「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌時評第131回 批評にとって短歌とはなにか /後編  吉岡太朗

2018-01-05 10:16:07 | 短歌時評
三章:「作者」の逃走


 1
 ところで『誰にもわからない短歌入門』には以下のような記述がある。

 短歌の「うまさ」というのは、時として短歌を損なう。短歌において技術やレトリックというのはあくまでうたの核心を支えるものであるべきで、それ自体が読者にとってのうたの眼目になってはいけないのだ。そういう短歌は単に作者の「うまさ」を読者にひけらかすための手段へと成り下がってしまう。 鈴木ちはね

同書は「一首評」集のような形式をとっているが、「入門書」でもある。だからこのような文章も時々出てくる。「うまさ」というのは通常は肯定的にとらえられるものだと思う。けれど鈴木はその全肯定に対し、保留をさしはさんでいる。けして「うまさ」の否定そのものではないが、「うまければ、うまいほどよい」という価値観を仮想敵として攻撃している。

短歌の韻律を考えるときに、表面に現れてくるものより深部でからみあう母音と子音や拍感を大切にした方がいいんじゃないかなというのが僕のスタンス。単純な頭韻や脚韻をふんだんに使った歌は、容易にそれを指摘することができるけれど、それに気づいてしまうと、その韻を組み立てるために言葉が選ばれているのではないか、というところまで見切られてしまうことがある。(略)そういう韻を、すまし顔なお利口な感じの歌で踏まれてしまうともうキツい。「この歌、韻を踏んでてリズムが綺麗でしょう?」とアピールされてるように思えてしまうから。 
阿波野巧也

今度は個人誌『毎日の環境学』の「十月のこと(日記)」から引いた。短歌の韻律についての自説を書いているが、ここに書かれている「深部」と三上における「うたの核心」、阿波野の言う「アピール」と鈴木の「読者にひけらかすための手段」は、ほとんどパラレルに捉えることができるのではないか。阿波野はテクニカルなものは好きだ。でも、テクニカルであることにドヤ顔をしているのはきらいだとも書いている。これは今村夏子の小説の感想の言葉だが、その後で短歌の話とも結びつく。テクニックはどこまでも内面化しないと、ただの表層的なものになるということ。これがわかってないで短歌つくったり歌会の批評をやってる歌人もいると挑発的なことを言い始める。

この歌は菜の花から始まってとてもイメージ喚起力の強い歌となっている。それも短歌に親しんでいる読者に向けては「ここテクですよ」と囁くようなうまさが光っている。そのうまさは、普段なら鼻につくものなのだけどこの歌ではあまりにも無邪気にエヘヘといってるように感じられ邪険にできない。
 谷川由里子
 
 同人誌『SHE LOVES THE ROUTER』の「感覚の逆襲」から。その中の「菜の花を食べて胸から花の咲くようにすなおな身体だったら」(山階基)という歌への「一首評」から引いた。ここでの「鼻につくもの」も、阿波野の「ドヤ顔」のパラレルとして読むことができるだろう。
けれど「無邪気にエヘヘといってるように感じられ邪険にできない」という谷川の発言は、阿波野とは少し違うことを言っているように思える。この「邪険にできない」顔はどこにあるのか。鈴木が、阿波野が言うように「うたの核心を支える」ものになっているのか、「内面化」されているものなのか。恐らくそうではない。阿波野の言う「表層的な」ところにこの顔はあるのではないか。
技術を駆使しても負けないのは、作者が主体よりも強くその無邪気さに焦がれているからではないだろうかと言葉でこの「一首評」は結ばれるのだが、ここでは「作者」と「主体」が並置されて語られている。「主体」はいわゆる「作中主体」のことだろう。いつの間にこの二つの概念は向かい合うようになったのか。



 そもそも「作者」とは何か、「作中主体」とは何か。この問題を考える上で分かりやすいのは大辻隆弘の「三つの「私」」の概念である。以下、『近代短歌の範型』より大辻の議論を参照する。
 レベル①「私」…一首の背後に感じられる「私」(=「視点の定点」「作中主体」)
 レベル②「私」…連作・歌集の背後に感じられる「私」(=「私像」)
 レベル③「私」…現実の生を生きる生身の「私」(=「作者」)

