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【ML251 (Marketing Lab 251)】文化マーケティング・トレンド分析

トレンド分析ML251の文化マーケティング関連Blogです。ML251の主業務はトレンド分析をコアにしたデスクリサーチ。

mixi利用規約改定問題と「フルハム三浦」

2008年03月05日 | 徒然
こんにちわ、私です。
1ヶ月半以上のご無沙汰でしたが、
今日、3月5日は「啓蟄」ということでモソモソと現れました。

ちょうど「虎の穴」から帰ってきたばかりです。
(ウソです。「キックの鬼」もあるでよ・・・

「虎の穴」というのは大袈裟ですが、
この間、Excelでグラフを千個以上作ってました。(ホントです)
“一人シンクタンク”の私としては、
ずっと前にやっておくべきことだったんですが。。。
(前職在職中も含めてね)
調子に乗って、mixiやBlogに嵌りすぎていた私、反省しきり(^_^;)。

グラフのほうはあとまだ2千個ほど作りたいので、
この“一人プロジェクト”は続きますけどね。
(目指せ!“おっくせんまん”)

で、この間、世の中では色んなことがありましたね。
マスコミでは、「フルハム三浦」が再登場!!!
(「ひょうきんプロレス」では、故 景山民夫氏が演じてました)
「ジミー江古田」もご健在だったんですね。

一方、mixiのほうでは(たまにはログインしていてましたが)、
昨日、久々にログインしてみたところ、
「利用規約18条」問題で盛り上がり。
そりゃ株価も下がりますって。

「ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします。」

例え、事前の許諾を求める、と言ってもね、
いきなりこう来られると、
誰だってガツンと来ますわね。。。
カッとする人も少なくないでしょう。

まだ若い伸長企業ということもあるんでしょうけど、
対人コミュニケーションということを考えられたほうがいいと思います。

たとえ、ユーザー1,300万人を超える“ガリバーSNS”となってもね、
mixiの初期ユーザーはデザイナーなどのクリエーター、
つまり著作権には特に気を遣われている方が多い、
そういう“DNA”も今のmixiの底流に存在するんだ、
ということも踏まえた上で。

私の友人達も大いに怒ってます。

「何様だ!」「舐めとんのか!」
と怒りを露わにする友人。

「自分はプレミアム会員なのに・・・」
と当惑する友人(私もプレミアム会員です。315円/月)。

「今後、mixiとの付き合い方を考える」
と冷静に分析する友人。

皆、Webや音楽に関わる仕事をしている方々です。

また、ある友人の日記によれば、
利用規約改定の“真の意図”と“きっかけ”は、
「フルハム三浦」氏の日記(現在は閲覧不可)を、
mixiが利用したいからだ、という説もあるようです。
この説は推測だと思いますが、
自分としては結構、説得力があるな、と感心しています。

今の私、「もしmixiをやってなかったら・・・」
と想像するとゾッとする位、mixiの恩恵を受けてきました。
仕事でもプライベートでも。

あるセミナーで笠原社長のお話を聴いたこともありますし、
この問題が、㈱ミクシィとユーザー双方にとって円満に解決されること、
心から祈ってます。時間はかかるでしょうけど。

今回、80年代ネタも出てきたことですし、
次回は、『松田聖子と中森明菜』 後編を。
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禁煙化というトレンド

2008年01月12日 | 徒然
こんにちわ! 私です。

先週、都内のタクシーが禁煙になりましたね。
(厳密にはタクシー協会加盟社と個人のみでしたっけ?)

「公共交通機関」というカテゴリで考えてみると、
つい先日までタクシーが喫煙可だったというのは
「遅れていた」という感も否めないように思います。

まあ、バスや電車と比べると、
車内は乗客と運転手のみという「プライベート性の高い空間」、
ということを考えると、それもやむなし、とも思います。

しかし、密閉された空間の中で
運転手さんの健康ということを考えると禁煙化もやむなしですかね。
例え運転手さんが喫煙者だったとしても、
「受動喫煙」による被害という問題がありますから。

私達喫煙者も、自分が吸っていない時の、
他人の喫煙による紫煙は、気持ちのいいものではないんですね。
(勝手なもんですけど・・・)

そして、「臭い」の問題。
残りますからね、車内に。
非喫煙者にとっては不快だと思います。

「喫煙」「禁煙」というキーワードは、
マーケティング的にも重要です。

とりあえず、
男性4割強、女性1割強というわが国の「喫煙率」を考えると、
「全面禁煙」を目指すタクシー業界の動向は理解はできます。

但し、よく考えると「それだけでいいの?」
と思うことは色々と出てくるんですけどね。
今回は時間がありませんので追求はしませんが。

さて、一生活者としての私は、
お酒を飲む頻度が減らしたこともあり、
タクシーを利用する機会も減りました。

「禁煙」といえば、
昨年9月、1ヶ月だけ禁煙しました。

しかし、一人暮らしの自由業の身。
煙草は貴重な「お友達」なんですね(^_^;)。
“ミスター Lonely heart”の俺。。。

この2~3年、
サッカー観戦関係のお友達で
「禁煙しました」という方が数人おりましたが、
その後、「結婚します」という言葉を聞いたものでした。。。

こちとら、

♪薄荷煙草ふかして bluesy

だもんね。。。
(メンソールじゃないけど)。

ということで、
雨の土曜の黄昏時、
今も紫煙をくゆらせております(^_^;)。

(故アイ高野さんのご逝去から、4月で2年ですね・・・)

そろそろ1周年・・・

2007年09月11日 | 徒然
 こんにちわ!
 先月末に予告した通り、中々記事をアップできず、これが9月初めての記事となってしまいました。
 「ラディカル・マーケティング・アナリスト」の井上秀二です。

