『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

2012-02-25 23:44:58 | 『資本論』

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

 

◎関電、全原発停止

 関西電力は21日未明、福井県にある高浜原子力発電所3号機(出力87万キロワット)の原子炉を停止しました。これで関電の11基あるすべての原発が停止したことになります。当面の電力需給は安定していますが、関電は夏の需要ピーク時には大変なことになるなどと「危機的状況」を強調し、「電力の需給安定には、原子力の再稼働が不可欠」(八木社長)などと述べています。

 ところがおかしなことに、関電は、大阪府や大阪市の電力需給の詳しいデータの公開要請にはガンとして答えようとしていません。節電への協力を呼びかけながら、それが必要である裏付けとなるデータの公開を拒み続けているのです。これは一体、どうしたことでしょうか。

 それは恐らくデータを公開すれば、これまで原発に反対する人たちが主張してきた、原発がなくても日本には電力需要を十分にまかなうだけ発電設備はある、という主張を裏付けてしまうからではないかと思われます。

 というのも、私の知人は関電で長く働き、今はすでに定年退職していますが、彼のいうには、これまでは、原発の稼働率を上げるために、関電管内の火力発電所の多くは停止ししてきたというのです。だから停止した火力発電所を再稼働すれば、十分電力の需要に応じることが出来るだけの余力を今の関電は持っていると言います。例えば多奈川第二火力発電所は定格出力は120万キロワットです。これがすべて停止したままなのです。あるいは海南火力発電所(同210万キロワット)もその一部は停止したままです。

 もちろん、停止している火力発電所を再稼働すれば、それだけ燃料代がかかるかも知れません。しかし、老朽化して危険極まりない原発を再稼働して、放射能の恐怖にさらされるより、よっぼとましというものではないでしょうか。

 関電にとっては、原発は“ドル箱”であり、稼ぎ頭なので、何としても原発を動かしたいとの思いがあるのは分かるのですが……。

◎ロビンソンの問題を再び議論

 さて、今回の学習会はやや違った趣のもとに始まりました。というのはNさんが、彼は第41回の報告で紹介しましたように、第12パラグラフに関連して、ロビンソンが飼っていたのはヤギなのに、どうしてマルクスはラマにしたのか、と問題提起をされた方ですが、今度は、同じ第12パラグラフに関連する資料として、大塚久雄『社会科学における人間』(岩波新書)からロビンソンに言及しているところ(96-110頁)をコピーして資料として持ってきてくれたからです。だから学習会は、まずこの資料に一通り目を通すことから始めました。そしてその中身について、若干の議論を行ったわけです。その詳しい内容を紹介することは、やはりこの報告のなかでは主題を外してしまうので、出来ませんが、大塚氏のこの著書は、コピーされた部分を読むだけでも、細かく見て行くと色々と問題が多いものでした。だからここでは、主要な点に限って、その問題点を指摘しておきたいと思います。

●わざわざマルクスの取り上げている問題を、近代経済学(ブルジョア経済学)の「資源配分」という用語に置き換える

 さて、この大塚氏の著書は、1976年のNHK人間大学における講義を新書に再編したもののようですが、同氏は、マルクスがロビンソン物語で問題にしているのは次のようなことだと述べています。

 〈このマルクスの指摘する基本的な諸事実は、実は、われわれが現在使い慣れている語で言いかえますと、物的ならびに人的資源の配分、簡単に資源配分とよばれているものですね。〉〈経済の本質が資源配分である〉〈およそ経済現象なるものはつねに「資源配分」の問題だ〉云々。

 確かにマルクスがロビンソン物語を取り上げているのは、これまでの報告でも指摘してきたように、あらゆる社会的生産諸形態に共通する物質的な生産を人間と自然というもっとも抽象的な契機に還元して考察するためでした。しかしそれを〈物的ならびに人的資源の配分、簡単に資源配分とよばれているもの〉だと捉えるのは、決して正しくありません。そもそもマルクスは商品の物神的性格の秘密を暴露しているのです。その内容を紹介するに際して、物神崇拝に取り込まれたカテゴリーである〈物的ならびに人的資源の配分〉などという用語を使うこと自体、おかしなことです。ましてや、それがマルクスの主張していることだ、などと説明することは途方もないことではないでしょうか。おまけに大塚氏は〈「資源配分論」はいわれる近代経済学の方のレパートリーのなかに含まれている〉などとも述べており、そのことを先刻承知の上で使っているのですから、何をか況んやです。

 〈人的資源〉という用語を調べてみますと、次のような説明があります。

 〈資源ということばは……主として人間の利用できる天然資源 natural resources を指すようである。しかし,一方〈人的資源〉なることばも使われ,この場合は人間がみずからを客観的に見て,なんらかの目的の達成には人間も必要な資源と考えているのであろう。〉〈資本とは投資によってその価値を増大させることのできる財貨であるが,この考え方を投資対象としての人間に適用したものが〈人的資本〉の概念である。すなわち,人間の経済的価値を投資によって高めることができるという考え方である。〉(平凡社世界大百科事典)

 しかしマルクスはこうした考え方こそ〈資本主義的な考え方の狂気の沙汰〉だと、次のように述べているのです。

 〈国債という資本ではマイナスが資本として現われる――ちょうど利子生み資本一般がすべての狂った形態の母であってたとえば債務が銀行業者の観念では商品として現われることができるように――のであるが、このような資本に対比して次には労働力を見てみよう。労賃はここでは利子だと考えられ、したがって、労働力は、この利子を生む資本だと考えられる。たとえば一年間の労賃が五〇ポンドで利子率が五%だとすれば、一年間の労働力は一〇〇〇ポンドという資本に等しいとみなされる。資本家的な考え方の狂気の沙汰はここでその頂点に達する。〉(全集25b596頁)

 マルクスはあらゆる社会的生産諸形態に共通して存在している〈本来の物質的生産の領域〉(『資本論』第3部・全集25巻b1051頁)について、次のように述べています。

 〈未開人は、自分の欲望を充たすために、自分の生活を維持し再生産するために、自然と格闘しなければならないが、同じように文明人もそうしなければならないのであり、しかもどんな社会形態のなかでも、考えられるかぎりのどんな生産様式のもとでも、そうしなければならないのである。彼の発達につれて、この自然必然性の国は拡大される。というのは、欲望が拡大されるからである。しかしまた同時に、この欲望を充たす生産力も拡大される。自由はこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化された人間、結合された生産者たちが、盲目的な力によって支配されるように自分たちと自然との物質代謝によって支配されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制し自分たちの共同的統制のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間性に最もふさわしく最も適合した条件のもとでこの物質代謝を行なうということである。しかし、これはやはりまだ必然性の国である。〉(同1051頁)

