ナチョ
今夜のチリ代表との親善試合で、スペインフル代表デビューが見込まれています。実現すると、マドリーカンテラーノの代表デビューは、2002年8月22日にイニャキ・サエスの下でデビューしたラウル・ブラボ以来11年ぶりのことなんだとか。
ナチョ自身のコメントも混ぜた記事を、MARCAから。
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スペインサッカー協会が彼の召集を発表した時、ナチョの携帯電話は動かなくなった。突然のこと、予想もしていなかったことで、「シャイな」この選手は、衝撃を受けていた。「僕たちは自宅のソファでTVを見ていた。そうしたら、電話がメールのせいで鳴り止まなくなった。僕の人生でも嬉しい出来事だったよ。」とナチョは、決して失われない笑顔でそう言う。
「僕がマドリーでデビューした時よりもたくさんのメッセージをもらった。皆熱狂していたね。今もそうだよ。モウリーニョからは、もらってない。トリルからは来たよ。」と、質問されたナチョは答えた。彼のキャリアにおけるさらなる一歩で、これまでもすべてのものが訪れていた。代表とレアル・マドリーの両方で、下部のレベルからこれだけ長くのキャリアを積んでいる選手はほとんどいない。ナチョは、下部の組織から生み出された。8年間も、ラ・ロハのユニフォームを着ているのだ。「最初に代表に入ったのはU-15。その時のチームには、カマーチョやフラン・メリダ、イジャラメンディ、ロチェル、デ・ヘア、ジョエル、ボージャンがいた。まだ連絡を取り合っているよ。」
スペイン国歌を聞いた数は多い。「数えてないよ、たくさんだからね。U-15からU-21まで。様々な試合を経験した。公式戦、親善試合、ヨーロッパ大会、世界大会。僕は幸運なことにキャリアを通じて代表に招集されてきて、そして今、この何よりも素晴らしいステップを踏み出している。」
ドン・ビセンテへの感謝
フェルナンデスの兄の方のキャリア(弟のアレックスはエスパニョールに移籍した)は、デル・ボスケの温かい手なしで理解することはできない。彼はカンテラチームの監督であり、マドリーで育ったカンテラの価値を理解するためには、譲れない条件だ。「僕はビセンテのおかげで、ラ・ファブリカに入った。僕は10歳で、デル・ボスケは、僕をこのクラブに入れるよう父に話してくれた人の1人だった。だからラス・ロサスに集合した時、何よりも先に、僕のキャリアがこれほどうまく進んでいることについて、彼にお礼を言ったんだ。デル・ボスケは僕をマドリーに入れてくれて、そして今、彼は僕をここへ連れてきてくれている。」
デル・ボスケに対する感謝の言葉は止まらない。「彼は既にマドリーで、カンテラの監督として、僕たちに注意を払い、プレイするのには若い選手だということも気にしないことを示していた。代表でも、素晴らしい仕事を成し遂げている。こうして代表の下部カテゴリーににいる選手を扱ってくれるのは、下から上がってくる選手たちにとってはとてもポジティブなことだ。」
彼が召集されたことは、多くのフットボールの組織にとっては驚きであったが、どこにいても謙虚でいるナチョは、自身の見解をこう述べる。「昨シーズン、僕はレアル・マドリーで多くの試合に出場して、よくやれていたと思うし、少しずつ経験を積んできていると思う。」 彼のポリバレントさ(ポジションの多才さ)も好まれるところだ。「誰もが、僕がセントラルでプレイするのが一番好きだということを知っている。そこが僕のポジション、キャリアを通じてやってきたポジションだ。でも監督たちにとっては、右や左のラテラルでもプレイできる選手がいるというのは、とても良いことなんだ。皆は、僕の身長が足りないと言う。でも、僕にはジャンプ力がある。重要なのは、どこであれプレイするということだよ。」
お手本
間もなくINEF(マドリード国立体育大学)を卒業し、監督の国内ライセンスを手にするナチョは、彼のお手本についても話した。「子供の頃は、いつでもイエロがお手本だった。成長するにつれて、カンナバーロを知った。それほど身長は高くなくても、彼がどんなふうにジャンプしてるかを見てよ。それからラモス、彼も特別な多才さを持つ選手だ。」
ナチョは、既に別の夢も達成している。マドリーのトップチームの選手となることだ。「たくさんのオファーを受け取ったよ。でも、僕はいつでも残りたいと思ってきた。僕たちカンテラーノは、このクラブのために日々戦う、そして自分たちの人生を通じてこのクラブのために戦う、という感覚を持っている。僕たちは、誰よりもマドリディスタなんだ。」 もしそうであらねばならないとしても、最近、彼の弟はクラブを離れることになった。「辛い、痛手だった。彼が決断を下すのを助けたよ。いつか、また彼と一緒にプレイしたいと願っている。」 あらゆる点が、明日(チリ戦)で、彼が代表デビューするだろうということを示唆している。「代表の試合にはいつでもワクワクする。夢の中にいるようだよ。」
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ヘセのインタビュー
昨夜のアルバニア戦よりも前に出ていた記事です。
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Q:U-21でデビューし、ゴールもきめました。不可能なんてないでしょう?
