八月二十八日(木)曇り。
今日も肌寒い朝だった。考えたなら八月も後三日で終わり。手紙の書き出しなどではなく、本格的に秋となる。先生の獄中句集『銀河蒼茫』には好きな句が多いが、秋の句では「まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ」がいい。
十月になれば、群青忌。大がかりな集会は五年に一度で、二十一年目の今年は浄発願寺にて墓前祭を行い、終了後には中華街で直会(なおらい)を行う。来月の六日に準備委員会を開催する。決定しましたことは、ブログ等で告知いたします。
古い同志で名古屋在住の栗野成人氏が癌と闘っている。盟友の折本満氏もすい臓がんで、過日手術を行った。六十も半ばとなるとこういった病は避けられないのかもしれない。もちろん健康に越したことはないが、こればかりは、いかんともしがたい。
その栗野氏が発行しているのが「牛喘荘通信」という同人誌である。先日、私の所に届いたのが第百十七号。B五版四〇頁。すべて手作りの雑誌である。寄稿している方のほとんどを知っているが、栗野氏宛てに来た書簡や原稿、そして栗野氏の原稿も皆、そのままコピーして掲載している。これ以上の手作りはない。ずい分前のことだが私の機関誌もワープロで原稿を起こしてからコピー機で印刷していた。
当時のコピー機は両面コピーが難しく、片面をコピーした物を裏返して再びコピーすると不具合が生じて、度々紙詰まりを起こした。更に、コピー機がリースと言うこともあって、毎回千回以上もコピーするので経費も大変だった。「牛喘荘通信」の第一一六号にこうあった「六月二十一日(土)晴天。夏至。弊誌先号を執念で作り、発送及び手渡し分も配り終えた。これで心置きなく入院できるのだ。」(原文は旧仮名)。機関誌づくりの苦労を知っているだけに、ほろっとさせられた。
私の機関誌もそうだが、栗野氏も恐らくほとんど赤字であろう。出し続けるのは使命感と意地である。機関誌と言うものは出せば出すほど赤字がかさむ。郵送費だけでも毎月五万円以上。業者に出していたならばとてもやっていけない。しかし、誰に頼まれたわけでもなく、自分が好きでやっている以上、泣いてもいられない。
弊社が発行している野村先生の本を預かって頂いている倉庫代、機関誌の紙代、印刷機のインク代が溜まり、ヤバイと思うと、頭山満や野村先生の書を友人に頼んで買って貰い支払いに充てる、という生活がもう何年も続いている。
正直言って、私の機関誌の購読料は高いと思っている。それを承知で購読して頂いている読者には本当に感謝をしている。いつかその人たちの恩に報いたいといつも思っている。右も左も、政治・思想運動に携わる者は「表現者」である。書くか、喋るか、行うか。すべては無理だとしても、その中の一つぐらいは真面目に取り組みたいと思っている。栗野成人氏のご快癒を願いつつ・・・。
朝から、様々な手紙を七通。これもある意味運動である。礼を尽くす。礼を失すれば私が笑われるのではなく、野村先生の門下生としての私が笑われる。ということを肝に銘じてお世話になった方には、感謝をこめて筆を執ることにしている。でも酔った時の醜態は多めに見て下さい。