 このように、ここでもマルクスはロビンソン物語と同じように、社会を一人の人間に置き換えて、未開人や文明人という形で、それを直接自然に対峙させて、「彼の発達」を問題にしています。大塚氏が指摘していることは、その限りでは、こうしたあらゆる社会形態からも独立した物質的生産の領域そのものなのですが、しかし、大塚氏は、それを、マルクスが「商品の物神的性格とその秘密」を暴露しているパラグラフの説明として、敢えてわざわざブルジョア経済学の「資源配分」という用語に置き換えて論じているのです。これはまさに氏のブルジョア的本性を暴露するだけではなく、悪しき意図をも示すものではないでしょうか。

●「人間類型」から社会を説明する観念的な俗説をマルクスに被せる

 また大塚氏はマックス・ウェーバーの「人間類型論」に引き付けて、マルクスを読んでいます。ロビンソンクルーソーを「第一の人間類型」とし、「中産的生産層の典型」として捉えているわけです。そしてマルクスにも同じようなとらえ方があるのではないか、というのが、どうやら大塚氏の問題意識のようです。次のように述べています。

 〈少なくとも、経済学の範囲内で論じている限り、マルクスもまた「ロビンソン的人間類型」を認識のモデルとして前提していた、と。あるいは、マルクスは、「ロビンソン的人間類型」がおよそ経済学における理論形成の前提となっている、と考えていた、と。私はそう言ってさしつかえないのではない、と思います。〉

 しかし、これはとんでもない話ではないでしょうか。『資本論』のどこを読めばそうした理解が可能なのか、さっぱり分かりませんが、こんな観念的な歴史観をマルクスになすりつけることは許されるものではありません。大塚氏は最後には〈厳密な意味では、マルクスの学問には、人間論は立派にあっても、人間類型論はなかった、ということになるかと思います〉などとも述べていますが、とうていマルクスの理論を語る資格などないといわざるを得ないと思います。

 また大塚氏は、『資本論』の前に書かれた遺稿として『資本制的生産に先行する諸形態』も紹介して、それについて次のようにも述べています。

 〈そこでは、……『資本論』の段階では慣用することになるような、そしてわれわれにはなじみの、生産諸力が発達すれば生産関係としての共同体は解体する、というような言い方はしていません。〉

 しかし、これも真っ赤なウソであることは明らかです。次の一文を見てください。

 〈労働する諸主体相互間の、また彼らの自然にたいする、一定の諸関係は、彼らの生産諸力の一定の発展段階に対応するのであって、彼らの共同体組織もこれにもとづく所有も、結局のところ、この発展段階に帰着するのである。ある点までは再生産〔が行われる〕。それから解体に転変する。〉(『資本論草稿集』2、149頁)

 そもそも『先行する諸形態』というのは、一般に『経済学批判要綱』と言われている1857-58年の草稿の一部なのです。マルクスはこの『要綱』での研究とそこで明確になった経済学批判のプランにもとづいて、その第一分冊として『経済学批判』を1859年に刊行し、その「序言」で、〈私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論〉として定式化したものが、あの有名な「唯物史観の定式」と言われるものなのです。つまりマルクス自身が、『批判』のもとになった『要綱』における研究を、「序言」で定式化したような観点を導きとして行ったのだと、自ら述べていることになるのです。だからその一部である『先行する諸形態』にそうした観点が貫かれていることは当然といえばあまりにも当然なのです。

 大塚氏が『先行する諸形態』が書かれた、こうした経緯を知った上であのようなことを述べているのでしたら、でたらめな人間であるといわざるを得ないし、知らずに書いているなら、学者として“失格”であると言わなければなりません。

 いずれにせよ、大塚氏のこの著書は、残念ながら、われわれの『資本論』の理解を助けて、深めるものというより、間違った理解へと、われわれを導き迷わす類のものといわざるを得ないでしょう。

(テキストの学習の報告は、「その2」を参照してください。)

 

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第43回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2012-02-25 23:12:04 | 『資本論』

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

◎第18パラグラフ

 さて、そういうわけで、最初に頂いた資料を読む時間をとり、若干のそれについての議論を行ったあと、テキストにもどり、第18パラグラフから学習を開始しました。その報告を行います。いつものように、まず最初にテキスト本文を紹介し、それに文節ごとに記号を付して、それぞれを平易に書き下しながら、議論も紹介していくことにしましょう。

【18】〈(イ)商品世界にまつわりついている物神崇拝に、あるいは社会的労働諸規定の対象的外観に、一部の経済学者がどんなにはなはだしくあざむかれているかということは、とりわけ、交換価値の形成における自然の役割についての退屈でばかばかしい論争が示している。(ロ)交換価値は、ある物に支出された労働を表現する一定の社会的様式であるから、たとえば為替相場と同じように、それが自然素材を含むことはありえないのである。〉

(イ)商品世界にまとわりついている物神崇拝、あるいは社会的な労働諸規定の対象的外観に、一部の経済学者がどんなにはなはだしくあざむかれているかということは、とくに交換価値の形成における自然の役割についての退屈でばかばかしい論争が示しています。

 ここで〈商品世界にまつわりついている物神崇拝〉を言い換えて、〈社会的労働諸規定の対象的外観〉とも述べているように思えます。学習会では、この二つは同じものと考えてよいのか、また「物神崇拝」を「物象化」と区別して、後者は労働の社会的性格が物の社会的自然属性や物の社会的関係として現れる客観的な現象をいうが、前者はそれが意識に反映したものだとする理解があるが、こうした理解は正しいのか、あるいは次のパラグラフには「物神的性格」という言葉も出てきますが(これは第4節の表題「商品の物神的性格とその秘密」にもなっています)、これらはどのように区別されるのか、また、第3章「貨幣または商品流通」第2節「流通手段」「a 商品の変態」の最後の方に出てくる「物の人格化と人格の物化との対立」の理解との関連などが話題になりました。これらは、しかし、話題になったというだけで、議論のなかで問題がハッキリ解決したわけではなく、ある意味では、今後の課題として問題提起されたものと受け止めています。よって、今後、こうした問題も考えていくための一つの参考文献として『資本論体系 2 商品・貨幣』所収の西野勉「物神性論に関する諸学説」から少し紹介しておきましょう。西野氏は平子友長氏の主張に依拠して、この問題を次のように説明しています。

