白雲去来

蜷川正大の日々是口実

食べた、飲んだ、寝て起きた。これだけでいい。

2023-04-25 17:46:56 | 日記

4月18日(火)晴れ。

朝食は、鰯のフライ、キャベツの千切り添え、タマゴスープ。昼は抜いた。夜は、月に一度の仲良しさんたちとの食事会を関内の「うどんのおおぎ」にて開催。その後、有志にてHIROへ転戦。

江戸時代に、毎日の天気と朝昼晩、三食何を食べたかだけ、延々と書いた人の日記帳が、思わぬ高値で取引されたと、何かの本で読んだ事がある。その日記帳を欲しがったのは二人、気象学者と栄養学者だったそうだ。天気予報などのなかった時代、例えば、元禄何年の何月何日に台風が来た、と書いてあれば、当時の関東地方の天気がおおよそ見当がつく。時代劇の小説家であれば、その台風の日を資料にして、よりリアルなものが書けそうだ。『桜田門外の変』を書いた吉村昭氏は、その日、「朝からの雪」というのが定説になっているが、本当は何時ころから降ったのか、を調べる時に、江戸時代の庶民の書いた日記を参考にしたと、読んだことがある。

栄養学者の方は、その当時の人が、どんなものを食べていたか、参考になるし、庶民の暮らしも見えてくる。だから天気と食事だけの日記も、場合によっては、役に立つのかもしれない。最も、私の場合は、毎日こんな物を食べているのかと、馬鹿にされそうだ。しかし、食べた、飲んだ、寝て起きた。これだけだってボケ防止になる。


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タケノコと格闘しつつも、のんびりしていた。

2023-04-25 17:30:08 | 日記

4月17日(月)晴れ。

朝食は抜いた。昼食は、ちまき1個。夜は、タケノコのから揚げ、煮物、イワシのフライ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

町内のお友達から、掘って来たばかりだというタケノコを頂いた。タケノコは好きだが茹でるのが大変である。大きな鍋で2回。幸いに我が家は家庭用の精米機があるので米ぬかには事欠かない。しかし、火加減を調整して付ききっりで見ていなければならないので、6個ほど茹でるのに、ほぼ一日掛りとなった。から揚げ、天ぷら、わかめと一緒の煮物、牛肉とピーマンとタケノコの細切り炒め、タケノコの混ぜご飯。旬な今だから美味しい。

タケノコの合間に、先日インタビューを受けた『維新と興亜』の原稿の校正が送られて来たので着手。その後『上海灯蛾』(上田早夕里著・双葉社)を読みつつまったりした。考えたならば、今日は一歩も外に出なかった。※『維新と興亜』は4月28日発売です。


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スーダラ節。

2023-04-24 12:59:39 | 日記

4月16日(日)晴れ。

朝食は、昨日中華街で買った「ちまき」を二個にモズクの味噌汁。昼は抜いた。夜は、「オアジ」にて、お友達のカメちゃんの奥さんのアコちゃんのお誕生日会に愚妻と参加。ミッチー橋本さんも一緒で5人で仲良く食事会。

悪いことを考える人たちは、次から次へと新手の詐欺?を考える。ニュースで見たのだが、何でもマッチング・アプリと言うものを使って、若い女性が男性に、「暇だから、どこかで飲みませんか。そのあと、私の部屋でゆっくり飲みましょう」とか言うことをアプリに上げるそうだ。それに引っかかった男性が、女の子と一緒に飲み屋に行くと、法外なお金を要求される。もちろん女の子は、お店とグルで、お金を払わしたならバイバイしてしまう。私は、そのマッチング・アプリと言うものが何だか分からないから、騙されようもない。そのニュースを聞いて思い出したのが、私が子供の頃に流行った、クレージーキャッツの「スーダラ節」という歌。その三番は、

一目見た娘にたちまち惚れて、よせばいいのにすぐ手を出して、ダマしたつもりがチョイとだまされた。俺がそんなにもてる訳ゃないよ。分かっちゃいるけど、やめられねぇ。というもの。この歌を知っていたら、騙されずに済んだかもしれないかもね。


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チャリティーに参加。

2023-04-24 12:45:55 | 日記

4月15日(土)雨。

朝食は抜いた。昼食は、豚肉とピーマン炒め、明太子、モズクの味噌汁。夜は、中華街で行われた交通遺児のチャリティーに出席。終了後は、ラッキーのお店から、サリーズバーへ転戦。

先日、茨城に行った折に、常磐道の道の駅に入った。併設されているガソリンスタンドの価格を見た時に、一瞬見間違いかと思って、もう一度見たら、何とリッター180円を超えていた。(私の勘違いかもしれないが)こういった燃料費の高騰で一番影響を受けるのが、物流業に携わってたいる人たちであることは言うまでもない。にも拘わらず、今日のような「交通遺児へのチャリティー」を開催した、友人のO社長や、今日の参加の皆さんには、正直言って頭が下がった。心の洗われた一日だった。

 


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枕頭(ちんとう)の書

2023-04-20 18:20:05 | 日記

4月14日(金)晴れ。

朝食は、ハムトースト2枚に目玉焼き、インスタントのオニオンスープ。昼食は抜いた。夜は、新玉ねぎのスライスをかつお節と和えた物、カツオの刺身とミスジ肉、どちらもニンニクのスライスをたっぷり添えた。マスクをして、余り人と接する機会も少ないので、堂々とニンニクを食べられる。でも国産の青森産の物が一番良い。お供は、「伊佐美」酔狂亭にて独酌。

何か考え事をするようなときに、読む本がある。以前に盟友から送って頂いた海軍中将・宇垣纏の『戦藻録上・下』(半藤一利・戸高一成監修・PHP研究所)である。終戦の際の最期の日記にはこうある「未だ停戦命令に接せず。多数殉忠の将士の跡を追ひ特攻の精神に生きんとするに於て考慮の余地なし」「余又楠公精神を以て永久に尽くすところあるを期す。一六〇〇幕僚集合、別杯を待ちあり。之にて本戦藻録の頁を閉ず」そして、彗星艦爆11機と共に沖縄方面に特攻出撃し、戦死する。

監修した半藤一利は、その『戦藻録』の「監修のことば」の中で「第一級の太平洋戦争の史料である」と書いたが、やはり半藤が昭和の陸海軍人を個別に評価した『昭和史の人間学』(文春新書)の中に、なぜか宇垣纏の名はない。「卓抜な軍人たち・海軍編」、あるいは「残念な軍人たち・海軍編」の中になぜか宇垣の名がないのだ。「第一級の史料」を残したが、軍人としては特に取り上げるような人物ではなかったということか。宇垣が、終戦時に彗星艦爆11機を道ずれに特攻出撃したことには賛否がある。そんなことも半藤の本に書いてほしかった。※戦藻録を書き終え、特攻出撃直前の宇垣。手にした短刀は昭和天皇が山本五十六に賜ったもので、山本から宇垣に伝えられたものである

 


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