 ところで、中々記事を書かなかったのは忙しさだけではないのです。

 来月でこのBlogを開始して1年になるんですが、
 この1年間を省みると、
 自分の筆致がどんどんエスカレートしていくのを感じているんです。
 テーマもそうなんですけどね。

 今日は、自分を分析の俎上に上げてみます。

 1人で仕事をするようになってから1年。

 会社という組織に属しなくなったということなんですけど、
 「誰とも話をしない」日が多いんですよね。
 買い物に出かけたスーパーのレジで、
 「どうも」、と言うのが唯一の「会話」。
 そんな日の連続。

 もちろん、仕事ではメールや電話や打ち合わせもあるんですけど、
 毎日、社に通うというのとは全く違う。

 「外出したほうがいいですよ」
 というアドバイスをよく頂くんですけど、
 会社勤めを辞めた経験がないとわからないと思う。
 外出や人との触れ合いは必要なんですけど、
 それは根本的な解決ではないことは自分でわかっている。

 結局ね、世の中との隔絶感 みたいなものなんです。
 自分がずっと感じてきたのは。「孤立感」と言ってもいいかな?
 すると、ネットの人格が過激になりやすい。

   ①世の中との接点にリアルさを感じられなくなる
   ②リアルさを感じようと、ネットでの人格が攻撃的になる

 こんな「現象」が、自分を鑑みることによって明らかになってきました。

 そして根本的な問題は、「自分の考え方」なのだと。

 真の意味で「自立」「自律」的な「責任主体」でないと、
 世の中に対する依存心→甘え、が生じてくるのかと。

 自分に必要なのは「謙虚さ」「人を思いやる気持ち」。
 難しいんですけどね。バランスが。
 でも、人の気持ちになることが必要。

 ところがネットでは逆に、人を貶すことが多くなる。
 人や企業を「馬鹿」呼ばわりもする。
 別の自分が、「お前、何様だよ!?」と問えば、
 また別の自分が「俺は俺様だ! 文句あるか?」と答える。

 「悪しき自己完結」

 こういうスパイラルから脱したいと思ってるんです。

 mixiの日記のほうでも心掛けてるんですが、
 こちらのほうでは、自分の考え方をある程度確立した上でないと書かない、というスタンスなんです、今は。

 仕事(実務)重視のスタンスを強めますし、アップの頻度は下がりますけど、
 「俺のBlog」に変わりはないので、1周年の反省をしながらも、
 また、色々書いていこうと思ってますよ

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62年目の終戦記念日に思ふこと

2007年08月17日 | 徒然
 こんにちわ!
 「ラディカル・マーケティング・アナリスト」井上秀二です。

 とうとう東京の気温は40℃を超えました

 皆さん! 熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。

 今回は、62年目を迎えた終戦記念日に書いた文章を「加筆・修正」の後、
 ここに記すことにします。

 私は、「ラディカル(根源的)」なマーケターです。

 よって、マーケティングのみならず、日々のことでも、政治のお話でも、
 自分なりに

  「本質は何か?」

 を追求することをスタンスにしたいと考えています。
 (よく息抜きもしますけどね-笑)

 よって、「タブー」を破ることを厭わない場合があります。
 勿論、間違うこともあります。「仮説」が多いですし。
 そんなときは「朝令暮改」、いや、謙虚に改めます(^_^;)。

 でも私は、
 ひょっとすると今日、死ぬかもしれない、
 と覚悟しながら毎日を生きています。
 そして、死ぬ時は出来る限り後悔したくない、
 言うべきことは言っておこう、と考えています。

  「政治ネタはビジネスブログではタブーだよね」

 という、毒にも薬にもならない「クソ マーケター」とは違うのです、私は。

 マーケティングでも政治でも人間でも、論じるときに大切なのは、

 本質を追求する姿勢。 

 そして、一国民として大切なのは、
 税金を払う前に、
 選挙で投票する前に、

 自分の考えをもつこと です。
 
 勿論、間違っていたらすぐ修正する柔軟性も大切です!

 (そんな私がお嫌いな方には、「Say Goodbye」と言うしかありません)
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 昨日は62回目の終戦記念日でした。
 戦時中の体験談は、子供の頃から家族・親戚をはじめ、
 数え切れない人達から聞いてきました。

 今年79歳の父が今でもよく語るのは、
 1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲の翌日のことです。
 父は当時、大宮から巣鴨の旧制中学校に通っていたのですが、
 勤労動員で東京下町の軍需工場に通っていたそうです。

 大空襲の翌日でも、都内では焼け残った電車が動いていたのは、
 さすが戦時体制下ですよね。

 ところが、当然、下町の工場には電車では行けない。
 仕方なく途中から歩いたそうですが、周りは黒焦げの死体ばかり。
 「踏んづけたら悪い」、と黒焦げの死体を避けながら歩き、
 浅草(現在の「松屋百貨店」付近)辺りで、腹が減ったので、
 弁当を食べたそうです。

 黒焦げの死体が横たわる中でも平気で弁当を食べていた。
 それが「戦争」という非日常なんですね。

■靖国神社参拝問題とアジア諸国の反発

 安倍総理は8月15日、靖国神社へは参拝しませんでした。
 私、賢明な判断だったと思います。
 (閣僚で参拝したのは、高市早苗さんのみ)
 小泉前首相の靖国神社、8月15日ではありませんが参拝しました。
 心情的には私も小泉首相を支持していたのですが、あれはマズかった。
 もちろん、私、中国をはじめとするアジア諸国の反発に対しては、

