『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

第47回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2012-07-07 18:16:53 | 『資本論』

第47回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

 

 (以下の文章は、「その1」の最後の文章に直接続くものです。) 

 〈インカ国家などの形態〉について

  〈また他面では次のように言うことができる。非常に発展してはいても歴史的には比較的未熟な社会形態があって、そこにはどんな貨幣も存在しないのに、経済の最高の諸形態、たとえば協業や発展した分業などが見られるものがある、と。たとえばペルーがそれである。スラヴ人の共同体にあっても、貨幣や貨幣の生まれるための条件である交換は、個々の共同体の内部ではまったく現われないか、またはわずかしか現われないで、むしろ共同体の境界で他の共同体との交渉で現われる。じっさい、交換を共同体そのもののなかに本源的な構成要素としてもちこむことは、およそまちがいなのである。むしろ、交換は、当初は、一つの同じ共同体のなかの諸成員のあいだでよりも別々の共同体の相互関係のなかでのほうがより早く現われるのである。〉(経済学批判への序説「経済学の方法」、全集13巻929-30頁)

 〈もう一つの場合としては、統一体が労働そのものにおける共同性にまで拡大されることがありうるのであって、この共同性は、メキシコ、とくにペルーにおけるように、また古代ケルト人、インド人のいくつかの部族の場合のように、正式の一制度(システム)となっていることもある〉(草稿集②121頁)

 〈{たとえばペルーに見られるような共同的生産および共同所有は、明らかに、二次的な形態であって、征服諸部族によって導入され、移植されたものである。これらの征服諸部族は自分自身のところで、インドで、またスラヴ人のあいだで見られるような、古い、もっと単純な形態における共同所有および共同的生産を知っていたのである。〉(草稿集②142頁)

 〈さらに明らかなことは、交換者たちが交換価値を生産するという前提が、単に分業一般を前提しているばかりでなく、分業の特殊な発展形態をも前提している、ということである。たとえばペルーでもやはり分業は行なわれていた。自給自足を行なっていたインドの小さい共同体においても同様である。しかしこの分業が前提しているものは、交換価値に基礎を置く生産ではないどころか、逆に多かれ少なかれ直接に共同態的な生産なのである。流通の諸主体が交換価値を、つまり直接に交換価値という社会的規定性のもとに置かれている生産物をすでに生産しており、したがってまた特定の歴史的姿態をまとったひとつの分業のもとに包摂されて生産を行なっている、という根本前提は、一連の諸前提を含んでいるが、これらは個人の意志から生じるものでもなければ個人に直接に具わっている自然的性質から生じるものでもなく、歴史的な諸条件と歴史的な諸関係から生じるものである。こうした歴史的諸条件および諸関係によって、個人はすでに社会的に、つまり社会によって規定されたものとして、存在している。上記の〔根本〕前提はまた、諸個人が流通のなかで対応しあう単純な生産諸関連とは別の、諸個人の生産諸関連のなかで現われる諸関係をも含んでいる。交換者が生産したものは商品であり、しかも商品を生産する者たちのために生産された商品である。このことは二つのことを含んでいる。一面では、交換者は、独立した私的個人として、自発的に、ただ自分自身の欲求と自分自身の諸能力によってのみ規定されて、自分自身からまた自分自身のために、生産を行なったのであって、ひとつの自然生的な共同体の成員として行なったのでもなければ、直接に社会的な個人として生産に参加し、したがってまた自分の生産物に対しても直接の生活源泉に対するようなふるまい方をしない個人として行なったわけでもない。しかし他面では、この私的個人が生産するものは交換価値である、つまり、ある特定の社会的過程、すなわちある特定の変態を通じてはじめて彼自身にとっての生産物になるような生産物である。だから私的個人はすでにひとつの速関のなかで、つまりある生産諸条件および交易諸関係のもとで、生産を行なっていたのである。この生産諸条件および交易諸関係は、ひとつの歴史的過程を通じてはじめて生成したものであるのに、彼自身の目には自然必然性として現われるのである。こうした意味で、個別的生産の独立性は、分業に適切な表現を見いだす社会的な依存性によって補完されている。
 交換価値を生産する個人が行なう生産の私的な性格は、それ自身歴史的産物として現われる、--つまり、生産の内部での彼の孤立点在的な自立性は、ひとつの分業を条件としており、この分業はさらにまた、個人を他の個人との連関においても彼自身の存在様式においても、あらゆる側面から条件づけているような一連の経済的諸条件全体の上に成り立っている。〉(『批判』原初稿、草稿集③115-116頁)