 ①一首の歌の叙述の背後に想定され、視点の定点となる人物。②連作のようなひとまとまりの短歌を読んでいく時に想定する人物。③歌集を編集する個人であり現実社会の生活者でもある人物、大辻は「私」を三つに分解して考える。
 近代短歌では「私①=私②=私③」が成り立っていたと大辻は言う。一首の歌の背後に「作者」や「私像」を感じ取り、その人物イメージに裏付けられた形で一首の歌を読み直す。そういう往復運動のなかで、一首の歌のなかの「作中主体」には複雑な陰影が加わって来る。
「わが道暗し」は、作者の行く夜半の道であるが、おのずから人間的な感慨が参加しているだろう
と佐藤佐太郎が書く時、その「作者」とは一首の歌の「作中主体」でもあるし、「悲報来」という連作の背後にある「私像」でもあると同時に、斎藤茂吉という「作者」でもある。すべての意味をこの「作者」は含んでいる。
大辻は、前衛短歌運動についてこれを、「作者」から、「作中主体」や「私像」を切り離す「私①=私②≠私③」の試みだった、という認識を提示する。切り離すことで、切り離したものを表す言葉が必要になった。「作中主体」という語が多用されるようになったのは一九八〇年頃からだと大辻は指摘するから、戦後に始まった前衛短歌運動とは若干のタイムラグはあるようだが、「新しい出来事」として起こったことが「当たり前のこと」として踏まえられるようにはそれだけ時間がかかるということだろう。
それはさておき、ここで問題にしたいのは、「作者が主体よりも強くその無邪気さに焦がれているからではないだろうか」と谷川が言う時の「作者」は果たして大辻の言う「私③」のことだろうか、ということだ。
大辻は直接こんなことは書いていないけれど、「私①」「私②」「私③」という図式は、前者が後者より深い次元にあるという印象を評論の読者にもたらさないだろうか。先の引用の「一首の歌の背後に「作者」や「私像」を感じ取り」という部分を読む時、評論の読者は「作中主体」のさらに背後に「私像」があり、そのまた背後に「作者」がいる、という図式を想像するのではないか。「作者」のいる位置、それはまさしく鈴木が「うたの核心」と書く位置ではなかろうか。けれど谷川の「作者」の顔は、阿波野の言う「ドヤ顔」とパラレルな位置にあって、「表層的」なものだと読めるのである。それは本来なら「鼻につく」存在なのだけれど、その様があまりに「無邪気」で許せてしまうだけであって。
 レベル③の「私」とは、一般的には「作者」という名称で呼ばれる個人のことを指す。一首を作り、歌集を編集する個人のことである。一首を作り、歌集を編集する個人のことである。また、その個人は、現実社会の生活者として日々の社会生活を営んでいる社会的存在であるというのが大辻の「私③」についての記述だが、「一首を作り、歌集を編集する個人」と「生活者として日々の社会生活を営んでいる社会的存在」というのは、実は別々の概念なのではないだろうか。
 読者は、一首の背後にいる「私」を読み取るよりも先に、一首の表面にいる「私」の存在を把握するのではないか。その「私」とは(意味やイメージではなく)言葉としての短歌において、その言葉を現に配列したと考えられる人物のことであり、「作者の手つきが見える」というような評がなされる時のその「手つき」そのものである。「この歌、韻を踏んでてリズムが綺麗でしょう?」とアピールしてくるのは、この「私⓪」(制作者)とでも言うべき人物と考えるべきだろう。
 鈴木の言う「単に作者の「うまさ」を読者にひけらかすための手段へと成り下がっ」た短歌とは、「私⓪=私①」が成り立っていない「私⓪≠私①」の短歌のことであり、そこでは制作者の顔が悪目立ちする。だから本来なら避けられるべきことなのだけれど、谷川は山階歌を「私⓪≠私①」とみなしたまま、その歌を特別に肯定している。
谷川の読みはつまり、「私⓪」という存在を、「私①」とはけして同化しない存在として並列に扱い、それぞれ別個に「私③」とつなげて読んでいるのだろう。そして最後に一文で「作者が主体よりも強くその無邪気さに焦がれている」と言って、別々に「私③」と結び付けられた「私⓪」と「私③」を引き合わせている。
第一段階:「私⓪≠私①」
第二段階:「私⓪=私③」&「私①=私③」
第三段階「私⓪>私①」
という読みだ。おそらくこれまでにない歌の読み方だろう。ここから谷川由里子という評者の個性に迫ってみたい気もするが、しかし今はそれよりも先に考えないといけないことがある。



上述の議論が必然に生む問いがある。「私③」からの「私⓪」の切り離しは、「私③」という概念自体の変質をも意味するのでないか。「私⓪」と区別した「私③」とは果たして何か。「私⓪」と「私③」はどのような関係に位置づけられるのか、という問いだ。
 
画像は、絵の具や画布といった現実的な支持体と、非現実的な絵の中の世界すなわち、像世界、という二つの層とが一つになったものであり、そのことによって、例えばわれわれのいる部屋という現実世界に、非現実の世界が開かれる。 森田亜紀

森田亜紀は『芸術の中動態』において、ドイツの哲学者オイゲン・フィンクの論文を参照しながら、このように語る。ここでの「画像」という語は、絵画のようなものが想定されていると思われるが、森田の著作は「芸術」のジャンルを限定していない。だからここでの「画像」もある程度広く捉えてよいだろう。短歌も「現実的な支持体」(言葉そのもの)と、そこから読者によって感じ取られる「像世界」(内容、つまり景や意味やイメージ)によって成り立っていることは間違いないのだから。
この理解において「私⓪」(制作者)はどの位置にいるだろう。制作者は「像世界」つまり内容に直接働きかけることはできない。それは「現実的な支持体」つまり言葉を介することによってしか不可能なことだ。一首の短歌に悲しみの印象をもたらしたければ、悲しみを呼び起こすような語を一首の中で用いるしかない。では「私③」はどこにいるのか。

表現したい内容であれ、つくるべき作品の構想であれ、作者の意図であれ、あらかじめ何かがあったわけではない。しかし作品は、そういう何かの実現(reslisation)として成立している。精神的意味的なものが物質的感覚的形象に表されている。つくり手はそこから遡り、そこに見て取られる意味内容や構想や意図などを、日付を遡らせて自分のものとする。     つくり手には、それがもともと自分のもっていたものだったと思える。 同

