『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第42回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2012-02-01 02:45:58 | 『資本論』

第42回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

◎三つの長い注

 すでに述べたように、この第17パラグラフは、本文は短いのに、それにつけられた三つの注はいずれも長いものです。しかも内容も重要であり、決しておろそかにできません。学習会でも、それぞれについて詳しく検討しました。次に、その報告をやりましょう(但し、注については、文節ごとの平易な書き下しは不要と考えます)。

【注31】〈リカードの価値の大きさの分析--しかもこれは最良の分析である--の不十分さは、本書の第3部および第4部からわかるだろう。しかし、価値一般について言えば、古典派経済学は、価値に表される労働と、生産物の使用価値に表される限りでの労働とを、どこにおいても、明文によっては、また明瞭な意識をもっては、区別していない。もちろん、実際には区別を行っている。なぜなら、古典派経済学は、労働を、ある時は量的に、ある時は質的に、考察しているからである。しかし、古典派経済学は、諸労働の単なる量的区別がそれらの質的統一性または同等性を、したがってまたそれらの抽象的人間労働への還元を前提するということに思いつかなかったのである。たとえば、リカードは、デスチュト・ド・トラシが次のように言う時、これに賛意を表明している。「われわれの肉体的および精神的諸能力だけがわれわれの本源的富であることはたしかであるから、それらの能力の使用、すなわち、何らかの種類の労働は、われわれの本源的財宝である。われわれが富と呼ぶいっさいの物をつくり出すのは、つねにこの能力の使用である・・・・。さらにまた、それらの物はすべてそれらをつくり出した労働だけを表していること、そして、もしそれらの物が一つの価値をもつとすれば、あるいはむしろ二つの区別される価値すらもつとしても、それらの物はそのような価値を、ただ、それらを生み出す労働のそれ」(価値)「から引きだすことができるだけである、ということもたしかである」(〔デスチュト・ド・トラシ『イデオロギー要論』、第四および第五部、パリ、一八二六年、三五、三六ページ〕リカード『経済学原理』、第三版、ロンドン、一八二一年、三三四ページ〔堀経夫訳、『リカード全集』Ⅰ、雄松堂書店、三二八ページ〕)。われわれは、リカードが彼自身のより深い意味をデスチュトに押しつけているということだけを示唆するにとどめる。実際、デスチュトは、たしかに一面では、富を形成するすべての物は「それをつくり出した労働を代表している」と言っている。しかし、他面では、これらの物はそれらの「二つのあい異なる価値」(使用価値と交換価値)を「労働の価値」から得ると言っているのである。こうして彼は、一商品(ここでは労働)の価値をまず前提し、それによってあとから他の諸商品の価値を規定するという俗流経済学の浅薄さにおちいっている。リカードは、使用価値にも交換価値にも労働が(労働の価値が、ではなく)表示されているというふうにデスチュトを読んでいる。ところが、リカード自身は、二重に表示される労働の二面的性格をほとんど区別していないから、「価値と富、両者を区別する諸属性」という章〔第二〇章〕の全体で、J・B・セーごときの愚論との格闘に苦労しなければならないのである。それゆえまた、とどのつまりリカードは、デスチュトが価値源泉としての労働については彼自身と一致しているのに、他面、価値概念についてはセーと一致しているということに、すっかりあきれ果てているのである。〉

 まず最初にマルクスは〈リカードの価値の大きさの分析--しかもこれは最良の分析である--の不十分さは、本書の第3部および第4部からわかるだろう〉と書いていますが、ここに出てくる〈本書の第3部および第4部〉というのは、第1版序文の次の一文にもとづいているとの指摘がありました。

 〈本書の第二巻は資本の流通過程(第二部)と総過程の諸形態(第三部)とを、最後の第三巻(第四部)は理論の歴史を取り扱うことになるであろう。〉(全集23a11頁)

