『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第24回「『資本論』を読む会」の報告(その3)

2010-05-21 12:29:03 | 『資本論』

【付属資料】

【1】パラグラフに関連して

《初版付録》

 《(四) 価値が独立に現われるやいなやそれは交換価値という形態をもつ
 価値表現は二つの極を、相対的価値形態等価形態とを、もっている。まず第一に、等価物として機能する商品について言えば、その商品は他の商品にたいして価値姿態として、直接的に交換可能な形態にある物体--交換価値として、認められている。ところが、その価値が相対的に表現されているところの商品が交換価値の形態をもつのは、(1)その商品の価値存在がその商品との他の一商品体の交換可能性によって明示されるからであり、(2)その商品の価値の大きさがその商品と他の商品とが交換されうる割合によって表現されるからである。--それだから、一般に、交換価値は商品価値の独立な現象形態なのである。》(国民文庫版152頁)

《補足と改訂》

 《ところで,簡単な価値形態を全体として考察するならば,まず第一に,交換価値は質的および量的に規定された商品価値の単なる表現方法,すなわち現象形態である,しかしながら、商品価値それ自身の本性から発した表現方法である,ということが明らかになる。その価値が表現されるべき商品は,自分と等しい物として,他の種類の商品--両方の商品が人間的労働の結晶であるかぎりにおいて--との関係にはいり,そしてそのことによって,その価値を〈表現する〉。》

                  [B]
[14]価値形態 etc p.775,776(§4)
 一商品の簡単な価値形態は,種類を異にする一商品にたいするその商品の価値関係のうちに,あるいは後者との交換関係のうちに,含まれている。商品Aの価値は,質的には,商品Bの商品Aとの直接的交換可能性によって表現されうる。それは,質的には,一定分量の商品Bの,与えられた分量の商品Aとの交換可能性によって表現される。言い換えれぽ,一商品の価値は,交換価値としてのそれの表示によって,自立的に表現されている。
                   ◇
 この章のはじめでは,普通の流儀にしたがって,商品は使用価値および交換価値であると言ったが,これは,厳密に言えば,誤りであった。商品は,使用価埴または使用対象,および価値である。商品は,その価値がその自然形態とは異なる一つの独自な現象形態,交換価値という現象形態をとるやいなや,あるがままのこのような二重物として自己を表すが,商品は,孤立的に考察されたのではこの形態を決してとらず,つねにただ,第二の,種類を異にする商品との価値関係または交換関係のなかでのみ,この形態をとるのである,もっとも,このことを心得ておきさえすれば,さきの言い方も有害ではなく,簡約に役立つ。》(77-78頁)

《フランス語版》

 《一商品の単純な価値形態は、ただ一つの他種類の商品--たとえそれがなんであろうと--にたいするこの商品の価値関係あるいは交換関係のうちに含まれている。商品A の価値は、質的には、Aと直接に交換可能な商品B の属性によって表現される。それは、量的には、一定分量のBと任意分量のAとのつねに可能な交換によって表現される。換言すれば、一商品の価値は、その商品が交換価値の座に置かれることによってしか表現されないのだ。われわれが本章の初めで、普通の言いかたにしたがって、商品は使用価値でもあり交換価値でもあると述べたのは、文字どおりにとれば誤りであった。商品は使用価値すなわち有用物でもあり、価値でもある。商品は、その価値が、その自然形態とは区別される固有の現象形態、交換価値という形態をもつやいなや、あるがままの二重の物として現われるが、商品は、単独に考察すれば、こうした形態をけっしてもたない。このことがわかっているかぎり、古い言いかたももはや有害ではなく、簡略にすることに役立つ。》(32-33頁)