 森田は、今度はフランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティをもとに語る。作品を作るということは、あらかじめ「伝えたいこと」があって、それを現に伝えるということではない。作品が完成された時に結果としてその作品が有している「伝えたいこと」を、「これが自分の伝えたかったことなのだ」と思い、それを自分のものとして引き受けるのである。この時に制作者は作者となる。そのようなメカニズムが作品作りには存在するのだと森田は言う。これを便宜上メカニズムAとする。
メカニズムAは短歌においても生じる。一首や連作は、「あらかじめこうしよう」と思って、その思い通りに設計されるものではない。もしそんなものだとしたら、当初の思いの強さだけが勝負になってしまう。そんな単なる思い合戦が千年以上も残るはずがない。本論の一章で引いた「客観視できるやうな悲歎なら始めから高の知れたものだし、主観の高揚をそのまま感動には変へ得ぬ」という塚本の言葉をもう一度引用してもよい。
また短歌においてはある原則がある。今ではどれだけ守られているかわからないが、けれどそれがあること自体はいまだ忘れ去られずにいる「書かれたことは実体験である」という原則である。その原則の次元においても、同様のメカニズムは恐らく働くことであろう。そちらはメカニズムBと呼ぼう。
メカニズムBの例を挙げる。原則に全く忠実な人間が、たとえばある体験をもとに、十首の連作を作るとする。完全に体験そのままということはまずあるまい。体験を言葉に落とし込み、それを定型にあてはめる際に、体験はおのずと変容する。言葉にするとは、短歌にするとはそういうことだ。どれだけ似せて作ろうが、似せきれない部分を詞書で補おうが、生の現実をそのまま短歌にすることは原理的に不可能である。そもそも「似ている」ことは「異なること」を意味する(これは評においての、塚本邦雄の「不安」とも同じ構造をしている)。だからできあがった十首の連作は、自身の体験ではありえない。その「私」のものではない体験を「「私」の体験である」と判断するのが、原則に忠実な人間にとっては「短歌の作者になること」なのである(だから短歌には原理的に虚構が内包されている)。これがメカニズムBである。
ここには二人、いや三人の「私」がいる。
一:「現実の体験の中の「私」」
二:「作品の体験の中の「私」」
三:「「現実の体験の中の「私」」を「作品の体験の中の「私」」であると判断する私」
 この内の三の「私」が「私⓪」である。そして二の「私」こそが「私③」である。一の私は「語りえぬもの」である。大辻の議論は読者から見た「私」についてのものである。現在のこの議論はそれを制作者から見た「私」の側から検討しているから、一は大辻の議論の範疇を超えている。このことは大辻自身もはっきりと書いている。生身の「作者」は読者には分からない。したがって、レベル③の「私」は、正確には「読者が想像しているところの『作者』と思しい人物」としか、言い得ないものである。
「私⓪」は制作を行い、その完成に立ち会う。完成された時、「私⓪」は作品の最初の読者となる。そしてその作品の背後にいる「私」のさらに背後にいる作者の「私」を、「「私」である」と判断するのだ。



もちろんそれはメカニズムBの原則に忠実な人間に限った話である。そうでない人間は「三において一と二を結びつける」ということをしない。これが前衛短歌のケースである。大辻はこのケースを「私①=私②≠私③」と表したが、これは「私⓪≠私③」(※)で表されるべきケースなのである。
けれど前衛短歌においてこの切断は完全なものではない。なぜなら前衛短歌の作者が、作品の作者であることを放棄していないからだ。そう、前衛短歌の作者はメカニズムBこそ否定するかも知れないが、メカニズムAはしっかりと受け入れているのだ。

歌:園丁は薔薇の沐浴のすむまでを蝶につきまとはれつつ待てり 塚本邦雄

評:園丁とは、すなわち塚本邦雄その人にほかなりません。 菱川善夫

歌:少しでもきつくないように鶏のあし括りやるすすんで妹は 平井弘

評:この「妹」は、もちろん作品のなかで創られた妹ですが、妹を通して、女は戦争に対する良心の代名詞だ、という通念に対して、平井弘は、はっきりと異議と唱えております。 菱川善夫

菱川善夫の「塚本邦雄『水葬物語』全講義」と「遅れ方の課題――平井弘と大江健三郎」からそれぞれ歌と評を引いた。どちらにおいても菱川は作品に対し、「隠喩を読み取る」というかたちで、作品から作者を読み取っている。
ここから言えるのは、近代短歌から前衛短歌への転換とは、読者論的に見るならば、実はメトニミー(換喩)からメタファー(隠喩)への転換なのではないだろうか、ということだ。近代短歌の読みとは大辻的に見るならば、部分と全体の関係である。一首の「作中主体」(「私①」)を、連作や歌集中の「私像」(「私②」)の断片であるとみなし、その「私像」もまた「生身の作者」(「私③」)の一面であるとみなすものである。
それに対し前衛短歌においては、作中の人物や作中に登場するモチーフは「作者」の何らかの思想や心情その他のメタファーである、とみなされる。それは「私⓪≠私③」の壁を、作品を手掛かりに(「私①」や「私②」を参照しながら)直接乗り越えようとするものだ。
作者の次元において、確かに前衛短歌は作品から「私」を除外したものかも知れない。けれど読者の次元においては、むしろ「私」は濃厚になってしまうことがある。なぜなら作品の中の「私」ではないものも、読者の読みのよって「私」にされてしまいかねないからだ。
「作者」がどれだけ「私」を隠そうとしても、読者はそれを執拗に暴き立ててしまう。もちろん「ここには「私」がいない」と容易に諦める読者もいるが、菱川善夫のように優れた追跡者もいる。そしてこのような追跡者は、自らの狩猟の成果を「評論」のかたちで他の読者に発信してしまう。だからこれは「作者」の問題ではなく、読者の読みの側の問題なのだ。
読者が変わらない限り、「作者」はこの逃走からは逃げ切れない。