  「内政干渉すんじゃねぇよ、ボケどもが!」

 という感情も一時は涌きましたが、
 冷静に考えると、やはりマズかった。

 何故なら、70年代、「日中国交正常化」に向けた交渉の過程で、

  ・日本の中国大陸への侵略は軍部の暴走と政府指導者層の責任で、
  ・日本国民は悪くはなかった

 という「合意」のがあったからです。

  「そういうことにしておこうよ、じゃないと話が進まないからね」

 という「合意」です。
 「合意」をした当事者は日本政府と中国政府です。

 その「合意」の是非はともかくとして、
 そういう歴史的経緯を踏まえずに、
 自らの「政治的信条」のまま、
 A級戦犯が合祀された靖国神社に参拝しちゃったら、
 そりゃ、中国政府や国民が怒るのは当然でしょ? 純ちゃん。。。

 何しろ、戦後62年間、日本国民は「戦争」の総括してないんですからね。
 面倒なんですけど、そういうプロセス=戦争の総括を経て、初めて、
 「靖国」や「憲法第9条」「憲法改正」の論議をすべきなんです。

 でなければ、
 「小林よしのりの漫画で舞い上がった“にわか”ナショナリスト」
 のような皆さんが「暴走」しますからね。
 中国大陸での軍部の暴走=謀略のように。。。

 「戦後政治の総決算」は大いに結構なんですけどね、
 自国内だけで完結して済む問題じゃないわけですよ。

 まずは一時の感情(それは「世論」とは言えない)に惑わされず、
 国民的な論議を尽くすことが肝要です。

 あと、余談なんですが、
 なぜ、中国や韓国や北朝鮮が、戦後62年経っても、
 教科書問題をはじめとする諸問題に、口出しをするのか?

 ここで私の仮説を。それは、

中国や朝鮮が日本を破ったわけではない

 という事実があるからです。

 中国も連合国側だったし、蒋介石も、
 「日本の敗北は、大陸に日本軍を釘付けにしたわが方の貢献が大きい」
 と主張されていたそうですが、
 わが国が「ポツダム宣言」を受け入れた決定的なきっかけは、
 二度の原爆投下や、「不可侵条約」を破ったソ連軍の侵攻。

 少なくともわが国は、直接的には米国やソ連に負けたわけで、
 国民党軍や共産党軍、ましてや、、、
 「朝鮮の英雄的な抗日パルチザン」に敗れたわけではない。
 (金日成の英雄説はインチキだったらしいですね)
 (金日成みたいな人物を祭り上げたソ連は、後に大いに後悔したそうです)

 そういうコンプレックスが、
 中国や朝鮮の国民の「深層心理」によこたわっている。
 彼らの心の奥底ではね、「戦争」は終わってないわけなんですよ。

■もう一つの重要な戦争犯罪

 と、話が長くなりましたが、
 ズバリ、私の「靖国神社」問題についての考えを。

 ハッキリ言って、
A級戦犯の合祀には強い違和感を感じる
 ということです。

 それは、連合国による「東京裁判」の不当性を訴えたり、
 「大東亜戦争」の正当性(自衛戦争)を主張する「右翼」の人たち、

 さらには、自虐史観によって「内政干渉者」たちを付け上がらせる「左翼」の人たち、

 とは違った、私の視点とスタンスによります。

 満州事変や中国大陸への侵略、
 パールハーバー奇襲を戦端とした太平洋戦争の是非、については
 私なりの考えはありますが、ここでの直接的なテーマではありません。

 日本という国だけの「ミクロ」の視点で考えます。

 兵站=物資の質と量・補給はあまりにも貧弱。
 圧倒的に不利で、勝ち目がないのにも関わらず、
 無謀としか言いようのない作戦を強いに強いて、
 飢えや病で夥しい戦病死者を出した責任。

 負けるとしかわかっていない戦(いくさ)を
 ズルズルと引き伸ばし、
 制空権を失った後は、
 東京をはじめとする各地に大空襲の被害を許し、
 沖縄では悲惨な地上戦を招き、軍人や国民に自決を強いて、
 あげくの果てには、広島のみならず長崎にまで原爆投下を許した。

 せめてもの救いは、「本土決戦」が避けられたことだけ。
 竹槍を武器にした「本土決戦」が行われていたならば、
 おそらく私はこの世に生を受けていなかったことでしょう。
 山間部の「大本営」が陥落する前に、
 幾百万の国民が悲惨な死を強いられたはずです。

 この指導者たちの責任を、
 うやむやにしたままじゃ、いけないんじゃないか?
 「終わったことは水に流そう」という「日本人の国民性」、
 「死んでしまえば皆、仏様」というのは、
 この際どうかな? と思うのです。

 戦争を指導した陸軍、海軍、政府指導者の責任、つまり、

日本人に対する日本人の責任

 を問わなくてもいいのか?

 「東京裁判」で殺されちゃったから、もういいや?
 ということなのかな?

 国のために、中国大陸や南洋の諸島で、
 飢えと病の地獄にぶち込まれ命を落としていった、
 英霊たちの御霊(みたま)を「靖国神社」で祭るのはいい。
 「神風特攻隊」の若者たちもそう。

 非情な「命令」によって残虐行為を強いられ、
 現地で処刑されたBC級戦犯たちの御霊を祭るのもいい。

 しかし、
 自らを「安全圏」に置きながら、
 破滅的な戦争を遂行した指導者たち。
 結局、連合国側の「東京裁判」によって裁かれるしかなかった
 A級戦犯達の「罪状」は、
 私たち日本人にこそまず裁かれるべきだった。
 (もちろん、当時、それは不可能なことでしたが)

 で、そんな「A級戦犯」たちを、
 「英霊」が眠る靖国神社に合祀することに、
 私は違和感を覚えるわけです。

 死者に鞭打つのは気が引けますが、それでも言いたい。

 東條英機は、GHQに自宅を包囲されたとき、
 自室の窓から間の抜けた顔を晒して (先日の「NHKスペシャル」で放映)、
 連行されると知るや、自決を図って失敗しました。
 本来はね、8月15日に自決すべきだったんです。
 大体、何人の「部下」たちが自決したと思ってるんだよ!!!

