詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小笠原茂介『雪灯籠』

2015-10-09 10:02:19 | 詩集
小笠原茂介『雪灯籠』(思潮社、2015年08月31日発行)

 小笠原茂介『雪灯籠』の全編に「朝子」が登場する。亡くなった小笠原の妻だと思う。亡くなってしまったが、いまでもそばにいる。そのなかの「母の形見」という作品。

和室の襖があいている
覗いてみると朝子がいた
自分の母の形見を
欄間いちめんに掛けている
おそるおそる声をかけると
---土用干しよ どうせあなたはしてくれないでしょう
これは銘仙 これは大島 名を挙げながら
--どうせ あなたには分からないわね
いって笑う
二枚のあいだに立ち 両方を引き寄せて顔だけを出す
---みんな いっぺんは袖を通しておくんだったわ

いったときには 笑いは消えていた

 最後の一行は「どうせあなたはしてくれないでしょう」「どうせ あなたには分からないわね」と言ったときは笑っていたのに、という意味を含んでいる。「どうせあなたは……しない(できない)」と愚痴をこぼしながら妻がいろいろなことをやっている。それを小笠原は見ている--そういう暮らしをしてきたのだろう。愚痴をこぼしながらも、同時に微笑みもし、妻はそういう暮らしを受けいれてきた。
 でも、その軽い愚痴の背後には、何かが隠されていた。妻は何もかもを受けいれていたわけではない。妻には妻のしたいことがあったはずである。

---みんな いっぺんは袖を通しておくんだったわ

 母の形見の和服、それを一度は着てみるべきだった。このことばは、実際に朝子が言ったのか。
 小笠原が書いている情景は、記憶の情景とも、幻想の情景とも受け取れる。
 記憶の情景なら、そう言ったあと、妻がその願いを実現する機会があったかもしれない。あるいは、記憶の情景であっても、すでに体調を崩したあとのことであり、実際にその着物を着て出かけるということは不可能な時期だったかもしれない。その不可能を思い、小笠原は妻を哀れんでいるのだろうか。
 たぶん、そう読むのがいちばん「現実的」だろうと思う。
 私は少し違う風に読んでみたい。
 妻が母親の形見の和服を土用干ししている。ここまでは実際にあった情景だが、「いっぺんは袖を通しておくんだったわ」は妻が実際にいったことばではなく、小笠原が想像したことばであると読んでみたい。
 あのとき妻は、こころのなかで、そんなふうに願っていたのではないのか。
 それは、小笠原のこころのなかに生きている朝子が、「いま」、そう声に出しているのである。小笠原が朝子になって、朝子のこころを代弁しているのである。

---どうせ あなたわたしのこころなんかわからないわね
---いや、いまならわかるよ

 それは小笠原の「真剣」である。
 「土用干しよ どうせあなたはしてくれないでしょう」と朝子が笑いながら言ったとき、小笠原は微笑み返すことができた。「どうせ あなたには分からないわね」と笑われたときも、小笠原は微笑むことができただろう。なせなら、それは、「いつか」はやるかもしれないし、「いつか」はわかるかもしれないことだからだ。「いま」しない、「いま」分からなくても、困らないことだからだ。そしてそれはまた、そのことばを言った瞬間の(いまの)朝子にも言えることだ。「いま」言いながら、「いま」を意識していない。もっと長い時間を思っている。「いつか」することがあるかもしれないと、ゆったりと思い描いている。
 しかし、その「いつか」がもうなくなってしまった。何かをするとしたら「いま」しかない。そして、その「いま」はもう手遅れになっている。間に合わない。
 それが「いまなら」わかる、ということだ。

 最終行の「いったときには 笑いは消えていた」の主語というか、「笑い」の持ち主は、朝子であり、また小笠原である。ひとり朝子の顔から「笑いは消えていた」のではない。小笠原の顔からも「笑いは消えていた」。区別はない。ふたりは「ひとり」になっていた。
 そういうことが伝わってくる。

 さらにここから「誤読」を押し進め、私は小笠原が朝子になって、朝子の母の形見の和服をはおってみる姿まで思った。鏡の前で、「ほら、これが袖を通した姿だよ」と言い聞かせている小笠原を思った。ふたりが「ひとり」になり、その「ひとり」の「肉体」で小笠原は朝子の気持ちを「いま」生きるのである。「いま」のなかで、「過去」がいきいきと動くのである。母の「肉体」を感じている朝子(の「肉体」)が動く。
 亡くなった妻を思い出しているというより、亡くなった妻を「いま」小笠原が生きている、ということを感じさせる詩集だ。
雪灯籠
小笠原 茂介
思潮社

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