南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

「功名が辻」の副田甚兵衛に捧ぐ

2006-09-04 01:17:40 | 戦国時代
この上の写真はタイトルとはあまり関係がないのですが、シンガ
ポールの紀伊国屋(リャンコート店)の店内の様子です。本当は
こういうところで写真を撮影してはいけないのでしょうが、こっ
そり撮影してしまいました。シンガポールには、紀伊国屋がある
ので、日本人としては非常に便利です。

前にここで「秀吉の枷」を買って、未だに読み終わっていません。
この本の中では、淀が秀吉に対して受け身ではなく、戦略的な行動
に出るところも面白いのですが、このへんはまた別の機会に語り
たいと思います。

本日、題材としたいのは、今日の「功名が辻」35話の前半に出て
きた野口五郎演じる副田甚兵衛(そえだじんべい)です。彼は、
秀吉の妹の旭と結婚するのですが、家康に旭を嫁がせるために、
離縁させられてしまいます。その後、甚兵衛は行方をくらまして
しまっていました。

針売りの行商をしているところを千代に発見され、旭の手紙を
手渡されます。甚兵衛は、あくまでも自分が針売りであることを
主張するのですが、その寒い冬の夜、彼は旭の手紙を読みます。
座って手紙を読む甚兵衛に、次第にスポットライトが強く当たり
はじめ、旭の手紙のクライマックスのところで雪が降り出します。

このシーンの演出は、まるで演劇の舞台の演出のようで、テレビ
ドラマとしてはリアリティがないのですが、これはまあこれでよ
いかと納得してしまいました。私は大学時代、演劇をちょっと
やっていたのですが、このシーンの照明、演出は、その時代を
思い出して、なつかしくなってしまいました。人物がスポット
ライトに一人だけ浮かびあがり、手紙を書いた人物の声がかぶる。
そしてそこに雪が降る。いかにもの設定なのですが、この部分、
そのわざとらしさが、ちょっと気に入ってしまいました。

圧巻は、死ぬまぎわの旭のところに、副田甚兵衛の代理として
針売りの格好をした本人が手紙を読むという場面です。雨の降る
庭に現れた副田甚兵衛。傘をかぶっているので、その顔はわから
ない。懐から手紙を取り出す。しかしそれは文字が書かれていない。

この部分は、去年の大河ドラマの「義経」の中の弁慶の勧進帳の
場面を彷彿とさせますが、文字が書かれていない手紙という演出も
それだけでドラマチックです。野口五郎演じる副田甚兵衛は、手紙
を読んでいる振りをして、自分の気持を切々と訴えます。

「旭、そなたは、わしの生涯の妻じゃ。
そなたの気持がわかっておれば、関白殿下の頼みなどは振り切って
おったであろう。されど、もはやこの世で互いに添いとげることは
叶わぬようじゃ。この世で叶わぬならば、あの世でゆっくり語りあ
おう。互いの苦労自慢を致そう。そして笑いあおうぞ。
旭、いかなることがあろうとも、わしらは夫婦じゃ。
病をしっかりなおせ。待っておるぞ。
いつまでも、待っておるぞ」

副田甚兵衛は、この台詞をいい終わるや、姿を消すのですが、旭は
その言葉の余韻の中で、静かに息を引き取ります。

副田甚兵衛という人物は、これまでは全く影の薄い登場人物でした。
しかし、この回のこの場面は、最初で最後の見せ場となりました。
運命のいたずらで切り裂かれてしまった一つの夫婦。しかし甚兵衛
は、愛を貫き通します。一見、たいした活躍もせず、頼りない男の
ように見えた甚兵衛は、最後の最後で男らしさを見せるのです。

旭は、死の間際で、甚兵衛のこの言葉に接し、さぞ嬉しかったので
はないかと思います。また、甚兵衛も最後に、旭に直接、自分の思
いを伝えられて、満足だったのではないかと思います。

テレビでは、旭の葬儀の後、針を売り歩く甚兵衛が「旭!」と叫ぶ
シーンで終わっています。原作シナリオでは、「数日後、東福寺の
旭の墓前で、甚兵衛は自害して果てた」ということになっています
が、自害のシーンは敢えてカットされたものなのでしょう。自害の
シーンまで入れてしまうと残酷すぎてしまったかもしれません。

テレビでは、副田甚兵衛なる人物がかなり登場したのですが、司馬
遼太郎の「功名が辻」の中では、ほとんど話題になっていません。
また名前も、副田甚兵衛ではなく、「佐治日向守」という名前になっ
ています。ご参考までにそのあたりの部分を引用してみましょう。

「秀吉には、異母妹がいる。朝日姫といい、佐治日向守という凡庸
な武士の妻であった。美人ではなく、老いてもいた。四十四歳で
あった。この朝日姫を家康にあわせようと思い、夫の佐治に、
なにごとも天下治平のためだ。
と説得し、離縁させた。
佐治はこのことを恥じて切腹して果てている」

何とこれだけなのです。テレビの副田甚兵衛のキャラクターは脚本
の大石静先生のイマジネーションが生み出したものなのでしょう。
このドラマ全体の中では、マイナーな役所なのですが、こういう
脇役の中にもドラマ性があり、主筋のストーリーの周辺にいくつも
のドラマが平行して展開していくところが大河ドラマの大河ドラマ
たる所以でしょう。

戦国時代の混乱の中でも愛を貫きとおした男、副田甚兵衛。この
シーンを見ていて私が思っていたのは、実は、東京の下町にいる
下町娘のことでした。私たちは、彼らのように悲劇的
な状況に置かれているわけではありませんが、甚兵衛のように
純粋でありたいと思っております。

恥ずかしながら、甚兵衛の台詞を私用にアレンジしてみたいと
思います。
「いかなる状況にあろうとも、わしらは夫婦じゃ。
シンガポールに早く来い。待っておるぞ。
いつまでも待っておるぞ」
失礼しましたー。