■天皇陛下と国民の責任

 天皇陛下に戦争責任はあったのか?

 もちろん、ないわけがない。

 「大アリ」というのが世界の常識でしょう。
 そういう世界の常識が、わが国では「大タブー」。
 今まで何人の要人や言論人たちが、
 この当たり前の事実を語っただけで「襲撃」されてきたのか!?
 こんな国が「美しい国」か?
 「右翼」を育成した岸信介元首相のお孫さんの安倍総理、どう思います?

 但し、昭和天皇は聡明なお方だったので、
 ご自身でも、そのことはよくおわかりのはずだった。
 おそらく責任を問われたらならば、甘受されたに違いない。

 しかし、わが国の再統治を優先させた連合国側の
 「超法規的判断」によって戦争責任は不問となった。
 東西冷戦の「反共防波堤」としてわが国を位置づけた米国の判断も大きかった。

 そのあおりを食って、
 平和主義者で、日米開戦直前まで外交による解決を模索しながら、
 「東京裁判」で有罪・絞首刑の判決を受けたのが、広田弘毅
 軍人ではなかったのにもかかわらず、
 天皇陛下の「身代わり」として人身御供にされた。

 軍部を掌握できるのは天皇陛下お一人のみ、
 内閣も政権も誰も軍部をコントロールできないという
 「統帥権」というシステム。

 広田は天皇陛下に対し、
 戦争の無謀さと外交交渉の大切さを具申したのにも関わらず、
 唯一の決断者である陛下は、ただうなずくだけで何も出来なかった。
 その責任は、とてつもなく大きい。

 そして、日本国民。

 1941年(昭和16年)パールハーバー奇襲成功の報を聞き、
 歓喜の声を上げたのは日本国民。
 一部の反戦論者達を、「アカ」呼ばわりして迫害したのも日本国民。
 でも、出征して虫けらのように命を落としたり、空襲で黒焦げ死体になったり、
 生き残っても窮乏生活を耐えに耐えた。
 かけがえのない愛すべき人たちを失った。
 それで十分なんじゃないかな?

 会社だったらね、
 「こんな会社、辞めてやらぁ!」と言えるんだけど、
 国の場合はね、
 「国民、辞めます」
 なんて訳にはいかんかったわけですよ(^_^;)。

 そして戦後の復興で、一生懸命頑張って、
 戦後生まれの私たちが不自由なく暮らせる社会を築いてくれた。

 もちろん、「戦争」の総括を全くしてこなかった責任はあります。
 おかげで、「戦争の延長」たる高度経済成長を達成しましたけどね。
 米国の庇護の下とはいえ。

 そう言えば、
 私の母方の祖父、上野駅にたむろしていた戦災孤児の一人を、
 引き取って育てたいと考えたそうなんですが、
 私の母を含めた兄弟は5人で家族は7人。
 祖母に、「それだけは止めてくれ」、と懇願されて諦めたそうです。
 そりゃそうでしょう。祖母の主張が正しいと思います。
 でも、そういう「情」を持っていた祖父に微かな誇りを感じる私です。

 最後にマーケターとしての見解を。
 (「マーケティング」って、「軍事」の影響が強いんですよ)

 マーケティングの基本、
 それは、
「負けることが明らかな戦いはしない」
 ということです。

 個人だったらね、
 愛する人を守るため、人としての誇りのため、
 「無謀な行為」に走ってしてしまうこともあるかもしれない。
 でも、国家規模ではね、何百万の命に関わることなんですよ。
 これは会社でも同じことか。規模が違うだけで(苦笑)。

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今年も夏フェス、縁なし。。。

2007年08月10日 | 徒然
 こんにちわ!
 今、J-WAVE「E-STATION」バロン・ヤマザキの「e-Report」を聴いている、
 ラディカル・マーケティング・アナリスト 井上秀二です。
 バロンの奴、秋葉原の「リバティ」8号店に出没しているのか。。。
 末裔レポーター、実は「ヲタ」であったことが判明。

 ところで明日から「サマソニ」ですね。
 私は先月の「フジ」もそうでしたが、今年も「夏フェス」とは無縁、
 昨年同様、PCに向かいながらの「日々是仕事也」という状態です。

 「フジ」と言えば、スマッシュさんですね。
 「80年代」がらみの話になりますが、
 私が学生の頃から、スマッシュさん頑張ってます。
 「ジュリアン・コープ」を呼んで、
 当時サイケ色を強めていた「ルースターズ」とのジョイント(@日比谷野音)。
 ところが、来日前に「ルースターズ」から大江慎也が脱退。

  『SOS』でダイジョブなんかい?
  ジュリアン、怒るんとちゃうの?

 あっ! これわかる方、ほとんどいませんよね(^_^;)。

 私が4年生の時の1年生、K君(10年位会ってません)。
 (学校に来た町田町蔵氏に「千円あげますからサイン下さい」と言ってサイン貰った人)
 よくスマッシュのバイト(コンサートの裏方さん)してました。
 音楽業界裏側の「悲惨さ」を知って、公務員になったK君、賢明でした。

 「ロックフェス」の場合、
 アーティストのファンと、フェス自体のファンにセグメントできますよね。
 (もちろん重複しますけど)
 私は「フェス自体のファン」ではありません。

 今年の「フジ」も面白そうだったんですが。。。

   ケミカルなブラザーたちを、
   ネイチャーな環境でネーチャンと観る

 なんてのも体験したかったと。

 そして明日は、「サマソニ」。
 やはり縁がありませんけど、面白そうだなと思うのは、
 「Arctic monkeys」かな。

  やっぱ、媚びないっていう姿勢はいいですね♪

 「AVRIL LAVIGNE」も、どの程度のパフォーマンスが出来んの? とか
 「SUM41」も「THE OFFSPRING」も、どんなもんかいな? 
 という興味もないことないんですが。。。

