町田康の詩の好きなところを言葉にするのは難しい。突然くるのだ。がつんと。すごい言葉が。
たとえば、こんな詩のタイトルがある。
「オッソブーコのおハイソ女郎」
詩の中身は読んでいただければわかるので割愛。とにかくタイトルのオッソブーコ。オッソブーコという言葉との距離感が絶妙で驚く。たぶんわたしは一年に一回オッソブーコというかいわないか、もしかしたら一回もいわないかもしれない。活字で見かけるのはもうちょっと多いように思うが、とにかく語彙のすみっこで埃をかぶっていたものが急に目の前に提示される、というか刺しにくる。びっくりする。それから何回もいいたくなる。オッソブーコ、オッソブーコ。
次に引用するのは「こぶうどん」という詩の冒頭だ。
あんな、食券買え言うてんねん、食券。そこ、ほら、機械、見えたあるやろ、あかんねん、いきなり入ってきて「こぶうど
ん」とか言うても。
『こぶうどん』より
詩の冒頭から関西弁でまくし立ててくる。わたしはこぶうどんというものを知らなかった。もしかしたら関西ではメジャーなのかもしれないが知らなかった。
しかし音からかろうじてイメージできる。たぶん昆布が関係している。もしくは瘤状の何か。でもやっぱり昆布ではないかと思う。うどんに瘤状の何かが入っていたらもっとメディアなどで取りざたにされ知らない人はいないような具合になるのではないか。私事ではありますが、変わった料理をとりあつかったテレビプログラムや本などが大好きでよく見ている。うどんに瘤が入っていたら絶対知っている自信がある。
そういうわけで検索したら「小麦粉を練って長く切った、ある程度の幅と太さを持つ麺またはその料理」とある。それはただのうどんだ。こぶうどんの説明はない。必要がないということかもしくは検索が下手。
とにかくこの言葉のチョイスがやはり絶妙。きつねうどんとか月見うどんじゃないところがいい。こぶうどんをよく知っている人にはこの感覚はないのだろうか。お気の毒なことである。そしてこぶうどんも何回もいいたくなる。こぶうどん、こぶうどん。やはりいい。
ちなみにこの詩は衝撃の結末が待っている。関西弁のリズムと不条理が大爆発する。未読の方はぜひ読んで欲しい、というか詩集を全部読んで奇妙な世界に引きずりこまれる感覚を味わっていただきたいと、日々考えている。
もうひとつ町田康の詩で好きなところがある。古典の教科書に載っていそうな言葉がでてこなさそうなところででてくるところだ。オッソブーコが世界のすみっこから、こぶうどんが異世界から刺しにくるとしたら、それらは時空を超えて刺しにくる。
天香具山で猿が十姉妹をかじっている
『天狗ハム』より
古池や
弾をかわして
水の音、が聞こえている。
『古池や 刹那的だな 水の音、が』より
働き奴の手にポンカン、色わろし
『しかあらへぬ』より
詩全体が古文のような趣きで統一されているわけではない。電気釜や銃撃戦などの単語と並んでいるのだ。こちらの常識をぶっこわしにくる。なんだかかっこいい。ロック。いや、パンク。