  〈広義の「物象化」とは、「物神崇拝」という転倒した意識を生ずる客観的現象のなりたち、すなわち、人間の社会的関係がどういう関連を通じて「物象化」(広義の)し、さらにそれがどういう関連を通じて物の自然的関係・属性として現象する=「物化」することになるのか、という客観的現象のなりたちをとらえた概念であるのにたいして、「物神性」とは、その広義の「物象化」の結果、「物象」の社会的関係が、物の自然的属性や質料的関係性として現象しているその結果としての転倒現象のみを批判的にとらえた概念だというべきであろう。その転倒現象をあるがままに受け入れるところの日常意識が「物神崇拝」というべきであろう。〉(393頁、傍点で強調されている部分を下線にした)

 このように西野氏や平子氏らは、「物神崇拝」を「意識の問題」と捉えているようです。しかし、果たしてそうした理解は正しいのでしょうか。学習会では、単に意識の問題として捉えるのはおかしいのではないか、という疑問が出されました。いずれにせよ、もう一度、この問題を考えるために参考になるので、以前学習した第4パラグラフを見てみることにしましょう。

 〈したがって、商品形態の神秘性は、単に次のことにある。すなわち、商品形態は、人間に対して、人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として、これらの物の社会的自然属性として反映させ、したがってまた、総労働に対する生産者たちの社会的関係をも、彼らの外部に存在する諸対象の社会的関係として反映させるということにある。この“入れ替わり”によって、労働生産物は商品に、すなわち感性的でありながら超感性的な物、または社会的な物に、なる。たとえば、物が視神経に与える光の印象は、視神経そのものの主観的刺激としては現れないで、目の外部にある物の対象的形態として現れる。しかし、視覚の場合には、外的対象である一つの物から、目というもう一つの物に、現実に光が投げられる。それは、物理的な物と物とのあいだの一つの物理的な関係である。これに対して、労働生産物の商品形態およびこの形態が自己を表すところの労働生産物の価値関係は、労働生産物の物理的性質およびそれから生じる物的諸関係とは絶対に何のかかわりもない。ここで人間にとって物と物との関係という幻影的形態をとるのは、人間そのものの一定の社会的関係にほかならない。だから、類例を見いだすためには、われわれは宗教的世界の夢幻境に逃げこまなければならない。ここでは、人間の頭脳の産物が、それ自身の生命を与えられて、相互のあいだでも人間とのあいだでも関係を結ぶ自立した姿態のように見える。商品世界では人間の手の生産物がそう見える。これを、私は物神崇拝と名づけるが、それは、労働生産物が商品として生産されるやいなや労働生産物に付着し、したがって、商品生産と不可分なものである。〉

 ここではマルクス自身が、〈これを、私は物神崇拝と名づける〉と述べており、だから「物神崇拝」とは何かを理解するカギは、このパラグラフにあると考えることが出来ます。そしてこのパラグラフを読む限り、「物神崇拝」というのは、人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として、つまりこれらの物の社会的自然属性として反映したものであり、総労働に対する生産者たちの社会的関係をも、彼らの外部に存在する諸対象の社会的関係として反映させることから生じるものだと説明されています。労働生産物の商品形態は、決して単なる意識の問題ではないことは明らかです。だからこのマルクスの説明を見る限り、「物神崇拝」を単なる意識の問題と理解することにはやはり疑問を持たざるを得ません。

 またいわゆる「物象化」と言われているものは、こうした人間自身の労働の社会的性格や、総労働に対する生産者たちの社会的関係が、物の社会的自然属性や物の社会的関係として反映され、しかもそれらによって人間自身が支配され、引き回される転倒した関係を意味します。だから「物象化」というのは、「物神崇拝」とその限りでは同じものです。ただ「物神崇拝」は、「物象化」という同じ事態を、すなわち人間が自分自身の労働の社会的属性や総労働に対する関係を反映させたものに支配される事態を、人間が自分たちの社会的な意識の産物にすぎない神によって支配される関係にアナロジーさせて、物を神として崇拝し、それに跪く現実を指して「物神崇拝」と述べているものではないでしょうか。だから「物象化」は「物神崇拝」とは何か別物ではなく、また前者は現実の関係であるが、後者はその現実を反映した、あるいはそれに捕らわれた意識の問題だというのでもなく、基本的には同じ内容を述べたものだと考えられるのではないでしょうか。

 「カネさえあればなんでもかなう」というのは、単に意識の問題ではなく、ブルジョア社会の現実であり、だからこそ、カネをありがたがり、札束の前に卑屈になって跪くのではないでしょうか。それは決して単なる意識の問題ではないのです。

 また〈交換価値の形成における自然の役割についての退屈でばかばかしい論争〉というのは、『剰余価値学説史』の〈(b)労働概念の自然過程への拡張によるそれへの歪曲。交換価値と使用価値との同一視〉(全集26巻III・231頁)という項目を見ると、こうした見解は、価値の生産価格への転化という現象をリカードの理論では説明不可能なところから生まれたようです。一般的利潤率の生成を知らず、よって価値の生産価格への転化を知らなかったリカードはそれを「例外」としたのですが、リカード学派を解体させた経済学者たちは、さらに突き進んで、だから価値は労働によって規定されないのだと結論し、次のような例を挙げたというのです。