 あと、これ(↓)も。

 

 アルバム全体を聴いたところ、
 どうも「一発屋」で終わりそうな、嫌な予感がするんで、
 今のうちに・・・、つー感じがしないではないのだが。
 「セルティック」サポに愛されている曲もあるようなので、頑張ってほしいもんです。

俺がファンを自認するバンドはな、
世界で唯一、「U2」だけなんだよ。
 と負け惜しみを吐いて、「日々是仕事也」で行きましょか
 秋にはDVD出るしね。

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中山うり インストア@HMV SHIBUYA

2007年07月10日 | 徒然
 こんにちわ! 東京地方、今日はいかにも梅雨といった雨ですね
 先日、久々に両足が攣ってしまったマーケティング・アナリスト 井上秀二です

 先週の金曜日、調子に乗ってブログを書きながら(「2007年上半期 私の読書録パートⅡ」)、

  「こりゃ、仕事のほう徹夜になるわい」

と思っていたら案の定、徹夜となりました。(仕事脳は深夜0時以降ピーク)

 翌土曜日の昼前、1時間仮眠をとるつもりが2時間寝てしまい、
 15:00スタートの「中山うりインストアライブ@HMV SHIBUYA」に間に合うかな???
 と心配しながら、バスで渋谷へ向かったところ、道が空いていたので約20分の遅刻で済みました。

 HMV SHIBUYA3階のイベントスペースに着いた刹那、

 あっ、いかにも中山うりっぽい中山うりがいる。

 当たり前ですな(^o^)。

 でも、ジャンルに関わらず、「そこにいるのが当たり前」という雰囲気と言いますか
 空気感を漂わせるアーティストは貴重です。

 観客は約60人。
 「いかにも」という感じの人たち

 バンド編成&サウンドもバランスが取れていて“良”。

 販促のためのインストアが大切な機会なのは重々承知ですが、
 オッサンの超個人的嗜好としては、

 暗いところでまったりと感じていたい

といったところでしょうか。

 昨年のフジロック出演に続き、今年はサマソニEZOに登場とのこと。

 そして9月と12月には渋谷でワンマンとのこと。

 んなぁ~先のことはよ~
 わかりゃしねーんだよ

という気まぐれな私ですが、「暗いところでまったりと感じらそうな」機会があれば、
フラっと足を運ぶこともないとは言えません。

 あと、超個人的嗜好から一度観てみたいな、と思うのはこの人たちですな(笑)。
 インストアはまず無理でしょうけど。
 丸山茂雄さんの「mf247」でもプロフィールページがありますね。

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政治家とは

2007年04月18日 | 徒然
 長崎市の伊藤長一市長、残念なことにご逝去されました。
 ご冥福お祈りいたします。 2007年4月18日 9時16分
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 今夜、長崎市の伊藤一長市長がJR長崎駅前で銃撃されました。
 現在のニュース報道によると、2発撃たれ心肺停止状態とのことです。

 伊藤市長が助かることをお祈りするとともに、
 政治テロに対しては恐ろしさと悲しみを感じざるを得ません。

 ブログでは政治・宗教に関することは書かないほうがいい、という不文律を破り(その手のこともちょこちょこと書いてはいましたが・・・)、今回はこのテロをきっかけに私の政治家観について書かせて下さい。

 私は政治テロを許さない

ということを前提として読んで頂ければと思います。
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■政治家の必要条件

 政治家に必要な最低条件とは、

  ①短期的な政策(ビジョン)
  ②中長期的な展望に立った政策(ビジョン)

であると考えます。

 民主主義社会で難しいのは、主権在民と言いつつも、②の中長期的な政策が、「短期的な国民の声」と相反するようなことが珍しくはないことです。
 「消費税」「所得税」「法人税」など税金の論議がその典型ですね。
 税金だけではなく、国家・地域の未来に関する論議はもっと難しい。

 古い例ですが、1960年(昭和35年)6月23日の「日米安保条約改定」「安保闘争」を挙げることができます。

 「日米安保条約」については様々な論議があり、ここで述べるのはあくまで私個人の持論です。

 結論を言えば、戦後日本が豊な経済大国となったのは、「日米安保条約」のためです。
 勿論、弊害もありましたし、「右」や「左」の方々からは異論・反論はあるでしょう。

 当時、安保条約改定に反対した方々は、「日本が米国の属国化する」「東西冷戦に巻き込まれる」というのが主な反対理由だったと考えます。

 しかし、当時の岸信介首相は、50年、100年後の日本のビジョンを考え、
 短期的にも東西冷戦というリアル・ポリティクスを冷静に観た上で、
 「安保条約改定」に踏み切ったと私は考えます。
 (現実にソ連の脅威もありましたし、北朝鮮の工作員にはやりたい放題やられました)

 『バカの壁』など養老孟司さんの著著を読んだことのある方はおわかりでしょうが、
 日本人の深層心理において、「保守」と「革新」は逆転していたのですね。

 「保守」と言われる自民党のほうが新しい日本のビジョンを持っており、
 「革新」といわれる勢力のほうが「反米愛国」、新しいことには反対。
 労働組合や学生運動は、旧帝国軍人のノリ。。。
(三島由紀夫は、1969年の東大安田講堂に立て篭もった学生が「玉砕」せず投降したことを皮肉りましたが・・・)

 「55年体制」において「野党」に政権担当能力がなく、「何でも反対の万年野党」であったの対し、
 自民党は「派閥」という「党内の党」で揉まれていたのですから勝負にならなかったのは当然です。

 政治家は選挙に当選するため(苦笑)、選挙民の支持を得なければならないのですが、
 時には、選挙民や国民から反発をくらっても、50年後、100年後のために意思を貫かねばならないこともある。

