『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.35(通算第85回)(7)

2023-07-14 10:56:43 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.35(通算第85回)(7)


【付属資料】№3


●第14パラグラフ

《初版》

 〈パンの信じがたい粗悪製造が、ことにロンドンでは、「食料品の粗悪製造にかんする」下院委員会(1855-1856年)およびドクター・ハッスルの著書『露見された組悪製造(74)』によって、最初に暴露された。この暴露の結果が、「飲食料品粗悪製造を防止するための」1860年6月6日の法律であったが、この法律は、粗悪商品の売買で「正直に金儲けすること(75)」を企てているどの自由商業主義者にたいしても、もちろんきわめて当たらずさわらずのものなので、効果がなかった。委員会自身も、自由商業は本質的には粗悪品の取引、またはイギリス人の機知に富んだ言い方では「ごまかし品」の取引、を意味しているという確信を、なにがしか率直に表明した。じっさい、この種の「ソフィスト的ごまかし」は、白を黒とし黒を白とすることを、プロタゴラス(古代ギリシアの詭弁哲学者〕よりもよく心得ているし、いっさいの実在が仮象にすぎないことを自の前で実証することを、エレア学派〔古代ギリシア哲学の一派で、一元論を主張し、運動も諸現象の多様性も仮象にすぎぬと説く。〕 よりもよく心得ているのである(76)。〉(江夏訳270頁)

《フランス語版》

 〈パンの信じ難い粗悪製造が、殊にロンドンでは、「食料品の粗悪製造にかんする」下院の委員会によって、またドクター・ハッスルの著書『露見された粗悪製造(41)』のなかで、初めて(1855-56年)暴露された。これらの暴露の結果が、「飲食料品粗悪製造を防止するための〈for preventing the adulteration of articles of food and drink〉」1860年8月6日の法律であった。この法律は、粗悪商品の売買によって「正直に金儲けすること〈to turn an honest penny〉(42)」を目論むどの自由商業主義者にたいしても、優しさにみちているので、相変わらずなんの効果もなかった。委員会自身が、自由商業は本質的にいって粗悪製造品の取引、または、イギリス人の機知のある表現にしたがうと「ごまかし品」の取引を意味する、という自己の確信を多かれ少なかれ素朴に表明した。そして実際に、この種のソフィスト的ごまかしは、白を黒とし黒を白とすることには、プロタゴラス〔古代ギリシアの詭弁哲学者〕よりも通暁しているし、また、すべてが仮象にほかならないことを眼の前で証明することには、エレア学派〔古代ギリシア哲学の観念論学派〕よりも通暁しているのである(43)。〉(江夏・上杉訳248-249頁)

《イギリス語版》

  〈(13) 特にロンドンでの、信じられないような、とんでもない混ぜ物のパンについて、下院の「食品への混入物に関する」調査委員会(1855-56)と、ハッサル博士の「混ぜ物の検出」調査によって初めて、明らかにされた。( 本文注: 硫酸アルミニウム (またはアルミナ または明礬) の粉末、またはそれに塩を混ぜたものが、通常の商品として、「パン製造業者向けの材料」と言う明確なる名前で出回っている。) これらの摘発の結果が、1860年8月6日の「食品・飲料への混ぜ物を予防するための」法律であったが、効力のない法律であった。いつもながらの、全ての自由な商売人達、混ぜ物の商品の買いや売りで、それを正直なペニーと交換することを決意している彼等に対して、手厚い配慮を施したものであった。当の委員会自身が、自由な商売とは、基本的に、混ぜ物の取引であり、英国人の独創性に富む「洗練された」代物という物の取引のことであると、多少はともかく、無邪気に、(英語の古語) 信じていたのである。実際のところ、この種の詭弁は、プロタゴラスが白を黒、黒を白とするよりも、よく知られており、エレア派が全てはただの外観であることを、直接目に、(ラテン語) いかに示すかにあると実証するよりも、よく分かっている。〉(インターネットから)


●注74

《初版》

 〈(74) 粉末にしたり塩をまぜたりした明礬が、「パンのもと」という独特な名の標準商品になっている。〉(江夏訳270頁)

《フランス語版》

 〈(41) 細かい粉末にしたり塩を混ぜたりした明礬が、「バンのもと〈baker's stuff>」という特別な名をもつ普通の商品になっている。〉(江夏・上杉訳249頁)

《イギリス語版》 なし。


●注75

《初版》

 〈(75) 煤(スス)は、周知のように、炭素の非常に高エネルギーな形態であって、資本家的煙突掃除業者がイギリスの借地農業者に売る肥料になっている。さて、1862年にある訴訟が起きたが、この訴訟では、イギリスの「陪審員」は、買い手の知らぬ聞に90%の埃と砂とを混ぜた煤が、「商業的」意味での「ほんとう」の煤か、それとも「法律的」意味での「粗悪製造の」煤であるか、を決定しなければならなかった。この「商業の友」は、それは「ほんとうの」商業よの煤であると決定して原告の借地農業者の告訴を却下し、原告はおまけに訴訟費用を支払わねばならなかった。〉(江夏訳270頁)

