『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.35(通算第85回)(8)

2023-07-14 10:22:15 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.35(通算第85回)(8)


【付属資料】№4


●第21パラグラフ

《初版》

 〈以上は、まさにアイルランドのことであった。海峡のもう一方の側のスコットランドでは、農業労働者が、犂(スキ)を扱う男が、日曜日の4時間の追加労働(安息日を守るとの国で!)を伴う、この上なくきびしい気候のさなかでの13-14時間労働を、非難しており(86)、他方ではこれと同時に、ロンドンの大陪審の前に、3人の鉄道労働者が、すなわち1人の旅客車掌と1人の機関手と1人の信号手とが、立っている。ある大きな鉄道事故が、数百人の旅客をあの世に送った。鉄道労働者の怠慢がこの事故の原因である。彼らは陪審員の面前で異句同音にこう述べている。自分たちの労働は、10年ないし12年前には、1日わずか8時間続くにすぎませんでした。それが、最近5-6年のあいだに、14時間、18時間、20時間にねじ上げられ、そして、観光列車シーズンのばあいのように旅行愛好者が特にひどく殺到するときには、休みなしに40-50時間続くことが多いのです。自分たちは普通の人間であって、一眼巨人ではありません。ある与えられた点までくると、自分たちの労働力は役に立たなくなります。麻痺状態が自分たちに襲ってきます。頭は芳えなくなるし、目は見えなくなります。あくまで「尊敬に値するイギリスの陪審員」は、彼らを“manslaughrer"(殺人罪) のかどですぐ次の陪審裁判に付すという評決で答え、いんぎんな添付書のなかで次のようなあだな望みを述べている。鉄道の大資本家諸氏は、将来は、必要な数の「労働力」の買い入れではもっとぜいたくになり、代価を支払った労働力の搾取では「もっと節制的」か「もっと禁欲的」か「もっと節約的」になってくれればよいが(84)!と。〉(江夏訳275-276頁)

《フランス語版》

 〈さて、アイルランドから離れよう。海峡のもう一方の側であるスコットランドでは、農村労働者が、犂(スキ)を扱う男が、日曜日の追加労働4時間(安息日を神聖化するこの国で!(53))を伴う、いっそうきびしい気候のさなかでの13時間や14時間の労働を告発しており、これと同時に、3人の鉄道労働者が、1人の車掌と1人の機関手と1人の信号手が、ロンドン大陪審の前に連れてこられている。ある大きな鉄道事故が100人の旅客をあの世に送った。労働者の怠慢が、この不幸な原因であるということで起訴されている。彼らは陪審員の前で、10年か12年以前には労働は1日に8時間しか続かなかった、と異口同音に言明する。最近5、6年のあいだに、労働は14時間、18時間、20時間に引き上げられて、行楽列車の時期など、旅行愛好家が押し寄せる混雑時には、40時間ないし50時間続くことがまれではない。彼らは普通の人間であって、百眼巨人ではない。ある時点では、彼らの労働力はいうことをきかなくなる。麻痺状態が彼らをとらえ、頭は考えることをやめ、眼は見ることをやめる。尊敬に値するイギリスの陪審員は、過失致死〈manslaughrer〉のかどで彼らを次の巡回裁判に送るという評決で、彼らに答える。しかし、彼は慈悲深い添付書で、鉄道の大立物である資本家諸君は、どうか将来は、充分な数の「労働力」を購買するという点ではいまよりも気前よくなり、支払われた労働力を汲みつくすという点ではいまよりも「夢中」にならないでほしい、という敬虔な願望を述べている(54)。〉(江夏・上杉訳253-254頁)

《イギリス語版》

  〈21) ここまでは、アイルランドの場合を取り上げたが、海峡の向こう側、スコットランドでは、農業労働者、犂百姓達が、厳冬期の13-14時間労働と、その上に加えられる日曜日の4時間の労働に対する抗議を行った。( なんと、安息日を厳守するキリスト教徒達の国なのに! )
  一方で、同じ時間に、3人の鉄道員が、ロンドン検死官の陪審に立っていた。-車掌、機関手、信号手である。非常に大きな鉄道事故が、何百人という旅客をあの世への特急に乗せた。この不運の原因は、雇用者の過失である。彼等は、陪審員の前で、異口同音に次のような陳述した。10年または12年前、彼等の労働は日8時間続くのみであった。ここ5-6年は、それが14、18 そして20時間へと捩じり上げられた。そして、休日の運行、遊覧列車の運行と言った非常に過酷な圧力も加わった。たびたび、40から50時間の休息なしの運行状態が続いた。彼等は、普通の人間で、キュクロプス( ギリシャ神話の単眼巨人 訳者注 )ではない。ある時点・地点で彼等の労働力は消滅した。昏睡が彼等を捉えた。彼等の頭脳は考えることを止め、目は見るのを止めた、と。本当に「尊敬に値する」陪審員達は、評決によって、殺人の罪で、彼等を次の裁判に送った。その評決には、心やさしき「添え書き」があり、こう書かれていた。将来は、鉄道の資本家的有力者は、充分な量の労働力の購入により浪費的に、そして購入した労働力の排出に当たっては、より「節制的」に、より「自制的」に、そしてより「つつましく」あるべきものと信心深く希望する、と。 〉(インターネットから)


●注86

《初版》

 〈(86)グラスゴーに近いラスウェードでの1866年1月5日の農業労働者の公開集会。(1866年1月13日の『ワークマンズ・アドヴォケート』紙を見よ。)1865年末以降、まずスコットランドで農業労働者のあいだに労働組合が結成されたことは、歴史的な事件である。〉(江夏訳276頁)