 次に、ここでマルクスはリカードが〈価値に表される労働と、生産物の使用価値に表される限りでの労働とを、どこにおいても、明文によっては、また明瞭な意識をもっては、区別していない〉一つの例として、リカードがデスチュト・ド・トラシの一文に賛意を表していることを上げています。ただそれが、どうしてリカードが労働の二重性を意識的に区別できていない例と言えるのかが、いま一つよく分かりませんだしたが、デスチュト・ド・トラシの一文を見ると、それが〈二つの区別される価値〉、つまり使用価値と交換価値とを無区別に、同じ労働から引き出されるものとして説明していて、両者の区別をしていないのに、リカードはその誤りを見抜くことが出来ずに、むしろそれに賛意を表明しているから、だと言えるのではないか、ということになりました。

 そしてマルクスは、さらにリカードは自分自身のより深い理解をデスチュト・ド・トラシに押しつけているとも述べていますが、これはデスチュト・ド・トラシは生産物の価値を労働の価値から説明するという、つまり価値を価値から説明するという俗流的な誤りに陥っているのに、リカードはそれを理解できず、むしろ自身の見解に引き付けて、生産物の価値をそれに支出された労働で説明しているものと理解しているということではないかということになりました。

 最後に〈とどのつまりリカードは、デスチュトが価値源泉としての労働については彼自身と一致しているのに、他面、価値概念についてはセーと一致しているということに、すっかりあきれ果てているのである〉という部分については、リカードがデスチュト・ド・トラシの著書について、注のなかで論じている次の一文を指しているのではないか、との指摘もありました。

 〈『観念学概論』第4巻、99頁--本書のなかに、ド・トラシ氏は経済学の一般原理に関する有益で優れた論説を発表した。だが、氏が氏の権威を持って、『価値』、『富(リッチス)』、『効用』という用語にセー氏が与えている定義を支持していることを付言しなければならないのは、残念である。〉(『経済学および課税の原理』岩波下巻102頁)

 なおJJ富村さんのレジュメには、「セーの価値概念」と題して、『資本論辞典』の一部が引用されていましたので、それも紹介しておきましょう。

 〈‘物の価値(富の唯一の属性)は物の効用,すなわち人間の欲望を満足させる物の性能にもとづく'とする見地から富を自然的富,社会的富の二種類にわけ,前者は空気や水等のごとく自然から無償で与えられる物の効用,後者は自然力・資本・労働の三要索の共同作用から生ずる物の効用で,その評価によって交換されると考える.つまりスミスの使用価値と交換価値の概念を効用説にすりかえたものであることがわかる.〉(510頁)

【注32】〈(32) 古典派経済学の根本的欠陥の一つは、それが、商品の分析、ことに商品価値の分析から、価値をまさに交換価値にする価値の形態を見つけだすことに成功しなかったことである。A・スミスやリカードのようなその最良の代表者においてさえ、古典派経済学は、価値形態を、まったくどうでもよいものとして、あるいは商品そのものの性質にとって外的なものとして、取りあつかっている。その原因は、価値の大きさの分析にすっかり注意を奪われていたというだけではない。それはもっと深いところにある。労働生産物の価値形態は、ブルジョア的生産様式の最も抽象的な、しかしまた最も一般的な形態であり、ブルジョア的生産様式はこの形態によって一つの特別な種類の社会的生産として、したがってまた同時に歴史的なものとして、性格づけられている。だから、人がこの生産様式を社会的生産の永遠の自然的形態と見誤るならば、人は必然的に、価値形態の特殊性を、したがって商品形態の、すすんでは貨幣形態、資本形態等々の特殊性を見落とすことになるのである。だから、労働時間による価値の大きさの測定についてはまったく一致している経済学者たちのあいだに、貨幣、すなわち一般的等価の完成した姿態、については、きわめて種々雑多なまったく矛盾した諸見解が見られるのである。このことは、たとえば、ありふれた貨幣の定義ではもはや間に合わない銀行業の取りあつかいに際してはっきりと現れてくる。それゆえ、反対に、価値のうちに社会的な形態だけを見る、あるいはむしろ実体のない社会的形態の外観だけを見る復活した重商主義(ガニルなど)が生じた。・・ここできっぱりと断わっておくが、私が古典派経済学と言うのは、ブルジョア的生産諸関係の内的関係を探求するW・ペティ以来のすべての経済学をさし、これに対して俗流経済学と言うのは、外見上の関係の中だけをうろつきまわり、いわばもっとも粗雑な現象のもっともらしい解説とブルジョア的自家需要とのために、科学的経済学によってとうの昔に与えられた材料をたえずあらためて反芻(ハンスウ)し、それ以外には、自分たち自身の最善の世界についてのブルジョア的生産当事者たちの平凡でひとりよがりの諸観念を体系づけ、学問めかし、永遠の真理だと宣言するだけにとどまる経済学をさしている。〉

