白雲去来

蜷川正大の日々是口実

新潮との戦いの報告会を行った。

2009-04-21 17:27:12 | インポート

四月二十日(月)晴れ。

 朝食の後に、九時半から歯医者。正午前に自宅に戻り、外出の準備。午後は二時から、川崎の「憂国清心同友会」の事務所において、戸張龍雄筆頭議長のインタビューを行う。以前、私が行っていた「民族派団体紹介」の再会である。二時に、大行社の丸川仁本部長と待ち合わせて、事務所へ。戸張議長とは、もう長いお付き合いをさせて頂いている。こういったお付き合いの中でのインタビューは気心が知れているので楽しい。約、一時間半ほどお話を聞かせて頂き、三時過ぎに丸川本部長と共に事務所を後にした。

 品川で大行社の本部に行くという丸川氏と別れて新宿へ。今日は、五時半から新宿の某店で、「新潮社との戦い」の報告会を行う。参加メンバーは阿形充規先生を初めとした抗議団、犬塚哲爾、市村清彦、木村三浩の諸氏と私。その他に、親しい団体の方々で支援を仰いでいた、忠孝塾愛国連盟の藤元正義先生、大日本一誠会の渡辺謙二先生、敬天新聞社の白倉康夫先生、日本人権擁護協会の小川勝正先生、正気塾の中尾征秀郎先生、統一戦線義勇軍の針谷大輔議長の十一名である。

 犬塚先輩と私が経過を報告。木村代表が新潮社との最終交渉を報告して、意見交換。終了後は皆で食事を共にした。その後、阿形先生のご好意で、一軒転戦。一時間ほどで解散。犬塚、市村、木村、針谷の諸氏と、民族派の梁山泊の観を呈している「フェボナッチ」へ。十一時半、市村氏のご好意に甘えて針谷議長と帰宅。


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新潮の謝罪記事への各紙の反応。

2009-04-21 15:18:25 | インポート

四月十九日(日)晴れ。

 良い天気である。今年初めて、半袖を着た。午前中は、家族総出で自宅の掃除。午後からは、山下町の「ドンキホーテ」へ買い物に行ったが、結局、目当ての物が無くて、近くの家電量販店に行った。ついでに夕食の買い物を済ませて帰宅。夜は、七時に松本佳展、サエちゃん両名が来訪しての食事会。十時過ぎに解散。

 「週刊新潮」の四月二十三日号、「『週刊新潮』は、こうして『ニセ実行犯』に騙された」という十頁に渡る、「謝罪・検証記事」が発表された当日、五大新聞の全てが、その事に触れて書き、私が知る限りでは、NHKや民放のニュースでも取り上げていた。皆、一様に新潮の「謝罪記事」を批判しており、あらためて「責任」を追及する論調に終始している。

 例えば、当事者である、朝日新聞は、「同誌(注・「週刊新潮」)は、『だまされた』と被害者であるかのような立場を強調し続ける。こうした対応が雑誌ジャーナリズム全体への信用低下を招きかれない」。と厳しく批判し、翌、十七日の「社説」にも、「『騙されただけではすまぬ」として取り上げていてる。

 東京新聞も、社説に「雑誌報道の自殺行為だ」との見出しで、「謝罪しながらも『誤報から100%免れることは不可能」などと被害者めいた言い訳をつづるのは読者に失礼だろう。こんなタイトルで十ページも使った特ダネ級の扱いには商魂すら疑ってしまう。(中略)『売れさえすれば』とセンセーショナリズムで雑誌をつくるとしたら、自殺行為だ」と批判。さらに「こちら特報部」で二ページにもわたって、「ジャーナリズムの危機」「メディア劣化の懸念」との特集記事を掲載した。

 産経は、一面に「新潮、誤報認める」とのタイトルで、「スクープ扱いの記事が一転、メディアのありか方に禍根を残す結果となり、同誌のの信用失墜は避けられない」と書いた。さらに三面に、「病根の深さ噴出」として様々な分野のジャーナリストの意見を掲載している。当然、コメントを寄せた方々の意見も、「ジャーナリズムの在り方について憂慮」し、新潮の姿勢に批判的である。

 毎日は、一面に「新潮、誤報認め謝罪」「編集長『うそ見抜けず』」との見出しで、新潮社の姿勢を批判。社会面では「編集長『被害者』強調」と、早川編集長とのインタビューの様子を書いている。

 読売も大きく報じた。まず早川編集長との一問一答を掲載し、島村の手記を巡る動きと新潮社側の見解の推移を対照表にして表し、「早川編集長は、『手記』の掲載に踏み切った判断について『真実相当性』をあげた。だが、このような釈明をすることこそが前代未聞の虚報を生んだといえないだろうか」と、週刊新潮のスクープが、「誤報」ではなく「虚報」であると、断定している。

 今回、週刊新潮に引導を渡したのは、何と言っても島村の「オレは実行犯ではない」という証言であったことは言うまでもない。詳細については言えないが、私には、島村が、絶対に他社に逃げ込むとの確信があった。そしてその通りになった。新潮社が「スクープ」を行うという執念よりも、我々の「恩師が辱められた」ことの名誉を晴らす、執念と信念が勝った、ということだろう。しかし「勝った」とか「嬉しい」とかの感慨はないし、決して満足をしているわけではない。野村先生の門下生として当然のことをしただけだ。 敢えて言うならば、先生の墓前に報告できることが一番嬉しい。


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自宅に戻った。

2009-04-21 08:06:31 | インポート

四月十八日(土)晴れ。

 六時起床。酒を飲んでいないので、早寝早起きだ。起床後少し散歩をした。鶯の鳴き声を聞きながら、新緑の中を四十分ほど歩いた。今日は、退院して自宅に帰る。体調はマアマアだ。朝食の後にお世話になった方々にご挨拶をして、電車で帰路に着いた。

 迎えの車で、久し振りに事務所へ。私の机の上には、ものすごい量の郵便物がある。少々ゲンナリするが、嬉しいものも沢山ある。獄中に坐す同志からの手紙や、書籍の注文のま手紙などだ。結局、六時過ぎまで事務所で仕事をした。

 夜は、家族揃って食事。胃が小さくなっているのだろう、ご飯を少し食べただけで満腹感がある。いつまで続くのか・・・。体重も五キロほど落ちた。疲れたのだろうか、十時過ぎには、布団に入った。やはり自分の布団が一番いい。


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