「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌相互評13 中山俊一から伊舎堂仁「なぞなぞ」へ

2017-11-30 14:10:37 | 短歌相互評

(編注:歌のあとの数字は連作における歌の位置です)

なぞなぞ、とあなたの声が言ってきて なぞなぞだった、しりとりじゃなくて  二

 伊舎堂仁『なぞなぞ』を読むにあたって、タイトルにもなっているこの歌から評をしていきたいと思う。違和感を覚えるのは<あなたが言ってきて>ではなく<あなたの声が言ってきて>という表現。あなたの実体はそこにはなく、声だけがどこからか聞こえてくる。生活のふとした隙間に昔の恋人との会話が頭を過るイメージに近い。

 この歌には、あなたが<なぞなぞ>と言ったことに対して、わたしは<しりとり>ではないかという憶測を挟むのだが、結果的にはやはり<なぞなぞ>だったというような思考の流れがあるように思う。こういった思考回路を丁寧に伝える面白さが伊舎堂作品には多いのだが、この思考回路の面白みはどこにあるのだろうか。

 コミュニケーション(とくに男女間)には、<しりとり的コミュニケーション>と<なぞなぞ的コミュニケーション>がある。前者は、ただの言葉のラリーに過ぎない言わば他愛もない会話だが、後者は相手の求める回答を探り、的確に答えなければいけない難解な会話である(平たく言えば、仕事と私どっちが大事なの?的な)。これに対して、しりとり的な受け答えをすると相手に嫌われたりもする。

 歌の場面に戻る。恋人はあのときわたしに対して、ひとつの答えを求める言葉を投げかけた。それに対してわたしはしりとりのような言葉で受け答えをしてしまった。答えるべき言葉を見つけたときには、あなたの姿はなく、あのときの声だけが今も耳に残る。

 一首として読むと、強引な読みに思われるかもしれないが、連作として読み終えたとき、そう思えて仕方がなかった。

うけつつもひいたり別にだいじょうぶだったりしながら 相模湖にいた   一

 そこで冒頭の歌に戻る。この歌は二人の関係がまだ良好だったときの歌だろう。相模湖という穏やかな場所のなかで、会話や意図の行き違いがありながらも二人は関係性を保っていた。連作の導入にふさわしい一首で、ここから時間経過を挟み、二首目以降は回想を入れながら現在へと進んでゆく。

こんな駅であなたにガストをおごってる場合なんかじゃなかった夜と   三

夜の仕事 夜も仕事、はじめるねって聞いていったら〈も〉だった夜よ   四

2万円くらいおろして行く駅の曲がったらへんで懐かしかった   九

 三首目、四首目そして九首目の歌。「こんな駅」とはどんな駅か探るため歌が前後してしまうが九首目の歌も取り上げた。連作の流れから、ここに出てくる二つの駅は同じ駅だろう。「こんな駅」という揶揄した言い方や「2万円くらいおろして行く駅」、そして四首目への歌の繋がりを踏まえると、この駅は新宿や渋谷、または鶯谷や錦糸町などの酒場やラブホテル、風俗店が立ち並ぶ場所であることを想像する。ふたりが相模湖という穏やかな場所から随分と猥雑な場所へと辿り着いてしまったことに物語性が潜んでいる。

 三首目と四首目は歌の構造から対になっており、同じ夜に起きた二つの出来事をそれぞれ歌っている。これらの歌を二人の関係性が行き詰まった歌、別れ話の歌として読んだ。ファミレスという賑やかな空間がかえって二人の関係を浮き彫りにしているのだが、<夜も仕事をはじめるあなた>に<ガストをおごっているわたし>、この二人が同じテーブルに座っていることの悲哀が見事に映されている。わたしの夜とあなたの夜の乖離がここにはあり、二人の関係性の亀裂を感じさせる。

 そして五首目以降からは個人の苦しみが歌われることになる。

どうすればいいんだーとかってうっすらずっとふざけられるのがいいと思います   五

大丈夫なわけないだろ 遊星 とかって辞書で引いているのに   六

ノンアルコールビールのこそこそ感・・・じゃない? じゃないかなぁ 思うけど   七

前けっこうもてた変質者になりたい たおれて寄ったらもう死んでいる   八

 失礼な言い方になるが、会話の相手を失い、独り言の数が増え、言葉がどこへ向かっているのか分からない印象。そこが面白いというかよく理解できる感覚なのだ。

 <どうすればいいんだー>や<大丈夫なわけないだろ>は自身の素直な心情の吐露と思うが、その言葉が行方もなく浮遊していることの儚さ。<いいと思います>というやや投げやりな言い方や<遊星>という言葉の選び方がそういった印象を与えている。また七首目<じゃない? じゃないかなぁ 思うけど>と最終的に言葉が自己対話に向かってゆく虚しさ。何が<ノンアルコールビールのこそこそ感>なのかは然程重要ではなく、そういった些細なことさえ共有し合える相手がいないということがこの歌の重要な要素だろう。

2万円くらいおろして行く駅の曲がったらへんで懐かしかった   九

帰ったら動いててのりしお味で見たら畳で運んでたアリ   十

 九首目は先程も取り上げた歌だが連作の流れを汲むために重複するが記載する。読みでは別れ話をしたガストのある駅に降り、恋人との思い出を懐かしむ歌のように見えるが、それは続く十首目の心の揺らぎにも表れている。

 恋人との思い出がボディブローのように効いてるなか、自宅に戻り十首目へと至る。誰もいなくなったはずの部屋に何やら動くものが目に映る。五首目以降、自分ではない誰かを求めていたわたしにとって、それはより鮮明に映ったのだろうか、一気に動くものへと視線が寄ってゆく。のりしお味? ここで寄り過ぎた視線がズームアウトしてゆき畳全体を見渡す。そこで初めてアリがのりしお味のポテトチップスを畳のうえで運んでいたことがわかる。この歌は一見すると文体自体に歪みがあるように感じるが、実は自身の目線の動きを忠実に書き並べたものではないか。文体そして目線の揺らぎが、自身の心情の揺らぎと干渉してリアルな手触りが残る歌になっている。

 連作『なぞなぞ』は一首単位では読み切れない謎が含まれた作品だった。連作として読むべき作品であることは間違いないが、一首一首が自立していて、そこから読者が背景を読み解くことを期待している作風だ。この評もその背景のひとつに過ぎない。短歌はなぞなぞではないので読者によって様々の答えが生まれたら素敵に思う。

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