「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 高村典子さんから受け取ったもの、第二歌集『雲の輪郭』にまつわる思い出 望月遊馬

2015-03-29 16:54:36 | 短歌時評
 高村典子さんという歌人のことを思う。まだ知り合って間もなかった彼女の凛としたその筆跡であるとか、口からこぼれでることばであるとか、そういった事柄に魅入られてしまえば、たちまち、彼女の短歌に近づけたかのように感じられるのである。
 高村さんが一度目のくも膜下出血で倒れて、彼女のことばを奪ったとき、彼女は「話すこと」を失い、そして、短歌を失った。ことばを失う、つまり失語症により、彼女はそれまで所属していた「かりん」を退会することになる。しかし、そこから驚異的な意志力によって、高村さんは自らの力で、ことばを、短歌を、奪還したのだった。
 そうして詠まれた第一歌集『わらふ樹』は、失語症のこと、大好きなピアノのこと、ベートーヴェンの「熱情」のことなどが丁寧に綴られている。
 はじめて高村さんと出会ったのは、facebookである。突然、高村さんの方から友達申請をしていただき、恥ずかしながらその当時、私は高村さんのことを存じ上げていなかったのだが、高村さんのfacebookのページを訪れ、ピアノのことなどが書かれているのを目の当たりにして、ああ、高村さんもピアノがお好きなのだな、とたちまちfacebookの友達申請を承認してしまったのである。
 私もピアノが好きで、その日以来、高村さんとは繁忙にメッセージのやりとりをするようになった。ピアノのこと、短歌のこと、詩のこと、家族のこと、絵画やお能のことまで話しているうちに、お会いしてみたいな、と思うようになり、機会があって上京するときにお会いしようという約束をとりつけた。
 高村さんと私は、年齢が三十歳以上離れているから、叔母と甥のような関係ですね、と高村さんは笑っておっしゃっていらしたが、私は純粋に年の離れた友達ができたことがうれしかった。
 高村さんの第二歌集『雲の輪郭』は、私が高村さんと知り合ったあとに出版された歌集で、あるとき高村さんが、「第二歌集のタイトルを何にしようか迷っている」とメッセージをくださったことがあり、私は、タイトルをつけるのはあまり得意な方ではないので、あれこれと思いを巡らせていたのだが、最終的にタイトルが決まったようで、「歌集が上梓するまでは秘密にします」とうれしそうに語っておられたのが印象に残っている。
 その第二歌集『雲の輪郭』であるが、高村さんご自身のことばによれば、第一歌集『わらふ樹』は、悲しみや負の感情を機動力にひとつのまとまりを構築した歌集であるのに対して『雲の輪郭』は、そういった負の要素をそぎ落としてまた別のベクトルへ歩みだす、歩みはじめた、「はじまりの歌」なのだと。わたしはそう受け取ったのである。
 こんど上京したときに、『雲の輪郭』の感想を高村さんに伝えようと(私は短歌には明るくないので、専門的なことはいえないけれど)心をこめて、一首、一首、読むことを心がけ、素敵だなと思った自分の感覚をしんじて、その歌の載っているページには付箋をはったら、本は付箋だらけになってしまった。
 その中から、私がもっとも好きな一首をここに載せることにしたい。

大切なものから記憶失せゆくか欅に風の船が来てゐる

 「大切なもの」から受け取るまなざしを、私たちはいつでも胸にしまって日常に降りてゆくから、たとえば欅に訪れた風も、ここでは「うつくしい現象」であって、それは「」という現象が「船」という現象に置き換えられる唯一無二の瞬間として切り取られる。その瞬間の刹那的なうつくしさも、また大切なもののように思える。これは自己本位の読み方であるが、評論や批評ではなく、エッセイであるのでお許しいただきたい。
 私がこの歌を好きだというと、高村さんは非常にうれしそうでいらっしゃった。
 私はその日、はじめて高村さんとお会いしたのである。
 食事をしながら、いろいろな話をした。それはfacebookでも話した内容とかぶっていたかもしれない。けれども、直接お会いしてお話をするということの尊さを、私は思うのである。高村さんはインターネット上でも、凛とした方だったが、実際にお会いしても、やはり凛とした方だった。そして、ちょっぴり感情が溢れすぎるところがあって、何か話すたびに涙ぐみ、そして、お洒落で、とても素敵な方だった。
 私はその日のことを忘れないだろう。
 帰り際に、こんどは一緒にピアノリサイタルを聴きに行きましょう、と約束をした。そして、私はそれをとても楽しみにしていた。
 しかし、これが高村さんとお会いした最初で最後の機会になろうとは、思いもしなかった。
 二度目のくも膜下出血は、高村さんの命を奪ったのである。
 もう会うことのできない、ことばをかわすことのできない、年の離れた友達の最期を思うたびに胸のつまる思いがした。
 それでも、第二歌集『雲の輪郭』は、世界に刻みつけられて、これだけは誰も奪うことができない。
 高村さんは、世界に「ことば」を刻みつけたのだ。

