昨年の4月から今年の3月までの1年間、社会人の多い夜間の大学院に行ったのだけれど、今月初め、そのときの同級生が集まって懇親会をした。懇親会の当日、会場の大手町の餃子屋さんで、わたしの前の席には去年の同級生で、台湾人の弁護士のTさんという女性が座った。Tさんは大学院を終えて今年から日本で仕事をしている。
最初は、Tさんは
「日本の餃子は種類が多いですね」
という話をしていたのだけれど(そのお店は17種類の餃子があった)、その後、わたしは
「忠臣蔵を知っていますか」
と聞いた。Tさんは知らなくて、わたしとわたしの隣の席にいた大学院のK先生は、二人で、日本で一番愛されている物語は忠臣蔵だと説明を始めた。
参勤交代という制度があってというところから始め(Tさんは参勤交代は知っていた)、
「浅野内匠頭という今の兵庫県を治める殿様がいて」
と続け、
「吉良上野介という人にいじめられ」
「江戸城に松の廊下というところがあって」
というように説明は続いた。
日常会話の日本語は問題なく話せ、日本語で修士論文が書けるくらいに日本語が堪能だったけれど、忠臣蔵のことは知らないTさんに、わたしとK先生は、
「いまだ参上つかまつりませぬ」
と時折台詞を交えたりしながら、一緒に説明をした。
そのとき、日本で育ったわたしとK先生が忠臣蔵の知識をかなり正確に共有していることと、Tさんが忠臣蔵のことをまったく知らずにあれだけ堪能な日本語を身につけたことに、それぞれ考えさせられるものがあった。
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わたしは38歳の時に短歌を始めた。
それまで短歌はサラダ記念日と赤光と石川啄木と寺山修司の、そのごく一部しか、知らなかった。
最近、年末のテレビは忠臣蔵があまり放送されなくなり、忠臣蔵の知識はだんだんと共有されなくなっていくのかもしれないけれど、短歌の知識は、それよりも知られていないように思う。ちなみにTさんは台湾で「ちびまる子ちゃん」をまる子の祖父がつくるものとして俳句のことを知っていたが、短歌のことは知らなかった。
大人になって始めても、短歌がつくれたり読めたりするのだろうか。短歌を遅く始めたわたしは時折そのことを考える。
この年末、日本の古本屋のサイトで、茂吉全集と子規全集と露伴全集を買った。
大人になってから忠臣蔵を知るのに似ているような気もするけれど、少し読んでみようと思う。
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最近竹中優子さんの第一歌集『輪をつくる』を読んだ。
職場詠が印象に残る。
慣れるより馴染めと言ってゆるやかに崎村主任は眼鏡を外す(15頁)
この人を傷つけないで黙らせたいという用途で作る微笑み(31頁)
川村さんが辞めて七月田島さんは背筋をのばし仕事をし出す(34頁)
朝の電車に少しの距離を保つこと新入社員も知っていて春(76頁)
ばか、図々しい、それゆえセンスの良さがきらめいて業務改善案届きたり(78頁)
仕事詠と子育て詠を比べると、仕事詠は相対的に新鮮味がないように感じることが多かった。それは、わたしたちが仕事は他人の仕事を見て学ぶからではないかと思う。でも、わたしたちがこんなに長い時間を仕事に費やしているのに、新鮮な仕事詠ができないのだとしたら、それはとても苦しいことなのではないだろうか。竹中さんの歌集は、うれしいことばかりではないけれど、仕事の上での発見がたくさん詠まれている。
派遣さんはお茶代強制じゃないですと告げる名前を封筒から消す(79頁)
お茶代にお湯は含まれるか聞かれたりお湯は含まれないと思えり(80頁)
働き続けることは食べ続けることだ胸に小さな冷蔵庫置く(84頁)