《フランス語版》

 〈(53) グラスゴーに近いラスウェードでの1866年1月5日の農業労働者の公開集会(1866年1月13日の『ワークマンズ・アドヴォケート』紙を見よ)。1865年末以来、まずスコットランドで農業労働者のあいだに労働組合が結成されたことは、真に歴史的な事件である。〉(江夏・上杉訳254頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: 1866年1月5日、エジンバラに近いラスワードで開催された、農業労働者の大衆集会。( 「労働者の擁護者」紙 1866年1月13日を見よ。) 最初に、スコットランドにおいて、農業労働者達の中から、職業組合の組織化がなされたことは、歴史的な出来事なのである。中でも、最も抑圧された英国農業地域の一つ、バッキンガムシヤーで、1867年3月、労働者は、彼等の週賃金を9-10シリングから12シリングに上げるための一大ストライキを打った。( 前述紙に見るように、英国農業プロレタリアートの運動は、1830年以後、彼等の激しい意志表示が鎮圧されたことで、全く潰れてしまったが、また、新救貧法の導入によっても実際に潰滅されていたが、1860年代になって、再び開始された。1872年の画期的な時点に至るまでの間、様々に成長した。英国の地の労働者の位置について触れている1867年以降に発行された青書 ( 英国議会発行の報告書 訳者注 ) と、ともに、私は、第二巻でこの点に再度触れる。第3版にも補追した。)〉(インターネットから)


●注87

《初版》

 〈(87)1866年1月20日の『レーノルズ新聞』。その直後に、この週刊誌は毎週、「恐ろしいゆゆしき事故」、「ぞっとするような悲劇」等々という「センセーショナルな見出し」のもとで、新しい鉄道大惨事の全一覧表を掲載している。これに答えて、ノース・スタッフォード線のある労働者はこう言う。「機関手や火夫の注意力が一瞬でもゆるめば、その結果がどうなるかは、誰でも知っています。きわめてきびしい天候のもとで、休みも気晴らしもないまま無制限に労働を延長されれば、どうしてそうならずにいられましょうか? 毎日現われる一例として、次のばあいをあげておきましょう。今週の月曜日に、ある火夫がごく早朝から1日の仕事を始めました。彼はこの仕事を14時間50分後に終えました。茶を飲むひまさえもなく、またも仕事に呼び出されました。こうして29時間15分、休みなしに続けざま苦役しなければなりませんでした。彼の1週間の仕事の残りは、次のように組まれていました。水曜日が15時間、木曜日が15時間35分、金曜日が14[1/2]時間、土曜日が14時間10分、合計すると1週間に88時間40分。そこで、彼が6労働日分の支払いしか受け取らなかったときの驚きを、想像してください。この男は新米であったので、1日の仕事とはなんのことですかと尋ねました。答えは、13時間、だから1週間では78時間、ということでした。すると、追加の10時間40分の支払いはどうなりますか? 長い言い合いのあげく、彼は10ペンス(10銀グロシェンにも足りない)の手当を受け取りました。」(同上、1866年2月4日号。)〉(江夏訳276-277頁)

《フランス語版》

 〈(54) 1866年1月20日の『レイノルズ・ニューズ・ペーパー』。この新聞は毎週、「恐ろしいゆゆしき事故」、「戦慄の悲劇」などのようなセンセーショナルな見出し〈sensational headigs〉で、新しい鉄道大事故の全一覧表を公表している。ノース・スタフォード線のある労働者は、これについて次のように観察している。「機関手や火夫の注意が一瞬ゆるめば、どんなことが起きるかは、誰もが知っている。そして、休止または一刻の休息もなく労働が法外に延長されれば、どうしてこうならずにいられようか? 毎日起きていることの例として、最近起きたばかりの一事件をとりあげてみよう。ある火夫が去る月曜日、朝非常に早くから仕事を始めた。彼はその仕事を14時間50分後に終えた。お茶を飲むだけの時間もなく彼は再び仕事に呼び出され、こうして29時間15分も間断なく骨折らなければならなかった。彼の1週間の残りの仕事は、次のように配分されていた。すなわち、水曜日は15時間、木曜日は15時間35分、金曜目は14時間半、土曜目は14時間10分。1週全体の合計は88時間40分。さて、彼がたった6日分の支払いしか受け取らなかったときの驚きを想像せよ。この男は新参者であったので、1日分の仕事とはなにを意味するのかと尋ねた。答えは13時間、したがって1週間に78時間であった。だが、それでは、追加の10時間40分にたいする支払いはどうなるのか? 長い論争の後、彼は10ペンス(1フラン) の手当を得たのである」(同上、1866年2月4日号)。〉(江夏・上杉訳254頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: レイノルズ ニュース紙 1866年1月-毎週この新聞は、「恐ろしく、かつ破滅的な事故」「ぞっとするような悲劇」等々のセンセーショナルな見出しで、新たな鉄道事故を次々に取り上げた。これらの事故の一つに係る、北スタッフォードシャー線の雇用者の一人は次のように述べた。「誰でも分かるように、もし、蒸気機関車の機関手と火夫が、常に外を見ていなければ、こうなる。風雨の中、29-30時間も休息なしで仕事をする彼等から、それをどうやって期待できるのか。いつも行われていることだが、一つの例を上げれば、-ある火夫は月曜日の朝早くから仕事を始める。一日の仕事と称される仕事を終わった時、彼は14時間50分の職務を果たした。お茶を飲む時間の前に、彼は次の職務に呼び出される。…彼が14時間25分の職務を終えた時には、何の中断もない計29時間と15分の職務となっている。残りの週日の仕事は、次のようになっている。-水曜日 15時間、木曜日 15時間35分、金曜日 14時間半、土曜日 14時間10分、合計 週 88時間30分となる。そこで、旦那、この全ての時間に対して6日と1/4日分の支払いを受けた時の彼の驚きを想像してみよ。これは何かの間違いであると思った彼は、運行係に申し出た。…そして、一日の仕事を何と考えているのかを尋ねた。貨物輸送に当たる火夫では13時間 ( すなわち、週78時間 ) であるとの答えが戻った。それを受けて彼は、週78時間以上の職務についての支払いを求めた。が、拒絶された。とはいえ、最後に彼は、彼等が彼に別に1/4日分を与えると云われた。すなわち10ペンスを。」1866年2月4日号〉(インターネットから)