 古典派経済学は「交換価値」を「真の価値」に、つまり「価値」に還元し、さらにその「価値」を「労働」に還元しましたが、なぜ「価値」が「交換価値」として現れるのかを、つまり「価値の形態」については何の関心も払わなかったとマルクスは指摘しています。その理由は、彼らが価値の大きさの分析にすっかり注意を奪われていただけではなく、労働生産物の価値形態は、このブルジョア的生産様式を、一つの特殊な種類の社会的生産として、歴史的に性格づけるものだから、このブルジョア的生産を永遠の自然的なものとして見るなら、価値形態の特殊性を、さらにまた商品形態や貨幣形態、あるいは資本形態等々の歴史的な特殊な性格を見落とすことになるからだ、というわけです。

 ここで、どうして「価値」ではなく「価値形態」が資本主義的生産を歴史的に特徴づけるものなのか、という疑問が出されました。しかし、これについてはすでに第2パラグラフで商品の神秘的性格は、商品の使用価値からも、価値規定の内容からも生じるのではないと明らかにされています。つまり価値規定の内容というのは、あらゆる社会形態に共通する一般的な条件だからです。だからこそ第12パラグラフで検討されたように、孤島に流されて、その意味ではあらゆる社会形態からも独立した、人間と自然という、もっとも抽象的な関係に還元されたロビンソンの島の生活のなかにも〈価値のすべての本質的規定が含まれている〉ことが確認されたのでした。

 ところで話は変わりますが、「社会主義の概念」を「価値の規定」から説明すべきだ、という主張があります。あるいは「価値の規定」によってこそ、「社会主義の概念の根底」が明らかになるというのです。しかし、こうした主張は、「価値規定の内容」が、あらゆる社会に共通な一般的な条件であるということを考えると、やや首を傾げざるを得ません。確かに「価値の規定」があらゆる社会に共通な一般的条件であるなら、当然、将来の社会主義においても、それは貫いていることは言うまでもありません。しかしそうであるなら、将来の社会主義の概念がそうした一般的な条件にただ還元されるだけでは、何一つ社会主義に固有の内容は明らかにならないのではないかと考えるからです。やはり社会主義の概念を語ろうとするなら、あらゆる社会に共通な一般的な条件に還元するだけではなく、むしろそうした一般的な条件が社会主義に固有のあり方によって現れている、その固有の内容こそが明らかにされるべきではないかと考えるわけです。

 では、そうした社会主義に固有の内容というのは、どういうものでしょうか。実は、それもすでに第15パラグラフでマルクスによって明らかにされています。それをもう一度、紹介してみましょう。