※:この「私⓪≠私③」の「≠」と、谷川の「一首評」への言及で見た「私⓪≠私①」の「≠」は、言うまでもなく同じ意味ではない。そもそも元になった大辻の議論に登場する「物語読み」(詳しくは大辻の著作を参照のこと)における「=」も、他の読みにおける「=」と同じ意味ではないだろう。「私」と「私」の関係は「=」と「≠」だけで表すことが可能なほど単純なものではない。けれどその複雑さをすべて記述することも、場合によっては無用な混乱を招くことになりかねない。当の大辻自身、「三つの私①~③」(『近代短歌の範型』)という私の読者論の論理モデルは、汎用性がある便利な論理モデルなのだろう。が、汎用性がある、ということは精緻さに欠けるということでもある。まあ、「たたき台」程度のものとして、読者論の論考にお使いいただければ、と思いますとツイッター上で発言している。大辻の「三つの「私」」は、大辻の問題を考える上でさしあたり用意された便利なものさしなのだ。だから私の「四つの「私」」も大辻の概念について異議を唱えたり、その更新をはかったりするものではない。単にそのものさしを自分の問題にあわせてカスタマイズしたというだけのことである。




四章:「読み」以前



短歌における<私性>というものは、作品の背後に一人の人の――そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです。岡井隆
『現代短歌入門』から引いた非常に高名な文章である。近代短歌の読みも前衛短歌の読みも、どちらも「一人の人物」に向かうことには変わりないというのだ。けれどこの岡井のテーゼは本当に絶対的な真理だろうか。岡井の言う「一人の人物」抜きで「表現として自立」することは本当に不可能なのか。
この文章は『現代短歌入門』の第十一章「私文学としての短歌」AとBという二人の人物の(恐らくは架空の)対談の中で、Aという人物の発話として現れる。もちろんAは岡井の分身であろうし、岡井の意見であることは前後の文脈から考えても間違いないわけだが、岡井自身の言葉ではないのである。岡井自身このテーゼが相対化される可能性は、頭のどこかにあったのではないだろうか。そんなことを想像してしまうのは、ある若い歌人が書いたこんな文章があるからである。

「言葉はそれだけで存在する」ということを、私は馬鹿の一つ覚えのように本気で信じている。歌はできた瞬間に私を離れ、言葉として自ら思考し意味をなす。作者としての私は、その営みにまるで関係がないし、入り込む余地がない。 望月裕二郎

歌集『あそこ』の「あとがき」から。望月の言っていることはつまり「私はメカニズムAを受け入れない」ということだ。もちろん完全に受け入れていないわけではない。そうであれば歌集に自分の名前を記すことすら耐え難いだろう。だから付け入る隙がないわけではない。けれど、私と作品は別なのだから、そこに「私」を読み取っても無駄だ、というメッセージ自体を発信していることには変わりない。
もしかしたら、一首の短歌に命を吹き込むのは、作品の背後に見える「一人の人物」(「私」ないし「私」を反映した人物)ではない。言葉自身が命を持っているのだ、ということも言っているのかも知れない。そうだとしたらすごいことだ。「一人の人」なしで「表現として自立」することができると言っていることになるからである。
もちろん彼がそのように主張するだけではだめなのだ。それは「作者」の側の主張にすぎないのだから。それは読者の読みを変化させる決定打とはなりえない。けれど、あるのだ。濱田友郎というさらに若い歌人が書く「「それだけで存在する」こと」という評論が。本論では評論中の濱田の「一首評」を取り上げたい。