 〈その事例は次のようなものであった。すなわち、ある種の諸商品は、それに労働が費やされることなしに、生産過程のなかに留まるのであって(たとえぽ酒倉のなかのぶどう酒)、その期間のあいだ、それらの商⑱品はある種の自然過程の作用にさらされる、ということである。(たとえばミルによっては指摘されていないが、いくつかの新たな化学的能因が充用される前の、農耕や皮なめしにおける労働の長い中断が、そうである。)それにもかかわらず、この期間は利潤を生みだしているものとして計算される。商品に労働が加えられない期間が労働期間として計算されるのである。(一般に、より長い流通期間が見込まれる場合も同じである。)、ミルはこの難局をいわば「うそを言って切り抜けた」のであるというのは彼は次のように言っているからであるすなわち人は、たとえばぶどう酒が酒倉のなかにある期間をたとえ前提からすれば実際にはそうでないにしても、労働を吸収している期間とみなすことができるであろう、と。そうでなければ、人は「時間」が利潤をつくりだし、時間そのものが「音や煙」である、と言わなけれぽならないであろう、と。ミルのこのような駄弁をマカロックは話の糸口にし、というよりはむしろ彼のいつもの気どった剽窃のやり方で、その駄弁を一般的な形態で再生産しているのであって、そのなかでは、隠されていたばかげた考えが解放され、リカードの体系の、また一般にすべての経済学的思考の、最後の残存物までが都合よく除去されているのである。〉(全集26巻III・232-3頁)

 またこの引用の最後で言われているマカロックの主張については、次のように説明されています。

 〈不都合が取り除かれているのは、諸商品の使用価値が-- 交換価値と呼ばれ、また、諸商品が使用価値として通過する作業や、諸商品が使用価値として生産過程のなかで果たす役だちが--労働と呼ばれる、ということによってなのである。このようにして、実際、日常生活のなかでは、労働する役畜や労働する機械が云々され、また、詩的に、鉄は炎熱のもとで労働しているとか、ハンマーの重圧のもとでうめくとき労働している、とも言われたりするのである。それどころか、鉄が歩いたりもするのである。そして労働は一つの作業なのだからどんな作業でも労働であるということよりも容易に証明できることはないまったく同様に証明されうることは感覚のあるものはすべて肉体的なものだからすべての肉体的なものが感覚をもっているということであろう

 「労働は、正確には、それが人間や下等な動物や機械や自然力のどれによって行なわれようと、ある望ましい所産をもたらす傾向のあるなんらかの種類の作用または作業である、と定義しうるであろう。」(マカロック『経済学原理』七五ぺージ。)

 そして、このことは、けっして〔ただ〕労働用具に〔だけ〕かかわりがあることではない。それは、事実上、原料についてもまったく同様にあてはまる。羊毛は、それが染料を吸収する場合には、ある物理的な作用または作業を受ける。一般に、「ある望ましい所産をもたらすために」ある物に、物理的、機械的、化学的などの作用を及ぼすならば、必ずその物自体は反作用をする。だから、それ自身が労働することなしに、それが加工されるということはありえない。こうして、生産過程にはいるすべての商品は価値が増加するのであるが、それは、それ身の価値が保存されるからだけではなく、それらの商品が、単に対象化された労働ではなく「労働する」ということによって、新しい価値をつくりだすからである。これによって当然すべての困難は除去される。実際には、これは、単に、セーの「資本の生産的役だち」や「土地の生産的役だち」などの遠回しな表現にすぎず、それを改名したものにすぎない。〉(同325-6頁)

 以下、マルクスの叙述は続きますが、これぐらいで十分でしょう。

(ロ)交換価値は、ある物に支出された労働を表現する一定の社会的な様式なのですから、例えば、為替相場と同じように、それに自然素材が含まれるということはありえないのです。

 ここでは〈交換価値は、ある物に支出された労働を表現する一定の社会的様式である〉という説明があります。実際、生産物が商品という形態をとらない社会では、ある物に支出された労働は直接労働時間で計られていました。例えば、農民は田植えをしなければならない時期から逆算して、田を耕したり、水を入れて均すなどさまざまな田植えの準備をやりますが、それぞれの作業にどれだけの労働日が必要かを常に意識して自分の労働を配分します。同じように、大工は棟上げの日を決めて、そこから逆算して、上棟に必要な一切のものを材木を加工して準備しますが、その場合にどの作業にどれだけの日数が必要かを常に考えて作業をしています。これらはすべて一つの生産過程のなかでの話ですが、本来は、社会的な生産においても同じことが必要なのです。しかし労働が直接社会的に結びつけられていない社会では、その労働の社会的な結びつきや、ある物にどれだけの労働が支出されるべきかは、結局、それらの労働生産物が商品として交換されるなかで事後的に決まってくるわけです。だから価値というのは、そうした物に支出された労働を表現する一つの社会的やり方であって、だから価値にはそもそも自然素材などはまったく含まれていないのだというわけです。それは為替相場に自然素材が含まれていないのと同じだとも。しかし為替相場に自然素材が含まれていないことは認めるブルジョア経済学者も、しかし物神崇拝に取り込まれているがために、商品の価値には、自然の産み出す「価値」も含まれるのだと考えているわけです。それは次のパラグラフを見れば分かります。

◎第19パラグラフ

【19】〈(イ)商品形態は、ブルジョア的生産の最も一般的な最も未発展な形態であるから--だからこそ、商品形態は、こんにちほど支配的な、したがって特徴的な様式でではないにしても、早くから登場するのだが--その物神的性格はまだ比較的にたやすく見ぬけるように見える。(ロ)もっと具体的な形態の場合には、簡単であるという外観さえ消えうせる。() 重金主義の幻想はどこから来るのか? (ニ)重金主義は、金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的生産関係を、しかも奇妙な社会的属性をおびた自然物という形態で、表示するのだということを見てとることができなかった。(ホ)また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取りあつかうやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかになるではないか? (ヘ)地代は大地〔Erde〕から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか?〉

(イ)(ロ)商品形態は、ブルジョア的生産の最も一般的な最も未発展な形態ですから、そしてだからこそ、商品形態は、ブルジョア的な生産ではそうであるように、支配的で特徴的な様式にまでなっていないとしても、早くから歴史的には登場します。しがし、そうした未発展な商品形態では、まだその物神的性格は比較的容易に見抜くことが可能なように見えます。しかし、もっと具体的な形態、例えば貨幣形態であるとか、資本形態などの場合は、簡単であるという外観さえ消え失せます。

 ここでは商品形態では、その物神的性格はまだ比較的にたやすく見抜けると言われていますが、これはどういうことかが問題になりました。

 商品形態を、その発展したものである貨幣形態や資本形態と比較してこのように言われているのですが、商品形態では物神的性格が比較的容易に見抜けるというのは、商品の価値は、生産物の「社会的自然属性」だと言われますが、しかしそれが生産物の実際の自然の属性とは異なるものであることが比較的容易に理解されるということではないかと思います。