 〈最後に、目先を変えるために、共同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体を考えてみよう。ここでは、ロビンソンの労働のすべての規定が再現されるが、ただし、個人的にではなく社会的に、である。ロビンソンのすべての生産物は、もっぱら彼自身の生産物であり、したがってまた、直接的に彼にとっての使用対象であった。この連合体の総生産物は一つの社会的生産物である。この生産物の一部分は、ふたたび生産手段として役立つ。この部分は依然として社会的なものである。しかし、もう一つの部分は、生活手段として、連合体の成員によって消費される。この部分は、だから、彼らのあいだで分配されなければならない。この分配の仕方は、社会的生産組織体そのものの特殊な種類と、これに照応する生産者たちの歴史的発展程度とに応じて、変化するであろう。もっぱら商品生産と対比するだけのために、各生産者の生活手段の分け前は、彼の労働時間によって規定されるものと前提しよう。そうすると、労働時間は二重の役割を果たすことになるだろう。労働時間の社会的計画的配分は、さまざまな欲求に対するさまざまな労働機能の正しい割合を規制する。他面では、労働時間は、同時に、共同労働に対する生産者たちの個人的関与の尺度として役立ち、したがってまた、共同生産物のうち個人的に消費されうる部分に対する生産者たちの個人的分け前の尺度として役立つ。人々が彼らの労働および労働生産物に対してもつ社会的諸関係は、ここでは、生産においても分配においても、簡単明瞭である。〉

 これこそが、もし「社会主義の概念」を語ろうとするなら、語られなければならない内容なのではないでしょうか。

 やや脱線しましたが、脱線ついでにもう少し脱線することをお許しください。

 あらゆる社会に共通な「価値規定の内容」ではなく、「価値形態」こそが、資本主義的生産の特殊歴史的な性格を特徴づけるものであるということですが、ここで「価値形態」や「商品形態」あるいは「貨幣形態」、「資本形態」等々の「形態」という言葉に注意してみましょう。マルクスは『経済学批判』のなかでは「形態規定性」とか「経済的形態規定」という用語を多用していますが、『資本論』ではそうした用語は出来るだけ避けています。しかし『資本論』で「形態」や「諸形態」という場合、その多くは『経済学批判』でマルクスが多用している「形態規定性」や「経済的形態規定」とほぼ同義と考えていよいと思います。つまりそれは社会的な生産における生産者の社会的関係が直接的なものではないために、それらが物の社会的属性や物の社会的関係として現れてきて、本来は目に見えない生産者の社会的な関係が、物の属性や物の関係という対象的な形態をとって目に見えるものとして現れ、しかもそうした物の属性や関係に逆に人間が支配され引き回されるという転倒した関係が生じてくる、そうした物の属性や関係が、すなわち「形態規定性」や「経済的形態規定」といわれるものなのです。

 マルクスは『資本論』第2部(巻)の最初の草稿において、「資本の流通」や「資本の回転」を取り扱う第1章(現行版では「第1編」)や第2章(同「第2編」)では、〈資本が流通過程の内部でとる新たな形態規定性を研究しなければならない〉(『資本の流通過程』大月版9頁)としています。それに対して、〈流通過程を現実の再生産過程および蓄積過程として考察する〉第3章(同じく「第3編」)では、〈たんに形態を考察するだけではなく、次のような実体的な諸契機がつけ加わる〉と述べ、三つの契機を列挙していますが、その最初のものが次のようなものです。

 〈(1)実体的な再生産……に必要な諸使用価値が再生産され、且つ相互に条件づけあう、そのしかた。〉(同9-10頁)

 社会の総再生産過程を考察する第3章(編)では、どうして単に形態だけでなく、実体的な諸契機が問題にされなければならないのかは、この(1)項目で明らかにされています。つまり社会の総再生産が行われているということは、社会の総生産物が、その使用価値にもとづいて互いに関連しあい、条件づけあって存在しているということです。つまり生産物の使用価値は、その物的属性によって、それが生産的に消費されるものか、それとも個人的に消費されるべきものかを明らかにしています。そればかりか生産物の物的属性は、それがどういう生産手段から生産されたものかも示しており、その限りではそれが生産されるまでの他の生産諸部門との関連や、あるいはその生産物そのものが、さらにどういう生産部門で生産的に消費されるものかも示しています。だから、すべての生産物の諸使用価値は、それによってそれらが社会な分業の一つの体系の網の目を表しているものなのです。つまり社会の総再生産が一定の均衡をもって維持されているということは、それが如何なる社会的諸形態でなされようと、だから資本主義的生産様式のもとであろが、封建的生産様式のもとであろうが、それらの物質的諸条件として、社会的分業の網の目が形成され、互いに関連しあい、質的にも量的にも、条件づけあって存在していなければならないということなのです。だからこうした物的属性にもとづく実体的諸条件というものは、あらゆる社会に共通な内容なのです。