ひがしからひがしにながれる風に沿い右目をあずけたのは鳥だった 望月裕二郎

あらゆるポイントで従来の読みが通用しない、すなわち「実際に見た鳥なのか、象徴的な鳥なのか」云々の読みを受け付けずとあり、この抽象度の高さにもかかわらず、「風」「鳥」の持つ詩的な美しさを損なわず、かつ「ひがし」「右」といった方向や位置の指定には、なにか新しいタイプの事実がそこにあるような説得力がありと続く。具体的な状況はつかめないまでも、一般的なことばのままでストーリーのようなものがうっすら暗示され、結果的に読者の読みはしらべや言葉の手触りにもっとも集中する。ことばそのものにフォーカスがあたるというのが読みの結論だ。
驚くほど何も解明されない評である。むしろ不用意な解明を拒んでいる評である。「ことばそのものにフォーカスがあたる
」という一文はこう言っているようにも見える。「ことばを見よ」と。それは佐藤佐太郎の「歌を見よ」にも近いかも知れないが、そちらが「敢えて語らない」だったのに対し、こちらは「語ろうにも語れない」だ。濱田はそのような読みの八方ふさがりの状況を提示することで、読みが成立せずとも短歌を味わうことが可能であることを証明しようとしている。
思えば、歌人は歌を「読む」ということに慣れ過ぎているのかも知れない。ここでの「読む」とは文字通り、上から下に読み下すことではなく、そこに解釈を施すことだ。すなわち「私①」を作中の背後にいる人物を読み取り、一首の歌を「その人物の認識する景やイメージである」として捉えなおす行為だ。確かにそのような捉えなおしを経ることで、深みや旨みが増幅する歌は多くあるだろう。けれどそればかりをしていると、それが通用しない歌を、ただ「分からない」と一蹴することになるのではないか。
「ひがしからにしに」ではなく、「ひがしからひがしに」と一つの方向にのみフォーカスしている。「右目をあずける」、これは風にあずけるのではなく、あくまで風に沿って、あずけるのだ。「右目をあずける」というフレーズの象徴性がひたすら高まる。全体としては何も解明しない濱田の「一首評」は、作中の視点のことや語の象徴性については細かく触れている。
けれどそのことを何とも結びつけようとしない。つまり「私①」に還元することもないし、「私⓪」の制作者の手つきをそこに見ようともしない。普通なら作中主体の○○のような状況や心情を反映していると言ったり、作者の○○と思わせたいという意図が隠れているなどと言ったりするのではないか。「だからどうなのか」を濱田は言っていない。「ただそうなのだ」と言っている。彼は「ことばそのもの」を見ているのだ。そして「ことば」自身の持つ(けして背後の作中主体に由来するのではない)強度について語っている。
 この歌の主体を確定しようと議論をしても大して成果は得られないだろうというのは、他の望月歌への評だが、この何気なく使われている「成果」という一語は注目に値する。批評とは何らかの「成果」を目的とするのだ、という価値観がそこに透けて見える。


 3
 書評とは書物を対象にして公正な作品を作ることだ、といってよさそうな気がする。もうすこし注釈を付けくわえれば、公正なということが作品を作ることであるような作品をつくることだ。吉本隆明

 書評と批評は同じではない。けれど以下の文があるためにこれを引いた。書評はときとして批評がやる懺悔(ざんげ)のようなものではないかということだ。/書評にこころが動くのは、殺傷したり、切り裂いたりせずに批評をやってみたい、という無償の均衡の願望のような気がする。
 ここから批評について分かることは、①吉本の言う「書評」は批評の一形態であること。②その「書評」とは「殺傷したり、切り裂いたり」しない批評であること③つまり批評とは基本的に「殺傷したり、切り裂いたり」する行為であること。そして恐らく➃批評とは、対象に必ずしも公正とはいえない作品を作ることであること。
 批評とは「作品」なのだ。そしてそれは対象を傷つけることによって作られるものである。傷つけるというのは批判するということではなさそうだ。ところで実際にわたし自身がやっている書評は、公正なということが作品を作るところまでいくまえに、努力や労力を惜しんで途中で目をつぶったままの裁断を繰りこんでおわってしまっているという文章は感覚的で真意がつかみづらいが、おそらくこの「目をつぶったままの裁断」というのは、「書評」の書き手の独自解釈による断定ということを言っているのではないかと思う。そしてこの「裁断」と「殺傷したり、切り裂いたり」はおそらく同様のことを言っている。
 短歌の批評において、独自解釈を含まないことはほぼ不可能に近い。背後に作中主体がいる、ということさえ独自解釈と言える。それは共同体によってしばしば「公式」な「読み」とされているものかも知れないが、もとをたどればそれも誰かの「読み」である。
独自解釈は元の短歌を傷つける。壁に一度大きな傷をつけてしまえばその傷を見ずに壁を見ることができなくなるように、ある歌に対して非常に有効な「読み」を示した場合、その「読み」を知ったものは「読み」を意識せずにその歌を読むことは不可能に近くなる。一章の穂村弘の部分で書いた「その評の存在なしに私がこういう風に歌を読めたかどうかは非常にあやしい」はその裏返しだ。
それに何よりもその「読み」を成した者自身が、その「読み」に囚われる。一人の人間の「読み」は、いつどこで読んでも同じというわけではないだろう。読むたびに印象は変わるはずである。けれど「読み」を言葉にした時点で、それはある程度固着する。新しく読む際もたいていの状況では、過去の自分自身の言葉がどうしようにもなく頭をよぎってしまうからだ。そのような意味で批評は短歌に対して不可逆な効力をもたらすものである。
 ならばなぜ人はそのような不可逆な殺傷をもたらすのか。それが元の短歌に対して有効に働くと思うからか。それもあるだろう。けれど別の考えもできる。これはほとんど仮説とも言えない邪推のようなものに過ぎないが、先に引いた岡井の文章、「そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです」は以下のように読み替えられるのではないか。
「そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前に注記しましたが)を予想することなくしては、短歌の「読み」(あるいは批評)は、表現として自立できないのです」と(※)。
 つまり作品の背後に「私①」を想定し、さらに背後に「私②」「私③」を見出していくことは、短歌の「読み」や批評にとって都合がよいのだ。そのような人物を想定することによって、歌は読み解きやすく、語りやすいものになる。そうなれば歌を取り巻く言説が作られやすくなる。いわゆる「歌壇」のような短歌の共同体の存在は、このような言説の流通が生み出すものだろう。


