白雲去来

蜷川正大の日々是口実

悪魔の呪いか。

2013-02-28 15:45:15 | インポート

二月二十七日(水)雨。

起きようとしたら、雨の音が聞こえる。その昔の悲しい出来事が脳裏に浮かんだ。冷たい雨が降る朝に、静かに江梨子は死んでしまった。いや女の話ではなく、橋幸夫の歌の話。その影響で道端に野菊が咲いていると、伊藤左千夫の「野菊の墓」よりも、「江梨子」の中の歌詞、「野菊だけど江梨子よ・・・」とのフレーズが浮かぶ。その歌が主題歌の同名の映画を見たのは、確か中学生の頃だった。


そんなことを布団の中でうつら、うつらと思い出していたら、突然現実に引き戻された。ヤバイ、今日は二十七日だ、悪魔の支払いの日ではないか。のんびり布団に入っている場合ではないと、起きて時計を見れば、まだ五時十五分。銀行や郵便局も開いていない。それではと、暇つぶしにキッチンに行き、家族の朝食の支度をした。随分と長いこと閨房には入らないけれども、厨房には良く入る。


まあ焦っても仕方がない。やりくり、やりくり、くりのやりとぶつぶつ独り言を言いながら、出かけようと思ったら、友人が来訪。本来ならば、払いたくもない(そんなことを言ったら失礼か)金を払いに行くのだから、少しでも遅い方が良い。差し入れしてくれた「モスバーガー」とコーヒーで二時間ほど雑談。友人が帰った後、現実に戻って、駆けずり回った。


ついていない時は、不幸が重なる。先日も、機関誌を製本するときに使用する、カッターの切れ具合が良くないので、有隣堂に持って行き、刃の研ぎを頼んだら、メーカーに持っていった所、「消耗しているので新しいものと交換してください」とのこと。値段を聞けば、二万三千円。参ったと思っていたら、キッチンと風呂場の蛍光灯が同時に切れた。自然界の嫌がらせかと、にんにくでも投げてやろうかと思った。


夜は、昨夜の残りの刺身で一杯。支払いが終わった安心感からか、大して飲んでいないのに酔った。上の子供が、中国について質問してきた。父親の威厳を込めて、こう答えた。「あの国の人たちは、非常に分かりやすい人たちで、『やっていない』と言ったことは、間違いなく、『やっていて』、『自分たちの物』と言った時は、間違いなく、『他人の物』、ということ」。どうだ、と言うと。ナルホド分かりやすいと、感心していた。


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二・二六の今日、若い頃を思い出した。

2013-02-27 10:18:13 | インポート

二月二十六日(火)晴れ。

 今日は、昭和十一年に起こった、いわゆる二・二六事件から七十七年目の日。野村先生の獄中句「銀河蒼茫」の中に、「二・二六の今年は獄のほそ霙」がある。二・二六事件に関する本は随分と読んだ。その中で、印象に残っているものと言えば、末松太平の「私の昭和史」、大蔵栄一の「二・二六事件への挽歌」、立野信之の「叛乱」、河野司の「湯河原襲撃」などであろうか。

 

一時期、二・二六事件関係の本を片っ端から集め読んでいたが、きりがないので、この十年ぐらいはほとんど新刊を読んでいない。その昔、古書店で、事件に関係した青年将校たちの遺墨を集めた「霊の国家」(だったか?)という本を買った時には、とても興奮した。その後、青年将校だけではなく一般の兵隊にスポットを当てた「二・二六事件と郷土兵」などという本も出版され、これも興味深く読んだ。しかし、いくら読んでも事件の本質は動くことはなく、あとはどう評価するのかや決起した人たちの個人的な人間関係、エピソードにいかに関心を持つかということに尽きるのではないか。最も、私は、研究家ではないので、事件の精神を少しでも理解し受け継ごうとするだけだ。


でも本当ならば、民族派の側から、二・二六事件に限らず、五・一五事件や血盟団事件などの昭和維新運動に関する本がどれだけ出ているのかと言うことをまとめる必要があると常々思っていた。以前は、それを私がやろうかとも思っていたが、馬齢を重ねて行くうちに気力が失せて行ってしまった。どなたか若い人にこういうことをやろうと思う人がいれば、協力は惜しまないのだが。


この運動に入った頃に、何かの本で栗原安秀中尉が刑死された後に、横浜は、天王町の近くにあるお寺のお墓に埋葬された。と読んだので、探しに行ったことがあった。やっとのことでお寺を探し当てて、ご住職にお話を伺ったら、すでに墓所を移したとのこと。(ご住職は賢宗寺のことは知らなかったようだ)。その後、賢宗寺のことを知り、一人でお参りに行った。お寺の近くにあった古書店に入ったら「パール判決書」があり買って来たことを覚えている。


昨日、事務所に行った折に、そのことを思い出して取り出してみたら、巻末の余白に「2200円」の定価があり、私が昭和四十八年に買ったと汚い字で書いてあった。若い頃の不勉強が思い出され我ながら恥ずかしかった。


午後から、何となく市場を歩きたくなって、松原商店街へ行った。いつもの魚幸をのぞいたら、何と、とびきり大きいカツオがあるではないか。まあこの時期、「はしり」のカツオなのであまり期待をせずに買って来た。六百円だった。ついでにネギと生姜とニンニクも。風呂に入ってから、冷蔵庫からカツオを出して、ふふふとにやけて包丁を入れてみれば、おおっ!いいじゃん。ゴキゲンに美味しかった。今年初めての、正に初鰹。矢でも鉄砲でも持って来い、と気が大きくなって頂き物の「赤霧島」を開けた。