 〈ところで、私的交換が分業を前提とするというのは正しいが、分業が私的交換を前提とするというのは誤りである。たとえばペルー人のあいだでは、私的交換、商品としての生産物の交換はおこなわれなかったが、分業は極度におこなわれていたのである。〉(『批判』全集13巻44頁)

 (リ)だから商品交換は、共同体の終わるところで、諸共同体が他の共同体または他の諸共同体の成員と接触するところで、始まるのです。

 (ヌ)しかし、諸物がひとたず対外的共同生活で商品になれば、それらのものは反作用的に、内部的共同生活においても商品になります。

 『批判』では、〈ここで交換取引が始まり、そして、そこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす〉(13巻34頁)と指摘されています。

 (ル)(ヲ)
 しかし、諸物の量的交換比率は、さしあたりはまだ偶然的です。またそれはらの物が交換されうるものであるのは、それらを互いに譲渡し合おうとする所有者たちの意志行為によって決まってくるものです。その意味では、交換はまだ個人的な過程なのです。

 これはまだ価値形態では形態Ⅰの段階(単純な、個別的な、偶然的な段階)と言えます。交換されるのは商品といえず、単なる使用対象(労働生産物)です。

 (ワ)(カ)(ヨ)
 しかし、そのうちに、他人の使用対象に対する欲求がしだいに固まってきます。交換の不断の反復は、交換を一つの規則的な社会的な過程にします。そして時の経過と共に、労働生産物の少なくとも一部分は、意図的に交換目当てに生産されるようになるのです。

 これは価値形態では形態IIの段階(全体的なまたは展開された段階)といえます。ある特定の生産物(例えば猟師の毛皮や遊牧民の羊など)が、季節によって移動する遊牧民や狩猟民族がその行き先々で接するさまざまな定着農耕民と習慣的に交換を行っていくようになる段階です。交換は一つの規則的な社会的な過程になり、狩猟民や遊牧民自身の生活をささえる重要な柱になってきます。だから彼らは毛皮や羊を交換を目的に生産するようになるわけです。

 (タ)(レ)
 この瞬間から、一面では、直接的必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性との間の分離が確定します。諸物の使用価値は、諸物の交換価値から分離します。

 この段階から、次々と他の生産物と交換を行う労働生産物は、それを行う者にとって、一つは自分たちの欲求を満たす生産物であると同時に、他面では、交換手段という新たな属性を獲得し、また彼らは彼らの生産物のうち自家需要のためのものと、交換のためのものというように物的にも区別し、分離するようになります。交換手段としてはそれは他の諸物との同等なものとして、価値対象性を持ったものとして存在することになります。

 (ソ)(ツ)
 他面では、それらの物が交換されあう量的比率は、それらの物の生産そのものに依存するようになります。つまり習慣はそれらの物を価値の大きさとして固定するのです。

 そしてそうなると、それらが交換される割合も、その偶然性は徐々になくなり、徐々にそれれらの生産そのものに依存するようになり、やがては習慣はそれらを価値の大きさとして固定するようになるわけです。

 さて、このパラグラフから、商品交換の歴史的発展を跡づけて、如何にしてそれが貨幣を産み出すかを論じるのですが、しかし、このパラグラフでは、その最初のものとして、そもそも労働生産物が商品になるのは如何にしてか、ということから、マルクスは考察を開始しています。だから交換されるのは、いまだ商品ではなく、単なる使用対象(労働生産物)であり、その直接的な交換の形態(物々交換)というわけです。労働生産物が商品になるのは、こうした物々交換が一定の発展をとげ、一部の労働生産物が、少なくとも交換を目当てに生産されるようになってからだ、というわけです。

◎注41

【注41】〈(41) 二つの異なった使用対象がまだ交換されず、未開人のあいだにしばしば見られるように、混沌とした諸物のひとかたまりがある第三の物の等価として提供される限りでは、直接的な生産物交換そのものはやっとその入口に立ったばかりである。〉

