白雲去来

蜷川正大の日々是口実

あわれ秋風よ。

2021-11-27 13:51:12 | 日記

11月17日(水)晴れ。

私が、役員の末席を汚している大行社の役員会議があって東京行き。いつも私の隣に座っていた四宮正貴先生と本宮清一先輩の姿がないのは寂しい限りである。朝食を食べいていなかったので、田町の駅で「駅そば」を食す。暖かい「かき揚げ蕎麦」にコロッケをトッピング。たまにこういったB級グルメが無性に食べたくなることがある。

終了後は、横浜駅で降りて、西口の地下の「生鮮市場」に寄って、リクエストされた上の子供と私の好きな「柳カレイの干物」を買って帰ろうかと探したが無かった。残念。サンマがあったが、小ぶりで、やせていてとても買う気にはなれなかった。「あはれ秋風よ情(こころ)あらば伝えてよ----男ありて今日の夕餉(ゆうげ)に ひとりさんまを食らいて思いにふける と」。佐藤春夫の「さんまの歌」を小さく口ずさんで帰路に就いた。

夜は、酔狂亭にて独酌。肴は、焼売、餃子にポークソーセージ。お供は「黒霧島」。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好きな女流の作家。

2021-11-27 13:22:47 | 日記

11月16日(火)晴れ。

瀬戸内寂聴さんが亡くなられて思ったのは、所謂、女流といわれる作家の人たちの本をどれだけ読んだだろうか、ということ。もちろん、たまたま読んだ本が女性作家の本だったりするということもあるが、好きで読んだ、という女性作家は少ない。一人の女性作家で意識して4冊以上読んだというのは、向田邦子、有吉佐和子、宮尾登美子の三人ぐらいか。特に、向田邦子のエッセイが好きだ。野村事務所が赤坂のみすじ通りにあった頃、赤坂見附駅の近くに向田邦子の経営する小料理屋があった。一度寄ってみようかと思っているうちに閉店してしまった。

今でも、彼女の小説やエッセイを原作にしたドラマをユーチューブで探して見ている。戦前の日本の家庭の姿が偲ばれて楽しい。先日も久しぶりに「あうん」というドラマをBSで放送していたので録画して見た。フランキー堺や若い頃の岸本加世子が良かったなぁー。

一日自宅でPCで仕事。休肝日とした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先生の資料のデーター化。

2021-11-27 12:53:59 | 日記

11月15日(月)晴れ。

朝からカレーにメンチカツと目玉焼き。二日酔い気味なのに食欲が落ちない。昼は、自宅の近くにある「すき屋」で牛丼をテイクアウト。夜は、仲良しさんと月に一度の食事会を関内の「ビートレ」にて。まじめに一軒だけで帰宅。

野村先生に関する資料を、何でも取っておくことが、かえって災いし、どこに何があるのか、何処にしまったのか失念し、いざ探そうと思うと、大変な労力を有する。「群青忌」に関するものでも専用の棚にドカンと保管してあるだけで、年代別に管理していないので、整理しようと思っただけでため息が出る。先生が自決なされたときに当時の全日空ホテルで開催していたのが「新しい時代に対する民族派の使命」というシンポジウム。その席上で先生自決の一報が入った。保管棚に、ホテルが録音してくれていたカセットテープがあった。もう28年もの年月が経っているので、劣化しないうちにCDにコピーしようと思っている。

そういった先生に関する大切な資料を、一門はもとより、社友の方たちにお渡ししようと思っている。当時は、まだアナログの時代。カメラもフィルムの時で、当然ながらアルバムに貼って整理してあるが、それも変色しないうちにデーター化するつもり。今は、先生の亡くなられた翌月の11月26日に青山斎場にて行われた本葬儀の写真をパソコンに保存する作業をしている。そのアルバムの中の多くの先輩、同志が幽明境を異にされている。あらためて28年の星霜の移りを実感している。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの忘年会。