 マルクスは社会の総再生産過程を、「再生産の表式」という、極めて簡単・簡潔な表式によって図示して考察しています。この「再生産の表式」こそ、社会の総再生産が行われるための物質的条件として、社会の生産諸部門とその諸生産物がどのように社会的に条件づけあっているか、その社会的な再生産の実体的構造を明らかにするものでもあるのです。だからこそ、「再生産の表式」は、資本の流通過程に固有の諸形態を捨象して、その実体的諸関連として考察するなら、あらゆる社会に共通の内容を持っており、よって将来の社会においても、計画的な再生産を考える上で、有効な内容を持っていると言えるのです。

 やや脱線が過ぎましたが、本題に戻しましょう。

 ここで〈だから、労働時間による価値の大きさの測定についてはまったく一致している経済学者たちのあいだに、貨幣、すなわち一般的等価の完成した姿態、については、きわめて種々雑多なまったく矛盾した諸見解が見られるのである。このことは、たとえば、ありふれた貨幣の定義ではもはや間に合わない銀行業の取りあつかいに際してはっきりと現れてくる〉という部分については、次の『経済学批判』の一文が参考になります。

 〈イングランド銀行が兌換を停止していた時期には、戦況報告よりも多数の貨幣理論が生まれたほどだった。銀行券の減価と金の市場価格のその鋳造価格以上への騰貴とは、二、三の〔イングランド〕銀行擁護論者の側に、またまた観念的貨幣尺度説をよびおこした。……なおついでながら、観念的貨幣尺度説が、銀行券の兌換性または不換性にかんする論争問題で新たな重要性を得たことを注意しておこう。もしも紙券がその名称を金や銀から受け取るとすれば、銀行券の兌換性、すなわちそれが金や銀と交換されうるということは、法律上の規定がどう言っていようが、依然として経済法則である。だからプロイセンの紙幣ターレルは、法律上は不換紙幣であるとしても、日常の取引で銀ターレル以下にしか通用しなくなり、したがって実際に兌換不能になれば、ただちに減価するであろう。だから、イギリスの不換紙幣の徹底的な主張者たちは、観念的貨幣尺度へ逃げこんだのであった。もしも貨幣の計算名であるポンド、シリング等々が、一商品が他の諸商品との交換で、あるときは多くあるときは少なく吸収したり吐きだしたりする一定量の価値原子にたいする名称であるというのであれば、たとえばイギリスの五ポンド券は、鉄や綿花となんの関係もないのと同じように、金ともなんの関係もない。五ポンド券という称号は、この券を金またはなんらかの他の商品の一定量と理論上等置することをやめてしまっているのだから、その兌換性の要求、すなわちそれをある特定の物の一定量と実際上等置しようとする要求は、その概念そのものによって排除されることになろう。〉(全集第13巻64-66頁)

 次に〈それゆえ、反対に、価値のうちに社会的な形態だけを見る、あるいはむしろ実体のない社会的形態の外観だけを見る復活した重商主義(ガニルなど)が生じた〉というの部分については、次の一文が参考になります。

 〈われわれの分析が証明したように、商品の価値形態または価値表現が商品価値の性質から生じるのであり、逆に、価値および価値の大きさが交換価値としてのそれらの表現様式から生じるのではない。ところが、この逆の考え方が、重商主義者たち、およびその近代的な蒸しかえし屋であるフェリエ、ガニルなど(22)の妄想であると共に、彼らとは正反対の論者である近代自由貿易外交員、たとえばバスティアとその一派の妄想でもある。重商主義者たちは、価値表現の質的な側面に、したがって貨幣をその完成姿態とする等価形態に重きをおき、これに対して、自分の商品をどんな価格ででもたたき売らなければならない近代自由貿易行商人たちは、相対的価値形態の量的側面に重きをおく。その結果、彼らにとっては、商品の価値も価値の大きさも交換関係による表現のうち以外には存在せず、したがって、ただ日々の物価表のうちにのみ存在する。〉(「4 単純な価値形態の全体」から、23a82頁)

