思いつくまま

みどりごを殺す「正義」はありや?
パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう

愛国心について

2006-05-12 17:06:49 | 雑感

自分の住んでいる環境をよくしたいと思うのは、利己心に基づく人の自然な感情だから、自分の住んでいる国を愛する気持ちというのはたいていの人に備わっている。

しかし、人は利己心のみを行動の規範としていたのでは他人の利己心とぶつかって、絶え間ない争いが生じ、結局自分の状態を良くしたいという願望をほとんどの人が満足できないことになる。

そこで、他人の基本的人権を侵害しない限度でのみ、自らの利己心を満足すべき、というより高次の規範が必要になる。国を愛することは、教えなくても利己心に基づく自然な行動として身についているが、より高等な行動である基本的人権の尊重は教えなければ身につかぬ。

いま、自民党右派が吹聴している愛国心は、個々人の利己心を統治機構としての「国家」に集中し、「国家エゴイズム」を全開させようというたくらみである。それによって、確かに統治機構の周囲に群がる一部の人間は、自国民と他国民との犠牲の上に利権をむさぼることができるだろう。しかし、一般国民は国家に対する批判を許さぬ忠誠と、標的にされた他者に対する憎悪の感情をあおられ、ゼロサムゲームに熱を上げて、終わってみれば馬鹿を見る、ということになる。

相も変らぬ痴愚神礼賛、物神崇拝、フェテシズム、つまり野蛮な物欲による群集統合手法である。