※:岡井のテーゼには別の相対化の方法も考えられる。「一人の人物を予想」することは、短歌をそれ自体より大きなものとしてみなすことである。大辻の『近代短歌の範型』にも岡井隆の「一人の人物の顔」も、直接的には、このレベル②の「私」=「私像」のことを指していると思われるという言葉があるから、少なくとも連作レベルの大きさがないと短歌が自立できないことが示されている(ただし岡井は「一首が連作に従属する」ということは述べていない)。岡井のテーゼには大きさへの志向があるように思える。その志向には多分に時代的なものが含まれているような気がする(たとえば、いわゆる第二芸術論への反駁のような)。
けれど短歌の魅力をその短さ、三十一音で完結していることに見出すこともできる。大辻は「刹那読み」という「読み」を提示している。この「読み」をする読者は「作中主体」の奇矯な発言や特異な行動に心奪われる。彼らにとっては、一首の歌を読んだ刹那に感じる衝撃力だけが重要であり、「私像」や「作者」には興味を持たないとのことだが、大辻のこの「読み」は、厳密には真に「刹那」とは言えない。「作中主体」の存在を前提としている時点で、「刹那」ではないからだ。私が短歌を始めるきっかけとなった短歌の内の一首である世界樹の繁りゆく見ゆ さんさんと太陽風吹く死後の地球に(井辻朱美『水族』)には、ただヴィジョンだけがある。ヴィジョンを見ている人物を想定する読みもできなくはないがそのような「読み」は、「ヴィジョンだけがある」という「読み」に強度の点で敵わない。ここには宇宙的な規模の景がわずか三十一音に凝縮されているという感動がある。大辻のものを「刹那読み」とするならこれは、それよりも小さい時の単位「六徳読み」や「虚空読み」とでも呼びうるだろう、もっと単純に「ヴィジョン読み」でもよいと思う。だから「三十一音が見せるヴィジョンそのものによって短歌は自立することができる」というテーゼを、岡井のテーゼに対立させることもできるのだ。誤解がないように述べておくが、私は岡井のテーゼを批判しているのではない。それは絶対的なものではなく、ある程度は相対的なものである、ということを言いたいだけである。


 4
 いま村をだれも走っていないことそれだけのおそろしく確かな 平井弘

 初読から何年も経つがいまだに怖い。怖さを産み出している機構を言いあてられないからだ。個人誌『ZAORIKU』VOL.4に収録された安田直彦の「平井弘作品 的 私 読解」は、平井弘作品二五首に対する「一首評」集である。こちらはその五つ目の「一首評」である。この評の特徴は、作中主体や背後の「私」のようなものを前提とせずに語っていることだ。七つ目の評には「主体」の語が登場するから安田自身がそのような語を用いないわけではない。この歌が安田に用いることを避けさせたのだろう。
 私はこれを、誰も走っていないと確信できるほどの静けさとして読んだとあるが、誰が「確信」しているのだろう。作中主体ではないのか。けれどそこには言及しない。
 くわえて「それだけの」と「確かな」がある。これらふたつは状況を限定し、固定させる語である。ゆえに、ここはうまく言葉にできないのだが、どちらも歌を制動しているようなのだ。震えを止め、歌は静まるとある本当に「うまく言葉にできない」のだろうか。たとえばここに作中主体の心理を読み取ることができないだろうか。この韻律には作中主体の「怖い」という心理が反映されているのではないだろうか。けれど安田はそうは読まない。
この、歌そのものが死体になっていくような恐怖がいまも拭えないと書く安田が表現しようとしているのは、「作中主体の恐怖」ではなく、安田自身の「読み手自身の恐怖」なのだ。この二つを読み換えることはたやすい。「読み手自身の恐怖」を「作中主体の恐怖」に転移させてしまえば、そこからいくらでも論を展開できる。この歌は読み解こうと思えば、いくらでも読み解けるはずなのだ。読み解けば、その過程で「恐怖」は解体されて解消される。けれどそれをすることは本位ではないのだ。
安田は、自らの恐怖をやすやすと手放さないために、作中主体を想定しないことを、作品を読み解かないことを選んだ。どこか歯切れの悪いこの「一首評」は、そのような選択のもとに成り立っているように思える。



つまり「評論」とは平たく言えば、「読む事」である。短歌の世界で「読み」を軽視する人はいないだろう。三宅勇介

再び「短歌評論の意義について」から。確かにそうかも知れない。けれどその「読み」よりも以前に読む行為があるだろう。作品の文字列と読者のまなざしとが交差する瞬間が。「読み」以前の読む行為においては、読者と作品だけがある。その二者関係は、次の段階である「読み」において背後の「私」が出現することにより、三者関係に組み直される(「読み」を言葉にすれば、評の読者が生じて四者関係になるだろうか)。私と作品とのかかわりは作中主体という第三者を通した間接的なものとなる。
短歌の「読み」とは、「批評」とは、「評論」とは、そのような不可逆性を伴う、作品を傷つける編集行為なのだ。だからといって「読み」を「批評」を「評論」を糾弾するわけでも否定するわけでもないが、それらにそのような性質が含まれていることは忘れずにいたいと思う。