《フランス語版》

 〈(42) 誰でも知っているように、煤(スス)は炭素のごく純粋な形態であって、資本家的煙突掃除人がイギリスの借地農業者に売る肥料になっている。ところで、1862年にはある訴訟があったが、この訴訟で、イギリスの陪審員は、買い手の知らぬ間に90%の埃や砂を混ぜた煤が、「商業上の」意味での「本当の」煤であるか、「法律上の」意味での「粗悪に製造された」煤であるかを、決定しなければならなかった。「商業の友」である陪審員は、それは商業上の「本当の」煤であると決定して借地農業者の告訴を却下し、おまけに彼に訴訟費全額を支払わせたのである。〉(江夏・上杉訳249頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: 煤は炭素の非常に利用しやすい形態であり、よく知られた物質である。そして、肥料となる。資本家的煙突掃除業者は、これを英国の借地農業者に売る。ところで、この時、1862年、英国の陪審員は法律上、買い手に知らされることなく、90%の埃や砂が混ざった煤が、商売上の観念から見て本物の煤であるのか、混ぜ物の煤なのかを決めたのである。「商売の友」(フランス語) は、その煤を、商売上の本物の煤と判決したのであった。そして農民の原告訴訟人の訴えは却下された。原告が訴訟費用をも負担したのである。(正直なペニーは、農民から資本家的煙突掃除業者の手に, 無邪気に、正直に、渡った。訳者追記)〉(インターネットから)


●注76

《初版》

 〈(76) フランスの化学者シュヴァリエは、商品の「ごまかし製造」にかんする論文のなかで、自分が検査している600余りの品目中の多数について、10、20、30の、いろいろな粗悪製造法を、列挙している。彼は、自分はあらゆる方法を知っているわけでもないし、知っている方法をすべてあげているわけでもない、と付言している。彼は、砂糖について6種、オリーブ油について9種、バターについて10種、食塩について12種、ミルクについて19種、パンについて20種、ブランデーについて23種、麦粉について24種、チョコレートについて28種、葡萄酒について30種、コーヒーについて32種、等々の粗悪製造をあげている。〉(江夏訳271頁)

《フランス語版》

 〈(43) フランスの化学者シュヴァリエは、商品の粗悪製造にかんする一論文のなかで、600あまりの品目を検査し、そのうちの多数について10、20、30の粗悪製造方法を数えあげている。彼は、自分はその方法をすべて知っているわけではないし、知っている方法のすぺてを記載しているわけでもない、とつけ加えている。彼は砂糖について6種、オリーヴ油について9種、バターについて10種、塩について12種、牛乳について19種、パンについて20種、ブランデーについて23種、麦粉について24種、チョコレートについて28種、葡萄酒について30種、コーヒーについて32種等々の粗悪製造を示している。ルアル・ド・カール氏の著書『聖体の偽造について』、パリ、1856年、が証明するように、神様でさえ免れられない。〉(江夏・上杉訳249頁)

《イギリス語版》

  〈もう一つ本文注: フランスの化学者 シュバリエは、商品の「洗練化」に関する彼の論文で、彼が調べた600以上の品物の多くにおいて、10、20、30種の様々な偽装方法を列挙している。彼は、私が全ての方法を知っている分けでもないし、知っているもの全てを述べているものではないと、付け加えている。彼は、砂糖の偽装について6種類、オリーブ油で9種、バターで10種、塩で12、ミルクで19、パンで20、ブランデーで23、オートミールで24、チョコレートで28、ワインで30、コーヒーで32、等々。全能の神ですら、この運命から逃げられない。ルアル ド カールの「聖体の偽装について」(フランス語併記) 1856年を見よ。( 資本主義体制の偽装については、嘘丸出しの800 訳者のワープロが突然自動車的に急発進 ブレーキが…)〉(インターネットから)


●第15パラグラフ

《初版》

 〈ともかく、委員会は、公衆の目を「日々のパン」に、したがって製パン業に、向けさせていた。それと同時に、公の集会でも議会への請願でも、超過労働等々についてのロンドンの製パン職人の叫ぴが響き渡った。その叫ぴがひどく緊迫してきたので、たびたび触れておいた1863年の委員会の一員でもあるH・S・トレーメンヒア氏が、勅命調査委員に任命された。彼の報告書(77)は、証人の供述とあいまって、公衆の心ではなくその胃袋を揺り動かした。聖書に精通しているイギリス人は、人間は、神の恩寵で選ばれた資本家や地主や禄盗人(ロクヌスビト)でないかぎり、額に汗してパンを食べるべき天職を授けられていることは、確かに知つてはいても、人間がパンを食べるさいには、毎日、明礬や砂石やその他結構な鉱物性成分は別としても、腫れものの膿(ウミ)や蜘蛛の巣や黒ずんだごきぶりの死骸や腐ったドイツ産酵母を吸い込んだ若干量の人間の汗を食べなければならないことは、知らなかった。だから、それまで「自由」であった製パン業は、自分の守り本尊である「自由商業」にはいっさいおかまいなく、国家の監督官の監視のもとにおかれ(1863年の議会会期末)、同じ国会制定法によって、18歳未満の製パン職人には晩の9時から朝の5時までの労働時間が禁止された。この最後の条項は、これほどまで昔をしのばせるこの営業部門における超過労働のことを、あますところなく物語っている。〉(江夏訳271頁)

