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友と国民文学を論ずる/周作人

2006-05-21 15:50:39 | Weblog

与友人论国民文学书

周作人

木天兄:

    承示你同伯奇兄的论国民文学的信,我觉得对于你们的意见能够充分了解。传道者说,“日光之下并无新事。”我想这本来也是很自然很平常的道理,不过是民族主义思想之意识地发现到文学上来罢了。这个主张的理由明若观火,一国的文学如不是国民的,那么应当如何,难道可以是殖民的或遗老的么?无论是幸不幸,我们既生为中国人,便不自主地分有汉族的短长及其运命。我们第一要自承是亚洲人(“Asiatics!)中之汉人,拼命地攻上前去,取得在人类中汉族所应享的幸福,成就所能做的工作,――倘若我们不自菲薄,不自认为公共的奴才。只可惜中国人里面外国人太多,西崽气与家奴气太重,国民的自觉太没有,所以政治上既失了独立,学术文艺上也受了影响,没有新的气象。国民文学的呼声可以说是这种堕落民族的一针兴奋剂,虽然效果如何不能预知,总之是适当的办法。

    但是我要附加一句,提倡国民国民文学同时必须提倡个人主义。我见有些鼓吹国家主义的人对于个人主义竭力反对,不但国家主义失其根据,而且使得他们的主张有点宗教的气味,容易变成狂信。这个结果是凡本国的必好,凡别国的必坏,自己的国土是世界的中心,自己的争战是天下之正义,而犹称之曰“自尊心”。我们反抗人家的欺侮,但并不是说我们便可以欺侮人,我们不愿人家抹杀我们的长处,但并不是说我们还应护自己的短。我们所要的是一切的正义∶凭了正义我们要求自主与自由,也正凭了正义我们要自己谴责,自己挞伐。我们现在这样地被欺侮,一半固然是由于别人的强横,一半――至少至少一半――也在于自己的堕落。我们在反对别人之先或同时,应该竭力发掘铲除自己的恶根性,这才有民族再生的希望,否则只是拳匪思想之复活。拳匪的排外思想之复活。拳匪的排外思想我并不以为绝对地非是,但其本国必是外国必非的偏见,可以用“国粹”反抗新法的迷信,终是拳匪的行经,我所绝对反对的。有人信奉国家主义之后便非古文不做,非古诗不诌,这很令我怀忧,恐正当的国家主义要恶化了。我们提倡国民文学于此点要十分注意,不可使其有这样的流弊。所以我仿你的说法要加添几句,便是在积极地鼓吹民族思想以外,还有这几件工作∶

       我们要针砭民族卑怯的瘫痪,
   
我们要消除民族淫猥的淋毒,
   
们要切开民族昏愦的痈疽,
   
我们要阉割民族自大的风狂,

    以上是三月一日我复你的一封信,曾登在《京报副刊》第八十号上,今重录于此,因为现在我的意见还只是这样。我不知怎地很为遗传学说所迫压,觉得中国人终还是中国人,无论是好是怀,所以保存国粹正可不必,反正国民性不会消灭,提倡欧化也是虚空,因为天下不会有像两粒豆那样相似的民族,叫他怎么化得过来。现在要紧的是唤起个人的与国民的自觉,尽量地研究介绍今古的文化,让它自由地渗进去,变成民族精神的滋养料,因此可望自动地发生出新汉族的文明来。这是我任意的梦想,也就是我所以赞成国民文学的提倡之理由。但是,有时又觉得这些梦想也是轻飘飘的,不大靠得住∶如吕滂(Gustave Le Bon)所说,人世的事都是死鬼作主,结果几乎令人要相信幽冥判官――或是毗骞国王手中的帐簿,中国人是命里注定的奴才,这又使我对于一切提倡不免有点冷淡了。我的微小的愿望,现在只在能够多了解一分,不在能成功一厘,所以这到也还无妨无妨。草草。

十四(1925)年六月一日


八年抗戦:中国の死亡者はいったい何人か?