 この注は〈直接的な生産物交換の形態〉そのものにも発展段階があることを示しています。つまり最初の〈直接的な生産物交換〉は、最初はひとかたまりの物が、他の物の等価として交換されるというようなものであり、いまだ個別の生産物同士が交換されるというものではなかったと指摘されています。学習会では、そもそも共同体のなかでは生産物は共同生産の結果であり個別の成員のものではなかった、だから共同体の首長が共同体を代表して、他の共同体やあるいはその成員と交換することになるが、もっとも最初の場合は、共同体を訪れた外部の者が、自分が属する共同体を代表して、自分の共同体からの贈り物としてひとかたまりの物を差し出し、それに対して、その送られた共同体の首長も、自分たち共同体の総意としてその共同体のあれこれの産物のひとかたまりを、返礼として差し出すというような形で始まったのではないか、こうした段階では、最初は当事者には贈与とその返礼という認識しかなく、「交換」するという意識がないのだから、いまだ〈直接的な生産物の交換の形態〉とさえ言えないような段階ではなかったかという意見も出ました。他方、マルクスは、〈直接的な生産物交換〉(すなわち物々交換)の一つの例として、『経済学批判』のなかで、貨幣の価値尺度の機能の観念的性格を説明して、実際上の取り引きは物々交換でありながら、しかし交換当事者たちは観念的な貨幣によって彼らの物の価値を尺度しながら、互いに交換し合う例を紹介しており(「またシベリアと中国とのあいだの商品交換では、実際上取引はたんなる交換取引〔物々交換〕にすぎないのに、銀が価格の尺度として役だっている。」全集13巻57頁)、こうした場合の物々交換は、その意味では、同じ〈直接的な生産物交換〉といえども、貨幣を前提したものであり、その限りでは発達した一連の社会的関係を前提したものだろうという意見も出されました。

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【付属資料】

●第7パラグラフに関連するもの

《初版本文》

 〈貨幣結晶は、諸商品の交換過程の必然的な産物である。使用価値と交換価値との直接的な統一としての商品の、有用な諸労働の一つの自然発生的な総体系すなわち分業の個々別々にされた一肢体であるにすぎない有用な私的労働の生産物としての商品の、そしてまた、抽象的な人間的な労働の直接的に社会的な具象物としての商品の、内在的な矛盾--この矛盾は、それが商品と貨幣とへの商品の二重化の形をとるまでは、とまりもしなければ休みもしない。だから、労働生産物の商品への転化が行なわれるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化が行なわれるのである(35)。〉(73-4頁)

《フランス語版》

 〈貨幣は、交換--この交換によって、さまざまな労働生産物が実際に互いに同等とされ、まさにそのために、商品に転化されるのである--のなかで自然発生的に形成される結晶である。交換の歴史的な発展は、ますます労働生産物に商品の性格を押しつけ、同時に、商品の性質が包蔵している対立、使用価値と価値との対立を発展させる。商業の必要性そのものは、この反立(アンチテーゼ)に体躯を与えることを強制し、手で触れることができる価値形態を産むことを目ざし、商品を商品と貨幣とに二重化することによってついにこの形態に達するまでは、もはや休止も中断も許さない。したがって、労働生産物の商品への一般的な転化が完成するのにつれて、商品の貨幣への転化もまた完成する(4)。〉(64頁)

●注40に関連するもの

《初版本文》

 〈(35)この点から推して、小ブルジョア的な社会主義の狡猾さを判断せよ。この社会主義は、商品生産を永遠化しようとし、このことと同時に、「貨幣と商品との対立」を、したがって貨幣そのもの--なぜならば、貨幣はこの対立においてのみ存在しているのだから--を、廃止しようとする。もしそんなことができるなら、教皇を廃止してカトリック教を存続させることもできるであろうに。これについてさらに詳しい事情は、私の著書『経済学批判』、61頁以下、を見よ。〉(74頁)

《フランス語版》

 〈(4) 商品生産を永遠化し、同時に「商品と貨幣との対立」すなわち貨幣そのもの--貨幣はこの対立においてのみ存在するのであるから--を廃止しようとするブルジョア社会主義は、このことによって評価することができる。この問題については、私の『経済学批判』、61ページ以下を見よ。〉(64頁)

