南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

もしも織田信長がクライアントだったなら

2006-02-03 22:33:53 | 戦国時代
もしも、織田信長がクライアントで、私が広告代理店として
打ち合わせんに呼ばれたと想像してみました。
昨日、織田信長のせいで(昨日のブログ参照)コンピュータが
壊れるという惨事があったので、まあその復讐の意味もあって、
織田信長を笑い者にしてやろうという魂胆でこういう話しにした
ててみました。これはあくまでもて気まぐれで書いていることな
ので、歴史的な意味は全くありません。

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私はクライアントの織田信長に招かれて(というか命令されて)、
岐阜城と改名されたばかりの稲葉山城の石段を登って、指定さ
れた天守閣までやっとのことで辿り着いた。

この天守閣は山の上にあるので、ここまで登ってくるだけで、
一苦労である。50を過ぎた私には、かなりきつく、息が苦しく
て思わずへたりこむ。何でプレゼンテーションをこんな場所
に指定したのかなあ、と私はクライアントである信長を恨んだ。

「ほら、早く行かないと遅刻。遅刻したら、これよ」
と首のところに平手チョップのような格好をして立っているの
はなんと下町娘(ハートマーク省略)ではないか。
「なんでこんなところにいるのか」と息を切らしながら訊ねる
と、心配だから付いてきたと言う。

「しょうがないなあ。もしあのどすけべな木下藤吉郎が来て、
側室に来てくれと言われたどうするんだ」と言っているろころ
に、ひょこひょことやってきたのは、何と木下藤吉郎その人で
あった。

「南方よりこられたというのは貴殿のことでござりましょうや?」
下町娘のほうにちらっと好色な目をやりながら、面倒くさそうに
私に訊ねた。なるほどその雰囲気は猿そのものである。下町娘が
我慢できなくなって笑った。

「何がおかしいのでござりましょうや?」と藤吉郎が憮然とし
た表情で言う。眉間に皺を寄せるとさらに猿に似てくる。
「おやかたさまがさっきからお待ちでござるよ。はようこちらに」
藤吉郎は私たちを先導してどんどん天守閣の中に入っていく。

「天守閣の中ってもっと広いかと思ってたんだけど...」
とつぶやく下町娘に対して、藤吉郎が口にチャックをするような
格好をして、「余計なことは言わんようにね、お姉ちゃん」
とちょっとスケベったらしい口調で注意を促した。

階段を登っていくと、窓の外の下界を眺めている人物の後ろ姿が
目に入った。その、毅然とした雰囲気、漂うオーラ...それが
織田信長その人であるということは言われるまでもなくわかった。

「南の国から参った者たちをお連れ申しつかまつりましてござり
ます」木下藤吉郎の敬語の使い方はまだぎこちない。ちらっと
目配せしてそのまま去っていった。猿者(さるもの)は追わず、
というギャグを思いついたが、それはそのような場所では慎ま
なければならなかった。

振り向く織田信長。それはどことなく舘ひろしに似ている。
NHKの配役はまんざら間違いではなかったかと少し安心してしまう。
織田信長は、いつも座る自分の所定の席までつかつかと歩いて、
どっかと腰を下ろし、ぎょろっとした目を私たちに向ける。
ああ、こんなに目に力のある人だったのか、信長って。部屋中に
緊張感が漂い、斜め後方に座っている下町娘も緊張して硬直し
ている。

「そのほう南方より来たというのはまことか」
信長の声が静寂を破った。
「はいシンガポールという国から参りました」
私も緊張しているので、うわずった声でそう答えた。
「何と?シンガ?そのような国の名はいまだ聞いたことがない。
いいかげんなことを申すでないぞ。
お~い、山内一豊、あれを持て!」

まさか、山内一豊がこの岐阜城にいるなんて!こんなに信長の
近くにいるほど史実では出世してなかったのに、おかしなあと思い
ながら待っていると、山内一豊(らしき人物)が大きな地球儀を
抱えて、入ってきた。

ぺこりとお辞儀をしながら、「山内一豊です。地球儀をお持ち
いたしました」と爽やかに挨拶をする。若いわりにはなかなかの
律儀者である。

織田信長はその地球儀を右手でゆるりと回しながら、
「その国はどこにあるのか」と詰問してきた。
すでに織田信長が地球儀を持っていたという噂は聞いたことがあ
るが、実際にこういう現場で見ると、すごいインパクトである。
さすが時代を先取りしていた人物だなあと実感できる。

私はおそるおそるその地球儀に近づき、はっとして、汗がにじみ
出てきた。何とそれは昔の地図であるので、シンガポールは未だ
存在していない。インドとか、ジャワとかは何となくわかるが、
シンガポールはない(筆者注:シンガポールの建国は1965年、
歴史に現れるのは遥か後の18世紀以降のことである)。

織田信長は、目をかっと開いて、刀を抜く素振りをした。
ああ、もう、こんなあっけなく切られてしまうのか、もう
ちょっと生きたかったなあ。こんなタイミングで「人間五十年」
とか踊られた日にはどうしよう、と生きた心地ではなかったが、
信長はそれ以上刀を抜かなかった。何か思うところがあったの
だろう、ふっと窓の外に目をやると、手元の紙の上に筆でなに
ごとか文字を書いていた。