●第22パラグラフ

《初版》

 〈打ち殺された人々の霊が、オデュッセウス〔ギリシアの伝説上の英雄〕のもとに群れをなして押しかけたよりももっと熱心に、われわれのところに群れをなして押しかけてくるし、小脇にかかえた青書を見なくても一目で超過労働が察せられるというような、ありとあらゆる職業とあらゆる年齢の男女から成る雑多な労働者群のなかから、われわれはさらに、2人の人物--この2人の人物の顕著な対照が、すべての人間は資本の前では平等であるということを、示しているのだが--、婦人服裁縫女工鍛冶工とを、選び出してみよう。〉(江夏訳277頁)

《フランス語版》

 〈地獄でオデュッセウス〔ギリシアの伝説上の英雄〕の前に現われた死の亡霊よりもさらに数多くわれわれの前に現われ、その小脇に抱えた青書を開かなくても一見して過度労働の跡が認められるような、あらゆる職業とあらゆる年齢と男女両性の労働者の雑多な群衆のなかから、われわれはついでにもう2人の人物を取り上げよう。この2人の顕著な対照が、すべての人間は資本の前で平等である、ということを証明してくれる人物--婦人服製造女工と鍛冶工--を。〉(江夏・上杉訳254頁)

《イギリス語版》

  〈(22) あらゆる職業の労働者が、年齢・性別を問わず、我々の所に頻繁に押しかけてくる。殺された魂がユリシーズの所に押しかける以上に。彼等は、-その内容に言及した青書を腕に抱えてはないが、- 一見して過労の印が見てとれる。その雑多な中から、さらに二つの姿を取り上げる。その姿は、資本の前では全ての人間が均一であることを驚くべき鮮明さで証明している。- 婦人用帽子縫製工と鍛冶工とである。〉(インターネットから)


●第23パラグラフ

《61-63草稿》

 〈〔注解〕……1863年6月にロンドンの新聞(とりわけ1863年6月24日付の『ザ・タイムズ』の“Worked to death…"という〔書き出しの〕記事、7ページ5段、同じく“Ten days ago…"という〔書き出しの〕記事、11ページ5段および6段、1863年6月23日付の『モーニング・スター』の記事「われわれの白色奴隷」、4ページ6段-5ページ1段)は、婦人服製造女工メアリ・アン・ウォークリの過度労働による死亡について報じた。〉(草稿集④282頁)縫製

《初版》

 〈1863年6月の最後の週に、ロンドンのすべての日刊新聞は、“Death from Simple Overwork"(単なる超過労働が原因の死亡)という「センセーショナル」な見出しをつけた一文を掲載した。それは、ある非常に声望の高い宮廷用婦人服裁縫所に雇われていて、エリーズという感じのよい名の婦人に搾取されていたメアリ・アン・ウォークリという20歳の婦人服縫製女工の、死亡にかんするものであった。幾度も語られた古い物語が、いままた新たに発見されたのであって(88)、これらの娘は、平均して16[1/2]時間、だがロンドン季節中には往々にして30時間休みなく労働し、彼女たちの「労働力」がいうことをきかなくなると、ときおりシェリー酒やポートワインかコーヒーが与えられて活動を続けさせられたのである。それはちょうどロンドン社交期の盛りのことであった。新しく輸入されたイギリス皇太子妃に忠誠を誓う舞踏会用の貴婦人の晴着を、一瞬のうちに魔術のように作り上げなければならなかった。メアリ・アン・ウォークリは、ほかの60人の娘たちと一緒に、必要な空気容積の1/3もないような一室に30人ずつ入れられて、26[1/2]時間、間断なく労働したが、夜になると、1つの寝室をあれこれの板壁で仕切った息づまる穴の一つのなかで、1つのベッドに2人ずつ寝た(89)。しかも、これが、ロンドンでもましな婦人服裁縫所の一つであった。メアリ・アン・ウォークリは、金曜日に病気になり、そして、エリーズ夫人の驚いたことには、最後の1着を仕上げもしないで日曜に死んだ。遅ればせに死の床に呼ばれた医師キー氏は、検屍陪審員の前で、率直な言葉で次のように証言した。「メアリ・アン・ウォークリは、詰め込みすぎた作業室での長い労働時間が原因で、また、換気の悪いせますぎる寝室が原因で、死にました。」この医師に行儀作法を教えるために、この証言にたいして「検屍陪審員」はこう述べた。「死者は卒中で死んだが、その死が、詰め込みすぎた作業場での超過労働等によって早められたのではないか、と懸念する理由が、ないわけではない。」われわれの「白色奴隷は」、と自由貿易論者コブデンおよびブライトの機関紙『モーニング・スター』は叫んだ、「われわれの白色奴隷は墓にまでこき使われ、こっそりと、いためつけられて行く(90)。」と。〉(江夏訳277-278頁)

《フランス語版》

 〈1863年6月末の数週間、ロンドンのすべての新聞は、「単なる過度労働からの死亡〈Death from simple overwork〉」というセンセーショナルな見出しの一記事を掲載した。問題になったのは、20歳のメアリ・アン・ウォークリという婦人服製造女工の死亡であった。彼女は、宮廷の御用商人でエリズという優しい名前の婦人が経営していた非常に立派な仕事場で使われていたのである。これは、非常にしばしぼ語られた古い物語であった(55)。確かに若い女工たちは、1日に平均して16[1/2]時間しか働かなかったが、社交期中にかぎっては、休みもなく30時間続けざまに働いた。そして確かに、彼女らの衰弱した労働力を生きかえらせるために、幾杯かのシェリー酒やポートワインまたはコーヒーが彼女らに与えられた。ところで、社交期の真最中のことであった。ことは、新たに輸入されたイギリス皇太子妃に敬意を表する舞踏会に行く貴婦人たちのための衣裳を、一瞬のうちに仮縫いすることであった。メアリ・アン・ウォークリは、ほかの60人の少女たちと一緒に26]1/2]時間ひっきりなしに働いた。言っておかねばならないが、これらの少女たちが30人、必要な空気容積のほとんど3分の1もない1室のなかにおり、しかも夜は、どの寝間も幾つかの板壁で仕切られたむさくるしい部屋のなかで、2人ずつ眠ったのである(56)。しかもこれこそが、最も優秀な婦人服製造所の一つであったのだ。メアリ・アン・ウォークリは金曜日に病気になり、日曜日には、エリズ婦人が非常に驚いたことには、縫物に最後の針の先をあてぬまま死亡した。遅ればせに死の床に呼ばれた医師キーズ氏は、検屍陪審員の前で全く率直にこう表明した。「メアリ・アン・ウォークリは、詰め込みすぎた作業室での長時間労働や狭すぎて換気の悪い寝室が原因で、死亡した」。他方、「検屍陪審員」はこの医師に行儀作法を教えるため、こう言明した。「故人は卒中で死んだが、その死が詰め込みすぎた作業場での過度労働などによって速められたのではないか、と懸念すべき余地はあった」。自由貿易主義老コブデンやブライトの機関紙『モーニング・スター』は、こう叫んだ。「われわれの白色奴隷は、彼らを墓場にまで駆りたてる労働が産んだ犠牲者である。彼らは精根がつき果ててこっそりと死ぬ(57)」。〉(江夏・上杉訳254-255頁)