《フランス語版》

 〈ともかく、委員会は公衆の注意を「日々のパン」に、そして同時に製パン業に向けさせた。そうしているあいだに、過度労働にかんするロンドンの製パン職人の叫びが、会合でも議会宛の請願でも同時に聞こえた。この叫びがひどく切実になったので、前述の1863年の委員会の既存メンバーであるH・S・トリメンヒーア氏が、この問題について調査を行なうために、勅命委員に任命された。彼の報告書(44)とこの報告書中の証言とは、公衆の心ではなくその胃の腑を感動させた。いつでも聖書に馬乗りになっているイギリス人は、神の恩恵が人間を資本家や地主かまたは禄盗人にさせてくださらなかったばあいには、人間は額に汗して自分のパンを食べるように運命づけられていることを、充分に知っていたが、その人間も毎日のパンを食べるときに、「明礬や砂やその他の全く同じくらいけっこうな鉱物成分は言うに及ばず、蜘蛛の巣や油虫の死骸や酵母菌や化濃した潰瘍の排泄物で溶かされた若干量の人間の汗」を食わざるをえない、ということは知らなかったのである。「自由な」製パン業は、教皇聖下である「自由商業」にはおかまいなしに、国家から任命された監督官の監視のもとに置かれ(1863年の議会会期末)、晩の9時から朝の5時までの労働が、同じ法律によって、18歳未満の製パン職人にたいし禁止された。この最後の条項は、労働者の体力がこの由緒ある家父長的な事業で濫用されていることについて、多くの内容を物語っている。〉(江夏・上杉訳249-250頁)

《イギリス語版》

  〈(14) これらの全ての報告書で、委員会は、大衆の注目を、その「日々のパン」に向けさせた。そして、そうであるからこそ、製パン業にも注目させることとなった。同時に、多くの人々の集会や、議会への申し立てに、ロンドンのパンの旅職人達の、超過労働に反対する叫びが沸き起こった。この叫びが非常に急激なものであったため、何回も登場する1863年の委員会だが、そのメンバーの一人である、H. S. トレメンヒア氏が王室直属の調査委員に任命された。彼の報告書は、付された証拠と合わせて、資本家、地主、名誉聖職者を激怒させた。これらの人物は、彼のパンを食べるには、額に汗することによってなすべきことと神に命じられていると知ってはいたが、その彼のパンで、一定量の人間の汗という分泌物も毎日食べねばならないとは知らなかった。さらに加えて、腫れ物の膿とか、蜘蛛の巣とか、ゴキブリの死骸とか、腐敗したドイツ酵母とかを混ぜて食べているとは知らなかった。硫酸アルミニウムとか砂とか、その他の、商品的には当然とした鉱物質の他に、こんなものを混ぜ合わせて食べねばならいとは、知らなかったからである。神聖なる自由な商売には何ら顧慮を施されることもなく、自由な製パン業は、かくて、( 1863,;の議会会期期間終了のため ) 国家監視官達の監視下に置かれたのであった。また、同議会の法律によって、18歳以下のパンの旅職人については、夜9時から朝5時までの労働が禁止された。この最後の条項は、超過労働に対する、様々の実情、古くから続く、ごくありふれた商売のなんたるかを見事に表している。( 旅職人の汗とゴキブリの死骸を混ぜたこの味は、この程度の法律に帰着するいい味なんだろう。訳者の補足的注である。)〉(インターネットから)


●注77

《初版》

 〈(77)  『製パン職人が訴える苦情にかんする報告書、ロンドン、1862年』、および『第2回報告書、ロンドン、1863年』。〉(江夏訳271頁)

《フランス語版》

 〈(44) 『製パン職人が訴える苦情にかんする報告馨』、ロンドン、1862年、および『第2回報告書』、ロンドン、1863年。〉(江夏・上杉訳250頁)

《イギリス語版》 なし。


●第16パラグラフ

《初版》

 〈「ロンドンの製パン職人の労働は、通例、夜の11時に始まる。この時間に彼はこね粉を作るが、それはひどく骨の折れる工程であって、1かまどのパンの大きさと品質とに応じて、1/2時間ないし3/4時間続く。次に彼は、こね板、これは同時に、こね粉を作るおけのふたにもなるのだが、このこね板の上に横たわり、1枚の麦粉袋を頭の下に敷き、もう1枚の麦粉袋を体の上にのせて、数時間眠る。それから、敏捷で休みのない4時間に及ぶ労働が始まり、こね粉を投げたり、秤ったり、型に入れたり、かまどに押し込んだり、かまどから取り出したり、等々のことをする。あるパン焼き場の温度は、75度ないし90度であって、小さなパン焼き場ではそれより高いことがあっても低いことはない。食パンやロールパン等々を作る仕事が終わると、パンの配達が始まる。そして、日雇い人のかなりの部分は、上述のきびしい夜業を終えたのち、昼間は、パンをかごに入れて家々に運ぶか手押し車にのせて家々に運ぶが、そのあいだ幾度もパン焼き場で作業する。季節や営業規模に応じて、労働は午後1時から6時のあいだに終わるが、職人のもう一方の部分は、深夜おそくまでパン焼き場で働いている(78)」「ロンドン季節〔ロンドンの上流階級の社交季節。初夏〕には、パンを『定価』で売るウエスト・エンド〔ロンドンの高級住宅・商業地区〕の製パン業者の職人たちは、通例、夜の11時に仕事を始め、1度か2度のきわめて短いがちな中休みをはさんで、翌朝の8時までパン焼きに従事している。その後彼らは、4時、5時、6時、それどころか7時までも、パンの配達に使われ、ときにはパン焼き場でビスケット焼きに使われることもある。仕事を終了すると、彼らは6時間、往々にしてわずか5時間か4時間、睡眠をとる。金曜日にはいつでも、もっと早くから、たとえば晩の10時に労働が始まって、パンの製造であれ配達であれ、中断なしに翌土曜日の晩の8時まで、さらにたいていは日曜日の朝の4時か5時までも、労働が続く。パンを『定価』で売る上等の製パン所でも、やはり、日曜日には4-5時間、翌日のための準備作業をしなければならない。……『安売り親方』(パンを定価よりも安く売る親方)--これは、前に述べたように、ロンドンの製パン業者の3/4以上に達する--の製パン職人たちは、労働時間がもっと長いが、その労働はほとんど全くパン焼き場にかぎられている。というのは、彼らの親方は、小さな小売店に供給するほかは、自分の店でしか売らないからである。週の『終わり』ごろすなわち木曜日には、ここでは、労働は晩の10時に始まって、日曜日の夜明け前まで統く(79)。」〉(江夏訳272-273頁)