2006-05-21 11:39:16 | 中国異論派選訳

蟋蟀王
2005年7月7日

今日は盧溝橋事件の68周年である。68年前の今日、盧溝橋上の一発の銃声が中国人民の日本の侵略者に対する戦いの幕を開けた。日本帝国主義が1937年から1945年にわたって行った侵略戦争によって、中国人民の生命財産に巨大な損害を与えた。日本帝国主義の当時の大罪は、中国人民、日本人民および世界のすべての平和を愛する人民にとって、忘れてはならないことである。この血債を永遠に忘れず、一切の侵略戦争に反対しなければならない。しかし、日本軍国主義の犯罪行為を清算しようとするのであれば、いいかげんな帳簿では清算できない。中国は日本軍国主義の侵略の甚大な被害を受けた国として、日本に対して「歴史を鑑とし、未来に向かう」ことを要求する世界の大国として、実は中国自身の八年の抗戦の歴史のもっとも基本的な問題について権威ある正確な結論を出していない。その問題とは、八年の抗戦で、中国の死亡者はいったい何人だったのかということである。

中国当局の言説は、八年の抗戦での中国の死亡者の具体的人数を上げるのを避けて、「死傷者3500万人」という曖昧な数字を上げるだけである。中国人民抗日戦争記念館に中には、目立つように「日本の中国侵略(1931-1945)中国人の死傷者3500万人、経済的被害5000億米ドル」と書かれている。1998年1月18日、中国国家主席が日本に訪問した折には早稲田大学での講演において、次のように述べている。「20世紀の30年代に、日本軍国主義は全面的中国侵略戦争を開始し、中国の軍人と民間人の死傷者3500万人、6000米ドル以上の経済的損失を与えた。この戦争は中国人民にとって深刻な災難であり、日本人民も深刻な被害を受けた。」(人民日報1998年11月29日第1版)。

この「死傷3500万人」の数字は、一部のホームページやメディアでは、「死亡3500万人」に化ける。例えば、(国営新華社系)新華ネットニュース資料の『第二次世界大戦』のページには、はっきりと「中国では八年の抗戦の中で合わせて3500万人の同胞が戦争の犠牲となり、それは第二次世界大戦参戦国の死亡者総数の42%を占める」と書かれている(http://202.84.17.11/world/zl/bj/gjgx/bj_gjgx_twowar.htm)。918愛国ネットの編集者は「第二次世界大戦期間中、600万人のユダヤ人が強制収容所で虐殺された。日本のファシズムが中国侵略期間中に3000万人あまりの中国人を虐殺しており、これはナチスドイツのファシズムのユダヤ人虐殺総数の5倍である」と書いている(http://www.china918.net/91802/njpic/ReadNews.asp?NewsID=7)。熱狂的反日の憤怒青年(日本のネット右翼に相当する中国の若者たち)にかかると、「死傷3500万人」が「死亡3500万人」に化けたのが、さらに「死亡4000万人」に増える。「日本人は中国人の4000万の命を奪い、いかなる処罰も受けず、いまでも大東亜共栄のためだったと興に乗って話している」(強国論壇の書き込みhttp://www.tianyaclub.com/new/Publicforum/Content.asp?idWriter=291005&Key=755598582&strItem=worldlook&idArticle=1953&flag=1)。

日本ファシズムの犯罪を責めるとき、かつて大きな被害を受けた中国人民が感情的になるのは避けがたい。しかし、八年抗戦の中国人死亡者数は、重い歴史的事実である。歴史資料の統計について、我々は理性的、客観的に当らなければならない。熱狂的反日の人びとにとって、理性と客観性の欠如は彼らの弱みである。愛国は正しい。日本の右翼が歴史事実を否定することに反対するのも正しい。しかし愛国と日本軍国主義反対は、決して煽動と虚言によって維持することはできない。中国人死亡者の数字を多く言うほど愛国的といえるだろうか?中国人死亡者の数字を多く言うほど日本軍国主義の野蛮を暴露したことになるのだろうか?そうではない。それは、我々の信用を失わせるだけであり、日本軍国主義の評価を覆そうとする極右分子に口実を与えるだけである。我々に必要なのは、真実のデータである。もし、死亡者が500万人なら、500万人と認めよう。もし1000万人なら、1000万人と認めよう。その数字が幾つであっても、日本軍国主義の大罪をいささかも帳消しにすことにはならない。