 つまり、
エリートにならなければならない
ということです。それは、
国民と同じ視線を持ちつつも、
全体を俯瞰した視線も持つ“二重の自己”
という存在たらねばならぬ

ということなんですね。

■私と政治

 私の母方の祖父は、埼玉県の小さな町(今は市制を敷いていますが)の町議会議長でした。
 私が幼稚園に入るか入らないか?という頃、休日、選挙カーに乗って祖父の名前を連呼する母を、
 すごく冷めた目で見ていたのを覚えています(笑)。
 私が選挙が好きではないのは、そのときのトラウマのせいかもしれません。。。

 祖父は当時、自民党のタカ派に近かったと思います。
 地域(農村)振興に功績があった祖父は他界する前、天皇陛下から勲6等を頂きました。
 小学生時代の夏休み、祖父母の家に泊まっていた私は、よく祖父と「政策論争」をしていたようです(笑)。

 私が中学校1年生のとき、祖父は他界しましたが、私にとって十分、尊敬してやまない大好きな祖父でした。

(余談ですが、祖父が経営していた会社の社員さんに、『いま、会いにゆきます』の著者、市川拓司氏のお父さんがおられたそうです)

 高校生になり「反抗期」の私は、戦前・戦後の著名人の如く、通過儀礼のように「左」に傾きました。
 それもハンパな「左」ではありません(苦笑)。最も先鋭的な「左」でした。
 人様の人生を変えてしまったこともありますし、
 棺桶まで持っていかなければならない事実もあります。
 詳しくはここでは書けませんが(^_^;)。

 大学に入学した私は、政治的な事柄への関与はパタリとなくなってしまいました。

こんなことやってらんねぇや、飽きたし
 
 現在の私は、「保守か革新か?」という時代遅れでパラダイムの有効性を失った質問を受ければ、
 「保守でしょうね」と答えるでしょう。

 しかし、政治に行動的に関与することは強く封印しております。
 選挙の投票行動は別ですけどね。

 昔の会社時代、仲良くしてもらった30代の友人が現在、民主党から荒川区議会選挙に立候補しているようですが、私は応援しておりません。彼の政治理念に共鳴しつつもです。

 逆に、数年前、彼の選挙事務所のスタッフから、不躾に「街宣を手伝って下さい」との同報メールをもらったときには、

  「それは失礼でしょ! 本人から直接頼まれたのならともかく」

と彼の事務所にレスしました。(その後、謝罪のレスを頂きました)
 私、彼個人のことは大好きですし、プライベートな飲みでしたらいつでもお付き合いしますが(^_^;)。

 昨年知り合った、やはり30代の女性の友人も、民主党から渋谷区議選に立候補しています。
 もちろん、私は関わっていません。
 心の中で、「頑張るんだよ~♪」と思う程度です。

 そういう私は、政治に行動的に関与することを封印しているわけですが、
 それは、

封印を解く覚悟がない

からでもあるのです。

*仕事のこともありますけどね(笑)。
 それに「お願いします!」を連呼するような馬鹿馬鹿しいことは御免です。
 「どうか政治家になって下さい!」とお願いされれば、
 「まっ、しょうがねぇか・・・」と重い腰を上げますが。(冗談です-笑)

■私の政治家像と危機管理

 では、私にとって封印を解くこととは何なんでしょうか?

 それは、命を賭けること です。

 比喩ではありません。
 文字通り、政治家とは命を狙われてしかるべき存在であるということ。
 そこまでの覚悟がなければ、エリート ではありません。
 しかも危機に晒されるのは自分だけではない。大切な家族だってそうです。
 例えば今の私のように(笑)、日々の暮らしで精一杯で超短期的な我儘を言うような国民の声に耳を貸すことなく、中長期的視点に立った政策を立案する、ということは相当の覚悟なくして出来ません。
 地方議員・首長であっても本質は変わりません。
 (尤も、今の政治家が恐れるのは、テロよりも「落選」でしょうけどね-苦笑)

 さらに、
テロを受けることを極力防がねばならない
ということも重要なのです。

エリート とはそういう存在なのです。

 政府首脳のようなSPを地方議員・首長につけることはまず不可能でしょう。
 それにどんなに警備を堅くしても、米国のケネディ大統領、イスラエルのラビン首相のように暗殺の凶弾に倒れてしまった方々もおります。

 しかし、無防備ではいけない。

 政治のお話ではありませんが、かつてオウム真理教によって坂本弁護士一家が殺害されるという惨い事件がありました。

 私が死者に鞭打っているように誤解される方もいらっしゃるかもしれませんが、
彼は自分と家族を守らねばならなかった
のです。

 故 坂本弁護士は、教団のテロルを想定し、出来る限り警戒し、
 最低でもご家族だけは安全な場所に住まわせるべきだったのです。
 
  「自分は正しいのだから堂々と生活する」

という甘い言説と態度は、
エリート=大切なポジションにいる人
には許されないのです。

 故 坂本弁護士と対立関係にあった神奈川県警の犯罪性には強い怒りを覚えますが、
 地元の警察も自分の味方ではなかった=敵だったのですから、尚更です。

 故 坂本弁護士は政治家ではありませんが、教団との闘いのなかで「大切なポジション」にいた「エリート」です。
 本質的には同じ話なのです。

 今回の伊藤長一長崎市長狙撃事件は、暴力団幹部の方との自動車トラブルが原因のようです。(今の時点では)

 トラブルについての全容解明は今後の捜査の進展を待つしかありません。
 伊藤市長の自己防衛意識と行動については、今現在、詳しいことはわかりません。

 しかし、長崎は広島とともに世界でただ二ヶ所の被爆地です。
 長崎市長といえば、1990年、「天皇陛下に戦争責任があった」と発言された本島市長が右翼に狙撃されるというテロがありました。

 伊藤市長がどれだけテロリズムに対して警戒していたのかはわかりませんが。

暴力は許せない!
と言うのは正しいことですが、百万回言っても何の解決にもなりません。

(注)
 この記事を書いている私が、テロリズムに断固反対ということは前提ですからね。

 尤も、上記のようなことを指摘できるのは、私の高校生時代の体験という裏打ちがあるからなんです。複雑な心境ですけどね。。。
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 余談ですが、2月でしたか(?)、自民党がタレント候補を擁立したい云々というニュースを見つけ、mixiの日記に

  こういう悪しき「大衆迎合」にはウンザリです。
  あんた達は「民放」か?
  視聴率と得票率を混同するんじゃありませんよ!!!
  芸能人候補、そして芸能人議員の皆さん、あんたら命賭けられんの???

