わたしの好きな詩人

毎月原則として第4土曜日に歌人、俳人の「私の好きな詩人」を1作掲載します。

私の好きな詩人 第99回 -萩原朔太郎- 渡辺玄英

2013-04-27 12:13:17 | 詩客
詩の事件        渡辺玄英

 好きな作品(詩)をいくつも書いている詩人だけど、どうも好きになれない人は何人もいる。むろん作品が良いことが何よりも大切だから、それはそれでいいのだが、やはり人物のほうは好きになれないというのは仕方のない。「好きな詩人」とは、単純に好きな詩を書いた詩人という意味にはならないだろう。もっと別の価値、もっと特別な要素が必要だ。
 けれどもこんなことをくどくどと書いていると、ただのひねくれ者と思われそうだ。話を前に進めよう。「好きな詩人」とは少しニュアンスが違うのだが、「恩義を感じている詩人」なら、すぐにある詩人が思い浮かぶ。萩原朔太郎だ。
 
殺人事件

とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。

しもつき上旬のある朝、
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の十字巷路を曲つた。
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者はいつさんにすべつてゆく。


 中学の二年生の時、国語の授業で、有名詩人の詩がたくさん掲載されたプリントが配られた。西脇順三郎の「雨」(当時はぴんとこなかった)とか、高村光太郎の「道程」(当時も今も嫌いだ)とか、所謂名詩を紹介するプリントだった。と思うのだが、授業のことはまったく記憶に残っていない。朔太郎の「殺人事件」の衝撃で他のすべてが吹っ飛んでしまったのだ。大胆で美しいコトバ、鮮烈なイメージに心を奪われた。未知の扉が開いた瞬間だった。
 一行目のいきなりで不穏な空間設定。二行目でのダメ押し。「玻璃の衣裳」のこの世のものとは思えぬ光質感。「床は晶玉」から数行の映画のような自在なカメラワーク。「まつさをの血」、「なかしい女の屍体」という印象的なことばの果てに、「つめたいきりぎりすが鳴いてゐる」のだ。もう泣くしかないではないか。
 この詩が人生を変えてくれた。詩が自分を生かしてくれた。詩が自分にとっての表現の可能性で、武器になり得ると気づかせてくれた。萩原朔太郎のおかげで救われた。これ以上の恩義はない。

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