●第8パラグラフに関連するもの

《経済学批判》

 〈交換過程の原生的形態である直接的交換取引〔物々交換〕は、商品の貨幣への転化の開始というよりも、むしろ使用価値の商品への転化の開始をあらわしている。交換価値は自由な姿を得ておらず、まだ直接に使用価値に結びつけられている。このことは二重に示される。生産そのものは、その全構造において使用価値を目的とし、交換価値を目的としていない。だから使用価値がここで使用価値であることをやめて、交換の手段、商品になるのは、ただ生産が消費のために必要とされる限度を越えることによってだけである。他方では、諸使用価値は、たとえ両極に配分されているとしても、直接的な使用価値の限界内でだけそれ自体商品となるのであって、したがって商品所有者たちによって交換される諸商品は、双方にとって使用価値でなければならないが、ただし各商品は、その非所有者にとっての使用価値でなければならない。実際には、諸商品の交換過程は、もともと原生的な共同体の胎内に現われるものではなく〔*〕、こういう共同体の尽きるところで、その境界で、それが他の共同体と接触する数少ない地点で現われる。ここで交換取引が始まり、そして、そこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす。だから、異なった共同体のあいだの交換取引で商品となる特殊な使用価値、たとえば奴隷、家畜、金属が、多くの場合、共同体そのものの内部での最初の貨幣を形成する。すでに見たように、一商品の交換価値は、その等価物の系列が長ければ長いほど、つまりその商品にとって交換の範囲が大きければ大きいほど、それだけますます高度に交換価値としてあらわされる。だから交換取引の漸次的拡大、交換の増大、交換取引にはいってくる商品の多様化は、商品を交換価値として発展させ、貨幣形成にまでおしすすめ、こうして、直接的交換取引に分解的な作用を及ぼす。経済学者たちは、拡大された交換取引がつきあたる外部的な諸困難から貨幣をみちびきだすのが例となっているが、そのさい彼らは、これらの困難は交換価値の発展、したがって一般的労働としての社会的労働の発展から生じるものだということを忘れている。たとえば、こうである、商品は使用価値としては任意に分割可能ではないが、交換価値としては任意に分割可能でなければならない、と。あるいは、Aの商品はBにとって使用価値でありうるが、Bの商品はAにとって使用価値でない、と。あるいは、商品所有者たちが互いに交換しようとする分割できない商品を等しくない価値比率で需要することがありうる、と。言いかえれば、経済学者たちは単純な交換取引を考察するという口実のもとに、じつは使用価値と交換価値との直接的統一としての商品の定在が包み隠している矛盾のいくつかの側面をみずからに具体的に示しているのである。ところが、他方、彼らは一貫して交換取引を商品の交換過程の十全な形態として固執し、それにはただいくつかの技術的不便が結びついているだけであり、この不便にたいしてたくみに考案された方便が貨幣である、というのである。このまったく浅薄な立場からすれば、イギリスの才知にあふれた一経済学者が、貨幣は船や蒸気機関のように一つのたんなる物質的な用具であって、社会的生産関係の表示ではなく、したがってまたなんらの経済学的範疇ではない、と主張したのももっともだったのである。だから実際に技術学となんの共通するものももたない経済学で貨幣が振り扱われているのは、まったくまちがいだというのだ〔**〕。
 〔*〕 アリストテレスは、最初の共同体としての私的家族について同じことを述べている。しかし家族の最初の形態はそれ自体種族的家族であって、その歴史的分解からはじめて私的家族が発展するのである。「なぜならば、最初の共同社会(これが家族であるが)では、明らかにこれ(つまり交換)にたいする必要はすこしもなかった。」(前掲書)
 〔**〕 「貨幣は実際には、売買をおこなうための用具にすぎないのであって、」(だが売買とはなんのことか?)「そして貨幣の考察が経済学の一部をなさないのは、船や蒸気機関、あるいはまた富の生産と分配を容易にするために用いられるその他のなんらかの用具の考察が、経済学の一部をなさないのと同じことである。」(トマス・ホジスキン『通俗経済学等々』、ロンドン、一八二七年、一七八、一七九ページ)