 初版付録の等価形態の第四の特性の表題は、〈商品形態の物神崇拝は、等価形態では、相対的価値形態においてよりも顕著である〉となっています。つまりここで相対的価値形態にあるのは、単なる一つの商品ですが、等価形態にある商品は、さらに貨幣へと発展するものなのです。つまり相対的価値形態にある商品リンネルの価値は、ここでは上着という別の商品の使用価値によって表現されています。だからリンネルの価値は、リンネルの使用価値とは異なるものであり、何らかの商品の関係から生じるものであるということは、ここでは容易に理解できるわけです。それに対して、上着は、リンネルとの価値関係(表現)の中では、その使用価値そのものが価値なっています。つまりその自然属性そのものが価値という社会的属性と密接不可分に癒着しているのです。しかし,まだ等価形態の未発達な段階では、上着は別のある商品と入れ代わることが可能ですから、別に上着の使用価値そのものにそうした属性がくっついているわけではないことはまだ分かります。しかし、貨幣形態では、金という商品にそれが最終的に固着し、それ以のすべての商品は等価形態から排除されています。つまりここでは金という自然属性そのものが、そうした社会的属性を独占的にまとっており、だからこそ今度は、自然属性そのものが社会的属性と密接不可分になっています。だから貨幣形態では、金という物的姿そのものが価値そのものに、価値の絶対的化身として現れて、その物神的性格を見抜くことは、単なる商品形態に比べてより困難になっているとマルクスは述べているのだと思います。

 そしてさらに発展した資本形態では、ブルジョア経済学者は資本を物として、すなわち財貨として見るのは彼らにとってより強い常識として一般化しているのだというわけです。

(ハ)(ニ)重金主義の幻想はどこから来るのでしょうか? 重金主義は、金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的な生産関係を、金銀という自然物の社会的な自然属性として、表しているのだということが分かりませんでした。

 ここで〈重金主義の幻想〉というのは、金銀こそが唯一の富だと考えたことではないかと思います。つまり商品形態のより発展した貨幣形態では物神崇拝を見抜くことはより困難であり、よって重金主義者は、金銀を見ても、それが社会的な生産関係を表すものであり、金銀が持つ社会的な力は、彼ら自身の社会的な関係から生じているということを理解できなかったわけです。重金主義については付属資料を参照してください。

(ホ)また、その重金主義を批判し、冷笑している近代の経済学は、しかし自分たちも資本を取り扱うとなると、資本は工場や機械などの財物だと強固な理解から抜けきれず、その物神崇拝は手にとるように明らかではないでしょうか。

 ここで〈近代の経済学〉とあるのは古典派経済学、特にスミスリカード以降の経済学を指すのだと思います。スミスは『諸国民の富』第4篇で「重商主義体系の原理」を取り上げ、金銀を唯一の富とする重商主義者は、羊や牛を唯一の富としたタタール人と同じであり、むしろタタール人の方が「真理にもっとも近かった」などと述べ、重商主義者たちの主張を、ことごとく批判しています。

 また『経済学批判』では、マルクスは次のようにも述べています。

 〈最後に、交換価値を生みだす労働を特徴づけるものは、人と人との社会的関係が、いわば逆さまに、つまり物と物との社会的関係としてあらわされることである。一つの使用価値が交換価値として他の使用価値に関係するかぎりでだけ、いろいろな人間の労働は同等な一般的な労働として互いに関係させられる。したがって交換価値とは人と人とのあいだの関係である、というのが正しいとしても、物の外被の下に隠された関係ということをつけくわえなければならない。一ポンドの鉄と一ポンドの金とが、その物理的、化学的属性が違っているにもかかわらず、同一の量の重さをあらわしているように、同一の労働時間をふくんでいる二つの商品の使用価値は、同一の交換価値をあらわしている。こうして交換価値は、使用価値の社会的な自然規定性として、物としての使用価値に属する一つの規定性として現われる。そしてその結果として、諸使用価値は、交換過程において一定の量的割合で互いに置き換えられ、等価物を形成するが、それはちょうど、単純な化学元素が一定の量的割合で化合して、化学当量を形成するのと同じことである。社会的生産関係が対象の形態をとり、そのために労働における人と人との関係がむしろ物相互の関係および物の人にたいする関係としてあらわされること、このことをあたりまえのこと、自明のことのように思わせるのは、ただ日常生活の習慣にほかならない。商品では、この神秘化はまだきわめて単純である。交換価値としての諸商品の関係は、むしろ人々の彼らの相互の生産的活動にたいする関係であるという考えが、多かれ少なかれ、すべての人の頭にある。もっと高度の生産諸関係では、単純性というこの外観は消えうせてしまう。重金主義のすべての錯覚は、貨幣が一つの社会的生産関係を、しかも一定の属性をもつ自然物という形態であらわすということを貨幣から察知しなかった点に由来する。重金主義の錯覚を見くだして嘲り笑う現代の経済学者たちにあっても、彼らがもっと高度の経済学的諸範疇、たとえば資本を取り扱うことになると、たちまち同じ錯覚が暴露される。彼らが不器用に物としてやっとつかまえたと思ったものが、たちまち社会関係として現われ、そして彼らかようやく社会関係として固定してしまったものが、こんどは物として彼らを愚弄する場合に、彼らの素朴な驚嘆の告白のうちに、この錯覚が突然現われるのである。〉(全集13巻19-20頁)

 また〈近代の経済学は、それが資本を取りあつかうやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかになるではないか?〉という部分については、『資本論』第2部の固定資本と流動資本との区別を論じた部分から一部紹介しておきましょう。

 〈根本的な誤り--固定資本と流動資本という範疇と不変資本と可変資本という範疇との混同--は別としても、経済学者たちのあいだに見られる従来の概念規定の混乱は、何よりもまず次の諸点に基づくものである。
 人々は、労働手段が素材としてもっている特定の諸属性、たとえば家屋などの物理的な不動性のようなものを、固定資本の直接的属性だとする。このような場合にいつでもたやすく指摘できるのは、労働手段としてやはり固定資本である他の労働手段が反対の属性をもっているということであり、たとえば船などの物理的な可動性である。
 あるいはまた、価値の流通から生ずる経済上の形態規定を物的な属性と混同する。あたかも、それ自身では決して資本ではなくてただ特定の社会的諸関係のもとでのみ資本になる物が、それ自体としてすでに生まれ長柄に固定資本とか流動資本とかいう一定の形態の資本でありうるかのように。〉(第2部、全集24巻197頁)