《イギリス語版》

  〈(23) 1863年6月の最後の週、ロンドンの日刊紙の全てが、「センセーショナル」な見出しで、「単なる過労による死」という小さな記事を掲載した。それは、婦人用帽子縫製工の死を取り上げたもので、マリー アン ウォークリー 20歳。非常に高い評価を受けている婦人服の仕立業者に雇用されていた。エリーズという感じのよい名前の一人のご婦人によって、労働力を搾取された。古い、よく登場する話題が、今一度語られる。この少女は、平均で16時間半働いた。季節によっては、30時間休みもなく働くこともあった。彼女の労働力が無くなると、たびたび、シェリーとか葡萄酒とか、またはコーヒーで回復されられた。その時はまさにこの季節の真っ只中であった。新らたに宮廷入りした英国皇太子妃のための舞踏会に招待された貴婦人達のために、豪華なドレスの数々を瞬きする間に魔法のように仕上げる必要があった。マリー アン ウォークリーは、休みもなく、他の60人の少女たちと、30人一部屋で、そこは、彼女たちに必要とされる空気量の1/3しか与えない狭さの中で、26時間半働いた。夜は、二人一組で、板で間仕切りされた窮屈極まる穴のような寝室で寝た。
  そして、この婦人用帽子製造業者は、ロンドンでも最良の部類に入る業者の一つであった。マリー アン ウォークリーは、金曜日に病気となり、日曜日に死んだ。彼女の仕事が完成することがないままに。マダム エリーズは、このことに仰天した。医師 キーズ氏は、臨終には間に合わなかったが、検死陪審が来る前に、状況をよく監察し、「マリー アン ウォークリーは、人数が多過ぎる作業室での長時間作業と小さ過ぎの不良通風装置しかない寝室のために死んだ。」と述べた。この医師に良き礼儀作法の授業を施すために、検死陪審は、検死報告に次のように記した。「脳卒中で死亡。しかし、過密作業室内での過重労働がその死を加速させた懸念という理由もある。等々。」「我々の白人奴隷」と自由取引業者 コブデンとブライドの機関紙、モーニングスター紙は叫んだ。「我々の白人奴隷は、墓場に入るまで働かされた。その間、黙ったまま、やせ衰えて、そして死んだ。」〉(インターネットから)