【2】パラグラフに関連して

《補足と改訂》

 《われわれの分析が証明したように,価値形態または価値表現が商品価値の本性から生じるのであり,逆に,価値および価値の大きさが交換価値としてのそれらの表現様式から生じるのではない。ところが,この逆の考え方が,重商主義者たち,およびその近代的な蒸し返し屋であるフーリエ(22 第二版への注:F.L.A.フーリエ(関税副検査官):『商業との関係から見た政府について』,パリ1805),ガニル(注:Ch.ガニル:『経済学の諸体系について』,第2版、パリ,1821)などの妄想であるとともに,彼らとは正反対の論者である近代自由貿易外交員,たとえばバスティアとその一派の妄想でもある。重商主義者たちは,価値表現の質的な側面に,それゆえ貨幣をその完成姿態とする等価形態に重きをおき,これにたいして,自分の商品をどんな価格ででもたたき売らなければならない近代貿易行商人たちは,相対的価値形態の量的側面に重きをおく。その結果,彼らにとっては,商品の価値も価値の大きさも交換価値による表現のうち以外には実存せず,したがって,実際には日々の物価表のうちに実存する。スコットランド人マクラウドは,ロンバード街の混乱をきわめた経済的諸表象をできる限り学問的に飾り立てるという彼の職能において,迷信的な重商主義者たちと啓蒙された自由貿易行商人たちとのみごとな総合をなしている。》(78-79頁)

《フランス語版》

 《われわれの分析の結果は、こういうことになる。すなわち、商品の価値形態は、商品価値の本性から生ずるのであって、逆に、価値や価値量が、それらを交換関係によって表現するところの様式から生ずるわけではない、と。しかし、これこそが、重商主義者やその近代的熱狂者であるフェリェやガニル(21)らの誤りでもあり、また、その対立者であるパスティアやその一派のような自由貿易の外交員たちの誤りでもある。重商主義者たちは、価値表現の質的な側面に、したがって、貨幣形態のうちに明白に実現される商品の等価形態に、とりわけ立脚している。これと反対に、近代の自由貿易のチャンピオンたちは、自分の商品を是非とも厄介払いしようとして、もっぱら相対的価値形態の量的な側面を強調する。したがって、彼らにとっては、価値も価値量も交換関係によって表現するしかないのであって、このことは実際には、毎日の時価による相場のみが存在しているということを意味している。スコットランド人のマクラウドは、ロンバード街--ロンドンの大銀行家の街--の雑然とした経済的先入観念を、実に盛りだくさんな博識で包んで飾りたてることを仕事にしていて、迷信的な重商主義者たちと自由貿易の自由思想家たちとのみごとな総合を、つくりあげている。》(33頁)

【資本論辞典】から

フェリエ(1777~1861)フランスの関税制度検査官・経済学者.主著『商業との関係から見た政府について』(18005)には.スミス理論との折衷の形をとった新主重商主義的主張がみられる.マルクスは彼を‘ポナパルトの貿易禁止制の賛美者'および,彼とガニールとを第一次フランス帝国の‘帝政時代の経済学者'とよんでいる.『資本論』第1巻第1章では,彼をガニールとともに.重商主義の‘近代的な蒸しかえし屋'と評価し,彼が諸商品の価値およびその大いさを,逆にそれらの交換価値.すなわち価値形態から生ずるとしたものとして批判している(KI-66:青木1・154-155:岩波1-121-122).なお『剰余価値学説史』第1部第4章では.生産的・不生産的労働について,ガルニエ, ローダデ-ル,ガニール,シュトルヒ,シーニア,ロッシ等と同列に検討され(MWI-193.228.282:青木2-327,379,429), とくにスミスの生鹿的労働論および資本蓄積論にたいする彼の論評の保護貿易主義的性格が指摘されている(MWI-214-215 :青木2-359~360)(資本論辞典537頁)