以上の原則に立って、私は内外の資料を研究して、八年抗戦中の中国人死亡者数について、客観的中立的な試算を行った。私の試算によると、八年抗戦期間中の中国人死亡者数は、600万人から700万人の間である。その理由を以下に記し、皆さんの議論のたたき台とする。誤りがあれば、ご批判ご訂正をお願いする。

一、「死傷者3500万人」説は歴史資料と相容れない

1949年以降の人民政府統計の抗日戦争「死傷3500万人」説は、抗日戦争当時の国民政府の正式な統計数字と合致しない。抗日戦争勝利後、国民政府は8年間の人的損失を集計し「死傷1173万人」としている。1946年末、国民政府抗日戦争賠償委員会が作成した『中国が日本に対し賠償を求めるべき損失に関する覚書』(原文『中国責令日本賠償損失之説貼』)に、「1937年7月7日から戦争終結までに、我が軍の死傷が331万人あまり、人民の死傷が842万人あまり」と記されている(http://www.bjcpdag.gov.cn/World%20War2/k1.htm)。1947年5月20日に開かれた「第4期国民参政会第三回大会」期間中、行政院賠償委員会は業務報告を提出し1946年の抗日戦争死傷者総数について訂正を行い、12,784,974人としている(高平等『血債:対日索賠紀実』国際文化出版公司、1997年)。

国民政府の上述の数字について、1949年以降、わが国政府は修正を行った。修正の理由は、当時の国民政府統計には、「盧溝橋事件以前の中国の損失が含まれていない。敵後戦場(国民政府直属の軍隊の戦線を正面戦場、共産党軍の戦線を敵後戦場と呼ぶ)における中共の損失も含まれていない。中国歴史研究者の多年にわたる研究の結果として、抗日戦争中の中国軍民の死傷者は3500万人あまり、中国の経済的損失と戦費は5600億ドルあまりである」としている(新華資料、抗日戦争http://news.xinhuanet.com/ziliao/2003-07/02/content_948532.htm)。のちの、もうひとつの説が出たが、それはより具体的に、死亡者数2000万人あまりと言明している。「中国侵略戦争の15年間、日本は中国に巨大な損害を与えた。中国軍民の死傷者は約3500万人で、その内死亡者は2000万人に達する」(「日本教科書問題の実質」湯重南
http://www.jianwangzhan.com/cgi-bin/index.dll?page0?webid=jianwangzhan&userid=129362&columnno=7&articleid=13605)。

抗日戦争後の国民政府のまとめた死傷者数は、1173万人と12,784,974人の間である。1949年以降、人民政府の修正数字は、3500万人であり、両者の差は3倍近い。私が思うに、1949年以降わが国政府の行った抗日戦争後の国民政府集計死傷者数に対する修正は、歴史的根拠のないものだと思う。まず、国民政府の抗日戦争損失の取りまとめは1944年に始まっており、3年間をかけている。それは、当時の国民政府の資料と汪精衛政府の資料に基づく、突っ込んだ真剣な調査であり、1947年の数字は一桁まで出している。つぎに、「中共の損失」が含まれていないというのも正確でない。抗日戦争期間中、中共の活動も、国民政府の統一指導の下に、共産党指導の八路軍と新四軍が行ったものである。抗日戦争期間中、敵後戦場は重要な戦場であり、中国人民は巨大な犠牲を払っており、国民政府がこの数字を計算に入れていないとは考えられない。実際、敵後戦場おける戦闘の主戦場は晋察冀辺区(現在の山西・河北・山東・河南境界にあった共産党根拠地)であり、抗日戦死亡者数は早くから具体的な数字がある。統計によると、1937年から1945年の間に、晋察冀辺区の死亡者総数は709,800人であり、そのうち冀晋区(河北・山西境界)152,000人、冀察区(河北北部)100,800人、冀中区(河北中部)232,000人、冀熱遼区(河北・遼寧境界)225,000人である(高等学校普通科コース必修歴史教科書教師指導用本http://www.pep.com.cn/200410/ca528582.htm)。