●注88

《イギリスにおける労働者階級の状態》

 〈手工業においては、資本の力と、ときとすると分業もまた同じような結果をともない、小ブルジョアジーを駆逐し、そのかわりに大資本家と無産労働者とをすえたということは、すでに私がまえに述べたとおりである。これらの手工業者については、実際に、ほとんどなにもいうことはない。なぜなら、手工業者に関係のあるいっさいのことは、すでに工業プロレタリアート一般について述べた例の個所で、考察しておいたからである。またここでは、労働のしかたや、それが健康におよぼす影響という点では、工業運動がはじまってこのかた、ほとんど変化していない。しかし、固有の意味での工業労働者との接触、職人たちがいまなお個人的な関係をむすんでいる小親方の圧迫よりもはるかにはっきりと感じられるようになった大資本家の圧迫、大都市生活の影響および賃金の下落は、ほとんどすべての手工業者たちを、労働運動の積極的な参加者にしてしまった。われわれは、この点については、ただちに語らねばならないのであるが、ロンドンの労働人口の一部類に目をむけてみよう。これらの労働者は、ブルジョアジーの金銭欲による搾取のされ方が異常なまでに野蛮であるという点で、とくに注目に値いする。私のいっているのは、婦人装身具製造女工と裁縫女工のことである。
  ブルジョアジーの貴婦人たちをかざりたてるのに役だつような品物の製造こそ、ほかならぬこの製造に従事する労働者たちの健康にたいして、悲惨このうえもない結果をともなうということは、特徴的なことである。われわれは、このようなことを、まえにレース製造業のところですでに見たが、いままたロンドンの婦人装身具店を、こうした陳述の証明とするのである。これらの商店は、たくさんの若い娘を雇っている--全部で1万5000人の娘がいるといわれている--彼女たちは、これらの商店に住みこんで食事をし、たいてい田舎からでてきているので、完全に雇い主の奴隷である。1年に約4ヵ月つづく流行シーズンの/あいだは、もっとも条件のよい商店でさえ、労働時間は毎日15時間であり、緊急の仕事があるときには18時間にもなる。けれども、たいていの店では、この期間中はまるではっきりした時間のきまりなしに、働かされる。そこで娘たちは、休息と睡眠にあてられる時間としては、24時間の打ち6時間以上ありつくことなどまったくなく、しばしば3時間か4時間しかない。それどころかときにはほんの2時間しかないこともあり、19時間ないし22時間も働かされる。それも、彼女たちが徹夜で働く必要のない場合のことであって、徹夜の労働もしょっちゅうあるのだ! 彼女たちの労働におかれているただ一つの限界といえば、これ以上はただの1分間でも針をはこぶのが絶対的・肉体的に不可能となる、ということである。これらの救いようもない生き物たちが、9日間ものあいだつづけさまに着物もきかえず、わずかに機会のあるたびにときどき敷きぶとんのうえで、ほんのつかのまの休息しかとれないような場合とか、食物をでぎるだけ短い時間にのみこめるように、こまかくきざんで、これらの生ぎ物にあてがうような場合もおこってくる。簡単にいえぱ、これらの不幸な娘たちは、道徳的な奴隷の鞭--首切りという脅威--によって、頑健な成年男子にさえたえられないような、まして14歳ないし20歳のかよわい娘たちにはなおさらたえられないような、たえまなくつづく労働をさせられているのである。おまけに、作業室や同じくまた寝室のしめっぽい空気、かがんだ姿勢、しばしばまずくて消化のわるい食物--これらすべてのことが、だがわけても長時間労働と戸外の空気からの隔離とが、娘たちの健康にたいして悲惨このうえもない結果をひきおこす。疲労と無気力、虚弱、食欲不振、肩・背・腰のいたみ、わけても頭痛がすぐさまおこる。それから脊椎の彎曲、高くつきでたぶかっこうな肩、萎縮、はれあがって、涙がながれ、いたんで、すぐにも近眼となってしまう目、咳、呼吸困難と息ぎれ、ならびにいっさいの女性の思春期病である。目は、多くの場合ひどくそこなわれるので、不治の盲目、眼球組織の全面的な破壊がおこる。そして視力が、仕事をつづけられる程度に運よくのこったとしても、肺結核がこれらの婦人装身具製造女工の、短くもいたましい生涯にとどめをさすのがふつうである。この仕事をかなりはやくやめた女工たちの場合でさえ、身体の健康は永久に破壊されてしまい、体力も衰弱してしまう。彼女たちは、たえず、とくに結婚すると、病身で虚弱となり、病弱な子供をうむ。委員(児童雇用委員会の) の質問をうけた医師たちは、これ以上に健康を破壊し、寿命にも達しない若死にをまねくことをめざすような生活のしかたは、けっして見つけだすことはできない、と口をそろ/えて述べている。
  裁縫女工、ことにロンドン裁縫女工は、これと同じような残酷さで、ただいくぶん間接的に搾取されている。コルセットの製造に従事している娘たちは、くるしい、骨の折れる、目をつかれさせる仕事をしている。では、彼女たちのうけとる賃金は、はたしてどれくらいであろうか? 私はそれは知らない。しかし、自分のうけとった材料を保証しなければならず、またひとりひとりの裁縫女工に仕事を割り当てている請負人が、1個あたり1ペニー半、プロイセンの15ペニッヒをもらっている、ということは私は知っている。この1ペニー半のうちから、さらに請負人の利益がさしひかれ、しかもその利益は、すくなくとも半ペニーである--したがって、せいぜい1ペニーしか、あわれな娘たちのふところにははいらないわけである。えり飾りをぬう娘たちは、16時間働く義務を負わねばならず、そして週4シリング半、プロイセンの1ターレル半の賃金をもらうが、この賃金で彼女たちは、ドイツのもっとも物価の高い都市で、ほぼ20ジルバーグロッシェンで買えるのと同じだけのものを買うことができる*。だが、もっと不幸なのは、シャツをぬう裁縫女工である。彼女たちは、並製のシャツ1枚について1ペニー半もらう--以前だと、彼女たちは2ペンスないし3ペンスもらっていたのに、ブルジョアジーの急進派の官憲によって管理されるセント・パンクラス救貧院が、この仕事を1ペニー半でひきうけはじめてからというものは、これらのあわれな女たちも、1ペニー半でしなければならなくなったのである。1日に18時間働いて仕上げることのできる上等の、飾りつきのシャツにたいしては、6ペンス、すなわち5ジルバーグロッシェンが支払われる。これら裁縫女工の賃金は、この点からみても、また女工や請負人たちの広範な陳述からみても、非常な努力をかさね、深夜にいたるまで仕事をつづけても、週に2シリング半ないし3シリングにしかならないのだ! そして、こうした恥ずぺき野蛮さを完全無欠なものに仕上げるものこそ、裁縫女工が、自分たちに委託された材料の金額を一部分供託しなければならない、という制度なのである。もちろん、彼女たちがこうした供託をするには、彼女たちが--これは材料の所有者も知っていることだが--その材料の一部を質に入れ、これを損をしてうけだすか、それとも材料をうけだすことができない場合には、1843年11月にある裁縫女工がでくわしたように、治安裁判所に出頭しなければならないか、そのどちらか選ぶ以外にはどうすることもできないのである。こうした不幸な目にあって、どうしたらよいかわからなかったあるあわれな娘が、1844年8月に、運河に身をなげて自殺した。/これらの裁縫女工は、ふつう小さな屋根裏部屋で、極度にまずしい生活をしている。ここで彼女たちは、1室にどうにかこうにか詰めこめるだけたくさん、いっしょに住んでいる。そして、冬になると、たいてい室内にいる人たちの動物的な体温が、ただ一つの暖房手段である。彼女たちは、そこで仕事をするためにかがみこんですわり、朝の4時か5時から真夜中までもぬい、2、3年のうちに健康をだいなしにし、どうしても必要不可欠なものさえ手に入れることもできずに、若死にしてしまうのである**。一方、彼女たちの足もとでは、上流ブルジョアジーの美しい儀装馬車が車輪の音も高らかにはしりすぎているし、またおそらく10歩とへだたっていないすぐ近くでは、あさましい伊達者が、彼女たちがまる1年かかってかせげるよりも多くの金を、一夜のうちに賭博カルタですっているのだ。

