南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

アメリカ海兵隊と沖縄との関係は幕末のペリー来航の頃から始まっていた

2010-05-12 00:20:17 | Weblog

普天間基地の飛行場の移転問題で、日本のM主党政権が幕末の
徳川幕府のように絶対絶命の危機に追い込まれてきていますね。
首相一人が問題かと思ったら、回りの側近の皆様方も、首相と
一蓮托生を目指しているかのよう言動を取り始めました。かと
思えば、若手のM主党議員から批判的意見が飛び出しましたね。
幹事長に怒られちゃうよ。でも、船が沈むときは、未来のある
人は逃げ出したくなっちゃいますよね。

さて、この普天間基地の飛行場、連日話題になっておりますが、
アメリカの海兵隊の所属なのですね。飛行場と言うとつい空軍
と思ってしまいますが、この基地にいる飛行隊やヘリコプター
部隊は海兵隊の所属なんです。

海兵隊というとアメリカ映画などで、泣く子も黙るタフな
イメージがありますね。『フルメタルジャケット』や『硫黄島
からの手紙』、『ウィンドトーカーズ』などみな海兵隊ですし、
『アバター』の主役のジェイク・サリーは元海兵隊員、悪役の
マイルズ・クオリッチは海兵隊の大佐、ヘリコプター操縦士の
とルーディは海兵隊パイロットという設定です。ということは
あの映画に出てくる軍隊は全員海兵隊?海もない宇宙で海兵隊
というのがちょっとひっかかりますが、まあ宇宙は広い意味で
海といえないこともないですね。

実は米軍海兵隊って、ずっと昔からいたようです。沖縄には、
浦賀に現れる前に、黒船のペリー提督と一緒に来ていたんです。
アメリカ海兵隊はペリーの時代よりもはるか以前から存在して
いたんですが、1853年、日本に来る直前に、当時は琉球王国
だった沖縄に武力を持って上陸。物資を調達しています。
その後も、ペリーが来る度に、沖縄はアメリカの中継地点
として利用されることになっていきます。


この人が日本で最も有名な歴史上のアメリカ人(?)の
ペリーです。このペリーは太平洋を超えて日本に来たという
イメージが強いんですが、実は、大西洋を越え、アフリカの
喜望峰からインド洋を横切り、シンガポール、香港、マカオ、
上海を経て沖縄にというルートで来ているのです。

当時のアメリカの捕鯨船も東海岸を拠点としていて、パナマ
運河などまだありませんでしたから、アフリカ、インド回りで
太平洋にというルートで鯨を追っていました。メルビルの
『白鯨』の話でも、モービーディックを追って、エイハブ
船長は、アフリカインド回りで太平洋のビキニ諸島まで来て
しまいます。

ペリーなどの黒船が日本に来たのも、通商だけでなく、アメリカ
の捕鯨船が安全に航行できるための拠点が太平洋岸各地に必要
だったということもあるんですね。

浦賀に現れる2年前の1851年、アメリカ東インド艦隊の旗艦と
して、フリゲート艦のサスケハナ号(一番上の写真)は、極東
に向けてアメリカを出発します。しかし、この時の艦長は
ペリーではなく、ジョン・オーリック大佐という人。本当は
この人が、日本に条約締結を要求するために来る予定だったの
だそうです。でも途中、中国の南岸で、病気になってしまう
のです。そこで1952年末、ピンチヒッターとしてペリーが、
急遽、巡洋艦ミシシッピ号に乗って極東に向かうということに
なるわけです。

上海で、ペリーは、ミシシッピ号からサスケハナ号に乗り換え、
いよいよ黒船として日本の浦賀沖に現れるのですが、その時の
船は、サスケハナ号、ミシシッピ号、そしてサラトガ号と、
プリマス号の合計四隻。ここから日本の歴史は大きく変わって
いくことになるわけなんですね。


ジョン・オーリック大佐が中国で病気にならなければ、ペリー
は日本に来ることはなかく、日本で有名人になることもなかっ
たでしょう。しかしこの黒船に乗っていたのが海兵隊員だと
思うと、やはり海兵隊は相当の抑止力があるんですね。

普天間基地移転問題の対応を見ていると、政府の対応は黒船
の時代からあまり進歩が見られないのではないかと思うのは
私だけでしょうか?

よろしければ、こちらもついでによろしくお願いします。

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