白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『栄光への脱出』。

2023-10-31 16:46:59 | 日記

10月30日(月)曇り後、晴れ。

朝食は抜いた。昼は、小カップ麺に上の子供のふるさと納税の返礼品の千葉の「アフロ餃子」。食後に、一時間ほど歩いた。途中、志村馨君に会い軽く話す。最近、中々歩く機会も無く、体が弱っているので、時間があればなるべく歩こうかと思っている。夜は、愚妻のリクエストで牛筋煮、サーモンフライ、オニオンリング、ねじりこんにゃく炒め。お供は「黒霧島」。

イスラエルとハマスとの紛争で、すっかりロシア、ウクライナの戦いは報道されなくなった。ロシアもハマスを支援しているとのことで、今回のハマスの突然の攻撃は、世界の目をウクライナから逸らすためにロシアの後押しがあったのではないかと指摘する人もいる。さもありなん。

イスラエルとハマスとの紛争は、どちらが正しくて、悪いのかというのは一概には言えないから難しい。それぞれが支持をする国や民族が正義であって、どちらが先に攻撃したかなどは、関係なくなっている。昭和35(1960)年に公開されヒットしたアメリカ映画に『栄光への脱出』というものがある。公開当時私は9歳だからもう少し後になってから観た。ポール・ニューマンが主演した映画なのだが、その映画がイスラエル建国前夜を描いた歴史スペクタルであると知ったのは、随分後のことだ。

内容は、ホロコーストを生き延びたヨーロッパのユダヤ人多数がパレスチナへ移民しようとしたが、そのほとんどはイギリスが設けた移民枠を超過した不法移民で、多くがイギリス軍に捕まりキプロス島の難民キャンプに送られていた。難民キャンプで看護婦として働いていたアメリカ人のヒロインの前に、エクソダスと名付けた貨物船を手に入れて彼らを極秘のうちにパレスチナへ送ろうとするユダヤ人で元兵士の主人公が登場する。船に乗り込んだ移民たちはイギリス軍との緊迫した駆け引きの末にパレスチナへとたどり着くが、イスラエル建国への道のりは厳しく、次から次へと困難な状況が訪れる。これを観るとナルホドと思うが、その土地には、アラブの人たちが住んでいたのだからややこしい。興味ある人は一度観て下さい。

 


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乃木坂、メランコリー。

2023-10-27 10:01:26 | 日記

10月25日(火)晴れ。

朝食は、昨日、本牧のイーオンで買った「お赤飯」におでん。昼は、ハムトースト、蜂蜜トースト。夜は、おでん(いささか飽きてきた)、牛すじ煮、チキンステーキ。少なく買ったつもりなのに、いざ煮てみるとなかなか減らないのが「おでん」。夜は、おでん種を別の器に入れて冷蔵庫に入れる。そのままにしておくと煮詰まってしまうから。チキンステーキは、先日、テレビの通販で、料理家の笠原某が、実演販売していた「グリルパン」を買った。しかし、届いたのが、思ったより大きくて、料理で使うよりも、どこにしまおうかと悩んだ。これまで通販で買ったもので「良かった」と思うものはほとんどない。やはり自分で実際に見て、触ってみなければ駄目だ。分かってはいるのだが・・・。

私が好きな歌に、梓みちよの「メランコリー」というものがある。発売は昭和51(1976)年、私は25歳。その頃は、東京で遊ぶなんてことはほとんどなく、六本木や赤坂など、通り過ぎることはあっても、飲食のために行ったことなどなかった。「メランコリー」の歌詞の中に「それでも乃木坂辺りでは、私はいい女なんだってね」というものがあって、勝手に乃木坂と言う所は、とってもオシャレな場所であると思っていた。梓みちよのような芸能人が、さっそうと歩いているんだろうな、と。

後年、乃木神社で開催される「楠公祭」に参加するために千代田線の乃木坂駅で降りた。頭の中に「メランコリー」の歌詞が何度もリフレーンしていた。外に出た。ん?が目の前をぐるぐると回った。何だよ、神社以外に何もねぇじゃないか。「メランコリー」、「晴れ晴れとしない、落ち込んだ気分」。そのままじゃねぇか。しかし、今でも乃木坂を歩くと、その歌を口づさんでしまう。


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「直会」が出来なかったのが、心残りである。

2023-10-25 16:39:36 | 日記

10月24日(火)晴れ。

昨夜、月に一度の仲良しさんたちとの食事会があった。群青忌が終わったこともあってホッとしたのか、久しぶりに酔った。自宅まで送って頂いたのだが、家に入る直前で躓いて転んだ。大したことはなかったのは幸いなのだが、左腕と肩をしたたか打って、腕が上がらない。年は取りたくないものだ。

群青忌が終わっても、本やDVDの発送やお礼状を書いたり、中々落ち着かない。また、当日に北海道から沖縄まで多くの同憂、同志がご来駕されたが、お見送りや片付けなどで、折角遠路お越しいただいた方々に、ご挨拶もできずに申し訳ないと思っている。皆、久しぶりにお会いする人たちばかりなので、なおさらだ。特に今回は、スタッフの「打上げ」会場を確保するのが精一杯で、直会の場を用意できなかった。何しろ直会をやると、五年前の25年祭では、150名が入るお店を確保したのだが、実際には180名の方が参加された。