  *『ウィークリ・ディスパッチ紙』、1844年3月17日付けを参照のこと。(原注)
  **トマス・フッドは、現在のイギリスのあらゆるユーモア作家のなかでももっとも天分がゆたかであり、またあらゆるユーモア作家と同じように、人間的感情にはあふれているが、精神的エネルギーはちっとももっていない人物であるが、このフツドが、裁縫女工の貧困があらゆる新聞でさかんにとりあげられていた1844年のはじめに、「シャツの歌」(The Sonf of Shirt)という美しい詩を発表した。この詩は、ブルジョアジーの娘たちの目からすくなからぬ思いやりのある涙を、しかしなにもならない涙をさそった。私は、この詩をここに引用できるだけの余白をもっていない。この詩は、もともと『バンチ紙』にまず最初に掲載され、それからいろんな新聞につぎつぎと掲載された。裁縫女工の状態は、当時あらゆる新聞で論評されているから、とくに引用する必要はない。(原注)〉(全集第2巻443-446頁)

《初版》

 〈(88)F・エンゲルス、前掲書〔『イギリスにおける労働者階級の状態』〕、253、254ページ、参照。〉(江夏訳278頁)

《フランス語版》

 〈(55) F・エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』、253、254ぺージ、参照。〉(江夏・上杉訳255頁)

《イギリス語版》 なし。


●注89

《初版》

 〈(89)保健局勤務の医師ドクター・レズピは、当時こう述べた。「どの大人にも必要な空気の最小限度は、寝室で300立方フィート、居室で500立方フィートであるべきだ。」ロンドンのある病院の医長であるドクター・リチャードソンは、こう言っている。「あらゆる種類の裁縫女工、すなわち婦人服裁縫女工や衣服裁縫女工や普通の裁縫女工は、三重の不幸--超過労働、空気の不足、栄養不足または消化不良--に苦しんでいる。一般に、この種の労働は、どんな事情のもとでも、男よりも女に適している。ところが、この仕事の害毒は、この仕事が、ことに首都では26人ばかりの資本家に独占されていて、彼らは、資本から生ずる(that spring from capital)権力手段に訴えて、労働から節約を搾り取る(force economy out of labour,彼の意味するところでは、労働力の濫費によって出費を節約すること)、ということなのである。この権力は、この女工の全階層にわたって感知される。ある女裁断師がわずかな範囲の顧客でも獲得できたならば、彼女は、顧客を失わないために競争によって、自宅で死ぬほど労働することを余儀なくされ、しかも、彼女は必然的に、自分の女助手たちにも同じ超過労働を諜せぎるをえない。仕事が失敗するか独立してやってゆけなくなると、彼女は、労働がより少ないわけではないが支払いが確実な店に、身を寄せる。そうなると、彼女はまじりけのない女奴隷になり、社会の波動のたびごとにあちこちに投げ出される。あるときは、自宅の小部屋で飢えているか飢えかかっているかと思えば、その次には、24時間のうち15時間、16時間、それどころか18時間も、ほとんど我慢しきれない空気のなかで働き、食物は、たとい良くても、きれいな空気を欠いているために消化できないでいる。これらの犠牲を餌にして、空気病にほかならね肺結核が生きているわけだ。」(ドクター-リチャードソン『単なる超過労働が原因の死亡』。『社会科学評論』、1863年7月号に所載。)〉(江夏訳278-279頁)

《フランス語版》

 〈(56) 保険局勤務の医師ドクター・レズピは、……その当時こう言明した。「成人に必要な空気の最小限は寝室で300立方フィート、居室で500立法フィートである」。ロンドンのある病院の医長ドクター・リチャードソンはこう述べる。「あらゆる種類の裁縫女工、婦人服製造女工、衣服仕立師などは、三つの災禍に冒されている。過度労働、空気の欠乏、栄養の不足または消化不良である。一般に、この種の労働はどんな事情のもとでも男子より女子に適している。だが、この営業にとっての不幸は、殊にロンドンでは、それが26人の資本家によって独占されてしまっていて、これらの資本家たちが、資本そのものから生ずる〈that spring from capital〉強制手段を用いて、労働力を浪費することによって支出を節約する、ということなのである。この権力はあらゆる裁縫部門で感ぜられる。たとえば、1人の衣服仕立師がわずかな範囲の顧客をもつことに成功すると、競争に駆られて、彼女は、その顧客を維持するために死ぬまで働かざるをえず、女工たちを労働でおしつぶさざるをえなくなる。彼女の事業がうまくゆかないか、または自立して身を立てられないばあい、彼女は、労働がより少ないわけではないが支払いがより確実な事業所に出かけて行く。こうした事情で彼女は一介の奴隷になり、社会の波動のたびごとにあちこちへ行く。ある時は自宅の小さな一室で餓死かまたはそれに近い状態に置かれ、ある時は作業場で24時間の内15、16、18時間も、ほとんど我慢のできない空気のなかで、よい食物であっても清浄な空気の不足のために消化できない食物を食べながら、仕事をさせられる。これらの人々が、毎日肺結核の生けにえに供されて肺結核の王国を永続させる犠牲者なのである。この病気には、汚れた空気以外になんの原因もないからである。」(ドクター・リチャードソン『労働と過度労働』。『ソーシャル・サイエンス・レヴュー』、1863年7月18日号所載)。〉(江夏・上杉訳255-256頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: 保健委員会の顧問医師 レースビー博士は、「大人一人当り、寝室では300立方フィート、居室では500立方フィートが最低必要空気量としてあるべきである。」と述べた。ロンドンの病院の一つに所属する先任医師 リチャードソン博士は、「婦人用帽子縫製工、服飾縫製工、そして普通の裁縫婦達を含むあらゆる種類の裁縫工には、3つの苦痛がある。-過労、不十分な空気、そして食料不足または消化不良…裁縫作業は主として…圧倒的に男性よりも女性に適している。だが、この業種の欠陥は、特に首都では、僅か26人の資本家によって寡占されており、資本からはじけだす利益を独占するという権利をもつ資本家によって、資本へと労働から経済を取りだすことができることにあった。この力は、全階級にそのことを知らしめている。もし仮に、一人の裁縫師が僅かな顧客を得て経営することができたとしても、競争があり、維持していくためには、彼女の家で、彼女は死ぬほど働かねばならない。そしてこの過労を、彼女は彼女を支えてくれる人達にも強いねばならない。もし失敗するか、独立を試みることがなければ、より大きな業者に加わらざるを得ない。そこでは彼女の労働は少なくなりはしないが、彼女の金は安全である。このようになれば、彼女は単なる奴隷となる。社会の変化の中に投げ出される。たった一部屋の我が家で、飢えまたはそれに近い生活、そして24時間のうちの15、16、そして( aye 古英語:olde englishe )18時間ともなる作業に従事し、空気はやっと耐えられるもの、そして食べ物といえば、例えそれが良いものであったとしても、きれいな空気がなければ、消化されない。これらの犠牲の上に、肺病が、これこそ純粋に、悪い空気、悪い食料によって発症する病気である。」リチャードソン博士著 「社会科学評論」の中の「労働と過度労働」1863年7月18日 〉(インターネットから)