(ヘ)あるいは地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的な幻想が消えてから、どれだけたったでしょうか。

 学習会では、ここでマルクスは何を言いたいのかが問題になりました。重金主義、重商主義、重農主義、そしてそれらを克服した近代の経済学との関係を、マルクスは、『経済学批判への序説』において、労働一般の観念の成立と関連させて、次のように述べています。

 〈労働はまったく簡単な範疇のように見える。このような一般性においての――労働一般としての――労働の観念も非常に古いものである。それにもかかわらず、経済学的にこの簡単性において把握されたものとしては、「労働」は、この簡単な抽象を生みだす諸関係と同様に近代的な範疇である。たとえば重金主義は、富を、まだまったく客体的に、自分の外に貨幣の姿をとっている物として、定立している。マニュファクチュア主義または重商主義が、対象から主体的活動に――商業労働とマニュファクチュア労働に――富の源泉を移しているのは、重金主義にたいして大きな進歩だった。といっても、まだこの活動そのものを金儲けという局限された意味でしか把握していないのであるが。この主義にたいして、重農主義は、労働の一定の形態――農業――を、富を創造する労働として定立し、また対象そのものを、もはや貨幣という仮装のなかでではなく、生産物一般として、労働の一般的結果として、定立するのである。しかしまだこの生産物を、活動の局限性に対応して、やはりまだ自然的に規定された生産物――農業生産物、とくに〔par excellence〕土地生産物――として考えているのである。
 富を生みだす活動のあらゆる限定を放棄したのは、アダム・スミスの大きな進歩だった。――マニュファクチュァ労働でもなく、商業労働でもなく、農業労働でもないが、しかもそのどれでもあるたんなる労働。富を創造する活動の抽象的一般性とともに、いまやまた、富として規定される対象の一般性、生産物一般、あるいはさらにまた労働一般、といっても過去の対象化された労働としてのそれ。この移行がどんなに困難で大きかったかは、アダム・スミス自身もまだときどきふたたび重農主義に逆もどりしているということからも明らかである。〉(全集13巻630-1頁)

  重金主義は16-17世紀の重商主義の前期の経済政策あるいは経済思想ですが、重農主義は主に18世紀にフランスで学派を形成した経済学者の一団です。その中心に位置するケネーは1694-1774年です。それに対して、スミスは1723-1790年、リカードは1772-1823年です。だからマルクスが〈重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか?〉というのは、〈近代の経済学〉が、そうした重農主義的幻想を克服してから、すでに一世紀ほど経っているのに、いまだに彼らは資本を取り扱うや、物神崇拝の幻想に惑わされているではないか、という意味で、述べているのではないか、ということになりました。

(【付属資料】は「その3」を参照。)

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第43回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

2012-02-25 23:04:34 | 『資本論』

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

 

【付属資料】

●第18パラグラフに関するもの

《初版本文》

 〈商品世界に付着している物神崇拝、あるいは、社会的な労働規定の対象的な外観を見て、一部の経済学者がどんなに欺かれているかは、なかんずく、交換価値の形成における自然の役割にかんしての退屈でくだらない論争が、明らかにしている。交換価値は、ある物に費やされた労働を表現する特定の社会的なやり方であるから、たとえば為替相場と同じに、もはや自然素材を含んでいるはずがない。〉(江夏訳67頁)

《フランス語版》

 〈商品世界に内在的な物神崇拝によって、あるいは労働の社会的属性の物的な外観によって、大半の経済学者のもとに産み出された幻想を、とりわけ証明するものは、交換価値の創造における自然の役割についての、長々しい、無味乾燥な彼らの論争である。交換価値は、ある物体の生産に使用された労働を計算するための、特殊な、社会的なやり方にほかならないから、たとえば為替相場と同じように、物的な要素を含むはずがない。〉(江夏他訳58頁)

●第19パラグラフに関するもの

《初版本文》

 〈商品形態は、ブルジョア的な生産の最も一般的で最も未発展な形態として、すなわち、それゆえに、すでに以前の生産時代においても、今日と同じように支配的なやり方、したがって特徴的なやり方ではないにせよ、現われているところの形態として、まだ比較的容易に見抜かれるものであった。ところが、たとえば資本のような、いっそう具体的な諸形態は、どうか? 古典派経済学の物神崇拝が、ここでは手にとるように明らかになる。〉(江夏訳68頁)

《補足と改訂》

 〈商品形態は、プルジョワ的生産のもっとも一般的なそしてもっとも未発達な形態であるから--だからこそ、商品形態は、今日ほど支配的な、それゆえ特徴的な様式でではないにしても、すでに早くから登場するのだが--その物神的性格はまだ比較的にたやすく見抜けるように見える。もっと具体的な社会的諸形態にあっては、簡単であるという外見さえ消えうせる。重金主義の幻想はどこから来るのか? 金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的生産関係を、しかも自然物の形態において、表示するのだということを見てとることができなかった。

[A]

 また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取り扱うやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかだということではなくなるのではないか?
 近代の経済学がまぬけにも、物だとして理解しようとした資本は、彼らにとって社会的関係として相対するとき、そして彼らがすぐにまた物だとからかい、そのあとで彼らは資本を社会的関係としてはおよそ規定しないのを見るとき、同じ幻想があらわになっている。地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか?

