白雲去来

蜷川正大の日々是口実

わがあやまちの数に似ており。

2018-03-31 18:22:11 | 日記
三月二十八日(水)晴れ。

季節に、そわそわしなくなってから久しい。この時期だと、天気によって花見の段取りをするのが難しい。予定していた土、日まで桜が待っていてくれるだろうか。天気に一喜一憂し、自宅の近くの桜を見ると、なぜか、そわそわした。若い頃は、夏になると、やはり、そわそわした。海に行くのが待ち遠しくて、落ち着かない日を過ごした。たまにの雪が降れば、この景色を逃さず飲める店が無いものかと、そわそわした。随分前の話である。

今年は、桜の咲くのが早い。この十年以上も自宅から比較的に近い大岡川の川沿いの桜を愛でつつ、家族で定点写真を撮っているが、三月に写真を撮ったのは、一度しかない。稀に、「桜なんかに興味がない」と言う人がいる。正直言って、気障、それともへそ曲がりなのかと思ってしまう。日本人と桜・・・。満開となれば喜び、葉桜となれば、哀れさに涙を誘う。インテリを気取った者が、演歌を低く見るのと、似ているような気がする。

しばらく花見をしていない。五、六年前のことだが、盟友と京都に行った時、芸妓さんに鉄板焼きのお店を紹介して頂いた。カウンターに座れば、正面のガラス窓いっぱいに満開の桜が見えた。まるで額縁に入っているような感じがして、しばし見とれた。歳を取ると、そういった間接的な花見も良いものと、しみじみ思った。

夕方、申しわけないと思ったが、近くの公園に咲いている桜の小枝を折って、食卓に飾った。酔狂亭でプチ観桜会だ。若くして亡くなられた、元楯の会の阿部勉さんの歌に、「盃に浮かぶ花弁の十重二十重わがあやまちの数に似ており」。というものがある。「アベちゃん。良く分かるよ」と亡き友に相槌を打ちつつ、今日も杯中の酒に溺れる。

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森友文書の改竄は、司法に任せたら。

2018-03-28 12:10:58 | 日記
三月二十七日(月)晴れ。

一日中、空気清浄機をつけっぱなしにしていても、目はショボショボ、くしゃみ三回、ルル三錠、という状態である。森友問題などよりも、こちらを何とかしてほしいものだ。

テレビは朝から、佐川前国税庁長官の国会証人喚問のことばかり。こんなことは、検察に任せておけば良いものを、一体国会議員は、いつから警察や検察の仕事をするようになったのか。国内問題や国際情勢を無視して、安倍おろし、を政局にしようとしている野党に絶対国政は任せられない。と思っている国民は多いと思う。北朝鮮の首領さんが、中国を電撃的に訪れたことなど、全く議論の外だ。あーあ嫌になっちゃった。驚いた。

昨日に続き、『週刊新潮』の五木寛之さんのエッセイからの引用である。

「戦前、戦中、戦後を貫く太い棒のようなものがある。それを解明するために、昭和史の研究や考察には驚くべき千不ルギーが注がれてきたのだ。ザックリいえば昭和初期の国家主義、日本主義の勃興は、理性に対する情念の優越といってもいいだろ当時の軍部はただ闇雲に暴走したわけではない。国権の拡大膨張に寄せる、メディアと国民大衆の熱狂か彼らを支えたのだ。それは民意というより、民情といったほうかいいように思われる。」

「昭和初期の国家主義、日本主義の勃興は、理性に対する情念の優越」。「軍国主義の勃興」と書かないことに、私は、五木さんの「理性」を感じてならない。真のリベラルと言うのは、五木さんのような人を言うのではないだろうか。

夜は、おとなしく酔狂亭で月下独酌。山頭火の酒は「一合ほろり、二合ほろほろ、五合とろとろ、一升どろどろ」と言い、飲みはじめるときりがなかったそうだ。最近の私は、自重して飲むようになった。スーパーで「カツオのタタキ」を仕入れたが、駄目だとわかっていても、つい買ってしまう自分に反省。