《フランス語版》

 〈「ロンドンのある製パン労働者の労働は通例、晩の11時頃に始まる。彼はまずパン種を作る。それは、捏粉(コネコ)の分量と品質に応じて半時間ないし3/4時間続く骨の折れる作業である。次に彼は、練桶(ネリオケ)を蔽う板の上に横たわって、1袋の麦粉袋を頭の下に置きもう一つの空袋を体の上にかけておよそ2時間ほど眠る。次に、捏粉を捏(コ)ね、その重さを測り、型に入れ、パン焼釜に入れ、そこから取り出すなど、すばやくて絶え間ない4時間の労働が始まる。パン焼場の温度は通常75度ないし90度であって、その場所が狭ければこれより高くもなる。パン製造を構成するさまざまな作業がいったん終われば、パンの配達にとりかかる。労働者の大部分ははげしい夜業の後で、昼間は、パンを籠に入れて家から家へと運ぶか、それを二輪車の上にのせて運ぶが、そうだからといって、彼らが時々パン焼場で働くことに変わりはない。季節や製造規模に応じて、労働は午後の1時から6時までのあいだに終わるが、労働者のほかの一部は、なおも真夜中頃までパン焼場のなかで仕事をしている(45)」。「ロンドン季節〔ロンドンの上流階級の社交季節。初夏〕のあいだ、『定価売り』製パン業者(パンを定価で売る者) の労働者は、夜の11時から翌朝の8時までほとんど間断なく労働する。次いで彼らは4時、5時、6時、そして7時までもパンを届けることに使われ、または、時々パン焼場でビスケットを作ることに使われる。彼らは自分の仕事が終わると、およそ6時間の睡眠を許されるが、しばしば5時間か4時間しか睡眠しないことだってある。金曜日には労働は、いつでももっと早く、通例晩の10時に始まって、パン焼を準備するにしてもパンを届けるにしても、翌晩の8時まで全然休みなく続くが、たいていのばあい日曜日の午後4時か5時まで続く。パンが『定価』で売られる一流の製パン工場でも、日曜日には同じように、4時間か5時間、翌日のための準備労働がある。『安売り親方』(パンを定価以下で売る製パン業者)、しかもこれが、すでに述べたように、ロンドンの製パン業者の4分の3以上を構成しているが、この親方の労働者はさらにいっそう長い労働時間に従事させられている。だが、彼らの労働は一般的にはパン焼場のなかで行なわれる。というわけは、彼らの親方は、小売商への幾らかの供給を別にすれば、自分自身の店でしか売らないからである。彼らのところでは、『週の終わり』頃すなわち木曜日には、労働が夜の10時に始まって土曜日の真夜中や日曜日の夜明け前まで延長される(46)。〉(江夏・上杉訳250-251頁)

《イギリス語版》

  〈(15) ロンドンのパンの旅職人の仕事は、通常、大体夜の11時に始まる。まずは、「生地」を作る。これはかなりきつい労働過程で、約30分から45分係る。その回のバッチ量にもよるし、労働を捧げるべき内容にもよる。その後、彼は、捏ね鉢の蓋でもある捏ね板の上で、小麦粉袋一枚を敷き、もう一枚を丸めて枕とし、横になって大体2時間程度眠る。その後は、約5時間は続く、激しく連続する作業に従事させられる。生地を掴み取り、秤にかけ、型に入れる。それを竈に入れ、ロールパンその他の菓子パンづくりの準備をし、竈から、型パンを取りだす。そして店の仕事をこなし、等々と続く。竈作業室の温度は、約75°から90°の範囲にあり、小さな竈室の場合は、温度が低いと云うことはなく、通常は、むしろ高いと思われる。これらの食パン、ロールパン、その他の作業が一段落すれば、次にはこれらの配達の仕事が始まる。パンの旅職人のかなり多くの者は、仕事として、夜のこれらの激しい仕事をした足で、昼間の長い時間、バスケットや一輪車で配達する。そしてしばしば、また竈室に戻る。仕事は午後1時から6時の間の、季節による、様々な時間で、終わるか、彼等の主人の仕事の量と内容で終わる。他方、その他の者は、竈室に戻って、さらなるバッチを釜から取りだす作業に午後遅くまで従事させられる。
 いわゆるロンドン季節なる期間 ( クリスマスから 初夏の7月までの期間、議会が開催され、多くの人々が首都を訪れる期間 訳者注 ) には、市のウエストエンドの「正札価格」の製パン業者に所属する職人は、一般的には、午後11時に仕事を始め、製パン作業をする。1-2時間の短い休息の後、( 時々はほんの僅かな場合もあるが ) 翌朝8時まで続く。彼等は、その後、ほぼ全日、4、5、6時、そして夕方7時までパンの運搬に従事させられる。また、時には、午後、竈室に戻り、ビッケット焼きを手伝う。そして仕事を終えた後、時には5または6時間の、ある時は、たったの4または5時間の睡眠を、彼等の次の作業を開始する前に、持つことができるかもしれない。金曜日は、いつも、彼等はいつもより早い10時頃には仕事を始める。そしてある場合は、仕事、パン焼きとパンの配達だが、土曜日の夜8時まで続く、しかしより一般的には、日曜日の朝4または5時までも続く。そして日曜日、彼等は一日に2、3回、1、2時間、次の日のパンを準備する仕事に従事せねばならない…。
 安売り業者に雇われた職人は、平均時間より長い時間を働かねばならないだけでなく、殆ど全ての時間を竈室に閉じ込められる。( 安売り業者とは、正札以下で彼等のパンを売る業者のことであるが、すでに述べたように、ロンドンの全製パン業者の3/4を構成するのである。) 安売り業者は通常、彼等のパンを…店内で売る。もし、彼等がそれを外に送り出すなら、一般的ではないが、雑貨屋に供するのを除けば、大抵はその目的のために他人の手を雇っているはずである。パンを家から家へと配達する作業は職人の仕事ではない。週末に向けて、… 職人達は木曜日の夜10時に始めて、僅かな中休みで、土曜日の夕方遅くになるまで、続ける。〉(インターネットから)


