フェデリコ・フェリーニ監督「フェリーニのアマルコルド」(★★★★★)(2020年11月12日、KBCシネマ2)
監督 フェデリコ・フェリーニ 出演 孔雀
フェリーニの映画のなかでは、私はこの映画がいちばん好き。理由は簡単。役者がみんなのびのびしている。「特別なひと」を演じているという感じがない。もちろん小さな街の庶民を描いているのだから、そこに「特別なひと(たとえばギリシャ悲劇の主人公)」がいるわけではない。そこで起きる事件も特別変わったものではない。起きたことを覚えておかないと、あとで困るということでもない。体験したことは、たしかに人間に影響するだろうけれど、あの事件が人生を決定したというようなことは起きない。母親が死ぬことだって、だれにでも起きること、だれもが経験しなければならないことのひとつにすぎない。
これを、どう演じるか。
みんなのびのびと、好き勝手に演じている。「どうせ映画」と思っている。遊びながら演じている。この「遊びながら」という感じがスクリーンにあふれる映画は、意外と少ない。役者本人の部分を半分残し、残りの半分でストーリー展開のための演技をする。そうすると、スクリーンに映し出されているのは役者か役か、わかったようでわからない。別ないい方をすると、「私はこんなふうに演じます」という「リハーサルの過程」という感じがどこかに残っている。そこに、不思議な「味わい」がある。
こういうことを感じるのは、まずルノワール。それからタビアーニ兄弟。そして、フェリーニの、この「アマルコルド」。監督なのだけれど、映画を支配するわけではない。役者を支配するわけではない。役者が動く「場」を提供し、そこで遊んでもらう。そして、その遊びを、「ほら、こんなに楽しい」と観客に見せる。
これって、映画のタイトルではないが、「私はこんなことを覚えている(実はこんなことがあった)」と、話のついでに語るようなもの。「あ、それなら私も覚えている」と話がもりあがったりする。そのときだれかが「ほら、こんなふうに」とある人の物真似をして見せるようなもの。「精神」とか「意味」とか「感動」ではなくて、そういうものになる前の「肉体」そのものを共有する感覚といえばいいのかなあ。
で、ね。
そこに突然、孔雀が舞い降りて羽を広げて見せる。それも雪の降る日にだよ。雪が降っているのに、孔雀がどこかから広場に飛んでくる。伯爵の飼っている孔雀だ、というようなことをだれかが言うけれど、まあ、これは映画を見ているひとへの「後出しじゃんけん」のような説明。そんなことはどうでもいい。
何これ。なんで、孔雀が雪の降る日に飛んできて、しかも羽を広げて見せる必要があるんだよ。
必要なんて、ないね。必然なんて、ないね。意味なんて、ないね。
映画を見ていないひとに、そこに孔雀が飛んできて羽を広げるんだよ、それが美しいだよ、言ったってわからない。「嘘だろう、そんなつごうよく孔雀なんか飛んでくるわけがない」と、フェリーニから思い出話を聞かされたひとは言うかもしれない。
そう、そこには必然はない。そして、必然がないからこそ、それはフェリーニにとって必然なのだ。「遊び」という必然。ひとは「遊び」がないと生きていけない。「遊ぶ」ためるこそ生きているといえるかもしれない。不必要なことをして、必要の拘束を叩き壊してしまう。
たぶん、これだな。
フェリーニの映画にはカーニバルやサーカスがつきものだ。祝祭がつきものだ。それは世界の必然を叩き壊して、瞬間的に解放の場を生み出す。「解放区」だ。自分が自分でなくなる。だれかがだれかでなくなる。自分を超えて、だれにだって、なれる。その「瞬間的な生のよろこび」。そういうものがないと人間は生きていけない。祝祭のあとに、しんみりしたさびしさがやってくるが、それはそれでいい。「祝祭」の体験が、「肉体」のなかにしっかりと生きている。覚えている。思い出すことができる。それは、いつの日か、それ(解放区)を自分の肉体で「再現」できるという可能性を知るということでもある。
あ、めんどうくさくなりそうなので、もうやめておこう。
雪のなかで羽を広げる孔雀。ああ、もう一度、みたい。いや、何度でも見たい。
みなさん、主役は孔雀ですよ。ちょっとしか登場しないから、見逃しちゃダメですよ。
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監督 フェデリコ・フェリーニ 出演 孔雀
フェリーニの映画のなかでは、私はこの映画がいちばん好き。理由は簡単。役者がみんなのびのびしている。「特別なひと」を演じているという感じがない。もちろん小さな街の庶民を描いているのだから、そこに「特別なひと(たとえばギリシャ悲劇の主人公)」がいるわけではない。そこで起きる事件も特別変わったものではない。起きたことを覚えておかないと、あとで困るということでもない。体験したことは、たしかに人間に影響するだろうけれど、あの事件が人生を決定したというようなことは起きない。母親が死ぬことだって、だれにでも起きること、だれもが経験しなければならないことのひとつにすぎない。
これを、どう演じるか。
みんなのびのびと、好き勝手に演じている。「どうせ映画」と思っている。遊びながら演じている。この「遊びながら」という感じがスクリーンにあふれる映画は、意外と少ない。役者本人の部分を半分残し、残りの半分でストーリー展開のための演技をする。そうすると、スクリーンに映し出されているのは役者か役か、わかったようでわからない。別ないい方をすると、「私はこんなふうに演じます」という「リハーサルの過程」という感じがどこかに残っている。そこに、不思議な「味わい」がある。
こういうことを感じるのは、まずルノワール。それからタビアーニ兄弟。そして、フェリーニの、この「アマルコルド」。監督なのだけれど、映画を支配するわけではない。役者を支配するわけではない。役者が動く「場」を提供し、そこで遊んでもらう。そして、その遊びを、「ほら、こんなに楽しい」と観客に見せる。
これって、映画のタイトルではないが、「私はこんなことを覚えている(実はこんなことがあった)」と、話のついでに語るようなもの。「あ、それなら私も覚えている」と話がもりあがったりする。そのときだれかが「ほら、こんなふうに」とある人の物真似をして見せるようなもの。「精神」とか「意味」とか「感動」ではなくて、そういうものになる前の「肉体」そのものを共有する感覚といえばいいのかなあ。
で、ね。
そこに突然、孔雀が舞い降りて羽を広げて見せる。それも雪の降る日にだよ。雪が降っているのに、孔雀がどこかから広場に飛んでくる。伯爵の飼っている孔雀だ、というようなことをだれかが言うけれど、まあ、これは映画を見ているひとへの「後出しじゃんけん」のような説明。そんなことはどうでもいい。
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