短歌評 一体化の悲しみ  山田露結

2015-03-29 16:32:50 | 短歌時評
 いやあ、まいりました。とうとう三回目です。どうして私のところに短歌時評の依頼が来るのでしょう。毎回言いますが、私は、短歌のことはよくわからないし、ほとんど読まないんですから、本当にもう、書くことないんですよ。ましてや、時評だなんて、今、短歌の世界で何が起こっているかなんて、何にも知らないのに。まったく、困りました。これはもう、嫌がらせか、イジメか、拷問か。などと憂鬱な気分になりつつ、「詩客」に掲載されている過去のいくつかの短歌時評に目を通してみました。

 いや、どう言ったらいいのでしょう。何か、私の知らない世界での、特殊な細菌の研究についての論考でも読んでいるかのような、いや、すみません。こうした立派な時評と並べられて私の拙い文章が掲載されるのかと思うと、非常に気が重く、何やら、朝起きたらいきなり「次はお前だ。頼むぞ。」と言われて、無理矢理メジャーリーグのバッターボックスに立たされてしまった小学生みたいな、悲しい気分にさえなってくるのです。
 とはいえ、何か書き出さなくては、と頭を抱えていたのですが、そんな私にも好きな歌人がいることを思い出しました。笹井宏之さんという人をどういう経緯で知り、歌集を手に入れたのか、今では全く思い出せませんが、歌集「ひとさらい」を読んだときの、奇妙な白い光に包まれて体が軽くなっていくような、得体のしれない気分をよく覚えています。

内臓のひとつが桃であることのかなしみ抱いて一夜を明かす 笹井宏之

 ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』では、ヒロインのクロエの肺の中に睡蓮の蕾ができてしまいますが、ここでは「内臓のひとつが桃」になっています。桃に形状が似ているといえば心臓でしょうか。桃という、人間の身体とは縁のない果実を自らと一体化させてしてしまうことがこんなにも途方に暮れた気分にさせるものかと。でも、考えてみれば、地球上に誕生した一番最初の生命の源から、さまざまな進化の過程を経て生命が多様化して行ったということを思えば、あらゆる生命はそもそも親類同士だと言うことも出来るはずで、ですから、ここに登場する桃も進化の途上のどこかの地点で別れてしまった、人類の遠い兄弟のようなものとして存在しているのかもしれません。遠い兄弟でありながら、明らかな異物である桃を体内に宿す悲しみを思いながら、私は胸が締め付けられるような、たまらない気持ちになるのですが、きっと、人には「たまらない気持ち欲」みないなものがあって、私が笹井さんの歌集を開くのは、大抵、自分が、そんな、たまらない気持ちになりたいと欲求しているときなんじゃないかなと思ったりしています。

 笹井さんの歌には、こんな風に人間と人間ではないものを一体化させてしまう手法がしばしば見られます。

家を描く水彩画家に囲まれて私は家になってゆきます        〃
トンネルを抜けたらわたし寺でした ひたいを拝むお坊さん、ハロー 〃


 水彩画家に囲まれながら家として完成してゆく私。寺になってお坊さんに拝まれる私。どちらも一読コミカルでありながら、自分ではどうすることも出来ない不条理な宿命を背負い込んでしまった悲しい自画像のようにも思えます。

 私が笹井さんの歌を読むとき、いつもかならず思い出す絵があります。石田徹也さんの絵です。石田さんの絵の多くは、やはり人間と人間ではないものを一体化させて描かれています。ときに飛行機だったり、建物だったり、便器だったりする作者自身と思われる人物の憂鬱な表情を見るたびに、私は、笹井さんの歌を読んだときと似たような、たまらない気持ちになるのです。笹井さんも石田さんもずいぶん若くして亡くなっているのですが、そんなところも少し似ているような気がします。

 そもそも人間には、自分と自分以外のものとを一体化させたいという願望が本能的に備わっていると思うのです。男女の営みを考えてみれば、その願望はごく自然なもののようにも思えますが、その一体化願望の対象が、異性ではなく、あるいは、人間でもないという場合には、途方もないうしろめたさ、息苦しさが付き纏ってしまうものです。