●注78.79

《初版》

 〈(78)前掲『第一回報告書』、別付15ページ。
       (79)同前、別付71ページ。〉(江夏訳273頁)

《フランス語版》

 〈(45) 前掲『第1回報告雷』、別付6ページ。
       (46) 同前、別付71ぺージ。〉(江夏・上杉訳251頁)

《イギリス語版》 なし。


●第17パラグラフ

《初版》

 〈「安売り親方」については、ブルジョア的立場でさえも、「職人たちの不払労働(the unpaid labur of men)が、この親方の競争の基礎になっている(80)」、と理解している。そして、「定価売り製パン業者」は、「安売り」競争相手を、他人の労働の盗人であり粗悪製造業者であるというかどで、調査委員会に告発している。「彼らは、公衆をだますことによってのみ、また、自分たちの職人から12時間分の賃金と引き換えに18時間を搾り出すことによってのみ、繁昌している(82)。」〉(江夏訳273頁)

《資本論》「第6篇 労賃」から

  〈われわれの記憶にあるように、ロンドンの製パン業者には二つの種類があって、一方はパンを標準価格で売り(the“fullpriced" bakers)、他方は標準価格よりも安く売っている(“the underpiriced",“the underaselling")。「標準価格売り」業者は議会の調査委員会で自分たちの競争者を次のように非難する。
  「彼らは、ただ、第一には公衆を欺き」(商品の不純化によって) 「第二には自分の使用人から12時間労働の賃金で18労働時間をむさぼり取ることによってのみ、生存している。……労働者の不払労働(the unpaid labour) は、競争戦をやりぬくための手段になっている。……製パン業者間の競争は、夜間労働を廃止することの困難の原因である。自分のパンを麦粉の価格につれて変わる原価よりも安く売っている安売り業者は、自分の使用人からいっそう多くの労働をたたき出すことによって、損失を免れている。私は私の使用人から12時間の労働しか取り出さないのに、私の隣人は18時間か20時間を取り出すとすれば、彼は販売価格で私を打ち負かすにちがいない。もしも労働者が時間外労働にたいする支払を要求することができれば、こんなやり方はすぐにおしまいになるであろう。……安売り業者の使用人のかなり多数は、外国人や少年少女などで、彼らはほとんどどんな労賃でも自分たちの得られるだけのもので満足せざるをえないのである。(44)」

  (44)『製パン職人の苦情に関する報告書』、ロンドン、1862年、別付52ページ、および証言、第479、第359、第27号。しかし、標準価格で売る業者たちも、前にも述べたように、また彼らの代弁者であるベネット自身も認めているように、彼らの使用人に「夜の11時かまたはもっと早くから作業を始めてしぽしばそれを翌晩の7時までも続け」さぜている。(同前、22ページ。)

  この泣き言が興味をひくのは、資本家の頭にはどんなに生産関係の外観だげしか映じないものかをそれが示しているからである。資本家は、労働の正常な価格もまた一定量の不払労働を含んでいるということも、この不払労働こそは自分の利得の正常な源泉であるということも、知ってはいないのである。剰余労働時間という範疇は彼にとってはおよそ存在しないのである。なぜならば、それは、彼が日賃金のなかに含めて支払っていると信じている標準労働日のなかに含まれているからである。とはいえ、彼にとっても時間外労働、すなわち労働の通例の価格に相応する限度を越えた労働日の延長は、やはり存在する。しかも、彼の安売り競争者にたいしては、彼はこの時間外労働にたいする割増払(extra pay) をさえも主張するのである。彼はまた、この割増払も通常の労働時間の価格と同様に不払労働を含んでいるということも知ってはいない。たとえば、12時間労働日の1時間の価格は3ペンスで、1/2労働時間の価値生産物であるが、時間外の1労働時間の価格は4ペンスで、2/5労働時間の価値生産物であるとしよう。前の場合には資本家は1労働時間のうち半分を、あとの場合には3分の1を、代価を支払わずに取り込むのである。〉(全集第23b巻712-713頁)

