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三日続いたら褒めてください

うんこネタの封印が三日続いたら褒めて下さい。

記憶の奥

2007年09月24日 21時10分33秒 | Weblog
思えば、父の闘病とソバシルボの活動時期はかなり重なっている。

父が検査入院したのが昨年1月頭。
その1月末にソバシルボは初ライブ。

3月、オマンコアホリーを作り始めた頃に検査結果が明らかになる。
そこからの闘病生活と重なって、ソバシルボはライブを重ねていったように思う。

治療は薬に頼るしかなかったが、薬というものは結局1年くらいしか効かないものらしい。
同じ薬を使い続けても、1年くらいで効き目が弱くなるらしい。
ちょうどソバが帰省してソバシルボの活動がおとなしくなった頃、父の薬の効果もほとんどなくなってしまっていた。

さて、兄や母は正式な葬儀への手続きで精一杯である。
そこで私は寝ている父の横に父の好きだったものを並べることにした。
記憶をたどる。

とにかく濃い茶が好きだった。
が、茶は既に置いてある。

次はビールだ。
毎晩1缶飲んでいた。
そこでビールを買ってくる。

ビールとくれば、つまみもあったはず。
記憶の中で、昔はよくピスタチオを食べていたように思う。
そこでピスタチオも買ってくる。

最近はピスタチオは食べないが、焼鳥が好きだったように思う。
鶏肉は好きではなかったものの、ひな皮だけは好んで食べていたので、それを買ってくる。

一緒にメシを食いに行ったときは、チャーハンばかり好んで食べていた。
が、チャーハンは明日、行きつけの店で持ち帰りしてくればよいだろう。

他にもまだ好きなものはあったはず。
最後なのだからと必死に思い出すが、思い出される父の姿がひとつだけある。

小さい頃、夏の祭りに父と出かけたときだと思う。
帰り際にファミリーマートに寄った。

私が何を買ってもらおうかいろいろと物色している間、父は雑誌コーナーに行き、一冊の雑誌を手に取りぺらぺらとページをめくり始める。
その雑誌は、ずばりエロ本。
何も子供をつれているときにそんなものを立ち読みしなくてもよいと思うのだが・・・

そんな父の血が、私の中には濃く流れている。

誤字三連発

2007年09月24日 20時46分39秒 | Weblog
昨夜、父が他界した。
父が息を引き取ったという純粋につらい気分と、かなり苦しい闘病から解放されたという安堵とが入り混じっている。

昨夜病院から帰ってきて午前3時。
数時間寝て、今朝また7時過ぎに家を出た。

出掛けに玄関に置いてあった手紙が目に入る。
引越しの連絡である。
中学の頃の友人からで、私の名前の「直幸」を「直之」と書いている。
そういえばこの友人は今年の年賀状でも同じように間違えていた。

だが、中学のときに市の代表として姉妹都市にホームステイに行った仲間であり、しかも同じ中学校(各中学校から2or3人選ばれる)だったのだから、せめて名前の文字くらい覚えていてほしいものである。

そんな手紙をチラッと見つつ、家を出る。

実家に行ったものの、特に今日すぐにどうのこうのというわけでもないので、顔を出してから会社に行く。
今日、私の会社は祝日でありながら出勤日。
実家からは圏央道を使えば会社までは近い。

会社に行き、届けなどの事務手続きをすべて済ませる。
別に来なくてもやっておいたのに、とは言われたものの、そんなに遠いわけでもないし、気にかかったままでいるなら自分でやってしまった方が気が楽である。

グループのメンバーには上司からメールでその旨を連絡されたが、そこで私の名前の文字を「直行」としている。
確かに私は早漏であるが、名前までイクというわけではない。

さっさと事務手続きをすべて片付け、再び実家へ。
母が棺に入れる父の思い出の品物をまとめていた。
その中に入っていた会社の人からもらった色紙(勤続30年)を読んでいると、自分のまったく知らなかった父の世界があったことがよくわかる。

また、その中には父が定年後に趣味としていた日本全国城巡り関連のものが多い。
時刻表や、そこから抜き出した乗る予定の電車のメモなどが多数入っている。

そのメモ帳のひとつ。
一番上のページには乗り換えの予定がメモされていたが、めくってみると、『1月6日 泌尿器外来 入院』と記してある。
足に明らかな異常を感じて検査を受けようとした、最初の入院である。
闘病生活の始まりだ。
その検査入院の決まったときにメモしたものであろう。

だが、よくみると、「入院」ではなく「人院」・・・
父は最後までかましてくれている。

ちなみにそのメモ用紙、そのページには筆圧で数字の羅列がうっすらと読み取れる。
7-10,2-3など、明らかに競馬の予想。
父が最後まで続けることができた趣味だ。

思えば3年前に母が足を大怪我して入院して、その処置(固定していた金具を抜き取る手術)が終わったと思ったら父が検査入院。
そこで病気が発覚して1年半の闘病生活だ。

変な言い方だが、母が怪我をしてくれたおかげで、母が入院していた期間など、休みごとに父と昼飯を食いに出かけていた。
そういった父と過ごす時間をもてたことがせめてもの救いである。

父は車の免許もないし、定年後の趣味の城巡りはすべて電車で移動していた。
城は見尽くしたと思うと新しくまた見つかると言っていたが、駅から遠くてどうやって行こうか考えている城があると言っていた。
それなら私が今度車で連れて行ってやると言っていたが、それは叶わぬままとなってしまった。

ということで、今年は喪中なので、年賀状は出さない。
ネタが思いついたら寒中見舞いでも出すかもしれないが。

都合により

2007年09月24日 07時07分13秒 | Weblog
今日は日本のカレンダーでは赤い日なのに、私の会社は出勤日である。
しかし私は休み。

三連休だからなのか、最近は週末ごとに関越で事故が発生して渋滞しているように思う。
先週も実家に行こうと思ったら事故で渋滞。
昨日も事故で渋滞。
以前より事故が増えたような気がするのは気のせいだろうか。

今日も今から実家へ行く。