 私は普段俳句をつくります。それで、以前から、この、笹井さんや石田さんの用いる一体化の手法をなんとか俳句に持ち込むことは出来ないかということを考えていました。が、これがなかなかうまくいきません。実際に作ってみて思うのは、俳句の字数の中では、内臓が桃であったり、私が家になったり、寺になったりという人間と人間ではないものを一体化させた非現実を、非現実のまま断定的に扱うことがすごく難しい、ということです。(「ごとく」とか「ように」といった比喩的な表現であれば、それほど違和感なく扱えるようにも思いますが、まあ、これは単に私の技量不足が原因だと思います)。

 ただ、詩歌というのは、それを介して現実と非現実を行ったり来たりするための装置という側面があると思うのですね。俳句では写生という方法が昔から根強く残っていて、正直、長い間、多くの人がそれを、あるいはその延長線上にある方法論を繰り返し繰り返し追究しているだけのような気がしないでもないのです。もちろん、現実の中に非現実、あるいは超現実を見出す、ということも可能だとは思うのですが、それとは逆の、非現実から現実を見出す作句法みたいなものが定着したっていいんじゃないかなあ、などと勝手に期待をしてみたりもするのです。俳句だって、せっかく言葉で作るのですから、写生に相対して言葉の側から現実を捉え直してみる、というやり方が確立されて、一般化してもいいんじゃないかと。

 う~ん、いや、何だか、話が収拾のつかない方へ向いはじめてしまいましたが、さて、ここまで書いてきて、私のこの文章が短歌時評でも何でもないことに気がつきました。どうしましょう。困りました。

晩年のあなたに窓をとりつけて日が暮れるまでみがいていたい   〃

 歌集「ひとさらい」のあとがきで笹井さんは『短歌は道であり、扉であり、ぼくとその周辺を異化する鍵です。』として、そのあとに『風が吹く、太陽が翳る、そうした感じで作品はできあがってゆきます。ときに長い沈黙もありますが、かならず風は吹き、雲はうごきます。そこにある流れのようなものに、逆らわないように、歌をかきつづけてゆくつもりです。』と語っています。そこにある流れのようなものに、逆らわないように。ああ、そうでした。手法だの方法論だのと、私は、ずいぶん、無粋なことを言って、作品をつくるために一番大切なことを、どうして私は作品をつくるのかという一番根っこの部分を、忘れてしまっていたようです。すみません。私に窓をとりつけて、笹井さんにみがいてもらわなくてはなりません。



短歌評 ~守中章子歌集『一花衣』を読む~ 田中庸介

2015-03-29 15:44:13 | 短歌時評
 守中章子さんの第一歌集『一花衣』(思潮社)は、一筋縄ではいかない作者の芯の強さを感じさせる衝撃的な歌集だ。作者は前夫ならびに長女と死別し、仏教寺院の住職と再婚。故人らを悼みつつ、あるいは、みずからの寺で行われる葬儀のご遺族らを支えつつ、自身は現世の「生」を生ききろうとする。

 私にとって短歌は、死なないためのロープです。強靭な、重い、良く使い込まれたロープ。生きることはときに深い淵の縁を歩くことであり、冷たい流れを徒渉ってゆくことです。流されぬため墜ちてゆかぬため逸脱しないためまっすぐに立つため、できればほほえんでひと日を終えるために、歌を読み、歌をこつこつ書いています。短歌に出会うまえ、歌のない自分がどのようにしてこの生をたどって来たのか、思い出すことができません。
(「あとがき」)


 どれほどの詩人、また歌人が、これほどまでに強い「歌」への現実的信頼を熱く語ることができただろうか。そのことに、まず驚く。たとえば、D.H.ロレンスのタイトルを援用した吉増剛造氏の『死の舟』(書肆山田、1999)というような過去のすぐれた書物をひもどいてみると、そこにあるのは、ミューズの名を借りた死神との闘いだった。詩人は「閾」を超えるべきものとしてア・プリオリに措定されており、凡庸なる此岸の領域から離れ、非凡なる彼岸の領域の「ヴィジョン」へと、いかに言葉の力を借りて近づけるか、それがミューズが詩人らに課してきた問いであった。残念なことに、この問いによってふらふらと死の幻想にからめとられ、向こう側に自分で歩いていってしまった不幸な仲間も数多い。彼らにとって詩とは、自らの頸をくくるロープ。しかしそれを、守中さんはあえて、自らが虹の絶顛をよじのぼるためのロープとして、再定義しようとしているらしい。しかしこれは、まったくどういうことなのだろう。