おわりに


 三章において私は「「読み」以前の読む行為においては、読者と作品だけがある」と書いた。けれどこれは厳密な認識ではないかも知れない。

 まず表情が見えてくる――表情には「私がものを見る」という図式、私とものとの二項から知覚を捉える図式にした場合の、(見られる)事物や世界を、その実在性や意味を含めて成り立たせる成分と、(見る)私が私としてあること、こういうかたちや構えであることを成り立たせる成分とが融合しているのではないか。表情の知覚、表情の体験の中から、(見られる)事物や世界と(それを見る)私とが分離してくるのではないか。森田亜紀
 
 再び『芸術の中動態』から。ここではドイツのユダヤ系哲学者エルンスト・カッシーラの論をもとに、表情体験の根源性が述べられている。まず表情がある。そこからその表情を持った対象と、その表情を認識する私が分離し、そこで初めて「私が対象を見る」が成立するという議論である。表情とは何か。
「青々とした」空「蒼さめて冷ややか」な影、「あわたゞしく起き上が」る落ち葉、「ざわざわざわつ」く林……。(略)表情は、われわれが日常出会うすべてのものの表情にまで広げて考えることが可能であろう。(略)視覚にとどまらず、聴覚や触角なども含んだ知覚一般の領域にわたっていると思われる。それは印象という語に近いかも知れない。けれど「私の印象」という風に私に所有されるものではない。それは私に先立ってある印象であり、そこから「印象を持つ私」が生まれてくるような、そんな印象である。それは私以前であり、、私を超えている。
短歌の「読み」は読者が創造するものかも知れないが、短歌を読んだ時の印象は読者のそんな賢しらな能動性の支配下にはない。かといって純粋に受動的な体験でもない(※)。Aという短歌に感動するということは、「感動」という現象であると同時に、「Aという短歌に感動した私」を生成する力のはたらきそのものでもあるのである。

われの生まれる前のひかりが雪に差す七つの冬が君にはありき 大森静佳

短歌を読んでいる時。
その文字列が発するメッセージを読み取ろうと、目を凝らしている時。
その時にだけ見えるひかりがある。
あのひかりは何だったのだろう。
歌をまだ読めていない時に感じたあの雪の照り返しの美しさ。
今この時に見る「ひかり」も確かに美しいが、あの時のひかりと比べればすでに精彩を欠いている。

これは私の文章だ。大森のこの歌にはひかりの表情があった。それが失われて「ひかりを見た私」と「ひかりを宿していた短歌」が残った。その喪失体験についてこの文章は書いている。
君はわたしの知らない冬を七つも知っている。その冬にもまた雪は降り、ひかりによって照り輝いていたのだろう。わたしにはそれが見える。わたしには君が遠い。君はわたしのそばにいるのに、七つの冬を隔てた場所にいて、わたしは永遠に君まで辿り着けない。でも、その隔たりが、その暗がりがなぜか不思議にひかっている。ああそうか、それは雪に差すひかりなんだ。
ああ、これはどうしようもなく解釈なのだ。
あるいは美しい解釈なのかも知れない。
けれど、解釈の意味性に着地してしまった今、その解釈をベースとしてしか、イメージを感受することができなくなっている。
ひかりはもはや意味に飼い馴らされてしまった。
良い歌ではあると思う。
けれどもう良い歌でしかないものにされてしまっている。

ある歌を「良い歌だ」と言うとする。そう口にするものの内に、その「良さ」は残存しているだろうか。その「良さ」は、「良い歌だと認識する私」と「良い歌だと認識される歌」に分化してしまったのではないだろうか。
批評の始まりとは、ある意味で短歌の終わりだ。すべての批評は失われたものに向けて書かれる。だからすべての批評にはどこか弔いの性質があるように思う。塚本邦雄の「不安」とは、喪われたものをこの手で取り戻そうとする執念が、けれどあと一歩のところで届かないことによって生じるものではないだろうか。
また菱川善夫の「ひかりになること」への志向は、もはや取り返せないという諦めのもとに始まるものではないだろうか。月を指すには指が必要である。だが、その指を月と思う者はわざわいなるかな(鈴木大拙)。月になれないことを自覚した上で、指であることに徹する(引用した禅の話とは「月」の意味が異なるが)。それぞれにそれぞれのスタンスがあり、それぞれのスタイルがある。それはそれぞれに肯定されてよいだろう。
そして、それならば何も語らないという立場もあっていいだろう、と思うのである。
 私は、歌会が好きである。
 歌会は、作者が目の前にいるところがいい。そしてその目の前にいる作者たちの最新作を、自分の最新作一首と引き換えに読むことができるのが素晴らしい。私の渾身の一首が彼らの短歌が紙のなかで互いに、こう、立ち向かう。
谷川由里子
 再び三章で引用した「感覚の逆襲」より。短歌をはじめた頃は歌会が楽しくて歌会にばかり行っていた(それこそ多い時は三日に一回ほど)私は歌会で育ったようなものだから、この意見にとても共感するのだけれど、時々、歌会がとても嫌になることがある。その嫌さは多く「他人の歌に批評をしたくない」というかたちを取る。なぜしたくないかと言えば、評の言葉が嘘くさく思えてしまうからだ。
歌会での言葉は他の参加者に向けて語るものだから、語りはどうしても聞き手を意識したものとなる。できるだけ体感にそった評をしたいと思っていても、本当に体感そのままは語りえないし、何とか語ろうとすれば意味不明の言葉になる。それにいわゆる「よい評」をしてよく思われたいというような不純な気持ちもおのずと混じる。そんな上っ面の「よい評」を切実な口調に乗せて、あたかも本心であるかのように語れたりすると気持ちがよいが、それは体感を裏切る行為であり、同時に自分の中に毒がたまっていくような気がしてしまう。またコンディションによっては他人の評がすべてそんな薄っぺらなパフォーマンスにしか聞こえないこともある。
それでも歌会はしたいから、時にはそんな風に毒がたまることのない歌会、ただ黙して歌を読み合うだけの会もあっていいと思う。みなで「読んだ」という体験だけを分かち合う会。今考えているのはそういうことだ。
 語ることは体験や認識や印象を一つの方向へ導き、一つのかたちに結晶化させる。沈黙のままにとどめておけば、それらは結晶化することなくたゆたいつづけるのではないか。そのような沈黙の可能性を今私は追及してみたいと思っている。
 

