗会の会長に御挨拶をしてから、しばし御神輿を見学。

帰りが、混みそうなので三時前にお暇した。

横浜に着いたのは四時半。伊勢佐木町の中華料理屋で「敦煌」で打ち上げ。その後、カメ&アコちゃんたちと、藤棚の「颯」に転戦して、十時近くに解散。


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百代の過客

2012-05-28 20:15:29 | インポート

五月二十六日()晴れ。

まあ小市民的と笑われそうだが、土、日曜日は家族が全員揃うので家の中が賑やかでいい。天気も良いし、何となく心が穏やかになる。午前中は、「大吼」の編集。

午後からは、編集を手伝ってもらっている愚妻を自宅に残して、二人の子供を連れて、「みなとみらい」に出かけた。皆で書店で一時間ほど暇を潰した。子供たちにはそれぞれ二冊ずつ、私も、「酒と作家たち」(浦西和彦編・中公新社刊・七百円)と、「百代の過客―日記に見る日本人」(ドナルド・キーン著・講談社学術文庫・千九百円)の二冊を買った。「酒とー」は、夏目漱石から現代の作家まで酒に関することを、色々な方が書いている。こういう本は楽しい。電車の中などで読むのには最適である。

ドナルド・キーン氏の物は正・続ある「続編」を買った。平安時代から幕末に至る約八十編の日記を解読した異色作で、一九八五年に読売文学賞を受けたものである。前編の方は、古典が中心なのでニガテかなと思って、近代の人たちの日記を中心にしたものを購入したにした。

本の題名の「百代の過客」は、説明の必要もないだろうが、「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」という松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭文で、月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。との意味である。

夜は、我が酔狂亭で月下独酌。岐阜の細川先生よりメールが入り、先生も、読書を肴に独酌中とのこと。


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