二、死傷について非科学性

抗日戦争勝利後の国民政府も、1949年以降の人民政府も、八年抗戦の中国側死亡者人数について、いずれも「死傷統計法」を採用している。いわゆる「死傷3500万人」も、死亡と負傷をあわせた数が3500万人である。私が思うに、八年抗戦という長い間の人的損失を計算するのに、「負傷」者数をも含めるのは非科学的である。理由は簡単で、8年間にわたる戦争期間中一人の人は一回しか死なないが、けがは何回でもする。第二次大戦における人民の生命の損失データは他の国ではほとんどが「死亡」人数である。もし、「負傷」という一人の人が何回も数えられる数字を加えるならば、それは「延べ人数」の概念であり、客観的には「死傷」人数を誇張することになる。

ここに実例がある。1939年12月、崑崙関戦役において勇敢に敵と戦った中国軍の中に、あるひとつの光栄な部隊があった。それは杜聿銘指揮下の国民革命軍第五軍の鄭洞国栄誉第一師団である。この部隊は全員が抗日戦争で負傷したことのある老兵により構成されていた。たとえば、この師団の第三連隊下士官林四良は、淞滬戦役(1937年、日本では第二次上海事変と呼ぶ)、台児荘戦役(1938年山東)、武漢戦役(1938年)に参加し、2回負傷した(『中国抗日六大主戦場秘聞』中華伝奇雑誌社、2005年、93頁)。もし、林下士官が崑崙関戦役において再び負傷してその後不幸にも死亡したならば、「死傷人数統計法」によれば、「死傷者4人」(負傷延べ3人、死亡延べ1人)となる。もし死亡人数統計法によれば、「死亡1人」である。栄誉第一師団の兵員総数を1万人、崑崙関戦役の前に一人平均1.5回負傷していたと仮定し、さらに崑崙関戦役で兵員の60%が負傷し、20%が死亡した(死傷比率1:3)と仮定する。更に、崑崙関戦役がこの師団の最後の戦役であると仮定すると、「傷病人数統計法」によると、この師団の抗日戦争中の死傷人数は23,000人(10,000×1.5)+2,000+6,000)となる。これを死亡人数統計法によると、この師団の抗日戦争中の死亡者は「2,000人」となる。二つの計算法の差は12倍近い。傷病統計法の誇張は、このことからも理解できる。

三、「600万人~700万人死亡説」の根拠

第一節においてのべたように、「傷病3500万人」説は誇張されており、死亡者推計の根拠とはならない。「死亡2000万人」や「死亡3500万人」説は、反論にも値しない。簡単な足し算でぼろが出てしまう。我々の知るところによれば、第二次対戦中の全世界の死亡人数は5000万人で、その内ソ連が2100万人(最近新しいデータが出てきた)。ポーランド730万人、ドイツ440万人、日本200万人、ユーゴスラビア120万人、フランス100万人、ルーマニア50万人、ハンガリー40万人である(http://twr_ww2.tripod.com/ww2p14.htm)。これでもうすでに3780万人なのに、これに中国の「死亡2000万人」や「死亡3500万人」を足したら、5000万人を越えてしまうではないか?