 なお復活した重商主義やガニル等については【付属資料】を参照してください。

【注33】〈(33) 「経済学者たちは奇妙なやり方をする。彼らにとってはただ二種類の制度があるだけだ。人為的制度と自然的制度と。封建制の制度は人為的制度であり、ブルジョアジーの制度は自然的制度である。彼らはこの点では、同じく二つの種類の宗教を区別する神学者たちに似ている。彼らのものでないどの宗教も人間のつくりものであるが、彼ら自身の宗教は神の啓示なのである。・・そういうわけで、かつてはとにかく歴史があったが、もうそれは存在しないのだ」(カール・マルクス『哲学の貧困。プルードン氏の「貧困の哲学」に対する返答』一八四七年、113ページ〔『全集』第4巻、143~144ページ〕)。ここで実にこっけいなのはバスティア氏で、彼は、古代のギリシア人やローマ人はただ略奪だけで生活していたと思いこんでいる。しかし、何世紀にもわたって略奪で生活していくからには、そこには略奪されるべきものがたえず存在しなければならない。言いかえれば、略奪の対象が引き続き再生産されていなければならない。とすれば、ギリシア人やローマ人も一つの生産過程を、したがって一つの経済をもっていて、それが彼らの世界の物質的基礎をなしていたことは、ブルジョア経済がこんにちの世界の物質的基礎をなしていることとまったく同じであるように思われるのである。それともバスティアは、奴隷労働にもとづく生産様式は略奪体制の上に立っているとでも考えているのだろうか? そうだとすると、彼はあぶない地盤の上にいることになる。アリストテレスのような大思想家でさえ奴隷労働の評価で誤ったのに、バスティアのようなちっぽけな経済学者がどうして賃労働の評価をまともにやれるはずがあろうか?・・この機会に、私の著書『経済学批判』(一八五九年)が出た時に、アメリカのあるドイツ語新聞から私に加えられた異論を簡単にしりぞけておこう。この新聞によれば、私の見解、すなわち、一定の生産様式といつでもこれに照応している生産諸関係、要するに、「社会の経済的構造は、法的かつ政治的上部構造がその上に立ち、一定の社会的意識形態がそれに照応するところの実在的土台である」ということ、「物質的生活の生産様式が、社会的、政治的、および精神的生活過程一般を制約する」という私の見解--およそこうした見解は、物質的利害が支配的であるこんにちの世界についてはたしかに正しいが、カトリックが支配的であった中世についてや、政治が支配的であったアテネおよびローマについては、正しくない、と。まず第一に奇妙なのは、中世と古典古代世界についてのこの世間周知の決まり文句をまだ知らないでいる人があるものと前提して、喜んでいる人がいるということである。中世がカトリックによって、古典古代世界が政治によって、生活していくことができなかったことだけは、はっきりしている。それどころか、その暮しを立てた仕方・様式こそ、なぜ、古典古代では政治が、中世ではカトリックが主役を演じたかを説明するのである。さらには、たとえばローマ共和政の歴史をほとんど知らなくても、土地所有〔Grundeigentum〕の歴史がその裏面史をなしていることくらいはわかる。他面では、すでにドン・キホーテは、遍歴騎士道がどのような経済的形態とも同じように調和すると妄想した誤りのために、ひどい目にあっているのである。〉

