詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

斉藤倫『さよなら、柩』

2009-09-18 00:45:20 | 詩集
斉藤倫『さよなら、柩』(思潮社、2009年07月30日発行)

 斉藤倫『さよなら、柩』はとてもおもしろい。とてもおもしろいけれど、そのおもしろさを語ることばを私は持たない。きっと高岡淳四ならうまく語ることができるだろうなあ、と思う。リズムの正直さ、軽さ、明確さが通い合っている。
 「伏線」という詩が私はとても好きだが、私の場合、どこが好きかを書きはじめると、きっと「意味」が目立ってしまう。斉藤が、せっかく「意味」を消しながら書いているにもかかわらず。軽快にリズムなのに、私のことばが、きっとそれを邪魔してしまう。
 でも、まあ、私にはこんな書き方しかできないのだから、斉藤には申し訳ないが我慢してもらうことにする。
 「伏線」の書き出し。

なんかほつれてるな
と思って
ひっぱってみたら
伏線だった
ダメダメ!
なんて神の声がして
なんで見えちゃったんだろう
やだなあ

 斉藤の詩の特徴のひとつに「明確さ」と書いたが、引用した部分でいうと、最後の2行「なんで見えちゃったんだろう/やだなあ」に、頭のよさがとてもよく出ている。「ひっぱってみたら/伏線だった」ということばも、とても頭がいい印象を与えるけれど、まあ、それは誰もが感じることかもしれない。「伏線」がしゃれているからね。あ、真似してみたいなあ、と思わせるからね。
 それに比べると「なんで見えちゃったんだろう/やだなあ」は単純に思っているままを書いているから、別に、頭のよしあしとは関係ないと思うかもしれない。
 でも、私は、ここがすごいと思う。斉藤はとても論理的な頭をしている、思う。いま、民主党のトップが理工系出身であるということが話題になっているが、その話題の理工系に通じる論理的な頭のよさ--それを感じる。その理工系の論理が斉藤のことばの運動を支えていると思う。
 「なんで見えちゃったんだろう/やだなあ」のどこが論理的か。
 「やだなあ」という感覚が感覚のままことばになるまえに、「やだなあ」の理由を言っているところが論理的である。感覚的な人間は、まず「やだなあ」と言ってしまって、それからその理由を考える。けれど、斉藤は逆。「なんで見えちゃったんだろう」と言ったあとで「やだなあ」と感想を漏らす。
 あ、すごい。
 きっと斉藤は、他人から「なんで?」と聞かれたことは少ないだろうと思う。他人が「なんで?」と聞く前に、きちんと「理由」を説明して、それから思っていること(感情)をことばにするのだと思う。
 このことは、実は、書き出しそのものにもあらわれている。

なんかほつれてるな
と思って

 口語で書かれているために、論理的には感じられないかもしれない。(変な理屈だが。)ただあったことを、文章というより、お喋りの感じで語っているだけに見えるかもしれない。けれど、とても論理的だ。
 2行目の「思って」。ね、ちゃんと「思ったこと」を最初に書いている。
 「ほつれている糸をひっぱってみたら伏線だった」ではなく、なんかほつれてるな「と思って」ひっぱる。もちろん、誰もが、そんなふうに思ってひっぱるのかもしれないが、そういう行動をとるとき、わざわざ「思って」なんて、意識しない。「思って」いるのだけれど、その「思い」はことばにならない。ところが、斉藤は「思い」をきちんと順序立ててことばにできるのだ。
 すごく頭がいい。
 そして、こういう頭のよさは、勉強して獲得できるものではなくて、きっと天性のものである。天性のものであるから、厭味がなくて、正直な感じがするのだ。(これが高岡淳四と似ている。)

 最初にこういう論理的なことばの動きでリズムをつくられてしまうと、もう、あとは何を書いてあっても、それが真実になる。

ふつうは目に見えなくて
ときどきおおっぴらに
風にふかれて
気持ちよさそうに
歪んだバイオリズムを
自然に演出して
袖口からひっぱられて
ダメダメ!

 「歪んだバイオリズム」って何? とほんとうは聞きたいけれど、あ、これは私が頭がわるいからわからないだけ。頭のいいひとにはすぐにわかること--と、私なんかは、自分に言い聞かせてしまう。言い聞かせながら、読んでしまう。「ダメダメ!」って言ってるんだから、「ダメダメ!」がわかればいい。
 きっと、次は、もっとわかりやすいことを言ってくれるはず。
 そうすると、その期待通りのことが起きる。

ピアスの穴から
神経が出て
なにげにひっぱったら
失明した
いとこの友だちの姉さん
みたいに
なりたいの?

 こんなことがほんとうにあるどうかなんて、「歪んだバイオリズム」より疑わしいけれど、信じちゃうでしょ? 体に傷をつけると、ほかの部分にまで影響する。親からもらった肉体に傷つけるなんて--という古くさい(?)ことばなんかも思い出しますねえ。「いとこの友だちの姉さん」という、実際にはみたこともない(きっと)ひとのこと、ことばだけで聞いているひとのこと、この微妙な距離感が、嘘をほんとうにかえてしまう不思議な論理。ここでも、論理をとても軽々と走らせている。これが、単純に「いとこ」だったら、完全に嘘になってしまうんだけれど。
 嘘なんだけれど、ぐい、とひっぱる。そういうことばの論理。論理をいつでも的確につかいこなす頭のよさが、とても美しく輝いている。
 だから、次のように脅されると(????)、だまって、うん、と言ってしまいそう。

この世界以外に
他の世界があるなんて
知りたいの?
バレたいの?

 きっと、知ってしまうとまずいことになるぞ。頭がわるいんだから、わるいまま、知らなかったことにしよう。私なんか、臆病だから、もう単純にうなずいてしまいますね。斉藤のいいなりです。
 
 斉藤のいいところは、そんなふうに頭のわるい読者(私だけかな?)を脅しても、ちゃんと、それをフォローするところだね。
 どうすべきかを、ちゃんと書いてくれている。
 世界の表と裏をきちんと説明して、どうすればいいかを教えてくれる。

平和そうにニュースを読んでる
フレームの端に
兵士がバレてるし
書き割りのブッシュが
ホンモノなのもバレてるよ!
舞台下手に
いやな生き物が
見えてるのに
やっぱり知らん顔して
ことばだけにしがみついて
ちょっとハサミもってない?
なんて とりあえず
伏線を隠して
現実が
ほつれないようにして





さよなら、柩
斉藤 倫
思潮社

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