詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ト・ジョンファン『満ち潮の時間』

2017-12-16 11:26:33 | 詩集
ト・ジョンファン『満ち潮の時間』(ユン・ヨンシュク、田島安江編訳)(書肆侃侃房、2017年11月18日発行)

 ト・ジョンファン『満ち潮の時間』はアンソロジー。第一詩集の「みぞれ」は、こう始まる。

妹が赤ん坊を死産した日の夜
みぞれが降った

 いきなり「劇」が始まる。どう受け止めていいのか、わからない。
「死産した」という動詞の主語は「妹」だが、妹よりも「死んで生まれた赤ん坊」の方に意識がいってしまう。「ことば(文章)」というのは不思議なもので、「文法」を越えて「動く」ものがある。この二行の場合、「赤ん坊」が主語となって動く。「生まれてから死ぬ」のではなく「死んで生まれる」。その「矛盾」のようなものが、そのまま主語を妹から赤ん坊へと替えてしまう。
 主語は、次々に交代する。
 二行目では、妹も赤ん坊も主語ではなく「みぞれ」が主語になっている。ここに「非情」の美しさがある。「美しさ」といってはいけないのかもしれないが、「事実」が存在するときの強さがある。

農機具の支払いが滞っていて保健所にも行けず
食べ物が不十分で
まともに成長できなかった手のひらほどの命を

 ここでは主語はさらに変化する。入り乱れ、絡み合う。「農機具の支払い」ができなかったのは誰か。明らかにされない。「支払いができなかった」ではなく「支払いが滞っていて」と主語を人間にしていない。しかし、「保健所に行けなかった」の主語は「妹」である。「食べ物が不十分で」は「食べ物を十分に食べられなかった」と受け止めなおすとき、主語はやはり「妹」になる。しかし、実際に「まともに成長できなった」のは「赤ん坊」である。主語は赤ん坊とも言える。
 主語、動詞が入り乱れながら、「事実」を語っていく。
 妹が死産した、原因は貧困にある、ということを語ったあと、詩は世界の主語は大きく転換する。

カチカチに凍った草の根の下に葬り
ほのかに残る朝焼けの中を
妻の実家に小さくなって身を寄せている義弟は
弁当も持たずタバコの乾燥場の仕事に出かけた

 「義弟」が主語になる。農機具の支払いができなかったの主語も「義弟」ととらえなおすことができる。
 死産した妹、死んで生まれた赤ん坊も苦しく悲しいが、それを見ている家族もまた苦しく悲しい。悲しいけれど、その苦しみと悲しみを埋葬するようにして、赤ん坊を埋葬する。さらに、その苦しみ、悲しみを振り切るようにして義弟は仕事にゆく。「弁当を持たず」という描写は、弁当をもっていくほど余裕がないという貧乏の描写であると同時に、弁当にこめられている「愛」を振り切るようにしてということかもしれない。
 詩はつづく。

前輪のブレーキが壊れたままの錆だらけの自転車を
黙々とこいで坂を上っていった
父は脈絡も泣く凍結は損した練炭ボイラの話を繰り返し
母はしきりに頭にかぶったタオルを結び直す

 農機具の支払いができない貧しさは、ブレーキの壊れた自転車、錆だらけの自転車と言いなおされる。そこでは主語は、その自転車をこぐ義弟だが、また自転車そのものが貧乏を語る主語となっている。
 こういう「無意識」の主語の交代が、強い。
 「父」も「母」も主語として登場するが、このときも主語は「父」「母」であると同時に、そこで語られている「練炭ボイラ」であり、また「凍結破損した」という動詞さえも主語のように自己主張している。「凍結」は間接的に「みぞれ(冬の寒さ)」を主語として誘い出す。いま、「事件」がおきている「場」へしっかりとからみついてきている。
 「破損した」は「壊れる」である。それは「ブレーキの壊れた自転車」と意識の奥でつながる。「ブレーキの壊れた自転車」も「壊れる」の主語はブレーキであり、ブレーキが自己主張する。「錆」も名詞ではなく「錆びる」という動詞であり主語は自転車なのだ。そして、自転車がそういう風に自己主張するとき、その自転車と向き合う義弟が、あるいは貧乏が再びあらわれくる。何人もの(何個もの)登場人物(登場する素材)が自己主張する。貧乏という状況さえ、主語のように自己主張する。
 そこに「劇(ドラマ)」が動く。
 ト・ジョンファンは、あらゆる存在に「自己主張」させることができる。あらゆる「存在」の「声」を聞き取り、それをことばにすることができる詩人なのである。
 詩は、こう閉じられる。

雨降りと雪降りをくりかえしつつ
素早く地面を凍らせながら風は吹く
凍り付いた地面の深い闇を彫りあげたスコップが
土の匂いを風に流しながら壁に寄りかかっている

 ここの主語は何か。スコップか、闇か、土の匂いか、風か、壁か。最後の二行の主語は、「学校文法」で言えば「スコップ」である。だが、そうつかみとるだけでは、詩にはならない。ここには「スコップ」が何を語ったかは書かれていないが、その書かれていない「声」(ト・ジョンファンが省略したことば)を聞かなければならない。なぜ、「闇」と書いたか、なぜ「匂い」と書いたか、そして「流れる」という動詞を書きながら、同時に「寄りかかる」と書いたか。そこに何が語られているか。
 それを聞き直そうとすると、「スコップ」という「形式主語」は「義弟」にとってかわる。妹にも変わる。父にも、母にもかわる。この詩を書いているト・ジョンファンにもかわる。




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目次
カニエ・ナハ『IC』2   たなかあきみつ『アンフォルム群』11
林和清『去年マリエンバートで』15   夏目美知子「雨についての思索を一篇」18
北川透「「佃渡しで」を読む」21   野木京子「小石の指」31
疋田龍乃介「ひと息に赤い町を吸い込んで」34   藤本哲明『ディオニソスの居場所』37
マーサ・ナカムラ『狸の匣』40   星野元一『ふろしき讃歌』46
暁方ミセイ『魔法の丘』53   狩野永徳「檜図屏風」と長谷川等伯「松林図屏風」58
暁方ミセイ『魔法の丘』(2)63   新井豊吉『掴みそこねた魂』69
松本秀文『「猫」と云うトンネル』74   松本秀文『「猫」と云うトンネル』78
山下晴代『Pale Fire(青白い炎)』83   吉田正代『る』87
福間明子『雨はランダムに降る』91   清川あさみ+最果タヒ『千年後の百人一首』95
川上明日夫『白骨草』107
詩集 満ち潮の時間
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書肆侃侃房


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