【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

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『モードとエロスと資本』

2010年06月19日 | 書評
「21世紀、モードを動かす物語の主役だったはずの『恋愛の物語』は、モードの回転の外へとはじかれていき、その空虚を、『倫理の物語』が埋めていった。あたかも、暴走資本主義の罪をそれで償おうとするかのように。」(本文より)

本書の帯の裏に記された、本文からの引用が、今、この時の“空気”をワンフレーズで表現してる。

     

「エコ」「エコ意識」・・・。
例えば『日経MJ』のような新聞や、巷の“マーケター”達は、
表層のトレンドの“解説”に終始するのみだ。
(それもそれで必要なんだけどね・・・)
「ストスナ(ストリートスナップ)」一つの扱いにしても。

因みに、本書で触れる「ストスナ」現象。
これは、音楽ジャーナリズムの衰退による、マス向け音楽コンテンツの劣化、
コンシューマによる情報の価値の相対的な向上、という現象と通底している。
「口コミのパワーが・・・」なんて言ってる場合じゃないだけどね。。。
供給側の似非(えせ)ブランドコントロールが、自分たちのコントロールのパワーを劣化させた、
という自業自得。。。

閑話休題。

「エコ&エシカル(倫理)」、つまりファッションが「倫理」をまとう時代とは、
ファッションという一カテゴリのみのことではない。

ファッションを社会の“表層”と侮ることなかれ。
時代の“本質”を見極めようとするなら。
私のスタンスが、「カルチュラル・マーケティング」だからって、誇張して言うわけじゃない(笑)。

“草食系”にしてもね、若者に限定したお話じゃない。
たまたま先鋭化した形で、若者に“見られる”だけの話だろう。

「ユニクロ」に代表される 「ファスト・ファッション」と、
「twitter」を典型とする「ファスト・コンテンツ」の隆盛。

資本主義が行きつくところまで行ってしまった(?)、21世紀に入って10年を経過したの現在。
(資本主義をデータでコントロールできると錯覚し、リーマンショックとやらで世の中を混乱させた、頭はいいけどお馬鹿な人達のことは置いといて・・・)

確かに、モードの歴史を学んで行くならば、現代はある種、“倒錯”の時代であるかのようだ。

社会のコンテキストに眼を向けても、
昔だったら何でもないような野球賭博で、
親方や力士が叩かれる異常な潔癖さ、突出した倫理。

しかし、資本主義は “主語” ではない、と私は考える。
「面倒臭いことはしたくはない」 と我々が考えれば、
それを汲み取ってしまうのが資本主義であるにしても、
「面倒臭いことはしたくはない」 と考える主体は人間であって、資本主義ではない、と私は考える。
資本主義は、まるで“神”のように、われわれの欲求を顕在化させるだけだ。

現象として、消費の衰退があったとしても、
世の中がおかしい、社会がおかしいとは考えない。根本的にね。
過去だったら “あり得ない” 事象であっても、戦争とか破滅的な誤りではない限り、
ひとまず、事象として受け止めることだ。
そして、コンテキストを読み解いていく。

世の中がおかしい、社会がおかしいと考えたくなる気持ちはよくわかるけど。
(現実問題として、業態の衰退や企業の倒産もあるし・・・)

おかしいのだとしたら、それは人間だよね。つまりわれわれ自身。

人間にとって「入れて」「出す」こと、「出して」「入れること」は本能的な快感。
だから、情報の出し入れだけで満足して、モノでのお金の出し入れをしなくなった、
という、目から鱗の仮説もある。(↓)

(これも結構おもしろい書籍。共産主義が人間の本質に反することを、よく知っていた聡明なレーニンが、パブロフの言うことを真に受けちゃったんで、20世紀の悲惨な“実験”が現出させてしまったことも書いてある-苦笑)。

  

しかし、未来に絶望することはないと思う。
そのココロは、、、本能と資本主義なんです(笑)。

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