●注91

《初版》

 〈『モーニング・スター』、1863年6月23日。『タイムズ』紙は、ブライトたちに反対してアメリカの奴隷所有者を弁護するために、この事件を利用した。同紙はこう言う。「われわれののなかのきわめて多くの者の意見によると、われわれが、われわれ自身の若い婦人たちを、鞭のうなりの代わりに飢餓のこらしめで死ぬまで働かせているかぎり、生まれながらにして奴隷所有者であって自分の奴隷を少なくとも良く養い適度に働かせている家族に、砲火や刀剣を向ける権利は、われわれにはおおかたない。」(『タイムズ』、1863年7月2日。)トーリ党の機関誌『スタンダード』も、同じやり方で、ニューマン・ホール師を戒告してこう言っている。「あなたは奴隷所有者を破門しているが、ロンドンの御者や乗合馬車の車掌たちを犬なみの賃金で1日にわずか16時間労働させているようなご立派な方々と、祈りを共にしている。」最後に、トマス・カーライル氏が神託を下したが、彼については、私はすでに1850年にこう書いておいた。「天才は消え失せ、崇拝が残っている」と。彼はある短い寓話のなかで、現代史上唯一の大事件であるアメリカの南北戦争をこう要約している。すなわち、北部のピーターは南部のポールの脳天を力いっぱい打ちくだこうとするが、それというのも、北方のピーターは自分の労働者を「日ぎめ」で雇っているのに、南方のポールは自分の労働者を「一生涯雇いきりにしている」からだ、と。(『マクミラン・マガジン』。「アメリカの小イリアス」、1863年8月号。)こうして、都市の--断じて農村のではない!--賃金労働者にたいするトーリ党的同情のあぶくが、ついには破裂した。その核心は、いわく--奴隷制!〉(江夏訳279頁)

《フランス語版》

 〈(57) 『モーニング・スター』、1863年6月23日。『タイムズ』紙は、ブライト会社に反対してアメリカの奴隷主を弁護するために、この事件を利用した。『タイムズ』紙は言う。「われわれのうち多くの者の意見では、われわれが、鞭の唸(ウナ)りのかわりに飢餓のとげ棒を使うことによって、われわれの若い婦人を死ぬまで働かせているかぎり、われわれには、生まれながらの奴隷主であって自分の奴隷を少なくともよく養い適度に働かせている家族に向けて、剣と砲火に訴える権利は、ほとんどないのである」(『タイムズ』、1863年7月2日)。トーリ党の定期刊行物『スタンダード』も同様に、ニューマン・ホール師に説教して言う。「あなたがたは奴隷主を破門するが、ロンドンの乗合馬車の御者や車掌を犬も欲しがらない賃金で1日16時間も悔恨の念もなしに働かせているような立派な人々と、一緒に祈祷している」。最後に、天才崇拝〈hero workship〉の発明者であるチェルシイの巫(カンナギ)、トーマス・カーライルが語ったが、彼について私はすでに1850年に、「天才は消え去ったが崇拝は残った」と書いたことがある。彼はあるつまらぬ寓話のなかで、現代の唯一の大事件であるアメリカの南北戦争を、次の単純な事実に要約している。すなわち、北部のピーターは南部のポールの脳天を力いっぱい打ちくだこうとするが、それというのも、北部のピーターは労働者を日ぎめで雇うのに、南部のポールは労働者を一生涯雇いきりにしているからである、という事実(『マクミランズ・マガジン』。『アメリカの小イリアス』、1863年8月号)。最後に、トーリ党員たちは、彼らの博愛の最後の言葉を述べた。奴隷制! と。〉(江夏・上杉訳256頁)

《イギリス語版》

  〈本文注: モーニング スター紙 1863年7月23日- ザ タイムズ紙は、この事件を利用して、ブライト他の言い分と比較して、アメリカの奴隷所有者を擁護した。「我々の多くは、こう思っている。」と、同紙社説 1863年7月2日 は云っている。「我々( ここの我々は自分達とは異なる英国人の我々ということである。訳者注) は、笞の音の代わりに、まるで強制する器具のように、飢餓の苦しみを使用して、我々(前述注)の若い婦人を死に至らしめたが、我々は、奴隷所有者の家族として生まれた者に対して、火や虐殺を用いて追い立てる権利は少しも持ってはいない。少なくとも、彼等 ( 奴隷所有者達のことだが、訳者注 ) は、奴隷たちをよく養い、少しだけ働かせる。」同じような態度で、スタンダード紙、保守主義者トーリー党の機関紙は、ニューマン ホール師を口汚くこき下ろし、「彼は、奴隷所有者を破門するが、ロンドンのバス運転手や車掌をして、犬に与える程の賃金で、日16時間も働かせるご立派なご一族と、良心の呵責もなく、お祈りを共にする。」最後にトーマス カーライル、私( スタンダード紙の論説者 訳者注 ) は、彼については1850年に書いたことがあるが( spake 古英語:olde englishe )、のご神託を。「悪魔が勝利したが、内実はなにも変わらなかった。」(ドイツ語) 短い寓話で、彼は現代史の一大偉業の一つであるアメリカ南北戦争をこのレベルの話に矮小した。次の様な話である。北のピーターは、南のポールの頭を、力を込めて叩き潰そうと思った。なぜならば、北のピーターは、彼の労働者を日単位で雇おうとし、南のポールは、彼の労働者を生涯で雇おうとするからである。( "マクシミリアンズ マガジン" 殻の中のイリアス アメリカーナ 1863年8月 ( ラテン語 ) ) かくて、都市労働者に対するトーリー的同情の泡が、-農業労働者にではない、が、-ここのところに来て破裂した。云いたいことは、-奴隷制擁護!〉(インターネットから)