と怒りの日記を書いたことがあります。。。

 まぁ、東国原宮崎県知事は、勉強もしてきましたし、私は認めますが。

 またまた余談です(笑)。
 命を賭けておられるかわかりませんが、私が「政治家らしい政治家」と思っている
 唯一の政治家はこの方です(↓)。あくまでも私の主観で、「支持」とは別ですが。

 

 mixiでは、「麻生太郎氏の口の悪さを楽しむ会」(7,722名)に参加しております。

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つながり重視の日本のSNS

2007年03月06日 | 徒然
 CNET-Japanで森祐治さんが、『日本のSNS利用はもう限界なのか』というタイトルのコラムを書かれてます。

 森氏は、海外の研究者と共著でSNSに対する考察を書いておられるとのことですが、比較研究の対象は日本、韓国、米国のSNS。

 私は韓国のCyWorldの内実は知りませんし、MySpace(米国発)は放置状態なので、比較検討は出来ませんが、森氏の仮説はよく理解できます。(日本のSNSはmixiで十分でしょう)

 韓国(CyWorld)と米国(MySpace)の両者が情報発信重視で、「自己愛/自己主張型」。対して日本の場合(特にmixi)は、

(きわめて粗っぽい仮説だが)、日本におけるSNSは人と人の「つながり」を重視し、つながった相手の動向を知ること、そして自分の動向を知らせることを志向する傾向が強いということだ。
 
 私にとって森氏の仮説が「粗っぽく」感じられないのは、自分自身が「濃い」コミュニケーションをmixiに求めてきたからに他なりません。

 「ミク中」「mixi疲れ」という現象も実体験してきたのです。

 「つながり重視」「濃いコミュニケーション」を求めてきた私の今日現在のマイミクさんは139名。参加コミュニティ119。自分としてはこのあたりが、「適正マイミク数」なのかな? と思ってみたりします。

 やはり私と似たような心理特性を持つマイミクさんの中では、「マイミク整理」ということがよく行われています。

 マイミクになっても足跡さえつけない人を削除するんですね。
 前もってメールで告知する場合もあれば告知しない場合もある。
 大体、自分の日記のトピで告知する場合が多いでしょうか。

 実は私も昨年春、同じことをしたことがあります。
 後悔してますけどね(^_^;)。
 告知メール文面に、「不誠実」とまで書いてしまいましたので。
 今でもリアルでお世話になっている大切な人もおります。
 大変、失礼なことをしてしまったと反省しております。
 相手の立場としては(自分がそうされる立場になれば)、相当、嫌な奴ですよね(大汗)。。。

 200名、300名というマイミクさんがおられる方は、日記のタイトルで読む(アクセスする)、読まない(アクセスしない)の選択をされます。「このタイトルを書けば、普段は来ないあの人も来るだろう」と考え、逆にわざと関係ないタイトルを書いてしまったり(笑)、ということをしたこともあります(笑)。
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 今の私は、進んでマイミクさんの数を増やすことはしておりませんし、リアルでお会いしたり、自分と合いそうな方のミクリクは基本的に受けていますし、出来る限りマイミクさんの日記を見るだけは見る姿勢はそのままですが、先に挙げたような行為はとっておりません。

 普段はそれなりの距離感を置いていても、いざというとき思わぬ助け舟を出してくれる方もいらっしゃるからです。

 自分だって誰かに何かできることがあるかもしれない。

 まぁ、自分が疲れぬ程度に見たいときに見て、そうでないときは見ない、という感覚は持てるようにはなりました。

 「疲れて」止めてしまうのはもったいないサービスですからね(^_^)。
 昨秋より、このブログを始めた、ということの影響もあるんですが。

 とにかくmixiもこのブログも私自身の「自我の一部」です。

 あと、mixi以外のSNSは週1~2回アクセスすれば十分かな。

 最後に、森氏のこのご意見は私も尤もだと考えます。
 運営する企業さんは大変でしょうけど、ユーザは楽になりますよね。

リンクが時系列に従って希薄な関係性になっていくことを許し、その際にはその情報の伝達量も希薄になっていく(あるいは優先度が落ちていく)といった、認知的な社会的資本の捉えかたを実装したSNSの出現が望ましいのではないか。
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「オレ」の眼にも涙

2006年10月11日 | 徒然
 昨日、プロ野球セントラルリーグで中日ドラゴンズが優勝しました。
 球団関係者の方、そしてファンの皆さん、おめでとうございます♪

 私は少年時代から20代まで阪神ファン(虎キチ)でした。
 関東に生まれ育った私ですが、水島新司さんの『男どあほう甲子園』が好きでしたし、江夏・田淵のバッテリーや村山投手が好きでした。
 球場に足を運ばなくなってから20年弱の月日が経ちましたが、「贔屓のチームは?」と問われれば、今でも「阪神です」と答えます。