ガニール  Charles Ganilh(1758-1836)フランスの経済学者・金融評論家で,新重商主義者.フランス革命時代およびその後のナポレオン帝政時代に多くの公職につく.当時のフランス金融事情にかんする歴史的著作がおそらくもっとも重要なものであるうが,なおその他の経済学の著書とは別に,《Dictionnaire analytique d'economie politique》(1826)を書いている.これは多はの難点をもち,当時一般の注意を惹いた問題を知りうる程度のものである.マルクスが直接引用している主著は,《Des systèms d'économie po1itque,de la valeur comparative de leurs doctrines,et de celle qui parait la plus favorable aux.progres de la richesse》(led.,1809:2ed.1821)の再販本である.新重商主義的主張を内容とし,マルタ旦は‘復活した重商主義'とよび,彼を重商主義の‘近代的な蒸しかえし屋'あるいはフェリエとともに‘帝政時代の経済学者'と評価した.
 批判は,まずガニールが,寓は交換価値からなり,貨幣--貨幣たるかぎりの商品--だとして,商品の価値を交換の生産物と考えた重商主義的見解に向けられ,それは商品の価値形態から逆に価値が生ずるとする誤れる見方であり,けっきよし価値の実体を見ることなく,価値のうちにただ商品経済の社会的形態のみを,あるいは実体なきその仮象のみを見るものとした(k1-66.87.98;青木1-164~155.155.185.203;岩波1-121~122,158.181.MWI第4章第8項). なお富は交換価値からなるという見方に関連して,『剰余価値学説史』では,ガニールが,生底的・不生産的労働の区別をも交換によって判断し,労賃の支払われる労働は,非物質的生産に従事する労働や召使などの労働といえども,すべて生産的労働であるとして,スミスの生産的・不生産的労働の区別を論破しようとしたことを,ガルエル,ローダデールの説と同様,‘まったくくだらない話'であり‘大衆文芸的論議" ‘教養ある饒舌にすぎない'としている(MWI第4章第8項および262:青木2-285~300,428-429),そしてガニールは,ガルニエが重商主義に逆戻りすると同様.重商主義に逆戻りし.重商主義の‘剰余価値'にかんする見解を,はっきりさせたとされる(MWI-168;青木2-287),さらに,機械採用の自然的必然的作用として,彼が,労働人口は絶対的に減少し,‘純生産物で生活する人口'数は増加すると考え,こうした仕方で人類は向上するのだとじて,生産的人口の減少に味方したことを批判している(KI-471:青木3-720~721 :岩波3-238~239.MWI第4章第9項). なお,資料的には,『資本論』第1巻第4章で,労賃の後払いが可能になった瞬間に,商業信用が始まったとする彼の文章を引用している(KI-182:青木2-325;岩波2-70).また同じく第5章では,農業で労働手段として土地を利用するのに,前提となるべき緒労働過程の大きな系列を彼が適切に数えあげていると指摘している(KI-187:青木2-333;岩波2-70).この指摘は.さきの彼の主著と異なり,『剰余価値説史』でマルクスが‘未見の書'とした彼の《Théorie de l'economie politique,etc.》(1815)によっている.(資本論辞典481頁)

パスティア(1801-1850) フランスの俗流経済学者で自由貿易論者.南フランスの葡萄栽培地方の貿易商の子に生まれ,1840年代のイギリス穀物法闘争に刺戟されて,盛んに自由貿易論を主張《Journal des Economistes》に寄稿したり,ボルドーやパリーに自由通商協会を段立して協会機関誌《La Liberte des Echanges》を創刊,その編集者となる等の活動をした,1848年2月革命以後は社会主義の反対者として,ルイ・ブラン,プルドン等を批判してパンフレットを書き,憲法制定議会議員,立法議会議員となった.主著《Les harmonies economiques》(1850)を出版後.イタリアに赴きローマで死す.
 その主著にみられるように,彼はセー以上に徹底した楽観的な経済的調和論者であり,古典派経済学の弁援者であった.マルクスは,セーにはまだ不偏不党の態度から彼自身で経済的諸問題の解決に努力している跡がみられるが,パスティアになると,もともと調和論者であり,剽窃をこととし支配階級にとって不愉快な古典派経済学の側面はきりすて,皮相なやり方でその階級のために情熱的な弁護をやっていると批判した(MWIII-573-574:改造社版全集11-565).というのは,彼は,ケアリーと同じように,資本主義的生産の現実的諸対立を実はそれがりリカードなどが経済理論の内部でつくり出したものだと考え(MWIII同上箇所.KI-590;青木3-880 :岩波3-431),資本主義的生産諸関係とそれらの敵対作用をみることなく,そのもっとも表面的でもっとも拍象的な状態,つまりそれ自身として考察された単純なる商品流通にみられる‘自由と平等と“労働"にもとづく所有の王国'を真理だと考えたからである(Briefe uber “Das Kapital”91:国民上88).そして彼は,プルジョア社会は自然的制度であり.それ以前の社会は人為的制度であると考え,たとえば古代のギリシャ人やローマ人は強奪によってのみ生活していたとしている(KI-87;青木1-186:岩波1-159).バスティアのこの皮相さは,一方では,同様に無批判な経済学者であり保護貿易論者であるケアリーと相通ずるものであり(K1 -590-591:青木3-880-881・岩浪3-431),剽窃問題までも,起したのであるが,他方,それは彼の経済理論が‘サーヴィス'という範疇を基礎としている点に明瞭にみられる.彼は,人聞のすべてのサーヴィスが生産的であるとし,価値は交換されたサーグィスの比例であるとした.マルクスはその点を批判してつぎのようにいう.だからバスティアにとっては,商品の価値も価値の大いきも交換関係による表現のうち以外には実存しない,したがって日々の価格表の番付けのうちにのみ実存することとなる(KI-66;青木1-154:岩波1-122).ところで,サーヴィス(役立ち)とは,商品のであれ労働のであれ,実はある使用価値の有用的な働き以外のなにものでもない.そして交換価値をきめるものは,そのような商品や労働が使用価値として行なうサーヴィスではなく,商品が生産されるさいにその商品自身に向かつてなされるサーヴィス,つまりそれを生産するに必要な労働なのである.たとえば,ある機械の交換価値は,その機械をもって短縮しうる労働時間の量によってきまるのではなくて,その機械あるいはそれと同一種類の機械を生産するのに必要な労働時間の量によってきまるのである.バスティアは.交換価値をその労働時聞に還元するのではなく,サーヴィスの交換に解消する,かくして労働生産物が商品として交換される特殊な形態規定性は捨象されてしまうことになる,と(Kr31:岩波36:国民28-29:選集補3.21:青木41-42).またバスティアは,利潤・利子も, シーニァ的な資本家の節約によるサーヴィスにたいする報酬として,地代も土地所有者の土地提供のサーヴィスにたいする報酬と考えた.
 『資本論』および『剰余価値学説史』第3部のプルドンの利子論の箇所では,無償信用をめぐる彼とプルドンとの利子生み資本にかんする論争書《Gratuité du Credit. Discusson entre M. Fr. Bastiat et M. Proudhon 》(1850)がとりあげられているが,そこでは一方的にプルドンの批判に力点が置かれている(KIII-378~380;青木10-490~493:岩波10-18~22.MWIII附録第I項).『剰余価値学説史』第3 部のルターの高利子輸の項では,バスティアが利子をサーヴィスにたいする報酬として,セーと同様に弁護していること,ここにわれわれはすでに'各人は他の人に役立つ'という理解からする競争鋭または調和説を見出すとされている(MWIII-591:改造社版全集11-583).バスティアは,自由競争下では等しいサーヴィスの交換が行なわれ,社会の進歩とともにより少ないサーヴィスをもってより多い富が獲得され,祉会は神の摂理によって調和的に発展すると考えていた.(資本論辞典531-2頁)