●第24パラグラフ

《初版》

 〈「死ぬまで労働することは、婦人服縫製女工の仕事場だけでにかぎらず、幾千もの場所で、それどころか商売がうまくいっている場所であればどこでも、日常の事柄である。……鍛冶工を例にとってみよう。詩人の言葉を信じてよければ、鍛冶工ほど元気で快活な男はいない。彼は早起きして、太陽よりもさきに火花を散らす。彼は、ほかの誰よりもよく食い、よく飲み、よく眠る。たんに肉体的に見ると、労働が適度であれば、彼の状態は、じっさい、人間の最上の状態の一つである。ところが、彼のあとについて都市に行って、この強健な男に負わされる労働の重荷を見たり、わが国の死亡統計表で彼がどんな地位を占めているかを見たりしてみよう。メリ・レボウン(ロンドンの最大区の一つ)では、鍛冶工は毎年、1000人につき31人の割合で、すなわち、イギリスの成年男子の平均死亡率よりも11人多い割合で、死んでいる。その仕事は、ほとんど本能的とも言える人間の技能であって、それ自体としては非のうちどころがないが、労働のやりすぎということだけで人間の破壊者になる。彼は毎日、どれだけかハンマーを振り、どれだけか歩き、どれだけか呼吸し、どれだけか仕事をして、平均してたとえば50年生きることができる。ひとが彼を強制して、どれだけか多くハンマーを振らせ、どれだけかより多く歩かせ、1日にどれだけかより多く呼吸させ、全部を合計して彼の生命支出を毎日4分の1ずつ増加させる。彼はやってみる。そして結果は、彼が、ある限られた期間について4分の1多くの仕事をし、50歳ではなく37歳で死ぬ、ということになる(91)。」〉(江夏訳279-280頁)

《フランス語版》

 〈「死ぬまで労働することは、たんに婦人服製造女工の商店においてだけでなくどんな営業においても、日常のことである。鍛冶工を例にとろう。詩人の言うことを信ずると、鍛冶工ほど、逞しくて活気と快活にあふれている人間はいない。彼は朝早く起きて、太陽よりも先に火花を飛び散らせる。彼はほかのだれよりも食い、飲み、眠る。肉体的に見て、彼の労働が適度であれば、彼の状態は実際に、人間の最上の状態の一つである。だが、彼を都会まで追っていって、この強い男にどんな労働の重荷が負わされているか、彼がわが国の死亡率表でどんな地位を占めているか、を調べてみよう。マラルボウン(ロンドンの最大区の一つ)では、鍛冶工は毎年1000人につき31人の割合で死亡するが、この数はイギリスの成人の平均死亡率を11人も越えている。この職業は、人間のほとんど本能的な一技能であって、単なる労働過重だけでこの男を破壊するものになる。彼は1日にどれだけかハンマーを打ちおろし、どれだけか歩行し、なん度か呼吸し、どれだけか仕事をして、平均50年生きることができる。彼はどれだけかいっそう数多くハンマーを打ちおろし、いっそう数多く歩行し、どれだけかいっそう数多く呼吸し、そしてすべてを合計して、生命の日々の支出を4分の1だけ増すように強制される。彼はこれを試みる。その結果はどうか? 結果は、彼がある限られた期間中4分の1だけ多くの仕事をして、50歳ではなく37歳で死ぬ、ということなのである(58)」。〉(江夏・上杉訳256-257頁)

《イギリス語版》

  〈(24) 「あたかも一日の日課のごとき、死に至る労働は、何も服飾製造業者の作業室に限ったことではない。他に千もの場所がある。繁盛している商売がそこにあるならば、私が云った通り、その全ての場所で。…我々は、一つの典型として鍛冶屋を取り上げよう。もし詩人が正しいならば、鍛冶屋ほど、心暖かく、陽気な人はいない。彼は朝早く起き、太陽が光を広げる前に火花を打ち出す。彼は、他の人には見られない程、食べ、飲み、そして眠る。彼が、事実、適度に働くならば、肉体的に云えば、最良の人間の位置にいる者の一人である。しかし、彼の後に付いて市や町まで行けば、そこに、我々はこの強き男の上に覆いかぶさる仕事の重圧を見る。そして、彼の国の死亡率における彼の位置が、どのようなものであるかを見る。メアリルボーン(ロンドン北西約4kmにある地区 訳者注.) では、鍛冶屋が年 1,000人に、31人の割合で、死ぬ。別な言い方をすれば、成人男子のこの国全体の平均死亡率に較べて11人も上回る。この職業は、人間の活動としては全く自然なもので、人間の行う製造業の一分野としても異議を挟むこともないものであるが、それが、単なる労働の過重によって、人間を破壊することになる。彼は、日にかなりの回数で鉄を打ち、かなりの歩数で動き回り、かなりの回数の呼吸をする、そして、平均的に長生きし、50歳に至ることができる。彼は、もう少し余計に打ち、もう少し余計に歩き、もう少し余計に呼吸することで、合わせて、彼の人生の1/4分を余計に増加するよう仕向けられる。その努力に見合う、その結果は、限られた時間の中で、1/4多い労働によって、それだけ多い生産をなす。そして50歳に達せず、37歳で死ぬ。」〉(インターネットから)


●注91

《初版》

 〈(91) ドクター・リチャードソン、前掲書。〉(江夏訳280頁)

《フランス語版》

 〈(58) ドクター・リチャードソン、前掲書。〉(江夏・上杉訳257頁)

《イギリス語版》 なし。


 (以上で第3節は終わり)

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