白雲去来

蜷川正大の日々是口実

機関誌の整理。

2022-08-31 13:30:10 | 日記

8月28日(日)雨のち曇り。

遅めの朝食は、きくらげを沢山入れた「タンメン風スープ」、冷食の「浜松餃子」。夜は、紅ショウガをたっぷり入れた「チヂミ」、ソーメンチャンプル、「魚久」のイカ焼き。珍しく「ジョニーウォーカー」の「黒」のソーダー割り。酔狂亭にて独酌。

午後から事務所へ。今日は、本の整理に飽きたので機関誌「燃えよ祖国」の片づけ。書店から戻ってきたものや、多めに作ってしまって余った物が山ほどある。後輩に渡すものを2,3部残して、残りは梱包した。何せ、最新号で第278号である。年に9~10回発行しても27年。もちろん全てのバックナンバーがあるとは思わないが、ある物だけを整理して、あとは廃棄するつもり。カラープリンターや自動丁合機のない頃は、頁を手で揃えていた。同志、友人には随分と手間をかけた。暇があれば「スキャンスナップ」で電子化しようとも思っているが、考えただけで萎える。

クーラーの効かない事務所で汗だくとなって帰宅。のんびりと風呂に入ってから「ドライビール」の小瓶2本飲んでから、ジョニ黒へ。


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青春の思い出の本も廃棄した。

2022-08-31 12:51:21 | 日記

8月27日(土)晴れ。

遅く起きたので、朝食と昼食が一緒になった。冷食のハンバーグ、キムチにタマゴスープ。夜は、豚肉とキムチ炒め、冷やし中華。久しぶりに休肝日とした。

日、事務所通い。本や資料の整理である。これまでどんな本でも捨てたことはないので、20冊くらいづつ紐で縛ってまとめ、台車で「紙ごみ」の捨て場に持って行く。一抹の寂しさはぬぐえない。昭和維新運動関係のものや思想書は、いずれ寄付するつもりでいるので、とっておき、雑本と言っては書いた人に失礼だが、小説や趣味の「釣り」「食事」「旅行」関係の本は、迷わずに廃棄するようにしている。

それでも中々片付かない。捨てようかどうか、しばらく考えたのが「林芙美子集」6巻。17歳の時に上野毛にあった「タマリバー」というドライブインでアルバイトをしていた。横浜駅から東横線で自由が丘へ。ここで田園都市線に乗り換えて上野毛で下車。駅から多摩美術大学の前を通って約5分ぐらいの場所にお店はあった。場所柄、品の良いお客さんが多かったことを覚えている。

自由が丘の駅の近くに古書店があり、そこにあったのが「林芙美子集」。彼女の代表作『放浪記』にあった「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」という言葉が好きで彼女の本を読むようになった。給料日に買ったが、昔のことゆえ値段は失念した。また、同じ自由が丘に音楽評論家のいソノてルヲという人がプロデュースをしていた「5スポット」というジャズ喫茶があった。バイトが早く終わった時など、ジャズの何かも分からなかったが、背伸びしてお店に入った。そのお店で聴いて気に入ったのがMJQの「ジャンゴ」。

「林芙美子集」をひもで縛りながら、久しぶりにMJQを聞いた。17歳の時の記憶がおぼろげだが甦った。


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久しぶりに縁日へ。

2022-08-30 13:07:25 | 日記

8月26日(金)晴れ。

二日酔いのせいもあってか食欲なく、朝食はパス。昼は、卵かけごはんにキムチ。夜は、京急の井土ヶ谷駅近くの小料理屋で愚妻と志村馨君との一献会。休肝日にしようかと思ったが意志が弱い。

夜、愚妻と待ち合わせて、伊勢佐木町の7丁目で開催されている「縁日」に行く。ここの「縁日」は通称「一六(いちろく)」。縁日が1と6のつく日に行われるところからその名が付いた。正しくは、「一・六地蔵」の愛称を持つ「子育地蔵尊」にちなんだ縁日。コロナ禍で3年ぶりの開催である。そして今日が、この夏最後の開催。風もなく、じっとしていても汗が出る中で、幼馴染のY氏が社員と一緒に交通整理や警備を行っていた。当然ボランティアである。頭が下がる。

私が小学生の低学年の頃、娯楽の少ない時代でもあったせいか、夏のこの縁日が待ち遠しく、母に連れられて良く来たものだった。今はなくなってしまったが「ゲンゴロウさん」と言う屋台があって、オヤジにお金を渡すと、ゲンゴロウを網ですくって、上から落とす。水を入れたタライの周りが細かく仕切ってあり、そこに、記憶は定かではないが、3から10ぐらいの数字が書いてあり、ゲンゴロウが泳いでそこに入ると、書いてある数字の数だけ、砂糖をまぶしてある揚げたボールを貰える。訓練しているわけではないのだろうが、いつも数字の小さい仕切りに入るので、がっかりさせられたものだ。