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読者の方が来訪。

2013-02-27 08:23:52 | インポート

二月二十五日(月)曇り。

事務所の郵便受けを確認していなかったので、先週に上京する予定とご連絡を頂いていた三重県の読者の方と、うまくスケジュールが合わなかった。午前中に細々した用事を済ませて事務所へ。


車を駐車場に置いて、歩いて事務所に向かう途中で偶然に、ご上京されたT氏の乗った車とバッタリ。久闊を除して事務所へ。私の事務所は寒いので、早めに行って暖房を入れて温めておこうかと思ったが、寒い部屋でのご挨拶となってしまった。言い訳ではないが、スペースは充分なのだが、動力を必要とする暖房を設置しなかったので、家庭用の暖房では中々温まらない。本や資料ばかりなので火を使用する暖房は怖いので、この時期に事務所で仕事をするのは、かなり辛い。まあそのうちに内装をやり直して、何とか快適な環境で仕事が出来るようにしなければと思っている。


三重から来られたT氏とお会いするのは二度目と思っていたら、三年前の群青忌に「雨宿り」を主宰していた夏井さんの紹介で参加したとのこと。二年前は、直接ご連絡を頂いたので、伊勢原では親しくお話をすることが出来た。様々な話を一時間ほどして再会を約して別れた。これからT氏は東京で行われる針谷大輔さんの反原発デモに参加するとのこと。


私は、そのまま歯医者へ。ことのほか時間がかかった。ランドマークタワーにある書店で、キャパの「ちょっとピンぼけ」(文春文庫)を買って、一階のスタバでお茶。


夜は、恒例の近所の仲良しさんとの一献会。場所は「たつ屋」。終了後に、近くのお店に転戦してから帰宅。


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珍しく休肝日。

2013-02-27 07:35:00 | インポート

二月二十四日(日)晴れ。

 日曜日だからと言ってのんびりとしていられない。考えてみれば、いや考えなくてもこちらは毎日が日曜日みたいなものだ。日曜日でホツトしているのは私以外の家族だけ。

 

八時には皆をたたき起こして朝食。そう言えば、何かの本に、江戸時代に、毎日の食事だけを丹念に書き留めた日記があって、それがとても興味深かったとあった。

 

当時の人たちが何をどのように食べていたのか、本を書く上での資料となるし、また栄養学上でも非常に参考になったそうだ。現代は、様々な人の「食べ歩きブログ」や、「クックパッド」で検索すれば、大体の料理が分かる。私も、その「クックパッド」を参考にして料理を作ることがある。便利になったものだ。

 

朝食後は仕事。ウォーキングに出ようかとも思ったが、パソコンの前に座ったら、あれも、これもと色々やらなければならないことが次々に浮かび、真面目にしていた。珍しく休肝日とした。

 

録画しておいた東京マラソンを見た。男子マラソンが日本のお家芸と言われたのはいつ頃までだったか。瀬古や宋兄弟、中山らの名ランナーが活躍していた時代が懐かしい。案の定、エチオピヤやケニヤの選手ばかり。まあ考えてみれば、世界のトップは二時間四分代で走るのだから、そのスピードに早く追いつかなければ。そう言えば、社友の隠岐康氏も走っているとのこと。四時間を切りたいと言っていたが、どうだったのか。

 


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気が付けばトホホな日々。

2013-02-25 11:06:18 | インポート

二月二十三日(土)晴れ。

当たり前だが、毎日寒い。六十年以上も春夏秋冬を経験しているのに、冬は「寒い」、夏は「暑い」とつい愚痴が出てしまう。修業が足らんのかもしれん。


朝食後は、「大吼」の編集作業。年に四回の発行と言っても百頁の雑誌を編集するのは大変な事である。もちろん最新号が完成した時の喜びの方が大きいが。記事が多い時は嬉しい悲鳴。少ない時は、脂汗が出る。生みの苦しみを実感しながらの編集である。


夜は、後輩、と言ってもこちらの方が公私共にお世話になった元ロイヤルパーク・ホテルに勤めていたY氏が退職したことの「ご苦労さん会」を、横浜の名店「たん右衛門」にて行った。このお店に来るのも久しぶりのことである。五十代ぐらいまでは月に一度は顔を出していたが、最近は、歳のせいか肉を食べたいと言う欲求があまりなくなった。その分、当然ながら足が遠のいた。


しかし、今回は、このお店が初めてという人たちがほとんどなので、皆さん楽しみにしていたようだ。メンバーはメインゲストのY氏ご夫妻や私の友人七名を含めた九人。このお店での私のコースは、まず「馬刺し」から始まって、「牛タン」「さがり」を堪能してから、「つくね」など串焼きを少々。余り飲めない人には、「焼きおにぎり」や「テール・スープ」、「テール雑炊」がお勧めである。その昔は、このお店でJリーガーや勝新太郎などと良く隣り合わせた。まあ単なる串焼きのお店と思って入ると、冷や汗ものだが。それでもその分美味しいので余り懐具合は考えずに行くことにしている。


その後、サリーの店に転戦。サリーからY氏に、「ドンペリ」をプレゼントされ盛り上がる。一時間ほど飲んで解散。なぜか、Y氏が帰った後もテンションが下がらず、夜中の十二時から開店すると言う「会員制」のラーメン屋さんに行く。もちろん開店前なので、そこはカメちゃんパワーで無理に入れて貰い。ラーメンが出来るまで、チャシューやザーサイをつまみに待つ。ここのラーメンは正調の醤油味なのだが絶品である。ただ惜しいのは開店が深夜ということだ。この歳で夜中のラーメンは、ある意味命懸けとなる。十二時過ぎて帰宅。


「牛タン」に「ドンペリ」か・・・。本当はこんなことをしている場合じゃないのに。気が付けば、いつもトホホな日々である。


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