《フランス語版》

 〈「安売り親方」については、親方たち自身が、自分たちの競争を可能にしているのは労励者の「不払労働〈the unpaid labur of men〉」である、と認めるまでになっている(47)。そして、「定価売り」の製パン業者は、これらの「安売りする」競争者を、他人労働の盗人であり粗悪品の製造業者であるとして、調査委員会に告発している。「彼らは、民衆を欺き労働者から12時間分の賃金と引き換えに18時間の労働を引き出すからこそはじめて、成功しているのだ(48)」、と彼は叫ぶ。〉(江夏・上杉訳251頁)

《イギリス語版》

  〈(16) ブルジョワ的知識人ですら、安売り業者の立場を理解している。「職人の不払い労働が、彼等の競争成立の根源を成している。」と。そして、正札業者は、彼等安売り業者という競争相手を、外国人 ( 何を指すのかは、後段(18 )で分かる。 ) の労働を盗み、なんやらを混ぜこんだ不良品を売っていると国の調査委員会に告発した。「彼等は、今では、ただ、まず第一に、大衆を騙し、第二に、12時間分の賃金で、18時間も職人を働かせることで存在しているだけである。」と。〉(インターネットから)


●注80

《初版》

 〈(80) ジョージ・リード『製パン業史、ロンドン、1848年』、16ページ。〉(江夏訳273頁)

《フランス語版》

 〈(47) ジョージ・リード『製パン業史』、ロンドン、1848年、16ページ。〉(江夏・上杉訳251頁)

《イギリス語版》 なし。


●注81

《初版》

 〈(81)『報告書(第一回)。証言。』「定価売り製パン業者」であるチーズマンの証言。108ページ。12時間分の賃金が、多分6時間の労働力価値しか表わしていないし、したがって、12時間のうち6時間が「不払い」であるということを、「定価売り」のチーズマン氏は、ほとんど感づいていない。〉(江夏訳273頁)

《フランス語版》

 〈(48) 『第1回報告書、証言』、「定価売り」製パン業者チーズマン氏の証言。〉(江夏・上杉訳251頁)

《イギリス語版》  なし。


●第18パラグラフ

《初版》

 〈パンの組悪製造と、パンを定価より安く売る製パン業者階層の形成とは、イギリスでは18世紀の初め以降、この営業の同職組合的性格がすたれて、名目上の製パン親方の背後に、資本家が製粉業者か麦粉問屋の姿で登場する(82)やいなや、発達した。それとともに、資本主義的生産のための基礎が、労働日の際限のない延長や夜間労働のための基礎が、すえられたのである。といっても、夜間労働は、ロンドンにおいてさえ、1824年になってやっと真に足場を固めたのであるが(83)。〉(江夏訳273頁)

《フランス語版》

 〈パンの粗悪製造と、定価以下で売る製パン業者階級の形成とは、イギリスでは18世紀の初めに始まるのであって、この営業がその同職組合的な性格を失い、資本家が製粉業者の形態のもとで製パン親方を自分の家臣にするやいなや、発展したのである(49)。こうして、資本主義的生産の基礎と昼夜労働の法外な延長の基礎とが、うち固められた。もっとも、夜間労働はロンドンでさえ、1824年に初めて真に足場を得たのである(50)が。〉(江夏・上杉訳251頁)

《イギリス語版》

  〈(17) パンに粗悪材料等を混ぜることと、正札以下で売る業者階級が形成されたのは、18世紀の初めの頃からである。協同的商売の性格が失われた時からで、製粉業者または小麦粉問屋の姿で、資本家が、普通の製パン業者の後ろに回って登場した頃からである。資本家的生産は、こうしたことを、この商売の中に持ち込んだのであり、労働日の際限のない拡張、夜間労働、もまた持ち込まれた。特に後者は、1824年以降、ロンドンにおいて、顕著な跋扈を見せる実態となった。〉(インターネットから)


●注82

《初版》

 〈(82)ジョージ・リード、前掲書。17世紀末と18世紀の初めには、ありとあらゆる営業に侵入してくる Factors(問屋)は、まだ当局からは「公的不法妨害者」というかどで告発されていた。たとえば、サマーセット州の四半期治安判事法廷の大陪審は、下院にたいして「告発」を行なったが、この告発のなかでは、なかんずくこう述べられている。「ブラックウェル・ホールのこれらの問屋は、公的不法妨害者であり衣類業に害を加える者であって、不法妨害者として抑制すべきである。」(『わがイギリス羊毛の事情、ロンドン、1685年、6、7ページ。)〉(江夏訳274頁)

《フランス語版》

 〈(49) ジョージ・リード、前掲書。17世紀の終わりと18世紀の初めには、あらゆる事業部門のなかに忍び込む問屋あるいは事業家は、公安上社会の厄介者として公に告発された。こうして、たとえば、サマセット州の四半期治安判事法廷では、大陪審が下院にたいして「告発」を行なったが、この告発ではなかんずくこう述ぺられている。「これらの問屋(ブラックウェル・ホールの問屋) は社会的な災禍であって、ラシャや衣服の取引に害を及ぼす。彼らは社会の厄介者として抑圧されるべきである」(『わがイギリス羊毛の事例』、ロンドン、1685年、6、7ページ)。〉(江夏・上杉訳頁252)

