南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

秀吉をめぐる人物相関図

2006-01-19 00:24:34 | 戦国時代
この間、下町娘とタイ料理を食べながら
戦国時代に関して話していたら、「私は
信長、秀吉、家康の3人の中では一番好き
なのはやっぱり秀吉」と言っておりました。
信長は平気で人を殺すけど、秀吉は人を殺さずに勝つ方法を考える、
信長とか家康は友達になりたくないけど、秀吉だったら友達になれる
かもしれないという理由でした。(秀吉はもうこの世の人ではないので、
友達にはなれませんけど)

昨日の信長の図に味をしめて、今回は秀吉を中心にした図解を作って
みました。名前がまるで、「出世魚」のようにころころ変わっていま
すね。日吉丸木下藤吉郎羽柴(筑前守)秀吉
そして豊臣秀吉ですね。信長とかねねからは、サルとか、はげネズミ
とか呼ばれています。最終的には太閤様と呼ばれるほどに出世します。
この出世物語一つとっても、やっぱり秀吉はドラマチックです。
晩年の老害は困りものでしたが、それまでは見事な展開です。

秀吉の図を眺めてみて気付くのは、養子だとか、親戚だとかの関係が
多いということです。ホームドラマみたいです。部下の中で、加藤清正
とかは親戚ですし、また石田三成や福島正則などはちっちゃなころから
小姓として秀吉に使えていました。いわば、ジャニーズ事務所出身の
タレントのようであります。石田三成は知性派のタレントですが、
福島君や加藤君はちょっと悪ぶってワイルドな肉体派のタレントと
言えるでしょう。

この図を見ていて、関ヶ原の分裂状態が明確に現れているのが見えます。
この図の左側でブルーの線でかこったあたりが東軍で、右の黄色い線で
かこったあたりが西軍です。東軍と西軍は、家康と三成の対立ではあり
ますが、この図を見て明確なように、実は、ねね(北政所)と茶々
(淀殿)との火花を散らすような対立でもあります。正妻と側室の
対決。それに回りの男たちが引き込まれてしまいます。

淀殿を応援するのが、イケメンエリート官僚の石田三成。(この二人は
できていたとのもっぱらの噂です)。石田三成は西軍を立ち上げます。
石田君は仲間がほしいので、友達の大谷君を仲間に引き入れます。
大谷君は、この戦は勝てないと思いながらも友情のために石田君と
一緒に戦うことを決意します。大谷君は実はハンセン病患者で身体が
不自由なのですが、関ヶ原では一生懸命戦い、命果ててしまいます。
大谷君はドラマの中では頭巾を被っていたりします。

ねねを応援するのが、徳川家康です。というか、ねねが徳川家康を
応援するというのが正しいのでしょうが、加藤清正とか、福島正則
なども出身が同じなので、ねね派です。山内一豊と千代も二人とも
ねね派です。「功名が辻」の原作のなかで、淀殿が千代を自分の
派閥に引き入れようと工作する場面が出てきますが、千代は淀殿を
好きになれません。むしろねねのほうに人間的な魅力を感じます。
そんなこともあって、山内一豊は東軍になります。もしも千代が
淀殿のほうに魅力を感じていたら、一豊は西軍に入っていたでしょう。
ささいなことで、運命も歴史も変わってしまいます。

秀吉の女性関係に着目してこの図を見てみると、正室のねねと側室
の淀殿のほかに、何人も側室がいるのですね。この前の「利家とまつ」
には松の丸殿がたしかちょこっと出ていました。これはもうハーレム
状態です。これ以外にも、信長の妹(浅井長政と柴田勝家の妻)にも
心を寄せていたという噂があります。浮気常習犯で、気が多い
すけべオヤジでした。山内一豊の妻の千代のところに夫の留守の時に
やってきて「一回だけでいいからやらせて~」と迫る場面があります。
NHKがこの場面をどうするかわかりませんが、秀吉は身体をよじって
逃げようとする千代の着物の裾から手を入れてしまうという描写に
なっています。このときはやかんのお湯がこぼれてしまって、大事に
は至らなかったのですが、秀吉はそれほど女好きのようです。

秀吉とかと比べると、山内一豊は、側室は一人ももたないまじめ夫
でしたが、人間的なスケールという点においては秀吉の大きさには
かないません。

秀吉の役はこれまでにいろんな俳優が演じていますが、竹中直人さん、
武田鉄矢さん、香川照之さんの秀吉が印象に残っています。今回の
大河ドラマでは柄本明さんがやってますけど、この人はやっぱり
演技が上手いですね。いい味を出していると思います。
功名が辻でも秀吉は注目です。

ではまた。


4 コメント

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コメント有り難うございました。 (へいたらう)
2006-01-19 13:46:01
秀吉も信長も家康も、み~んな、若いうちはいいんですよね。

年とってきて、怒りやすくなるわ、陰気くさくなるわ・・・って感じで、私としては、あまり、お近づきにはなりたくないなって感じですね。



わかいうちは、確かに下町娘様の言われるとおり、おしさん(?)を背負って生まれてきたような面がありましたが、晩年はですねー・・・。



ちなみに、柴田勝家と前田利家の間にも、直属の上司という線を入れて欲しかったですね(笑)。

それから、結城秀康も家康と秀吉の間に・・・。

注文付けるなんて、百万光年早いですね。

失礼しました・・・。
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へいたらうさま、ありがとうございます (南の国の会社社長)
2006-01-19 15:00:56
へいたらうさんは、「傾国の烙印」と、「死せる信玄生ける勝勝頼を奔らす」の著者の方だったんですね。と言っても、どちらもまだ読んだことがありません。

戦国時代のプロの方に私のようなど素人のブログを見ていただいて光栄です。私は日本の歴史に関しては、まったくの無知蒙昧のやからですので、いろいろご指摘していただけると助かります。結城秀康という人物に関しては、これまでノーマークでした。何か複雑な生い立ちの人物のようですね。

これからもよろしくおねがいします。
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ありがとう! (クロ)
2021-11-30 11:07:30
こーゆーのが欲しかったんです!!
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ありがとう! (クロ)
2021-11-30 11:07:31
こーゆーのが欲しかったんです!!
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