2021-11-24 14:15:59 | 日記

11月14日(日)晴れ。

今年最初の忘年会。昨年はコロナ禍で忘年会がほとんど行われなかったので、思えば随分と久しぶりの忘年会となる。主催は、今年の群青忌・墓前祭にも出席して頂いた正論社の鈴木誠厳会長。場所はJR板橋駅の近くの居酒屋である。大熊雄次氏と待ち合わせたが、電車のつなぎが悪く少々早めに着いてしまった。駅のすぐ近くに新選組の近藤勇と土方歳三の慰霊碑があるのを思い出して参拝した。令和の御代に全く尊皇の志も、尽忠報国の信念もない団体が新選組を名乗っていることを、本家本元の近藤や土方は「噴飯ものよ」と笑っているのに違いあるまい。

板橋は、懐かしい場所である。私がこの運動に入った昭和の40年代の後半に、板橋橋に右翼の論客として『大右翼史』や『我らの教典』などを編纂した荒原牧水先生のご自宅があった。その先生のご自宅の近くの町内会館にて隔月で荒原先生の主宰する「辛亥会」という勉強会が行われていた。今考えると、青年思想研究会の高橋正義先生など当時は仰ぎ見るようなご高名な諸先生が参加なされていた。私は、当時一番若いこともあって、資料の配布、直会の段取りや片付けなどのお手伝いをさせて頂いていた。そんな昔のことを思い出しながら大熊氏と合流会場へ。

お店は、同憂・同志の方たちで満席。日本学生同盟や国士館の関係者の人が多く、私も随分と久しぶりにお会いする人も多く懐かしくも楽しかった。二時間ほど飲んで、大熊氏と共にお暇した。良い酒だった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳川慶喜の辞世。

2021-11-22 17:15:07 | 日記

11月13日(土)晴れ。

過日、ネットで『サムライたちの辞世の句』(辰巳出版)という本を買った。本の帯には「サムライとその妻たちのわかれのうた45編。動乱の世を生きた日本人の死生観を体現した珠玉の”辞世の句”を玩味してください」という文章に惹かれたからだ。まだ読了した訳ではないが、その中で印象に残ったのが徳川慶喜の辞世である。「この世をば しばしの夢と 聞きたれど おもへば長き 月日なりけり」(この世は短い夢のようなものと聞くけれど、思い返すと長い月日だったよー解説より)。江戸城無血開城の後、謹慎、隠居して77歳の天寿を全うした慶喜とすれば、「思い返せば長い月日」だったかもしれないが、戊辰戦争で多くの部下を死に追いやった責任と覚悟が全く感じられず、呑気なものよ。と思ってしまう。

私の機関誌無「燃えよ祖国』で、野村先生の特集を編集中であるが、思い出したのが、先生と旅したスペインはトレドでの先生の言葉。「今、一水会で出している『レコンキスタ』という機関紙があるね。あの語はここの人たちがオスマントルコの三百年間の支配から国を取り戻そうとした運動、失われた土地を恢復する、すなわち失地恢復、レコンキスタの語源はここに始まる。紀元前二百年から侵略が繰り返されてきた。そういった歴史の長いスパンの中でね、俺は今、この前来た時と違う感慨がある。というのは、もう俺の持ち時間はない。そう言ったことを考えた時に、その長い歴史の中で俺の人生を振り返った時、俺の人生とは何だったのかな。そう思うと人間の営みとか、命とか、そういうものの、はかなさと言おうか、虚しさと言おうか。つまり長い歴史の中で見れば人間の一生なんか蜻蛉みたいなもんだな。朝に死んで、夕べに死んでしまう虫の命も、俺たちの人生五十年も、所詮は蜻蛉だ。それをしみじみ感じた今回の旅だったな」。この旅から二か月後に先生は自決する。

更に先生は、「明日の命を保証されている人など一人もいない。『一日一生』という言葉がある。かかる覚悟なくしての生涯こそ、無味乾燥の哀れをきわめた生きざまではあるまいかと、私は若い頃から思い続けてきた」。最後の殿様の徳川慶喜が、先生の、この言葉を知ったならどう思っただろうか。体調悪く一日家に。休肝日なり。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする