『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

2012-02-25 23:04:34 | 『資本論』

第43回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

 

【付属資料】

●第18パラグラフに関するもの

《初版本文》

 〈商品世界に付着している物神崇拝、あるいは、社会的な労働規定の対象的な外観を見て、一部の経済学者がどんなに欺かれているかは、なかんずく、交換価値の形成における自然の役割にかんしての退屈でくだらない論争が、明らかにしている。交換価値は、ある物に費やされた労働を表現する特定の社会的なやり方であるから、たとえば為替相場と同じに、もはや自然素材を含んでいるはずがない。〉(江夏訳67頁)

《フランス語版》

 〈商品世界に内在的な物神崇拝によって、あるいは労働の社会的属性の物的な外観によって、大半の経済学者のもとに産み出された幻想を、とりわけ証明するものは、交換価値の創造における自然の役割についての、長々しい、無味乾燥な彼らの論争である。交換価値は、ある物体の生産に使用された労働を計算するための、特殊な、社会的なやり方にほかならないから、たとえば為替相場と同じように、物的な要素を含むはずがない。〉(江夏他訳58頁)

●第19パラグラフに関するもの

《初版本文》

 〈商品形態は、ブルジョア的な生産の最も一般的で最も未発展な形態として、すなわち、それゆえに、すでに以前の生産時代においても、今日と同じように支配的なやり方、したがって特徴的なやり方ではないにせよ、現われているところの形態として、まだ比較的容易に見抜かれるものであった。ところが、たとえば資本のような、いっそう具体的な諸形態は、どうか? 古典派経済学の物神崇拝が、ここでは手にとるように明らかになる。〉(江夏訳68頁)

《補足と改訂》

 〈商品形態は、プルジョワ的生産のもっとも一般的なそしてもっとも未発達な形態であるから--だからこそ、商品形態は、今日ほど支配的な、それゆえ特徴的な様式でではないにしても、すでに早くから登場するのだが--その物神的性格はまだ比較的にたやすく見抜けるように見える。もっと具体的な社会的諸形態にあっては、簡単であるという外見さえ消えうせる。重金主義の幻想はどこから来るのか? 金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的生産関係を、しかも自然物の形態において、表示するのだということを見てとることができなかった。

[A]

 また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取り扱うやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかだということではなくなるのではないか?
 近代の経済学がまぬけにも、物だとして理解しようとした資本は、彼らにとって社会的関係として相対するとき、そして彼らがすぐにまた物だとからかい、そのあとで彼らは資本を社会的関係としてはおよそ規定しないのを見るとき、同じ幻想があらわになっている。地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか?

[B]

 また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取り扱うやいなや、その物神崇拝、は手に取るように明らかだということではなくなるのではないか? 地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか? 〉(小黒訳26-7頁)

《フランス語版》

 〈今日の社会では、労働生産物に結びつく最も一般的で最も単純な経済形態、すなわち商品形態は、誰もがそれに悪意を認めないほど、万人に身近なものである。もっと複雑な別の経済形態を考察しよう。たとえぽ、重商主義の幻想はど鋤こから生ずるか? それは明らかに、貨幣形態が貴金属に極印を押す物神崇拝的な性格からである。それでは、自由思想家をよそおって、重商主義者の物神崇拝にたいして色槌せた冷やかしを倦むことなくむしかえす近代の経済学は、この外観にだまされることがいっそう少ないか? 諸物、たとえぽ労働手段が本性上資本であること、労働手段からこの純粋に社会的な性格を奪い取ろうとして人は反自然の罪を犯すこと、これが近代の経済学の基礎的学説ではないのか?最後に、重農主義者は、多くの点で優れているにしても、地代が人間から奪われた貢物ではなく、自然そのものが土地所有者に与える贈り物である、と考えなかったか?(フランス語版では、ここで改行せずに、現行版の次のパラグラフの最初の文節がこのパラグラフの最後に来たあと改行している。--引用者) 〉(江夏他訳58頁)

●『資本論辞典』から

重金主義Monetarsystem 重金主義とは.資本主義の初期にあたる16-17世紀にかけて西ヨーロッパ,とくにイギリスを中心として支配的におこなわれた経済政策ならびに経済思想の総称である広義の〈重商主義〉の前期をいう.この経済思想の基調は.貨幣が本性上金銀であるところから,金銀を富の唯一の形態だとみて,一国の富の大いさは金銀の保有量によって測られるとする点に求められる.したがって貨幣としての金銀を極度に重要視し,それを保蔵ないし蓄積することを強調したのであって,その限りでは素朴で一面的な主張というほかはない.だが反面においてこの思想のなかには,近代資本主務社会にたいする鋭い認識がひそんでいる.すなわち‘近代世界の最初の通弁である重金主義--重商主義はただその一変種にすぎない--の創始者たちは,金および銀つまり貨幣を唯一の富だと宣言し,正当にもブルジョア社会の使命をば貨幣をもうけること……だ, と明言したのである’(Kr 170;岩波208:国民197:選集補3-184:青木209)・初期資本主義の時代には,まだ国民的生産の大部分が封建的緒形態によって営まれており,生産物の商品への転形,貨幣を媒介とする商品流通は,まだきわめて限られた部面であらわれたにすぎなかった.それゆえに生産物の大部分は,総じて全社会的な素材変換の過程のなかに入らないから.むろん一般的抽象的労働の対象化としてはあらわれず,事実上ブルジョア的冨を形成するものではなかった.そこでせいぜい‘その当時の真にブルジョア的な経済の領域は,商品流通の領域であった.'この商品流通という原初的な領域に立脚してブルジョア的生産の全過程を判断して,そこにこの社会的生産形態に固有の秘密を,すなわちそれが交換価値によって支配されているということを洞見しえた点は.重商主義者の卓見である.のみならず,彼らの提唱した具体的諸政策の背後には,世界商業や外国貿易を尊重する思想の裏づけとして,こうした内外商業に直接につながる国民的労働の特定の諸部門を,富または貨幣の唯一の真の源泉だとみる見地があった(Kr170-172 ;岩波208-210;国民197-199;選集補3-184-185;青木209-211)・すなわち貨幣としての金銀は富の基盤をなすものであるが,しかし外国貿易に登場する生産物の生産やまたその生産物の商品への転形も,それらがけっきょくは貨幣に転形されて自国に金銀をもたらすならば,やはり富を実現するための条件であるといわなければならない.それゆえ重金主義は世界市場のための生産,生産物の商品への転形をも,正当に資本主義的生産の前提および条件として布告したのである(KIII-834-835 ;青木13・1106:岩波11-289)・しかしこの学説は,金銀をみても,それが貨幣としての社会的生産関係をば社会的属性を具えた自然物の形態で表示することを感知しなかったし(Kr20:岩波32:国民25;補3-18;青木38),また貨幣の運動をとらえても,それをG-W-G'という無概念的形態において固定化し. この循環形式の背後にひそむ生産関係にまでたちいって洞察する観点をもちえないで,もっぱらそこに貨幣形態での金銀量の増加を考えるだけにとどまり,貨幣をそのまま資本と混同したのである(KII-57;青木5-81:岩波5-95). これは,この経済思想がその根本的性絡において粗雑な〈実利主義〉にもとづく本来的な俗流経済学であることを示すものである(KIII-834青木13-1106:岩波11-289).
〔原典〕KIII・834-835:青木13-1105-1106:岩波11・289-290. Kr第1編第2章C→重商主義(石垣博美)

フィジオクラートPhysiokrat
Ⅰ 名称 フィジオクラートとは. 18世紀の後半フランスで学派を形成した経済学者の一団.すなわちフランソワ・ケネー(Francois Quesnay. 1694-1774)を中心とするミラボー侯(Victor Riquetti,Ma rquls de Mirabeau,1715-1789),デュポン ・ド・ヌムール(Pierre Samuel Dupont de Nemours,1739-1817),メルシェ・ド・ラ・リグィエール(Paul Pierre Le Mercier de Ja Riviere de Saint Medard,1720-1793). ボードー師(L'abbe Nicolas Baudeau. 1730-1792). ル・トローヌ(Guil1aume Francois Le Trosne,1728-1780)などのひとびとを指すのである.彼らはケネーを学祖として学派を形づくったが,テュルゴ(Anne Robert Jacques Turgot,1727-1781)はこの学派の正系と見られていず,またみずからもこの学派に属することを否定した.それにもかかわらず彼がケネーの経済学説の骨子を継承し,それを発展させた重要な思想家であることはよく知られている.だからマルクスも彼をこうした意味でフィジオクラートのー人に数えているのである.ちなみに彼らはその在世当時からみずからをエコノミスト(economistes) と称し,また19世紀の前半までは他からもその名をもって呼ばれた.多分に思想の神秘的特徴を匂わせるフィジオクラートという名称が起ったのは,デュポンがヶネーの論稿を集めて公刊した害物の名《フィジオクラシー (Physiocratie. 1767)からであり,さらにこの名が一般化したのはおそらく. 19世紀の中葉,デール(EugeneDaire)がデュポンの編著にのっとり,学派の主要著作を編纂して《フィジオクラト》(Physiocrates,1846)と題する二巻本を刊行してから後のことと考えられる.マルクスが学派の著作に接したのは,主としてこの二巻本を通じてである.
II 業綬と性格 フィジオクラシー (重農主義)とは自然の統治というほどの意味をもつ.この学派は社会という体躯を支配する自然的秩序を開明し,とくに経済生活の自然的組織を貫ぬく物理的法則をあきらかにしようとしたが,このような意図は現状の批判,なかんずくフランス重商主義(Colbertismus)批判の動機と深く結びついている.批判の対象となった社会はいうまでもなく.アンシャン・レジム(ancienregime)下の経済的に荒廃し,財政的にも破綻に瀕した農業国フランスであり,解決の狙いは農業経営の資本主義化である.ここに彼らの政策の基本的項目としての大農論が,(農産物)取引の自由化政策ならびに課税対象をもっぱら農業生産の剰余価値たる〈純生産物〉(produit net). すなわち地代のみに限るべしという単一税(impdtunique)政策とともに前景に出てくる.しかしフィジオクラシーはたんなる政策論ではなかった.それは政治算術的な方法にもとづいて国民の経済生活に実躍的な分析を加え,そこから一つの物理的法則すなわち資本の再生産の秩序をさぐり出そうとしたのである.この秩序はまず社会の構成を機能的に地主階級と生産階級たる(借地)農業者の階級と不生産階級たる商工業者の階級に三分し,農業のみが生産的であること,したがって農業生産においてのみ剰余価値たる純生産物が創出されること,この創出された純生産物が年々地代として地主階級に支払われ,その収入を形成することを前提とし,さらに取引における自由と経営資本の所有権の完全な保症とが存するばあい,商業国間に適用する恒常的な平均価格(prix commun)の存立を基礎として,農業者の経営資本がいかに流通過程における転形(W'-G'-W…P…W')を経つつ純生産物を産出し,年々同じ規模の単純再生産を繰り返えすかの構想となって実を結ぶ.この構想の図式化が《経済表》(Tableau Oeconomique. 1758 ;〔岩波文庫〕増井幸雄=戸田正雄訳:坂田太郎訳)であることはいうまでもない.かような分析こそまさしく彼らを近代経済学の父たらしめるものといわれるが.この分析の基本方向は,剰余価値を流通過程における‘富の譲渡またはその振動にもとづく利潤'(MWI-32:青木1-82)と見る〈重商主義〉とはまさに対蹠的に,剰余価値創出の場を流通過程から直接的生産過程に移したところにある(MWI-ll:青木1-51)・しかしながらわれわれはその反面に,彼らが当時の素朴な重農論者のように,いたずらに貨幣を賎視し.富の財物観にとらわれ,したがって重商主義以前に逆行したりすることなく,再生産過程を流通過程との相即においてとらえた識見の高さを十分評価しなくてはならない.マルクスがフィクオクラートの理論的立場を〈商品資本循環の方式〉として特徴づけた意味を,よく汲みとる必要があると考えるのである(KII第1篇第3章,とくにKII-95:青木5・131:岩波5-155)・
 ところで彼らが剰余価値創出の場を流通過程から直接的生産過程に移し..資本主義的生産の分析に鍬を入れるに当って,当然労働力の価値とその労働力がつくりだす価値との差異を把握Lてかからなくてはならなかった.資本主義的生産が発展するための基礎は,まず商品としての労働力が資本ないしは土地所有としての労働諸条件に対立することにあるが,労働力の価値とそれが創出する価値との差異を見極めるためには,さしあたって前者がある一定の大いきとしてとらえられる必要がある.フィジオタラートはこれを必要生活手段の価格としての労賃最低限としてつかんだ.もっとも彼らはいまだ価値そのものの本性を認識することがなく.価値一般の分析に入りこみえなかったため,この差異はひっきょう労働者が年々消費する使用価値の総額を超えて生産する使用価値の超過分としてとらえられざるをえず,したがってすべての生産部門のうち,そのいきさつが判然とあらわれる農業のみが生産的と考えられたわけである(MWI-11-12 :青木1-50-53)・そのばあい彼らにとっては.剰余価値を生む農業労働の生産性が自然の生産力,自然のたまものとしてあらわれるが,農業労働から分離してそれに対立する労働諸条件としての土地所有が,おのずから自然のたまものとしての剰余価値を地代として収得する権能を認められる.フィジオクラートにあっては,封建制--土地所有の支配--がブルジョア的生産の見地のもとで再生産され,封建制がブルジョア化されることによってブルジョア社会が封建的仮象をうけとるといわれるのは,こうした構想の性格によるのである(MWI-16:青木1-57-58).
 たしかにフィジオタラートの体系は,資本主義的生産の最初の体系的把握である.産業資本の代表者たる借地農業者の階級が全経済運動を指導する.農耕は資本主義的に経営される(KII-36l;青木7-468;岩波7-21)・しかしながらこのぼあいの資本主義的生産は,正しくは封建制からの脱出期におけるブルジョア社会に照応するものであることに注意しなくてはならない.したがってとの点にフィジオクラートの思想の性格の複雑さ,あいまいさがあらわれるのは当然ということができる.しかし彼らの一人一人の思想のニュアンスは,けっして一様でない.たとえば封建的仮象はミヲボーにおいてもっとも著しいが,テュルゴにおいてはこうした仮象がほとんど消滅し,思想の明瞭な近代化を認めることができる(MWI-16:青木1-58)・ところで,かような性格の複雑さは,一方において土地所有者が外見上は賛美されるが,そのことが反面においてその経済的否認に,そして資本主義的生産の確認につながる点に端的にあらわれる.すなわち単一税政策の主張は,すべての租税が唯一の剰余価値たる地代に転嫁さるべしというのであり.したがって土地所有を部分的に没収しようとするのであるが,これこそはフランス革命立法が遂行しようとLた当の政策である.かようにして借地農業者をはじめ商工業者は,租税の負担から解放されることになるが,そればかりでな〈彼らはいっさいの国家的干渉や特権の付与からも自由にされなくてはならない.この自由放任政策は,その動機において良価(bon prix)すなわち十分に生産費を償う価格の確立を目ざすものである点に注意を要するが.いずれにしろ単一税政策も自由放任政策も,そのことごとくが表向きは土地所有の利益のために行なわれるといういきさつに,思想の過渡的性絡をはっきりと読みとることができるのである(MW1-18-19 ;青木1-61-62).
 〔原典)KII第1篇第3章;第3遍第19章1.MWⅠ第2章 →ケネー(坂田太郎)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第43回「『資本論』を読む... | トップ | 第43回「『資本論』を読む会... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

『資本論』」カテゴリの最新記事