《イギリス語版》

  〈本文注: ( 製粉業者または小麦粉問屋の姿で、資本家が、普通の製パン業者の後ろに回って登場した頃、の部分に、以下の注を付けている。訳者付記 ) 17世紀の終り頃、そして18世紀の初めの頃は、ありとあらゆる商売に割り込んでくる問屋 ( 代理店 )は、依然として、「公衆の迷惑」として、批難された。サマセット州で四半期ごとに開廷される治安判事裁判の大陪審は、下院に対して、ある告発を送付した。いろいろとあるのだが、その中に、次のような陳述がある。「ブラックウエル ホールのこれらの問屋は、公衆の迷惑であり、布地の取引を害する、であるから、不法妨害として排除すべきである。」ジョージ リード著 「我々英国の羊毛の場合 …他云々」ロンドン 1685年〉(インターネットから)


●注83

《初版》

 〈(83)『第一回報告書』、別付8ページ。〉(江夏訳274頁)

《フランス語版》

 〈(50) 『第1回報告書』、別付8ページ。〉(江夏・上杉訳252頁)

《イギリス語版》 なし。


●第19パラグラフ

《初版》

 〈以上に述べたことからわかるように、この委員会報告書によると、製パン職人は短命な労働者のなかに数え入れられ、彼らは、労働者階級のどの部分でも常態になっている幼児死亡を幸いにして免れたのちも、42歳に達することがまれである。それにもかかわらず、製パン業はいつでも志願者であふれている。ロンドンへのこの「労働力」の供給源は、スコットランドやイングランドの西部農業地帯やドイツである。〉(江夏訳274頁)

《フランス語版》

 〈前述したところによれば、次のことが理解される。すなわち、製パン職人が委員会報告書のなかでは短命な労働者の部類に入れられており、彼らは、労働者階級のあらゆる階層で通例である幼児死亡から奇跡的に免れた後も、42歳に達することはまれであるということ。それにもかかわらず、製パン業はつねに志願者で温れている。ロンドンにたいするこれらの「労働力」の供給源は、スコットランドやイングランドの西部農業地方やドイツである。〉(江夏・上杉訳252頁)

《イギリス語版》

  〈18) これらが述べている内容を知れば、調査委員会が、パンの旅職人を、短命な労働者群に区分するという報告も理解できるものとなろう。彼等は、労働者階級の子供たちの多くが死んで行く一般的状況を幸運にも逃れ得たとしても、42歳に達する者は稀である。にもかかわらず、製パン業は応募者に溢れかえっている。ロンドンに供給される労働力の源は、スコットランドであり、英国西部農業地域であり、そして、ドイツなのである。〉(インターネットから)


●第20パラグラフ

《初版》 

 〈1858-1860年に、アイルランドの製パン職人は、自費で、夜間労働と日曜労働に反対する運動のための大集会を組織した。民衆は、たとえば1860年のダプリンの5月集会では、アイルランド人の熱狂的な本性のおもむくままに、製パン職人のいつも変わらぬ活気ある味方になった。この運動のおかげで、ウエックスフォード、キルケニー、クロンメル、ウォーターフォード等々では、もっぱら昼間だけの労働が、実に首尾よく実現された。「賃職人の苦痛が周知のようにありとあらゆる限度を越えていたリメリックでは、この運動は、製パン親方ことに製パン兼製粉業者の反対に出あって、挫折した。リメリックの実例は、エニスやティペラリでの敗退を招いた。公然たる不満が最も激しい形で表明されたコークでは、親方たちは、職人を追い出すという自分たちの権力を行使して、この運動を挫折させた。ダブリンでは、親方たちは最も頑強に抵抗し、運動の先頭に立っていた職人たちを迫害するという手段に訴えて、残余のものには、夜間労働日曜労働に服するという譲歩を余儀なくさせた(84)。」アイルランドで完全武装していたイギリス政府の委員会は、ダブリンやリメリックやコーク等々の無情な製パン親方にたいして哀れっぽくこう抗議している。「本委員会の信ずるところでは、労働時間は自然法則によって制限されているのであって、この法則は、これを犯せば必ず罪を受けることになるものである。親方たちが、自分たちの労働者にたいして、追放するぞと脅して、労働者に余儀なく宗教的信念に背かせ国法を犯させ世論を軽視させること(これらはどれも日曜労働にかんするものである)によって」、「彼らは、資本と労働とのあいだに悪感情をひき起こさせ、宗教や道徳や公の秩序にとって危険な一例を提供している。……本委員会の信ずるところでは、12時間を越える労働日の延長は、労働者の家庭生活および私生活の横領的な侵害であり、また、1人の男の家庭生活に干渉したり、息子、兄弟、夫、父としての彼の家庭義務の履行に干渉したりすることによって、道徳上有害な結果を招いている。12時間を越える労働は、労働者の健康をそこなう傾向があるし、早老夭折を招くし、したがって、労働者の家族が家長からの世話や扶助を最も必要とするちょうどその時期にその世話や扶助を奪われる(“are deprived")という、この家族の不幸を招いている(85)。」〉(江夏訳274-275頁)

《フランス語版》 フランス語版では第20パラグラフは二つに分けられて、あいだに原注51が挿入されている。ここでは二つのパラグラフを一緒に紹介し、原注は別途、原注84のところに掲載する。