 まずここで『哲学の貧困』からの引用がありますが、その全文を紹介しておきましょう。

 〈経済学者たちは奇妙なやりかたをする。彼らにとっては、二種類の制度、すなわち人為の制度と自然の制度とが存在するにすぎない。封建制の諸制度は人為的制度であり、ブルジョアジーの諸制度は自然的制度である。この点では、彼らは、神学者たちに似ている。神学者たちもまた、二種類の宗教があるときめているからである。彼ら[神学者たち]の宗教でない宗教はいずれもみな人間が発明したものであるが、彼ら自身の宗教は神から発したものなのである。現在の諸関係──ブルジョア的生産諸関係──は自然的なものである、とかたることによって、経済学者たちは、それらの関係こそ自然の諸法則にしたがって富が創造され、生産諸力が発展する関係である、ということをほのめかす。ゆえに、これらの関係は、それ自体が時代の影響と無関係な自然法則である。つねに社会を規制すべき永久的な諸法則である。かくて、かつては若干の歴史が存在した。しかしもはや歴史は存在しない。かつては若干の歴史が存在した。というのは、封建制の諸制度がかつて存在したからであり、また、これらの封建制の諸制度のなかには、経済学者たちがそれを自然的なもの、したがって永久的なものと思いこませようとするところの、ブルジョア社会の生産諸関係とはまったく異なる生産諸関係が見いだされるからである。〉(全集4巻143-4頁、しかし本文は国民文庫版から)
 
 次に『経済学批判』「序言」の一文も紹介しておきます。

 〈私にとって明らかとなった、そしてひとたび自分のものになってからは私の研究にとって導きの糸として役だった一般的結論は、簡単にいえば次のように定式化することができる。人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産語力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいる。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造が立ち、そしてこの土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。〉(全集第4巻6頁)

 ここでマルクスは〈アリストテレスのような大思想家でさえ奴隷労働の評価で誤った〉と述べていることについて、若干議論になりました。

 亀仙人は「等価形態」の次の一文がそれを示しているのではないか、と指摘しました。

 〈しかし、商品価値の形態では、すべての労働が同等な人間労働として、したがって同等と認められるものとして表現されているということを、アリストテレスは価値形態そのものから読みとることができなかったのであって、それは、ギリシアの社会が奴隷労働を基礎とし、したがって人間やその労働力の不等性を自然的基礎としていたからである。価値表現の秘密、すなわち人間労働一般であるがゆえの、またそのかぎりでの、すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の同等性の概念がすでに民衆の先入見としての強固さをもつようになったときに、はじめてその謎を解かれることができるのである。しかし、そのようなことは、商品形態が労働生産物の一般的な形態であり、したがってまた商品所有者としての人間の相互の関係が支配的な社会的関係であるような社会において、はじめて可能なのである。アリストテレスの天才は、まさに、彼が諸商品の価値表現のうちに一つの同等性関係を発見しているということのうちに、光り輝いている。ただ、彼の生きていた社会の歴史的な限界が、ではこの同等性関係は「ほんとうは」なんであるのか、を彼が見つけだすことを妨げているだけである。〉(23a81頁)

 しかし他の人たちは、やや疑問を持っていたようです。

 また〈その暮しを立てた仕方・様式こそ、なぜ、古典古代では政治が、中世ではカトリックが主役を演じたかを説明する〉という部分について、まず〈古代世界では政治が……主役を演じたか〉については、次の一文が参考になります。

 〈アリストテレス。
 (なぜならば、主人――資本家――が主人としての実を示すのは、奴隷の獲得――労働を買う力を与える資本所有――においてではなく、奴隷の利用――生産過程での労働者の、今日では賃金労働者の、使用――においてだからである。)(だが、この知識は重大なものでも高尚なものでもない。)(すなわち、奴隷が仕方を心得ていなければならないこと、それを主人は命令することを心得ているべきである。)(主人が自分で骨を折る必要がない場合には監督者がこの名誉ある仕事を引き受けるのであって、主人自身は国務に従事したり哲学したりするのである。)(アリストテレス『政治学』、ベッカー絹、第一巻、第七章。)
 支配は、政治の領域でと同じように、経済の領域でも権力者たちに支配することの諸機能を課するということ、したがって経済の領域では彼らは労働力を消費することを心得ていなければならないということ、――こういうことをアリストテレスは率直な言葉で述べてから、さらにつけ加えて、この監督労働はあまりたいしたことでもないので、主人は、十分な資力ができさえすれば、このような骨折りをする「名誉」を監督者に任せてしまう、と言っているのである。〉(『資本論』第3部25a482-3頁)