マクラウドHenry Dunning Macleod(1821-1902) イギリスの経済学者. スコットランドに生まれ,ケンブリッジ大学で法律学を学び,1849年弁護士となる.ついでくロイヤル・ブリティッシュ・バンク) (The RoyalBritish Bank)の取締役となり. 1854年に株式銀行法における銀行の権限にかんする法律問題に関係して,はじめて経済学に関心をもち,歴史的・理論的研究をはじめた.その成果として主著《The Theory and Prartice of Banking》(2vo1s.1855-56)が生まれたが,この書物はイングランド銀行の政策の歴史的研究に重点があり,ながらくこの問題についての典拠として利用されてきた.彼は銀行の信用創造力をきわめて高く評価tし,銀行は本質的に〈信用の製造所〉(manufactory of credit)であるとし,信用創造過程をはじめて詳細に追求した.彼は当時の経済学界の主流から孤立し,
大学の教職につくことができず,また1856年に前記の銀行が破産したさい,彼は同僚の取締役とともに,詐欺罪で有罪を宣告され,社会的立場は不利となり,不遇のうちに一生を終った.主著のほか,《The Elements of Political Economy》(1858); 《The Elements ofBanking》(1878) 《The Theory of Credit》(2vols.1889-1891)などがあり,彼が一人で書いた《A Dictiomiry of Political Economy》(1863)は,第1巻(A~C) しか出版されなかったが.金融史の資料として現在でも十分利用価値がある.
 『資本論』ではマタラウドの名前は,まず価値形態論で出てくる.そこでは重商主義者は価値表現の質的側面に,商品の等価形態に重点をおくが,自由貿易行商人は相対的価値形態の量的側面に重点をおくとして,‘スコットランド人のマクラウドは,ロンバード街の縦横に錯雑した諸表象をできるだけ学問風に紛飾するのを彼の任務として,迷信的な重商主義者たちと啓蒙された自由貿易行商人たちとのあいだのすばらしい総合をなしている'(KI-66:青木1-154:岩波1-119) 主述べているが,その典拠は挙げていない.つぎに資本の一般的定式を倫ずるにあたって, G-W-Gの流通形式で増殖する価値がその生涯の循環において交互にとる特殊的現象形態を固定させて,資本は貨幣であると規定する論者の例として,‘生産的目的に用いられる通貨は資本である'というマクラウドの一句が挙げられている(KI-161:青木2-294-295;岩波2-22).最後に固定資本と流動資本との区別を銀行業者的立場からmoney at call とmoney not at callの区別にしてしまう代表者の一人としてマタラウドが挙げられている(KII-224;青木6-293;岩波6-119).なお『経済学批判』では,マクラウドは貨幣一般をそのもっとも発展した形態である支払手段から発生させている,と指摘されている(Kr153;岩波187-1;国民178;選集補3-165;青木189-190).(資本論辞典556-7頁)