私が思うに、八年抗戦の中国人死亡者数600万人~700万人という数字には根拠がある。第一は、抗日戦争勝利後の国民政府の二つの統計データである。第二は、ソ連における第二次世界大戦中の軍人と民間人の死亡比率である。1946年末の国民政府の『中国が日本に対し賠償を求めるべき損失に関する覚書』の中の「我が軍の死傷が331万人あまり、人民の死傷が842万人あまり」の数字は、当時の国民政府国防部の資料に基づいており、上述の中国軍隊の死傷者数の元の数字は「死傷総数3,311,419人、その内、死亡者数1,319,958、負傷者1,761,335、失踪者130,126である(BASIC FACTS ON THE NANKING MASSACRE and THE TOKYO WAR CRIMES TRIAL, by New Jersey Hong Kong Network (1990)。http://www.cnd.org/mirror/nanjing/NMNJ.html)。失踪者全員が戦死したと仮定すると、中国軍の八年抗戦期間中の死亡者総数は1,450,084人となる。1947年5月27日に開かれた「第四期国民参政会第三回大会」期間中、行政院賠償委員会が提出した業務報告は、これは国民政府が公式に発表した唯一の八年抗戦損失統計であるが、軍人の戦死3,227,926人、軍人の戦病死422,479人、民間人の死傷9,134,569人、総計死傷者数12,784,974人である(高平等『血債:対日索賠紀実』国際文化出版公司、1997年)。

国民政府1947年の数字は、1946年の数字と比べて、105万人増加しているが、主に民間人の死傷者数の増加で、それが71万人あまりである。1947年の軍人死傷者数は1946年より減少しているが、新たに「軍人の戦病死422,479人」が加わっている。中国軍人の死傷者数は合計3,650,405人である。もしも、1946年の軍人戦死者数1,319,958人に1947年の戦病死数を加えると、中国軍人の死亡者数は1,742,437人となる。

1946年の民間人死傷者842万人あまりと、1947年の9,134,569人には、死亡者数が何人だったのかは明らかにされていない。しかし、842万人あまりの民間人のうちの死亡者の概数は、中国軍の軍人死傷比率とソ連の第二次大戦中の軍人と民間人の死亡比率から推測することができる。1946年の数字によると、中国軍人の死傷3,311,419人中、戦死と失踪が1,450,084人、死亡者の死傷総数に対する比率は43.8%となる。1947年の数字によると、中国軍人の死傷総数3,650,405人中、戦死と戦病死が1,742,437人、死亡者の死傷総数に対する比率は47.7%となる。ソ連の第二次大戦中の死亡総数は2,660万人、その内軍人の死亡数は866.84万人(http://news.sina.com.cn/w/2005-05-08/13585830773s.shtml)であり、軍人と民間人の死亡者比率は1:3である。ソ連の第二次大戦中の戦争被害はもっとも深刻であった。軍人と民間人の死亡絶対数と相対比率は、どちらも最高である。よって、ソ連軍民の死亡比率で中国軍民の死亡人数を推測するのは、比較的正確であると思われる。ソ連の軍民死亡比率1:3で計算すると、中国の八年抗戦の民間人死亡者数は軍人の3倍であり、1946年の数字によれば4,350,252人(1,450,084×3)である。1947年の数字によれば、5,227,311人(1,742,437×3)である。1946年の4,350,252人という民間人死亡推定値は、1946年の数字の民間人死傷者総数842万人あまりの51.8%をしめる。1947年の5,227,311人という民間人死亡推定値は、1947年データの民間人死傷者総数9,134,569の57.2%をしめる。この二つの比率は、いずれも中国軍人の43.8%(1946年データ)と47.7%(1947年データ)よりも高い。戦争中の民間人死傷比率は一般に軍人の死傷比率よりも低いことを考えると、上述の二つの民間人死亡推定値は、かなり余裕を持った数字であるといえる。

上述の推計が正確であれば、八年抗戦の中国側死亡者の概数は以下のようになる。国民政府1946年の数字によると、1,450,084(軍人死亡)に4,350,252(民間人死亡)を加え、計5,800,336人。四捨五入して600万人。国民政府1947年の数字によると、1,742,437(軍人死亡)に5,227,311(民間人死亡)を加え、計6,969,748人。四捨五入して700万人。

四、具体的死亡者数を当局が発表しない理由

すでに述べたように、抗日戦争勝利後の国民政府にせよ、1949年以降の人民政府にせよ、いずれも八年抗戦の中国側死亡者の具体的数字を提供していない。「死傷」という曖昧な概念を用いて、矛盾の大きい概数を提供しているのみである。その原因は何か?私は、少なくとも3つの原因があると思う。