[B]

 また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取り扱うやいなや、その物神崇拝、は手に取るように明らかだということではなくなるのではないか? 地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか? 〉(小黒訳26-7頁)

《フランス語版》

 〈今日の社会では、労働生産物に結びつく最も一般的で最も単純な経済形態、すなわち商品形態は、誰もがそれに悪意を認めないほど、万人に身近なものである。もっと複雑な別の経済形態を考察しよう。たとえぽ、重商主義の幻想はど鋤こから生ずるか? それは明らかに、貨幣形態が貴金属に極印を押す物神崇拝的な性格からである。それでは、自由思想家をよそおって、重商主義者の物神崇拝にたいして色槌せた冷やかしを倦むことなくむしかえす近代の経済学は、この外観にだまされることがいっそう少ないか? 諸物、たとえぽ労働手段が本性上資本であること、労働手段からこの純粋に社会的な性格を奪い取ろうとして人は反自然の罪を犯すこと、これが近代の経済学の基礎的学説ではないのか?最後に、重農主義者は、多くの点で優れているにしても、地代が人間から奪われた貢物ではなく、自然そのものが土地所有者に与える贈り物である、と考えなかったか?(フランス語版では、ここで改行せずに、現行版の次のパラグラフの最初の文節がこのパラグラフの最後に来たあと改行している。--引用者) 〉(江夏他訳58頁)

●『資本論辞典』から

重金主義Monetarsystem 重金主義とは.資本主義の初期にあたる16-17世紀にかけて西ヨーロッパ,とくにイギリスを中心として支配的におこなわれた経済政策ならびに経済思想の総称である広義の〈重商主義〉の前期をいう.この経済思想の基調は.貨幣が本性上金銀であるところから,金銀を富の唯一の形態だとみて,一国の富の大いさは金銀の保有量によって測られるとする点に求められる.したがって貨幣としての金銀を極度に重要視し,それを保蔵ないし蓄積することを強調したのであって,その限りでは素朴で一面的な主張というほかはない.だが反面においてこの思想のなかには,近代資本主務社会にたいする鋭い認識がひそんでいる.すなわち‘近代世界の最初の通弁である重金主義--重商主義はただその一変種にすぎない--の創始者たちは,金および銀つまり貨幣を唯一の富だと宣言し,正当にもブルジョア社会の使命をば貨幣をもうけること……だ, と明言したのである’(Kr 170;岩波208:国民197:選集補3-184:青木209)・初期資本主義の時代には,まだ国民的生産の大部分が封建的緒形態によって営まれており,生産物の商品への転形,貨幣を媒介とする商品流通は,まだきわめて限られた部面であらわれたにすぎなかった.それゆえに生産物の大部分は,総じて全社会的な素材変換の過程のなかに入らないから.むろん一般的抽象的労働の対象化としてはあらわれず,事実上ブルジョア的冨を形成するものではなかった.そこでせいぜい‘その当時の真にブルジョア的な経済の領域は,商品流通の領域であった.'この商品流通という原初的な領域に立脚してブルジョア的生産の全過程を判断して,そこにこの社会的生産形態に固有の秘密を,すなわちそれが交換価値によって支配されているということを洞見しえた点は.重商主義者の卓見である.のみならず,彼らの提唱した具体的諸政策の背後には,世界商業や外国貿易を尊重する思想の裏づけとして,こうした内外商業に直接につながる国民的労働の特定の諸部門を,富または貨幣の唯一の真の源泉だとみる見地があった(Kr170-172 ;岩波208-210;国民197-199;選集補3-184-185;青木209-211)・すなわち貨幣としての金銀は富の基盤をなすものであるが,しかし外国貿易に登場する生産物の生産やまたその生産物の商品への転形も,それらがけっきょくは貨幣に転形されて自国に金銀をもたらすならば,やはり富を実現するための条件であるといわなければならない.それゆえ重金主義は世界市場のための生産,生産物の商品への転形をも,正当に資本主義的生産の前提および条件として布告したのである(KIII-834-835 ;青木13・1106:岩波11-289)・しかしこの学説は,金銀をみても,それが貨幣としての社会的生産関係をば社会的属性を具えた自然物の形態で表示することを感知しなかったし(Kr20:岩波32:国民25;補3-18;青木38),また貨幣の運動をとらえても,それをG-W-G'という無概念的形態において固定化し. この循環形式の背後にひそむ生産関係にまでたちいって洞察する観点をもちえないで,もっぱらそこに貨幣形態での金銀量の増加を考えるだけにとどまり,貨幣をそのまま資本と混同したのである(KII-57;青木5-81:岩波5-95). これは,この経済思想がその根本的性絡において粗雑な〈実利主義〉にもとづく本来的な俗流経済学であることを示すものである(KIII-834青木13-1106:岩波11-289).
〔原典〕KIII・834-835:青木13-1105-1106:岩波11・289-290. Kr第1編第2章C→重商主義(石垣博美)