 〈1858-60年に、アイルランドの製パン職人は、夜間労働と日曜労働に抗議するための大集会を自費で主催した。たとえばダブリンの5月の集会では、民衆はアイルランド人の激しやすい性質にふさわしく、どんなばあいでも熱烈に製パン職人の味方になった。この運動の結果、もっぱら昼間だけの労働がウェクスフォード、キルケニー、クロンメル、ウォータフォードなどで実際に確立された。「労働者の苦悩が一般の認めるように全く度を越えていたリメリクでは、この運動は製パン親方、殊に製パン兼製粉業者の反対にあって失敗した。リメリクの実例がエニスやティベラリに反応した。民衆の反感が最もはげしく現われたコークでは、親方たちは労働者を解雇してこの運動を失敗させた。ダブリンでは親方たちはこの上なく頑強に抵抗し、煽動の首謀者を迫害することによって、残りの者に譲歩を強制し、夜間労働と日曜労働に服することを強制した(51)」。
  アイルランドで全身武装していたイギリス政府の委員会は、ダブリンやリメリクやコークなどの無情な製パン親方たちに、哀願するような勧告を惜し気もなく与えた。「本委員会は、労働時間が、犯せば必ず罰せられるという自然法則によって制限されている、と信ずる。親方たちは、労働者に、宗教的感情の侵害や国法の侵犯や世論の蔑視(どれも日曜労働にかんするもの)を追放という脅しで弥制することによって、資本と労働とのあいだに憎悪の種をまき、また、宗教や道徳や公共の秩序にとって危険な実例を与えている。……本委員会は信ずる、12時間を越えて労働を延長することは、労働者の私生活と家庭生活にたいする真の横領、侵害であって、これは道徳上の不幸な結果をもたらし、こうした延長はまた、労働者がその息子や兄弟や夫や父としての家族義務を果たすことができないようにする、と。12時間以上の労働は、労働者の健康を消耗させる傾向があり、彼に早老と夭折をもたらし、したがって、ちょうど家族がいちばん必要とする時に家長の世話と扶助とが奪われるという家族の不幸をもたらすものである(52)」。〉(江夏・上杉訳252-253頁)

《イギリス語版》  イギリス語版も二つのパラグラフに分けているが、ここでは二つを一緒に紹介しておく。

  〈(19) 1858-60年、アイルランドのパンの旅職人達は、彼等自身の資金を集めて、夜間及び日曜日の労働に反対する抗議集会を組織した。大衆は、-例えば、1860年5月のダブリンの集会では-、アイルランド人としての温情をもって、彼等としての、支援する立場を、鮮明にした。運動の結果、ウエックス、キルケニー、クロンメル、ウオーターフォード等では、(夜間労働はともかく、訳者注) 週日労働のみについては成功裏に確立を見た。「旅職人の要求が強く表明されたリメリックでは、製パン親方の反対や、最も大きな反対者となった製粉・製パン一貫業者の反対によって、これらの運動は挫折させられた。リメリックの例が、エニスやティペレアリの運動を後退させた。最も強くあらん限りの示威感情が沸き上ったコークでは、親方達は、労働者を解雇するという彼等の実力を行使することで、運動を壊滅させた。ダブリンでは、製パン親方達はこの運動に対して反対の決意をあらわにし、旅職人の要求に対して、できる限りの手を使って挫き、日曜労働と夜間労働を承諾するよう追い込んだ。応じようとしない労働者には、これとは別の手を使って、追い払った。」
  (20) 英国政府委員会は、その政府は、アイルランドで、歯に至るまで武装して、そのことをいかに示すかをよく知っていたのだが、柔らかく、あたかも葬式に参列したかのような声色で、容赦しようともしないダブリン、リメリック、コーク他の、製パン親方達に次の様に忠告した。「委員会は、労働時間は自然の法則によって制限されており、罰則なしで冒されることはできないものと信じている。製パン親方達は、彼等の労働者に、解雇の恐怖をもって、彼等の宗教上の信念とかれらの良き感情とを冒涜し、国の法律に従わず、大衆の意見( この内容は日曜日の労働に関するものが全てではあるが ) を無視したことは、労働者達と親方達の間に反目を惹起させたと考えられる。…そして、宗教、道徳、社会的秩序等に危険な例を引き起こした。…委員会は、日12時間を超える定常労働は、労働者の家庭生活及び個人生活を浸食し、倫理崩壊に至らしめる。個々人の家庭に干渉し、そして息子としての、兄弟としての、亭主としての、家長としての、家族的義務を放棄させるものと信じている。12時間を超える労働は、労働者の健康に穴をあけるもので、早過ぎる老化と死をもたらす。労働者の家族にとっては耐えがたい痛手となる。かくて、最も必要な時に、家族の長の配慮や支援が剥奪される。」〉(インターネットから)


●注84.85

《初版》

 〈(84)『1861年のアイルランド製パン業にかんする委員会報告書』。
       (85) 同前。〉(江夏訳275頁)

《フランス語版》  フランス語版では、第20パラグラフが二つのパラグラフに分けられ、最初の部分に注51)が付けられている。それをここで、後半部分に付けられている注52)と一緒に紹介しておく。

 〈(51) 『1861年のアイルランド製パン業にかんする委員会報告書』。
       (52)  同前。〉(江夏・上杉訳252と253頁)

《イギリス語版》  なし。


  (付属資料№4に続く)

 

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