第一、抗日戦への貢献を大きく見せたいとする考え方。この考え方は、中国が抗日戦において巨大な人的損失を出したことは、国際反ファシズム戦争への巨大な貢献であると考える。そのため、死亡者数と反ファシズムへの貢献を単純に等号でむすび、中国はソ連と同様、死傷者が多ければ多いほど、徹底してファシズムに抵抗したことになり、反ファシズム戦争への貢献もより大きくなると考える。実際のところは、このような考え方は普遍的真理ではない。確かに、人的損失の最も多かったソ連は世界反ファシズム戦争に傑出した貢献をしたが、ユダヤ人は第二次大戦前後、ドイツファシズムに600万人虐殺されたが、ユダヤ人の世界反ファシズムへの貢献は、ほとんどなかった。それに反し、アメリカの第二次大戦中の死者は30万人に満たないが、世界反ファシズムの主力であり、ソ連と同様世界反ファシズム戦争に巨大な貢献をした。

第二、歴史の気まずさ。とりわけ中国民間人の死亡者数に関してこの気まずさは非常に大きい。ここでの問題は、抗日戦争中の「死亡者」数は、日本侵略軍が直接殺害した人数と等しくはないということである。もしも、軍人の死亡がみな戦場でのことなら、民間人の死亡は、その原因はさまざまである。抗日戦争中の民間人の死者は、その一部は、中国人によって殺されたのである。例えば、1938年6月、国民政府は日本軍の進行を阻止するために、黄河の花園堤防を破壊し、大水害を引き起こし、89.3万人の民間人を死亡させた。また、国民政府の抗日軍隊徴兵の過程で、成年男子を大量に捕まえ、彼等を虐待したので、抗日戦争の戦場に赴く前に100万人以上が死亡している(http://bbs.chinabroadcast.cn/read.php?tid=28050)。もし、具体的な民間人犠牲者数を公表すれば、詳細に分類しなければならず、そうすると日本人に直接殺された人数と中国人自身が殺した人数の比率が明らかになる。これは頑強に抗戦したことをもって、日本侵略軍の大罪を責め立てようとする中国人にとって、疑いもなく極めて気まずいことである。

第三、日本人に良心の呵責を迫る。この種の心理は、日本の侵略戦争によって、中国人民に巨大な生命財産の損害を与えたので、日本は歴史を直視し、歴史を鑑としなければならず、決して軍国主義を復活させてはならないと考える。この考え方のもとで、中国は死傷者数を何度も吊り上げた。中国人の死傷者が多ければ多いほど、日本はいよいよ頭を低くして罪を認め、心から謝罪しなければならないと考えるのである。すでに述べたように、愛国と日本帝国主義への反対は煽動と虚言によっては維持できない。中国の死亡者の人数をより多く言うことが、より愛国的だということにはならない。中国の死亡者の人数をより多く言うことは、我々の信用を落とすだけであり、日本軍国主義の評価を覆そうとする極右分子に口実を与えるだけである。中国の死亡者数が何人であろうと、日本軍国主義の大罪をいささかも帳消しにすることにはならない。

八年抗戦における死亡者の具体的な数字の公表を求める声が上がるたびに、一部の人びとは公表を求める人を「漢奸だ、日本軍国主義の評価を覆すものだ」と罵る。彼らの手元の論拠は、「日本が3500万人の中国人を殺さなかったとしたら、殺したのが1000万人だとしたら、日本人に罪はないのか?」ということである。このような憤怒青年式思考法に対して、私の反論は、「もし日本軍が殺した中国人が1000万人だったとしたら、なぜ3500万人と誇張するのか?君たちは中国人の犠牲者は少なすぎるとでも言うのか?」である。

ここに盧溝橋事件68周年を記念する。
ここに八年抗戦中に亡くなった中国人を哀悼する。
八年抗戦において勇敢に戦った中国の英霊は、永遠に不滅である。
(2005年7月7日『環球聚焦』)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/3b3b01451bcd05fb370066695ea69ab2