フィジオクラートPhysiokrat
Ⅰ 名称 フィジオクラートとは. 18世紀の後半フランスで学派を形成した経済学者の一団.すなわちフランソワ・ケネー(Francois Quesnay. 1694-1774)を中心とするミラボー侯(Victor Riquetti,Ma rquls de Mirabeau,1715-1789),デュポン ・ド・ヌムール(Pierre Samuel Dupont de Nemours,1739-1817),メルシェ・ド・ラ・リグィエール(Paul Pierre Le Mercier de Ja Riviere de Saint Medard,1720-1793). ボードー師(L'abbe Nicolas Baudeau. 1730-1792). ル・トローヌ(Guil1aume Francois Le Trosne,1728-1780)などのひとびとを指すのである.彼らはケネーを学祖として学派を形づくったが,テュルゴ(Anne Robert Jacques Turgot,1727-1781)はこの学派の正系と見られていず,またみずからもこの学派に属することを否定した.それにもかかわらず彼がケネーの経済学説の骨子を継承し,それを発展させた重要な思想家であることはよく知られている.だからマルクスも彼をこうした意味でフィジオクラートのー人に数えているのである.ちなみに彼らはその在世当時からみずからをエコノミスト(economistes) と称し,また19世紀の前半までは他からもその名をもって呼ばれた.多分に思想の神秘的特徴を匂わせるフィジオクラートという名称が起ったのは,デュポンがヶネーの論稿を集めて公刊した害物の名《フィジオクラシー (Physiocratie. 1767)からであり,さらにこの名が一般化したのはおそらく. 19世紀の中葉,デール(EugeneDaire)がデュポンの編著にのっとり,学派の主要著作を編纂して《フィジオクラト》(Physiocrates,1846)と題する二巻本を刊行してから後のことと考えられる.マルクスが学派の著作に接したのは,主としてこの二巻本を通じてである.
II 業綬と性格 フィジオクラシー (重農主義)とは自然の統治というほどの意味をもつ.この学派は社会という体躯を支配する自然的秩序を開明し,とくに経済生活の自然的組織を貫ぬく物理的法則をあきらかにしようとしたが,このような意図は現状の批判,なかんずくフランス重商主義(Colbertismus)批判の動機と深く結びついている.批判の対象となった社会はいうまでもなく.アンシャン・レジム(ancienregime)下の経済的に荒廃し,財政的にも破綻に瀕した農業国フランスであり,解決の狙いは農業経営の資本主義化である.ここに彼らの政策の基本的項目としての大農論が,(農産物)取引の自由化政策ならびに課税対象をもっぱら農業生産の剰余価値たる〈純生産物〉(produit net). すなわち地代のみに限るべしという単一税(impdtunique)政策とともに前景に出てくる.しかしフィジオクラシーはたんなる政策論ではなかった.それは政治算術的な方法にもとづいて国民の経済生活に実躍的な分析を加え,そこから一つの物理的法則すなわち資本の再生産の秩序をさぐり出そうとしたのである.この秩序はまず社会の構成を機能的に地主階級と生産階級たる(借地)農業者の階級と不生産階級たる商工業者の階級に三分し,農業のみが生産的であること,したがって農業生産においてのみ剰余価値たる純生産物が創出されること,この創出された純生産物が年々地代として地主階級に支払われ,その収入を形成することを前提とし,さらに取引における自由と経営資本の所有権の完全な保症とが存するばあい,商業国間に適用する恒常的な平均価格(prix commun)の存立を基礎として,農業者の経営資本がいかに流通過程における転形(W'-G'-W…P…W')を経つつ純生産物を産出し,年々同じ規模の単純再生産を繰り返えすかの構想となって実を結ぶ.この構想の図式化が《経済表》(Tableau Oeconomique. 1758 ;〔岩波文庫〕増井幸雄=戸田正雄訳:坂田太郎訳)であることはいうまでもない.かような分析こそまさしく彼らを近代経済学の父たらしめるものといわれるが.この分析の基本方向は,剰余価値を流通過程における‘富の譲渡またはその振動にもとづく利潤'(MWI-32:青木1-82)と見る〈重商主義〉とはまさに対蹠的に,剰余価値創出の場を流通過程から直接的生産過程に移したところにある(MWI-ll:青木1-51)・しかしながらわれわれはその反面に,彼らが当時の素朴な重農論者のように,いたずらに貨幣を賎視し.富の財物観にとらわれ,したがって重商主義以前に逆行したりすることなく,再生産過程を流通過程との相即においてとらえた識見の高さを十分評価しなくてはならない.マルクスがフィクオクラートの理論的立場を〈商品資本循環の方式〉として特徴づけた意味を,よく汲みとる必要があると考えるのである(KII第1篇第3章,とくにKII-95:青木5・131:岩波5-155)・
 ところで彼らが剰余価値創出の場を流通過程から直接的生産過程に移し..資本主義的生産の分析に鍬を入れるに当って,当然労働力の価値とその労働力がつくりだす価値との差異を把握Lてかからなくてはならなかった.資本主義的生産が発展するための基礎は,まず商品としての労働力が資本ないしは土地所有としての労働諸条件に対立することにあるが,労働力の価値とそれが創出する価値との差異を見極めるためには,さしあたって前者がある一定の大いきとしてとらえられる必要がある.フィジオタラートはこれを必要生活手段の価格としての労賃最低限としてつかんだ.もっとも彼らはいまだ価値そのものの本性を認識することがなく.価値一般の分析に入りこみえなかったため,この差異はひっきょう労働者が年々消費する使用価値の総額を超えて生産する使用価値の超過分としてとらえられざるをえず,したがってすべての生産部門のうち,そのいきさつが判然とあらわれる農業のみが生産的と考えられたわけである(MWI-11-12 :青木1-50-53)・そのばあい彼らにとっては.剰余価値を生む農業労働の生産性が自然の生産力,自然のたまものとしてあらわれるが,農業労働から分離してそれに対立する労働諸条件としての土地所有が,おのずから自然のたまものとしての剰余価値を地代として収得する権能を認められる.フィジオクラートにあっては,封建制--土地所有の支配--がブルジョア的生産の見地のもとで再生産され,封建制がブルジョア化されることによってブルジョア社会が封建的仮象をうけとるといわれるのは,こうした構想の性格によるのである(MWI-16:青木1-57-58).
 たしかにフィジオタラートの体系は,資本主義的生産の最初の体系的把握である.産業資本の代表者たる借地農業者の階級が全経済運動を指導する.農耕は資本主義的に経営される(KII-36l;青木7-468;岩波7-21)・しかしながらこのぼあいの資本主義的生産は,正しくは封建制からの脱出期におけるブルジョア社会に照応するものであることに注意しなくてはならない.したがってとの点にフィジオクラートの思想の性格の複雑さ,あいまいさがあらわれるのは当然ということができる.しかし彼らの一人一人の思想のニュアンスは,けっして一様でない.たとえば封建的仮象はミヲボーにおいてもっとも著しいが,テュルゴにおいてはこうした仮象がほとんど消滅し,思想の明瞭な近代化を認めることができる(MWI-16:青木1-58)・ところで,かような性格の複雑さは,一方において土地所有者が外見上は賛美されるが,そのことが反面においてその経済的否認に,そして資本主義的生産の確認につながる点に端的にあらわれる.すなわち単一税政策の主張は,すべての租税が唯一の剰余価値たる地代に転嫁さるべしというのであり.したがって土地所有を部分的に没収しようとするのであるが,これこそはフランス革命立法が遂行しようとLた当の政策である.かようにして借地農業者をはじめ商工業者は,租税の負担から解放されることになるが,そればかりでな〈彼らはいっさいの国家的干渉や特権の付与からも自由にされなくてはならない.この自由放任政策は,その動機において良価(bon prix)すなわち十分に生産費を償う価格の確立を目ざすものである点に注意を要するが.いずれにしろ単一税政策も自由放任政策も,そのことごとくが表向きは土地所有の利益のために行なわれるといういきさつに,思想の過渡的性絡をはっきりと読みとることができるのである(MW1-18-19 ;青木1-61-62).
 〔原典)KII第1篇第3章;第3遍第19章1.MWⅠ第2章 →ケネー(坂田太郎)

 

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