二月二十七日(水)雨。
起きようとしたら、雨の音が聞こえる。その昔の悲しい出来事が脳裏に浮かんだ。冷たい雨が降る朝に、静かに江梨子は死んでしまった。いや女の話ではなく、橋幸夫の歌の話。その影響で道端に野菊が咲いていると、伊藤左千夫の「野菊の墓」よりも、「江梨子」の中の歌詞、「野菊だけど江梨子よ・・・」とのフレーズが浮かぶ。その歌が主題歌の同名の映画を見たのは、確か中学生の頃だった。
そんなことを布団の中でうつら、うつらと思い出していたら、突然現実に引き戻された。ヤバイ、今日は二十七日だ、悪魔の支払いの日ではないか。のんびり布団に入っている場合ではないと、起きて時計を見れば、まだ五時十五分。銀行や郵便局も開いていない。それではと、暇つぶしにキッチンに行き、家族の朝食の支度をした。随分と長いこと閨房には入らないけれども、厨房には良く入る。
まあ焦っても仕方がない。やりくり、やりくり、くりのやりとぶつぶつ独り言を言いながら、出かけようと思ったら、友人が来訪。本来ならば、払いたくもない(そんなことを言ったら失礼か)金を払いに行くのだから、少しでも遅い方が良い。差し入れしてくれた「モスバーガー」とコーヒーで二時間ほど雑談。友人が帰った後、現実に戻って、駆けずり回った。
ついていない時は、不幸が重なる。先日も、機関誌を製本するときに使用する、カッターの切れ具合が良くないので、有隣堂に持って行き、刃の研ぎを頼んだら、メーカーに持っていった所、「消耗しているので新しいものと交換してください」とのこと。値段を聞けば、二万三千円。参ったと思っていたら、キッチンと風呂場の蛍光灯が同時に切れた。自然界の嫌がらせかと、にんにくでも投げてやろうかと思った。
夜は、昨夜の残りの刺身で一杯。支払いが終わった安心感からか、大して飲んでいないのに酔った。上の子供が、中国について質問してきた。父親の威厳を込めて、こう答えた。「あの国の人たちは、非常に分かりやすい人たちで、『やっていない』と言ったことは、間違いなく、『やっていて』、『自分たちの物』と言った時は、間違いなく、『他人の物』、ということ」。どうだ、と言うと。ナルホド分かりやすいと、感心していた。