後ろのほうを見ると、下町娘が山内一豊と雑談をしている。
「今度ぜひ千代さんにお会いしたいので、よろしくお願いします」
という声が聞こえる。こんな緊張した場面で、なんということ
だとあきれるが、信長はそんなのは耳に入らぬ素振りで、紙に
文字を書いている。

信長は、腕組みをしながら、自分の書いた文字を眺め、何事か
納得したような感じでゆっくりと頷いている。そしておもむろに
両手で紙を持ち私のほうに見せながら、
「これが今回の広告のテーマじゃ!」と叫んだ。
そこに書かれていた文字は
天下布武
という文字であった。
<続く>
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登場する人物はあくまでもフィクションであり、実際の史実
とは全く関係がありませんので、ご了承ください。
時間切れで後が続かなくなりましたので、またいずれ、気が向けば
続きを書きますが、気が向かなければ続けません。

まだ新しいコンピュータをセットしないと家ではアクセスできません。
ですので、なかなかコメントもできないかもしれませんが、今しばら
くのご辛抱を。

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
何か私の初夢と似てますねw (へいたらう)
2006-02-04 18:52:52
「その方、年は幾つになる。」

「ははあ、五十にござりまする。」

「ならば、人間五十年じゃ!思い残すこともあるまい!」

「御意に候!とく打うちたまえ。」

「お待ちを!我が君は五十でも、私はまだ、その半分で御座りまする。夫の年を少し、私が戴きますれば、未だ、五十には相成りませぬ。」

「これ、下町娘殿!御屋形様は、嘘がお嫌いじゃ!」

「その方も、手打ちにしてくれる・・・。」

「しばし、しばし、お待ちを!」

「何じゃ、猿!」

「この者らは、昭南王よりの使い!それを斬っては、今後の調略にも関わりまする!」

「むむっ!」

「御屋形様!この後は、織田家の財政を支える為にも、交易は欠かせませぬ!何卒、何卒、この猿めに免じて!」

「相わかった!この者、家禄五十石にて召し抱える!励め!」



このとき、さすがの信長も、この男に本能寺で討たれることになるとは、夢想だにしなかった・・・。
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これは最高です。さすがです。 (南の国の会社社長)
2006-02-04 22:17:14
へいたらうさま、さすがにプロの方は違いますね。でも私は家禄五十石にて召し抱えられたくないですよ。そればかりは、なにとぞご勘弁を。そんなこと言ったらまた命がないかもしれませんが。
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では。 (へいたらう)
2006-02-04 22:47:13
「家禄五十石では不服と申すか!」

「恐れながら。」

「我が君、お控えなされ!」

「構わぬ!ならば、どれくらいが所望じゃ!」

「されば・・・、三河一国を所望でござりまする。」

「なんと、三河一国とな!ほざきよったな。なれど、三河は我が盟を成したる徳川三河守の領地じゃ。その方、盗れるかな。」

「盗れたなら、何と致しまする。」

「面白い!盗れたならば、その方を三河守に任じ、東国の守りを任せようぞ!なれど、徳川は我が盟邦なれば、兵は一兵たりともだせぬぞ。それでも、盗れると申すか!」

「いかにも。それがしが三河国の主となった暁には、田原に城を構えまする。」

「相解った!本日よりは、そちに官職を与える。三河守、励め!」

「ははあ、有り難き幸せ!」

「ご内儀、これで満足か!」

「ははあ、まことにもって。我が主共々、粉骨砕身、親方様のために働きまする!」

「よくぞ申した。励め!」

「ははあ。」



この後、この男が征夷大将軍として、天下の主となろうとは、さすがの信長も夢想だにしなかったであろう・・・。
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Unknown (南の国の会社社長)
2006-02-04 23:46:19
へいたらうさま、これは大変なことと相成りました。

三河の国を所望したのではありますが、はたしてどのようにすれば

それが可能なのか全くあてがありません。ここははるか西方の筑前の国

に住むという伝説の軍師、中洲へいたらう先生を招聘するしか打開策は

ありませぬ。しかし、噂では中洲先生は、夜の中洲から久里以上遠ざかるのは嫌がっているらしい。

が、真偽のほどはわからない。あるいは、何かうまい攻略法があるやもしれぬ。

聞くところによれば、中洲先生は、毛利家や武田家の軍略にも通じているとのこと。

もしや徳川家康攻略の秘法をご存じやもしれぬ。

これは三顧の礼でも四顧の礼でもして、何とか軍師として協力してもらうしかないと思うのでありますが、

はたして中洲先生のご意向はいかがでござりましょうや。

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それがし・・・ (へいたらう)
2006-02-05 10:41:05
実は祖法により、「関門海峡から向こうは怖いところだから行ったらだめ!」と言い聞かされておりましたので、残念ながら、お役には立てそうもありません(笑)。



こういうときこそ、内助の功!

お二人で力を合わせて、土佐一国ならぬ、三河一国の主となってください
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さようでございますか (南の国の会社社長)
2006-02-05 12:01:54
それではしかたございません。

我々の力だけでは非力でありますゆえ、三河一国など荷が重すぎるかと思います。自信がありません。こうなったら、竹中半兵衛先生で妥協しようかなあ。あの人はちょっと病弱のようだけど。
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