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王力雄:普通のファシスト(日本語)

2010-01-22 19:03:14 | 中国異論派選訳

王力雄:普通のファシスト

 

自由社会で生活している人の多くは中国人が民族主義を表明する時の独裁政権への共感を理解できない。中国人の人間性は、本当に独裁統治の下での生活を好むのだろうか? いくつかの面から観察してみよう。

 

第一に、中国民衆の政権に対する承認は、ほとんどここ数十年の経済発展に対するものだ。社会には様々な矛盾があるが、経済が高度成長を維持している限り、俗に言うように「色の白いは百難隠す」のだ。だが、常識で考えても経済の高度成長が永遠には続かないことは分かる。ひとたび経済に問題が起きたら、もともと隠されていた社会危機と政治危機が表に浮き出てくるだろう。その時は政権に対する不満に転化する。

 

第二に、現在外から見ることのできる中国人は基本的に都市に住んでおり、良い教育を受けた人々だ。彼らの声は大きいが、人口中の比率は大きくない。中国の広範な人民――下層大衆である労働者・農民・出稼ぎ労働者・陳情者にとって、民族主義は彼らの切実な公正・人権・自由・民主への願望にくらべればはるかに重要さは劣るが、彼らは声を上げる手段のない沈黙の多数なのである。

 

第三に、全体主義は大衆動員に長けている。大きな問題について民衆は十分な情報や知識がなく、容易に煽動され操作される。ドイツでかつて一人の高校教師が学級で実験を行ったことがある。その実験では僅か5日目で、民主社会で育った子供たちがファシスト的な集団に変ったという。中国は国家装置を挙げて60年間も吹き込み続けてきたのだから、民衆が今のような民族主義思想を持っていることはなんら不思議ではない。

 

それらに比べてさらに悪いことは、独裁制度が「普通のファシスト」もしくは「凡庸なファシスト」と呼ばれる人々を育てたことだ。彼らは決して独裁権力の実力者ではなく、独裁装置の小さな部品に過ぎない。彼らは決して自分の思想がないのではなく、正義・良心・真理が彼らの行動規範ではないのだ。彼らの心には個人の利益しかなく、独裁権力の指令に対する服従とその執行を生活のための職業とみなしている。自分の行為の責任を回避する理由は「生活のため」であり、やましさを感じることなく独裁権力の道具となって、政治的な迫害などの行為に従事している。この種の「普通のファシスト」は、漢人の中にもいるし、チベット人の中にもいる。

 

「普通のファシスト」は普段は見たところ善良な市民、愛情深い父母、気さくな隣人だが、まさにこういう普通の人が、独裁装置を稼働させ、独裁制度の安定を維持している。もし彼らがいなければ、独裁政権は一日たりとも続かない。一つの民族が長期にわたって独裁政権に統治されることができるのは、この種の「普通のファシスト」を生み育てる土壌があるからである。そして楽観できないことに、この土壌は中国社会では非常に厚い。

 2009-10-6

 (この文章はRFAチベット語番組の記事である)

 原文出典:http://woeser.middle-way.net/2010/01/blog-post_19.html

(転載自由・要出典明記)