コロナ禍で、大箱のお店が減ったこともあって、とても四谷区民ホールの近くに150名が入れるお店が見つからなかった。宮崎からお見えになられた外山家はもとより、群青忌のスタッフや関係者だけでも60名を超える。そのお店を確保するのが精一杯だった。いつもお世話になっている豊橋の「フクイのカレー」の福井さんや、名古屋や岐阜から参加なされた同志の方々などに、ロクにご挨拶もできずに、本当に恐縮している。在京の皆さんはもとより、今回参加して頂いた方々に、心から感謝する次第です。また様々な理由で「心参」して頂いた方たちにも勇気づけられました。有難うございました。


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ご挨拶。

2023-10-22 13:03:09 | 日記
10月20日(金)晴れ。
 
ご挨拶
お陰様で野村秋介追悼30年・群青忌を無事に終えることが出来ました。これも偏に日頃から、私はもとより野村門下生をご指導して頂きました諸先生、諸先輩、同憂、同志の皆さんのお力添えの賜と、衷心より厚く御礼を申し上げます。また一部の方から「最後の群青忌だから行きます」というコメントを頂きましたが、30年は通過点に過ぎません。翌年からの墓前祭、その後の35年祭など、命のある限り、野村先生の思想と行動が風化せぬよう、大変微力ではありますが、努力して行く所存です。皆様におかれましては、今後共、ご指導とご鞭撻を賜りますよう伏してお願い致します。また四谷区民ホール定員400名を超える方々のご出席を賜りました。不慣れなため大変ご迷惑をおかけいたしましたことを、実行委員長としてお詫び申し上げます。有難うございました。

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群青忌

2023-10-22 12:42:51 | 日記

10月19日(木)晴れ。群青忌を開催

群青の会の大熊雄次氏のブログを転載いたします。
 
午前9時に会場入り。
早速、移動スクリーンの組立てと野村先生の大きなタペストリーの吊り下げ作業を開始する。舞台担当者本多、実行委員古澤、山崎、松本、社友会砂川、今村、林、嶋田各氏とそのグループのメンバーがテキパキ動いてくれ頼もしい。今回は照明の仕込みを除き、舞台進行、演出、照明、音響操作等、全て素人の我々のみで行った。
 
装花担当はデザイナーの小山女史とはが里枝さん。受付設営、ロビーのポスター掲載作業等は大悲会、隠岐氏、蜷川ちえさん、元野村秋介事務所の木村ゆかりさん。
三部屋の楽屋管理とお客様のお迎えは藤巻会長と思想研究会の面々。途中、念のため二台用意した映像再生機器が二台とも動作不良に陥り、慌てて大型電器量販店に買いに走ったりするアクシデントで時間を取られ、慌しくリハーサルを行ない、関係者一同で記念写真を撮って会場時間の午後4時に無理矢理間に合わせた。
毎回のことだが、万全の準備などできたことがない。皆で腹を括るのだ。開会30分前、舞台袖から客席を覗き、七分くらいの着席を確認。よく見ると親しい友人H氏と目が合っている(笑)この後、ありがたくも満席となる。
 
予定通り、午後5時に開会。式次第に沿って進行する。北海道より田中清元ご住職様、藤村克宗ご住職様。神奈川県から塚越慈徳ご住職様。山梨県から宮入英彰ご住職様がお揃いになり、四名による力強い読経で幕を開ける。続いて行われた、野村先生のお孫さんである外山はるか・えりか姉妹による追悼舞踊のご披露には舞台袖で拝見しながら思わず目頭が熱くなった。進行は不肖私。
開会の辞は蜷川正大実行委員長。続くご来賓挨拶は阿形充規先生と外山衛氏にお願いした。そしてこの度の追悼30年を記念して製作したビデオ映像「銀河蒼茫」をご覧いただき前半を過ごし、犬塚博英先生による追悼講演となる。
 
自決前、自決当時、それから30年の長い時を総括し、短い時間で野村大人とご自分とのさまざまな思いを語っていただくのは決して容易なことではない。しかし、さまざまなエピソードのご披露は、決して忘れることなく常に実践的運動家たれと我々を鼓舞する内容で、背筋が伸びるご講演であった。野村秋介大人の最後の檄文である「天の怒りか地の声か」の朗読は二十一世紀書院社友会の松本紗枝会員。終始落ち着いた態度と発声は大変立派でした。最後に群青忌では必ず放映するビデオ映像「群青」をご覧いただき、大人御命日の10月20日の意味を皆様とともに確認する。
放映後、今回もまた、会場から嗚咽を堪える声を耳にした。
 
そして舞台に関係者一同が登場し、群青忌実行委員会の隠岐康委員の謝辞、続き、藤巻強門下生代表の閉会の辞で閉会となる。
二時間を超えての開催となりましたが、途中退場の方を認めることもなく、恙なく進行できましたこと、すべては御臨席皆様のおかげと衷心より御礼申し上げます。「準備に一年。始まったらたったの二時間だよ…」(蜷川談)ありがとうございました。

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