重商主義 Merkanti1system ー般に重商主義とは.16~18世紀にわたる資本の〈本源的蓄積〉の時期にあらわれた経済政策および経済理論書の総称である.だが,マルクスは,この時期を二つの段階に分け,前の段階を重金主義となし.後の段階を‘より発展した重商主義'としている(KR-57;青木5-81;岩波5-96).厳密な意味の重商主義は,この後の段階をなす.重商主義政策の基本的主体は絶対主義的形態をもつ国家であり,それは〈商人資本〉の運動に支援されながらいわゆる本源的蓄積のための諸政策を暴力的に遂行する.この時期には,すでに大市場の形成がなされており,〈世界市場〉が発生し,商業資本はみずから生産に関与して小生産者を駆逐するにいたり,一方種々なる形の〈マニュファクチァ〉が発生した.国家は,貿易差額を大ならしめ国内の貨幣を増加させるために,輸出産業を奨励・統制し.労働日の延長と労賃の固定化を目的とする労働立法を制定した(KI第7篇第24章).
 マルタスは重商主義の経済学説を‘近代的生産様式の最初の理論的とり扱い'であるとみなしている(KIII-369:青木9-478;岩波9-211).けだし,この学説は,重金主義が富の形態を貨幣のみに帰着せしめて,流通部面という没概念的立場を固持するのにたいして,同じく流通部面に立脚しているにしても,その根抵にはたんなる商品流通にとどまらず,商品生産をも必然的要素として含蓄しているからであり,重金主義の資本観がG-W-G'なる無概念的形態において表現されるとすれば.後者のそれはG-W…P…W'-G'という排他的形態で表現されうるものだからである(KII-57 ;青木5-81:岩波5-96).このように重商主義は,世界商業に直接つながる国民的労働の特定の部門を,富または貨幣の唯一の源泉だとする観点をもっており,粗野かつ素朴なかたちでではあるが,いちおうブルジョア社会の生産の特徴を,つまりそれが交換価値によって支配されているということを認識していたのであって,そのかぎりでは‘近代経済の一定の領域のなかでは完全な市民権'をもっているのである(Kr171:岩波209;国民199:選集補3-185;青木211).
 だが重商主義が,商業資本の運動において自立化した流通過程の表面的現象から出発して,それゆえに経済上の仮象のみをとりあげたことは,己の学説の根本的限界をなしている.だから‘近世的経済についての現実的科学は,理論的考察が流通過程より生産過程に移行したところにはじめて開始される'という立場からみると,これはまだ科学としての経済学的認識とはいえないし,またそれがG…G'の循環形式での一面的資本把慢に固執したかぎりでは,窮極的にはこの貨幣資本の循環形式に固有な欺瞞性や幻想的性格をのがれることはできなかったのである(KII-57;青木5-81 ;岩波5-95).たとえば,剰余価値を剰余貨幣,つまり貿易差額の過剰分で表示したり.貨幣をそのまま資本だとみたりしたのは,そうした誤りにもとづいている(KIII-834;青木13-1106:岩波11-289).それゆえに重商主義的学説は,価値のうちにただ社会的形態の実体なき仮象のみをみたり貨幣や資本の形態規定性をそのまま一面的に説明することによって,ブルジョア社会の外面的特徴を端的につかみだすことに成坊したとはいえ,そうした現象の背後にひそむ本質的生産諸関係を洞察するまでには至らなかったのであり,そのために〈古典派経済学〉からの批判を受けることになるのである(KI-87;青木1-188;岩波1-162)(石垣博美)(資本論辞典238-9頁)

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