 商品世界では、発展した分業が前提されている、あるいは発展した分業が、特殊な諸商品として対立しあっている諸使用価値の多様性、同様に多様な労働様式がふくまれている諸使用価値の多様性のうちに直接にあらわされている。すべての特殊な生産的作業様式の総体としての分業は、その素材的側面から、使用価値を生産する労働としてみた社会的労働の総姿態である。しかしそのようなものとして分業は、商品の立場からすれば、また交換過程の内部では、ただその結果のなかにだけ、諸商品そのものの分化のなかにだけ実在している。
 諸商品の交換は、社会的物質代謝、すなわち私的な諸個人の特殊な生産物の交換が、同時に諸個人がこの物質代謝のなかで結ぶ一定の社会的生産諸関係の創出でもある過程である。諸商品相互の過程的諸関係は、一般的等価物の種々の規定として結晶し、こうして交換過程は同時に貨幣の形成過程でもある。さまざまな過程の一つの経過としてあらわされるこの過程の全体が流通である。〉(全集13巻34-36)

《初版本文》

 〈直接的な生産物交換は、一面では単純な相対的価値表現の形態をとっているが、他面ではまだこの形態をとっていない。この形態は x量の商品A=y量の商品B であった。直接的な生産物交換の形態は x量の使用価値A=y量の使用価値B である。AおよびBなる物は、ここでは、交換以前には商品ではなくて、交換によって初めて商品になる。ある使用対象がその可能性から見て交換価値であるという最初の様式は、非使用価値としての、この使用対象の所持者の直接的な必要を越える量の使用価値としての、この使用対象の存在である。諸物は、それ自体としては人間にとって外的なものであり、したがって譲渡可能なものである。この譲渡が相互的であるためには、人間たちは、暗黙のうちに、この譲渡可能な諸物の私的所有者として相対しているだけでよいのであって、まさにそうすることによって、互いに独立な人として相対しているだけでよいわけだ。とはいえ、このように互いに他者であるという関係は、共同体が、家父長制的家族、古代インド共同体、インカ国等々の形態をとるにしても、この自然発生的な共同体の構成員にとっては、まだ存在しない。商品交換は、共同体が果てるところにおいて、この共同体が他の諸共同体または他の諸共同体の諸構成員と接触する地点において、始まるのである。ところが、諸物がひとたび対外的な共同生活において商品になると、それらは、反作用的に、内部的な共同生活においても商品になる。諸物の量的な交換割合は、最初は全く偶然である。それらが交換可能であるのは、それらを相互に譲渡しあうそれらの所持者たちの意志行為に依拠している。だから、それらは、価値として表示される以前に、交換可能なものという形態を得ているのである。そうこうするうちに、他人の使用対象にたいする必要が、しだいに固定してくる。交換の不断の反覆が、交換を規則正しい社会的過程にする。だから、時がたつにつれて、労働生産物の少なくとも一部が、交換の目的のためにわざわざ生産されなければならなくなる。この瞬間から、一方では、直接的な必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性との分離が、確立される。諸物の使用価値が、諸物の交換価値から分離する。他方では、諸物が交換しあう量的な割合が、諸物の生産そのものによってきめられる。慣習が諸物を価値量として固定させる。〉(74-5頁)