当時は、屋台が電球ではなくカーバイトを使った照明で、独特の匂いがした。足で踏んで器械を回して、割りばしで綿あめを絡めて取る「綿飴や」さん。トランプゲームを模した「野球や」さん。寅さんの映画でおなじみの「たたき売り」。人気アニメの主人公などのお面。安物のセルロイドで出来ているせいか、被ると嫌な臭いがしたことを覚えている。出店の数は随分と少なくなったが、遠い昔の記憶がよみがえってきた。帰りに、友人に挨拶をし、その後、志村馨君を誘って夕食を兼ねた一献会。※子育て地蔵と縁日の風景。写真はお借りしたものです。


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絵葉書の断捨離。

2022-08-28 12:35:35 | 日記

8月25日(木)晴れ。

朝食は、錦糸町は「223」の特製キムチ、サニーサイド・アップのハムエッグス、とろろ昆布のスープ。昼は抜いた。夜は、関内の蕎麦屋の名店「利休庵」にて、もう23年も続いている月に一度の仲良しさんとの食事会。このお店の2階の個室でのコース料理は中々贅沢である。美味しい和食に〆は「鴨南版」のつけ蕎麦。お供はそば焼酎の蕎麦湯割り。終了後は、有志にて関内のHIROに転戦。

午前中にサウナのような事務所にて本や資料の片づけ。先日、自宅にある趣味で集めていた葉書の整理をして「紙ごみ」の日にドサッと捨てた。今日は、事務所に置いておいた葉書と月刊誌、週刊誌の整理。何冊もある同じ雑誌を一冊だけ残して廃棄した。週刊誌は特集物だけをのこしてやはり廃棄。マンションのごみ捨て場を台車で何往復もして、汗をかいた。それでも事務所は「片付いた」感はない。門下生や社友に興味のあるような本や資料は、これから勝手に送ろうかと思っている。

小さい段ボール二箱分の葉書を自宅に持ってきて仕分けをした。驚いたのは、沖縄の絵葉書の中に「風の会」の「沖縄総決起集会」の入場券が入っていたことだ。友人や同志に沖縄から出した絵葉書の残りの中に入れておいたものだろう。忘れていた記憶がよみがえってきた。また下田の絵葉書の残りの中には、母に送った「干物」の宅急便の送り状の写しと、亡くなられた折本満さんとのツーショットの写真。写真の日付は「91・4・8」となっている。取っておいた絵葉書の郵便番号は皆5桁である。郵便番号が七桁になったのは平成10(1998)年の2月2日、今から24年も前の事。今使わなかったら、これからも使わないだろうと、思い切って捨てた。旅先の観光地で自分で買ったものばかりなので、一抹の寂しさがよぎった。※風の会の入場券。


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馬車道の思い出。

2022-08-26 16:09:17 | 日記

8月24日(水)晴れ。

朝食は、カツオのたたき。とろろ昆布のスープ。ふふふと頬が緩む。浪人の身としては、朝から刺身とは贅沢な物よ。昼は、「つた金」の焼きのりを巻いたおにぎり2個。夜は、お世話になっている方に誘われて関内は馬車道通りのすぐわきにある「天七」にて食事。その後サリーズバーへ転戦。

久しぶりに馬車道を歩いてみた。その昔、良く待ち合わせに使った喫茶店「ウィーン」が何と更地となっていた。関内に学生街はないが、『学生街の喫茶店』という歌を聞くと、なぜか「ウイーン」のことが浮かぶ。「ウイーン」の隣のビルの地下に私が務めていた「冠」というお店があった。その前にはかつて「東宝会館」という映画館があって邦画と洋画の封切りがかかっていた。その斜め前、市民ホールが建つ前は「横浜宝塚」通称「横宝」の映画館だった。中学一年生の時に、そこで「クレイジー・キャッツ」や「寺内タケシとブルージンズ」などのライブを観た。

伊勢佐木町の周辺にも「ピカデリー」、「松竹」、「日活」、「東映」、「大映」、「新東宝」といった映画館があったが、全て閉館して久しい。私の好きな歌に、北原ミレイの『海岸物語』と言うものがある。「男歌」ではないが、青春時代の思い出に、私が死んだらサリー姐さんにこの歌を歌ってほしいと頼んである。そう言えば、中村雅俊の『恋人も濡れる街角』にも「馬車道」が出てくる。

『海岸物語』
覚えてる 懐かしい潮風(かぜ)吹くあの街
腕を組み 歩いた桟橋
馬車道のシネマでは
いつも寄り添って
夜明けまで 眠らずに過ごしたわ
たとえば もしも あの頃に
も一度 二人 戻れたら…
山手から元町へ
たどる思い出 恋のものがたり
髪を切り 口紅の色も変えたのに
※写真は旧東宝会館。

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