 ひよどりが長く尾をひくゆふべにはゐ音が庭にゆらゆらと落つ
 爪を切る音の鳴る間に呼びかけるそこにゐますかふたりゐますか
 きみはもつと知りたいのだね それゆゑに生かしておかうと言はれる夜更け
 ひよどりはふたこゑ鳴けり行くものと還るものとの交はる空に
 杳くなるまへにお帰りHallelujah(ハレルーヤ)鵯(ひよ)は来ないよもうこの庭に

(「ひよどりが」部分)


 庭に落ちている「ゐ音」っていったいなんだ。まさか「イオン」ではなかったろうし。この歌集には「ゆかの上にねむるをのこは母音にてしづかに応ふをををゐゆゐゑ」というような、どうやら「麻の葉のけむるにほひ」を漂わせながら書かれたらしい秀歌(「異郷の夏」)もあるが、そこには「にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった」(加藤治郎『ハレアカラ』1994)というような、あのバブルの時代のニューウェーブ短歌への、色濃いオマージュが感じとれる。吉本隆明に『記号の森の伝説歌』(1986)というタイトルの不思議な詩集もあったが、まさにこの「わ行」のひらがなへのフェティッシュな偏愛は、「詩」をみずからの内面の現象から紙の上の事象へと移行させ、記号論的に客観視するための足がかりとなるものであった。いったん詩歌が「つくりもの」であるということを確かに認識すれば、それは、発達の過程で誰もが仮装を一度は経験することがどうしても必要なように、文学の自己完結性による人間疎外から、創作者の魂をはるかに解放することになる。「そこにゐますかふたりゐますか」と夕べの「ひよどり」に「ゐ音」を二回も使って呼びかけると、それが霊魂の使いとして「ふたこゑ」鳴いて飛び去っていった、という「ひよどり」の物語や、あるいは亡弟の魂の化身である魚のエイが「裏木戸のよこ」に突然現れるという「鱏に会ふ」の連作の、能楽を思わせるほどに幻想的な、数々の霊的なイメージ。それは世俗的な民間信仰のいわゆる「不吉」や「ケガレ」というタブーを乗り越えたその先にある、虚々実々の根源的な魂の交歓だ。
 この「きみはもつと知りたいのだね それゆゑに生かしておかうと言はれる」というのは、ゆるぎない創作者としての特権的な実存を獲得した作者自身のマニフェストでもあると思われる。「もつと知る」ためのものである以上、作者のいかなる行為も、そして生そのものも、ある特殊な、創作的な意味を付与されたものとなる。このような創作者としての自恃は、童話作家や美術家あるいは小説家の場合にはいくぶん目に親しいものであるけれども、ことに日本の現代詩において特に永年抑圧されてきたものである。むしろそこでは実存と創作とが逆接的であり、苦労のために苦労するようなことこそが創作者のあるべき姿であるというテーゼを、なぜか過剰なまでにお互いに要請しあってきた空気がある。
 ここにおいて、詩における実存と創作の関係をなんとかして順接のものに転換できまいか――、というのは、評者自身が永年にわたり唱えて来た念願の一つでもあるのだが、本作からはその一つのすぐれた回答をいただけたように思えた。やはり現代詩の創作から出発したという作者は、短歌が育んできた「実相観入」という齋藤茂吉の生の順接性の思想にめぐりあったときには、きっと水を得た魚のような心持がしたことだろう。未来短歌会の恩師の岡井隆氏とともに茂吉の足跡を追ったという旅行詠の連作群は、茂吉のドイツ留学時代のすぐれた仕事を思い出させる佳篇だ。作者は職業上、たくさんの死に交わりつつも、あくまでもそれは当面自分自身にはかかわりないものとして、今は自らの生の季節を、破壊的なまでに謳歌したい。そのようなフィナーレの「うつせみ」の連作のピカレスク的な人生観は、三月二十八日の批評会の席上で良識派の黒瀬珂瀾氏の眉をさすがにひそめさせたほどだが、この本にとっては十分すぎるほどに十分な大団円となっている。

 「破壊セヨ」白いシーツに覆われてくすくす笑ひながら運ばる
 底なしの悦びですね階段に坐りて桃をこのやうに剝く
 はしけやしワルツを踊るスカートはマグノリア咲く窓に近づく
 あやまたずライオンを射る たてがみに向けて愉悦を送らむか いま

(「うつせみ」部分)


「ニューウェーブ」の三氏がそれぞれの位置につき、磐石な体制で船出したようにいったん見えた現代口語短歌の情況は、しかしここへ来て、文語と口語のミックスタイプの歌ががぜん勢いづいて、さらにまた面白くなりつつある。「」や「ライオン」を次々と仕留めていく狩人タイプの作者は、意外にも東直子さんのオセロの達人っぷりにも通じるところがあるのではないか。この新たな才能の出発に、心からのエールをおくりたい。