『資 本 論』 を 読 ん で み ま せ ん か
先月末、「大阪維新の会」が、教育委員会の異論を押し切って、大阪府教育基本条例案を大筋で決定しました。そして23日にはじまる府議会では維新の会が過半数を握っており、ほぼ原案どおり可決される見通しとも言われています。
同条例案は前文で「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかった結果生じた不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」などと述べ、政治家である知事が「教育の目標」を決め(6条2項)、それに従わない教育委員は知事によって罷免する(12条2項)などとしています。つまり教育内容や教育制度に、直接、政治家が介入しようというのです。
橋下同会代表は、「教育に民意が十分に反映されてこなかった」から、だから選挙で選ばれた知事が「教育の目標」を決めれば、民意が反映されると言います。しかしそういう橋下代表は、他方で「すべてをマニフェストに掲げて有権者に提起するのは無理です。……選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」(12日朝日)などとも述べています。つまり選挙に勝てば、白紙委任されたも同然であり、だから知事のやりたいようにやるのだ、というわけです。だから「民意を反映する」などというのはまやかしであり、ただ知事の反動的な意向をストレートに教育にも徹底させようとするものにほかなりません。
しかし教育に時の権力が直接介入することを許せば、どういう結果になるかは、戦前の軍国主義教育が国民を戦争に総動員する上で、大きな役割を果たしたことを考えれば、あまりにも明らかです。だからこそ、その反省の上に立って、戦後の教育基本法の第16条は、「教育は不当な支配に服することなく行われるべき」と定め、教育への政治の不当な介入を否定してきたのです。
橋下代表の狙いは、こうした戦後の教育の大原則とでもいうべきものを覆し、知事が教育内容にも介入して、ファッショ的な統制と管理を教育の中にも持ち込もうというものです。
もちろん、私たちは一部の自由主義者のように、教育は「中立であるべき」などという理念を振りかざす気はありません。なぜなら、ある時代の支配的な思想は、常に支配階級の思想にほかならないように、ブルジョア社会のもとでは、教育もまたブルジョア教育にしかなりえないからです。しかし、そのことは教育が支配階級の支配の道具に堕すことを容認しなければならないことを意味しません。資本・賃労働の関係の下では、労働者の賃金は、労働力の価値以上にはなりえません。しかしだからといって、労働者が賃上げを求めて闘う必要がなくなるわけではないように、教育に対する権力の不当な支配とも労働者は闘って行く必要があるのです。「教育の中立」といったありえない理念のためにではなく、資本の支配との闘いの一環として闘うのです。
マルクスも『ゴータ綱領批判』のなかで、綱領が「国家による普通・平等の国民教育」を掲げていることを批判して、教育への国家の影響を排除すべきことを次のように主張しています。
〈「国家による国民教育」はまったく不適当だ。一般的な法律によって国民学校の財源、教員の資格や授業科目などを規定すること、またアメリカ合衆国でおこなわれているように、国家の視学官がこれらの法規の実行を監督することと、国家を国民教育者に任命することとは、まったく別のことである! 逆に、政府と教会のどちらも、学校にたいしていかなる影響をも及ぼしえないようにしなければならない。〉(全集19巻31頁)
橋下・維新の会代表のファッショ的な企みを断固粉砕しましょう。労働者の闘いをさらに発展させるために、共に、『資本論』を学びましょう。
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第43回「『資本論』を読む会」・案内
■日 時 2月19日(日) 午後2時~
■会 場 堺市立南図書館
(泉北高速・泉ヶ丘駅南西300m、駐車場はありません。)
■テキスト 『資本論』第一巻第一分冊(どの版でも結構です)
■主 催 『資本論』を読む会(参加を希望される方は連絡くださいsihonron@mail.goo.ne.jp)
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