 そんな私ですが、中日の落合博満監督は現役時代(黄金期は「ロッテ時代」と思います)から憧れの選手の一人でした。選手というより「野球人」といったほうが正確ですね。
 私と同じB型というのもありますが(笑)、実は人知れず努力をしているのにもかかわらず、さらっと斜に構えて気の利いた言い方をされるのが、たまらなくカッコよかったのですね。
 秋田工業高校時代、野球部を何度も辞めて映画館通いに明け暮れながらも、野球部員たちに請われ続けて、しょうがなく(?)試合に出たというエピソードも聞いたことがあります。

 余談ですが、ロッテ時代、自宅購入の借金の保証人を稲尾監督に依頼、必然的に試合で自分を使わざるを得ない状況にもっていった「戦術」にも感心したものです。

 そんな「オレ流」の落合監督、今期も「投手力を軸にした守りで勝つ」という方針を徹底されたそうです。

「高校野球みたいだろ。こういう野球をしないと勝てない」(5/30)
「1番が出て2番が送って3-5番で点を取るのが今年の野球。つまんない野球だが、負けたらお客さんはもっとつまらない」(7/25)(*『日経新聞』10/11より)

 監督の方針を徹底されることは、並大抵のことではないだろうと思います。
 実力主義といえども、使われる選手も使われない選手もいますから、皆から支持を得るということは不可能。優しさ故の厳しさを理解してもらうのも難しい。

 またまた余談なんですが(汗)、1985年に阪神が優勝したときも「送りバンド」を多用した「For the Team」という言葉をよく聞いたものです。しかし実はバース、掛布、岡田のクリーンナップを軸にした攻撃力が優勝をもたらしたのです。
 ベンチで吉田監督が「送りバンド」のサインを出す。打者が失敗する。すると、

  「こんな作戦じゃ、勝ちゃーしねーよ!」

という声がベンチで上がり皆が騒ぐ。吉田監督、渋々と強攻策のサインを出しそれが成功した、という逸話を聞いたことがあります。つまり監督が選手の心を把握すること、方針と戦術を徹底させることは難しいということです。

 先日、日本ハムの金村投手が監督を批判しましたが、監督の采配とは、たとえ冷徹なようでも「投手の一球」に匹敵するほどの責任を背負った上での判断なんですね。金村投手にはそれがわからなかった、いやわかっても許せなかったのでしょうか。
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 日本の「プロ野球」、ここ数年テレビ中継の視聴率低下に象徴されるように、人気は凋落気味です。色々な要因がありますが、時代の流れとミスマッチしてきていることは否めないでしょう。

 かつて高度成長期、「プロ野球」をメジャーな存在にした最大の功労者は、元読売ジャイアンツ監督の長嶋茂雄さんでしょう。実力がある上に「ショーマンシップ」を徹底させた「天才型」。長嶋さんを“陽”とすれば、「努力型」の王貞治さんは“陰”。このお二人の功績が大きいでしょう。好き嫌いはあると思いますが、異論は少ないと思います。
(他にも野村克也楽天監督など功労者はおりますが、プロ野球という「ピラミッドの頂点」に位置するのはこのお二人だと考えます)

 このお二人は実にわかりやすいです。(あくまでも我々からみた場合ですが)
 確固たる「ブランド」が確立されています。

 落合博満さんの「ブランド」は、「マス」の心を掴んできた「ONブランド」とは違います。
 「オレ流」と言われているものの、皆にとって「わかりやすい存在」ではありませんね。支持を得る前に誤解をされることが多いのではないでしょうか?
 しかも野村克也さんと同様、奥様に対する誤解(?)が好感度に悪影響を与えていることも推察されます。

 そんな落合さんが優勝決定の直後、涙を流されました。

 「選手に恵まれた」とコメントしながら。

 計算ずくのことではないでしょう。

 私が連想したのは、春のWBCでイチロー選手が見せた“熱さ”“篤さ”です。
 イチロー選手も、どちらかと言えば、自分流でクール。
 松井秀喜選手とは対照的に、マスコミへのサービス精神はあまり感じられない。
 そして誤解されやすいタイプだと思います。

 ところがWBCで見せたイチローの態度は、彼をクールと考えてきた我々一般人のイメージに修正を迫る(?)ほどのインパクトがありました。
 一個の人間として多様性を持つのが普通なんですが、スポーツ選手や芸能人はやはり、「一つのイメージ」で捉えられざるを得ないのが現状でしょう。それをコントロールするのが「ブランディング」なんですが。

 イチローの態度と行動(プレー)が、結果的に彼のブランド価値を高めることとなった。

 そして今回の落合博満監督の「涙」も、彼のブランド価値を高めることになると私は考えます。

 お二人ともごく自然な態度・行動だったと私は推察いたします。
 今回はエージェントの方針と戦術、という類のお話ではありませんでした。
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はじめまして♪

2006年10月04日 | 徒然
 はじめまして♪

 「アーティスト・ブランディング アナリスト」、井上秀二でございます。

 この肩書き、私の思いつきです(笑)。
 少なくとも私の知る限りでは聞いたことがありません。

 「それって何なの? どんなもの?」とお思いでしょうが、それはおいおい書き記していきます。

 この1年半、「mixi」で日記、レビューを書きつづけてきたのですが、音楽、ブランド、マーケティングなど仕事にまつわることは、約130名のマイミクさんたちの興味に必ずしもフィットするとは限らず、今回、ブログを開設するに至りました。

 日々のネタも尽きることはありませんし、基本的にオフのことは「mixi」、オンはこちらでと考えております(勿論、オフのネタをこちらでも書きますが)。

 クローズドCGMの「mixi」と違って、ブログはオープンですね。
 実を申しますと私、「2チャンネル」とか「ブロガー」という言葉に強い嫌悪感を抱いてきたのです(汗)。
 先入観というやつですね。なかなか自分でブログを立ち上げることに躊躇していたのです。

 そんなこともあって、ブログ開設を考え初めてからあっと言う間に1年以上経過してしまいました。

 まぁ、今日は初のご挨拶ということで。

 よろしくお願いいたします☆

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