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花筏、昭和は遠くになりにけり。

2018-03-28 11:35:25 | 日記
三月二十六日(月)晴れ。

いゃー、イッキに初夏のようになり、横浜も桜が満開となった。午前中に事務所へ。外は、ぽかぽか陽気なのに、事務所は午前中は日当たりが悪いので、冷蔵庫のようにひんやりしている。しかし、このひんやり感が心地よい。

『週刊新潮』の最新号(三月二十九日号)の五木寛之さんのエッセイ「生き抜くヒント」は、「昭和歌謡の罪と罰」の中に、ナルホドと思う文章があった。

平成時代の終りが予告されたとたん、昭和が急激に遠景に退いたような気がする。平成が続いているあいだは、昭和はすぐ隣りにあるような気分だった。大正時代の人びとにとっての明治も、たぶんそういった印象だったのではあるまいか。私たち昭和人にとっての大正もそんな感じだった。あまり遠くない親戚のような気配だったのである。新しい年号がどうなるかはわからない。しかし平成の終りは、同時に昭和という時代が、めくられた前のページの陰に隠れてしまうような欠落感をおぼえさせるのである。昭和生まれの人、というのは、ひと昔前の世代の人種ではなくて、ふた昔前の旧人類のように感じられてくるはずだ。(引用ここまで)

ナルホド。しかし、昭和生まれも、戦前生まれ・戦後生まれとでは時代の感覚は違うと思う。戦前の生まれの人にとっては「大正は、すぐ隣り」と思えるかもしれないが、戦後生まれの世代には、大正は、ふた昔前、と感じられてならないのだ。とにかく、来年のご譲位によって年号が改まる。昭和、平成、新しい年号。三代の陛下の下で生きてこられたことを誇りに思う。花筏、昭和は遠くになりにけり、か。

夜は、月に一度の町内の仲良しさんたちとの飲み会。愚妻に迎えに来てもらい、早めに帰宅。

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山口申先生の傘寿のお祝い。

2018-03-28 11:06:20 | 日記
三月二十五日(日)晴れ。

彼岸の中日、つまり私の誕生日でもある二十一日は、横浜に雪が降り、かつ夕方から、先輩の「偲ぶ会」があるためにお墓参りには行けなかったので、家族で今日の伊勢原詣で。朝八時に家を出た。東名は比較的に空いていて、三十分ほどで海老名のSA着。朝食を採らずに来たので、SAで、「かき揚そば」。

まず、和尚さんにご挨拶してから、野村先生のお墓へ。聞けば、三日前に先生の奥様が来たとのこと。お花が沢山あった。その後、両親のお墓へ。綺麗にしてから、家族で手を合わせた。

帰宅して、少し休んだ後に、東京行き。今日は、憂国青年同盟、民族革新会議の会長である山口申先生の傘寿のお祝いがある。御徒町にて大熊雄次氏と待ち合わせて、民革の事務所へ。午前中から、お餅つきや、赤飯炊きなどのお祝いの行事があったとのこと。五時過ぎに場所を移して、二次会。楽しい会だった。

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独房の茣蓙にも 風よ 花びらよ

2018-03-27 14:36:00 | 日記
三月二十四(土)晴れ。

野村先生の「春の句」に、独房の茣蓙にも 風よ 花びらよ。というものがある。この句を読むと、随分昔に座った東京拘置所の独房を思い出す。季節はもう少し進んだ五月の半ば、ぼんやりと子供のことなどを思い出していると、タンポポの胞子が風に乗って窓から入ってきた。まるでタンポポの落下傘に乗って子供が会いに来たような気がした。三階の、こんな高い所まで良く飛んできたものと両手で受け止めた。

そろそろ桜が満開となる。その昔、横浜の三溪園で野村先生をお招きして花見をしたことがある。その時の写真がアルバムにあるはずだ。花は桜木 人は武士 散るべき時に 散らざれば いかでか人に 惜しまれん。この歳になって、花の盛りはとうに過ぎてしまったが、先に逝った同志や先人を偲んで、桜を愛でてみたいと思っている。

機関誌『燃えよ祖国』の二三七号の発送を全て終えた。思うことあって、私の編集後記「折々雑感」を八頁も書かせて頂いた。野村先生の「226」の映画評や社友の連載など、是非ご一読頂きたい。※見本誌(千円)をお送り致します。ご連絡下さい。

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