 このように奴隷制社会では、奴隷を支配し、監督する機能が、つまり政治的諸機能が重要になるということではないかと思います。

 次に〈なぜ、……中世ではカトリックが主役を演じたか〉については、13パラグラフの次の一文が参考になるでしょう。

 〈暗いヨーロッパの中世に目を移そう。ここでは、独立した男の代わりに、だれもが依存しあっているのがみられる--農奴と領主と、臣下と君主と、俗人と聖職者とが。人格的依存が、物質的生産の社会的諸関係をも、その上に立つ生活領域をも性格づけている。しかし、まさに人格的依存関係が与えられた社会的基礎をなしているからこそ、労働も生産物も、それらの現実性とは異なる幻想的姿態をとる必要はない。それらは、夫役や貢納として社会的機構の中に入っていく。労働の現物形態が、商品生産の基礎上でのように労働の一般性ではなく労働の特殊性が、ここでは、労働の直接的に社会的な形態である。夫役労働も、商品を生産する労働と同じように、時間によってはかられるが、どの農奴も、彼が領主のために支出するのは彼の個人的労働力の一定量であるということを知っている。坊主どもに納めるべき十分の一税は、坊主の祝福よりもはっきりしている。〉

 また以前に紹介したエンゲルスの『フォイエルバッハ論』の次の一文も参考になると思います。

 〈中世においてはキリスト教は、封建制が発達するのとちょうど同じ歩調で封建制に照応した宗教となり、この制度に照応した封建的位階制度をもっていた。そしてブルジョアジーが台頭してきたとき、封建的なカトリック教に対抗してプロテスタント的異端が発展してきた。それはまず、南フランスの諸都市が最も繁栄していた時代に、そこのアルビ派のあいだで発展した。中世は、神学以外のイデオロギーのすべての形態――哲学、政治学、法学――を神学に併合して、これを神学の部門としていた。そのために、中世では、どの社会的運動も政治的運動も神学的形態をとるほかはなかった。大衆の気持はもっぱら宗教でやしなわれていたから、大きなあらしをまきおこすためには、大衆自身の利益も宗教的に扮装してもちださなければならなかったのである。〉(全集21巻同309頁)

 〈ローマ共和政の歴史をほとんど知らなくても、土地所有〔Grundeigentum〕の歴史がその裏面史をなしていることくらいはわかる〉という部分については、次の『資本論』の一文が参考になると思います。

 〈古代ローマのことが思い出されるであろう。「富者たちは不分割地の最大部分をわがものとしていた。彼らは、当時の事情から、それらの土地が再び彼らから取り上げられるおそれはないだろうと信じていたので、付近にある貧民の地片をあるいは合意によって買い取り、あるいは暴力によって奪い取り、こうして彼らはその後は個々の耕地ではなくただずっと広大な領地だけを耕作するようになった。そのさい、彼らは農耕や牧畜に奴隷を使用した。なぜならば、自由民は、彼らの手から取り上げられて労働から兵役に移されるおそれがあったからである。奴隷は兵役を免れていたので不安なく繁殖することができてたくさんの子供をつくったというかぎりでも、奴隷を所有することは彼らに大きな利益をもたらした。こうして、強者たちはありとあらゆる富を自分に引き寄せ、全土に奴隷が充満した。これに反して、イタリア人は貧困や貢租や兵役にすり減らされて、ますます少なくなった。そして、平和の時代になっても、彼らは完全な無為に運命づけられていた。というのは、富者が土地を握っていて、自由民のかわりに奴隷を農業に使用したからである。」(アピアン『ローマの内乱』、第一部、第七章。)この箇所はリキニウス法〔167〕以前の時代に関するものである。ローマの平民の没落をこんなにも速めた兵役は、カール大帝がドイツの自由農民の隷農化や農奴化を温室的に促進するために用いた一つの主要手段でもあったのである。〉(23b950頁)

 (【付属資料】は「その3」を参照)

 

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