《フランス語版》

 〈直接的な生産物交換では、価値表現は一方では単純な相対的形態を帯び、他方ではまだこの形態を帯びていない。この形態は、x量の使用価値A=y量の使用価値B であった。直接的な交換の形態は、x量の使用価値A=y量の使用価値B である(5)。ここでは、物体Aと物体Bとは、交換以前にはけっして商品でなく、交換そのものによってはじめて商品になる。ある有用物は、豊富でみるために、その生産者の必要を越える瞬間から彼にたいし使用価値ではなくなるのであって、状況が与えられれば交換価値として使用されるであろう。物は、それ自体としては人間にとって外的であり、したがって譲渡可能なものである。この譲渡が相互的であるためには、ただたんに、人間がこの譲渡可能な物の私有者として、まさにそのために独立の人として、暗黙の承認によって互いに関係しあうだけでよい。しかしながら、このような相互的な独立という関係は、原始共同体の成員にとってはまだ存在しない。たとえこの共同体の形態が家父長家族、インドの共同体、ペルーのようなインカ帝国等であろうとも、そうなのだ。商品交換は共同体の終わるところで、共同体が外部の共同体または外部の共同体の成員と接触する地点で、始まる。物がひとたび外部との共同生活のなかで商品になるやいなや、物は反作用的に、内部の共同生活でも同じように商品になる。それらの物が交換される比率は、最初はもっぱら偶然である。それらの物は、互いに譲渡することを決心した所有者の意志行為によって、交換可能になる。外部から生ずるところの有用物にたいしての必要が、しだいによりいっそう感じられるようになり、強固になる。交換の不断の反復が交換を一つの規則正しい社会的事業とし、時の経過につれ、有用物の少なくとも一部が交換を目あてに意図的に生産される。この瞬間から、直接的必要のための物の有用性と、互いに行なわれるべき交換のための物の有用性とが、すなわち、物の使用価値とその交換価値とが、明瞭に分離される。他方では、それらの物の交換される比率が、それらの物の生産そのものによって規制されはじめる。慣習はそれらの物を価値量として固定する。〉(64-5頁)

《資本論》

 〈社会のなかでの分業と、それに対応して諸個人が特殊な職業部面に局限されることとは、マニュファクチュアのなかでの分業と同じように、相反する諸出発点から発展する。一つの家族のなかで(50a)、さらに発展しては一つの種族のなかで、性の区別や年齢の相違から、つまり純粋に生理的な基礎の上で、自然発生的な分業が発生し、それは、共同体の拡大や人口の増加につれて、またことに異種族間の紛争や一種族による他種族の征服につれて、その材料を拡大する。他方、前にも述べたように〔*〕、生産物交換は、いろいろな家族や種族や共同体が接触する地点で発生する。なぜならば、文化の初期には独立者として相対するのは個人ではなくて家族や種族などだからである。共同体が違えば、それらが自然環境のなかに見いだす生産手段や生活手段も違っている。したがって、それらの共同体の生産様式や生活様式や生産物も違っている。この自然発生的な相違こそは、いろいろな共同体が接触するときに相互の生産物の交換を呼び起こし、したがって、このような生産物がたんだん商品に転化することを呼び起こすのである。交換は、生産部面の相違をつくりだすのではなく、違った諸生産部面を関連させて、それらを一つの社会的総生産の多かれ少なかれ互いに依存し合う諸部門にするのである。この場合に社会的分業が発生するりは、もとから違ってはいるが互いに依存し合ってはいない諸生産部面のあいだの交換によってである。前のほうの場合、つまり生理的分業が出発点となる場合には、一つの直接に結成されている全体の特殊な諸器官が、他の共同体との商品交換から主要な衝撃を受ける分解過程によって互いに分離し、分解し、独立して、ついに、いろいろな労働の関連が商品としての生産物の交換によって介される点に達するのである。一方の場合には以前は独立していたものの非独立化が行なわれるのであり、他方の場合には以前は独立していなかったものの独立化が行なわれるのである。
 
 〔*〕 全集、第二三巻、一〇二(原)ページを見よ。
  (50a) {第三版への注。――その後の非常に根本的な人類の原始状態の研究は、著者を次のような結論に到達させた。すなわち、元来は家族が発達して種族になったのではなく、反対に、種族こそが、血縁関係にもとづく人類社会形成の本源的な自然発生的な形態だったのであり、したがって種族団体の解体が始まってからはじめているいるに違った家族形態が発展するようになったのだということである。――F・エンゲルス}〉(23a461-2頁)


●注41に関連するもの

《初版本文》

 〈(36) まだ二つの相異なる使用対象が交換されるのではなく、未開人のあいだでしばしば見いだされるように、諸物の無秩序なひとかたまりが、ある第三の物にたいし等価物として提供されているあいだは、直接的な生産物交換そのものは、やっとその玄関口に立ったばかりである。〉(75頁)

《フランス語版》

 〈(5) まだ二つのちがった有用物が交換されず、未開人のあいだで見受けるように、諸物の混沌としたかたまりが第三の有用物にたいし等価物として提供されているかぎり、直接的な生産物交換自体はやっと生まれたばかりである。〉(65頁)

 

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