※だから森田は中動態という語を用いるわけである。といっても中動態は能動態と受動態の中間という意味ではない。中動態についての説明は本論の範疇を超えているので、ここでは省略する。なお森田の著作は中動態という概念を、あくまで芸術の受容/制作体験を説明するための道具として用いているようなところがあり、中動態そのものの理解としては國分功一郎『中動態の世界――意志と責任の考古学』をすすめる。
 



引用文献一覧
三宅勇介,「短歌評論の意義について」,『短歌研究』二〇一七年七月号,短歌研究社.
佐藤佐太郎,『茂吉秀歌(上)』,一九七八年,岩波書店.
塚本邦雄,『茂吉秀歌『赤光』百首』,一九九三年,講談社.
京極夏彦,『底本 百鬼夜行 陽』二〇一三年,文藝春秋.
ベルクソン,真方敬道・訳,『創造的進化』,一九七九年,岩波書店.
穂村弘,「歌の翼に」,(80年代の歌第4回),『短歌ヴァーサス』No.004,二〇〇四年,風媒社.
瀬戸夏子,「穂村弘という短歌史」,『町』2号,二〇〇九年,個人発行.
菱川善夫「歌の海」,『歌の海――現代秀歌抄』(菱川善夫著作集1),二〇〇五年,沖積舎.
    「物のある歌」,同書.
    「塚本邦雄の生誕」(「塚本邦雄『水葬物語』全講義」)『塚本邦雄の生誕――水葬物語全講義』(菱川善夫著作集2),二〇〇六年,沖積舎.
    「遅れ方の課題――平井弘と大江健三郎」,『千年の射程――現代文学論』(菱川善夫著作集9),二〇一一年,沖積舎.
三上春海・鈴木ちはね・寺井龍哉・石井僚一,『誰にもわからない短歌入門』,二〇一五年,稀風社.
阿波野巧也,「十月のこと(日記)」,『毎日の環境学』,二〇一七年,個人発行.
谷川由里子,「感覚の逆襲」『SHE LOVES THE ROUTER』,二〇一七年,個人発行.
大辻隆弘,『近代短歌の範型』,二〇一五年,六花書林.
森田亜紀,『芸術の中動態』,二〇一三年,萌書房.
岡井隆,『現代短歌入門』,一九九七年,講談社.
望月裕二郎,『あそこ』,二〇一三年,書肆侃侃房.
濱田友郎,「「それだけで存在する」こと」,『京大短歌』22号,二〇一五年,京大短歌会.
吉本隆明,『読書の方法 なにを、どう読むか』,二〇〇一年,光文社.
井辻朱美,『水族』(井辻朱美,『井辻朱美歌集』,二〇〇一年、沖積舎.)
安田直彦,「平井弘作品 的 私 読解」,『ZAORIKU』VOL.4,二〇一七年,個人発行.
 鈴木大拙,工藤澄子・訳,『禅』,一九八七年,筑摩書房.

引用URL一覧
otsuji28(大辻隆弘),「Twiiteer」内,二〇一七年七月二十九日二三時五九分の投稿.
https://twitter.com/otsuji28
(最終閲覧二〇一七年十二月二十四日)

吉岡太朗,「一首評の記録」,(「京大短歌」サイト内) .
http://www.kyoudai-tanka.com/cgi-bin/review_show.rb?index=99
(最終閲覧二〇一七年十二月二十四日)
 
※なお引用した文中には、今日の観点からは差別的とみなされうる表現が含まれているが、論旨の都合上省くことのできない部分であり、原文のまま引用した。



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1 コメント

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語らないことの雄弁 (しごん)
2019-03-25 16:52:31
何も語らない、というのがむしろ作者のスタンスを雄弁に語っている気がします。
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