A:このデビューは本当に嬉しい。予選の試合は上手くスタートしなければならないけど、僕たちはうまくやった。でも、まだ向上させなければいけないことがあるとも感じて終わったよ。
Q:あなたは控えでした。ここでは多くの競争があります。
A:(前の)U-21から引き続きやっている選手も、U-20から上がってきた選手たちもいて…素晴らしい選手たちがいる、それはポジティブな点だ。僕たちには素晴らしいチームメイトがいて、共に戦える。
Q:ウルグアイとトルコのことを思い出しましたか?(今年のU-20世界選手権のことかと)
A:嘘はつくつもりはないから、イエス、何度か思い出したよ。ああいった形で世界選手権から敗退するというのは辛いことだ。でも、フットボールの世界、自身のキャリアでは受け入れなければならないことがある。うまく受け入れて、その細かい点やその時のことから学ぶ。より良い人格を持ち、手綱を引き締め、より賢くあるようになる時だ…。
Q:U-21で、心に残ったとげを抜くことができるかもしれません、そうでしょう?
A:またウルグアイと対戦して、勝ちたいよ。それで、心に引っかかるものをすべて取りされる。
Q:今シーズンの目標をどこに定めますか?
A:シーズンの終わりに今よりも良い選手になっていること、僕のクラブそして代表での目標を達成していくこと。
Q:あなたはマドリーでプレイしています。トップチームです。これを想像できますか?
A:誰ができないって? 夢は決して終わりがない。プロフェッショナルのフットボール選手にとって、重要な目標がある。ビセンテ(デル・ボスケ)の信頼を得て、フル代表に到達していくことだ。僕たちは一歩一歩進まなければいけない、今はU-21にいるんだからね。
Q:まだ満たされていない夢はありますか?
A:もちろん、いろいろね。代表では、できるだけ上まで行きたい。マドリーで執着しているのは、デシマだ。そして個人として、最高のところまで到達しようと試みていくこと。最高であることを夢見ない人なんている? でも、もちろんとても難しいことだけど。
Q:オリベルについて何か言うことは?(アトレチコのオリベルと一緒にインタビューを受けていたらしい)
A:オリーは仔犬ちゃんだな(笑)。彼は素晴らしい選手だよ。とても面白くて、素晴らしい人間で、そのクオリティには疑いの余地がない。彼の監督(シメオネ)は、とてもうまく彼を扱っていて、少しずつ起用し、よりアグレッシブであることとか一貫性を持つとかいうような、彼がまだできていないことを要求していっているね。
コケと共に、アトレチコと代表で上に立っていくだろう。彼は物事をとてもはっきりさせている。彼はオリベル、1人の選手であって、彼個人に集中させる。物事を、チャビやイニエスタのように扱っている。でも彼は天才だ。フットボールを、スペクタクルなやり方で見ている。彼と一緒にプレイするのはとても簡単なことだ。
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コエントランのインタビュー
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Q:ポルトガル代表には、フィジカルの問題を抱えて合流しましたね。北アイルランドに勝利して、コンディションはどうですか?
A:僕はいま100%の状態じゃない。でも、停滞していた選手なら当然のことだ。2か月の間で、2~3試合でしかプレイしていなかったから。フィジカル的にフィットした状態にあるというのは無理な話だ。でも、いつでも自分のベストを尽くして、チームを助けるよ。
Q:マドリー、そしてポルトガル代表で、良いシーズンを送る準備はできていると思いますか?
A:もちろん、それが目標だ。昨シーズンより良い状態でいたい。マドリーでは本当に高いレベルでいることが求められてきていたとしてもね。僕の最初のシーズンは良いものではなかった、でも2シーズン目はよりよくなった。この3シーズン目で、僕がマドリーに値する存在であることを皆に示したい。
Q:むしろマンチェスター・ユナイテッドに行きたかったでしょうか?
A:ノー。マンチェスター・ユナイテッドに行く可能性はあった。でも僕はマドリーに残ったし、それが大切だ。頭の中にマドリーのことをおいていなければ。僕が幸せでありたいと思う場所だ。僕は、世界でも最高のクラブにいるんだ。
Q:でも移籍市場が閉まる夜、ユナイテッドに移籍できなかったことを残念に思ったのでは?
A:ノー、もちろん違う。移籍の可能性はあったが、そうはならなかったということ。そして僕は幸せなはずだ、世界最高のクラブにいるんだから。
Q:マルセロはブラジル代表で負傷しましたが、彼は、マドリーの左ラテラルの最大のライバルです。彼とのポジション争いはどうなるでしょうか?
A:普通の争いになるよ。僕は2シーズンマドリーにいて、マルセロは常にそこにいて、多くの試合を戦っていた。僕はプレイするためにトレーニングしていく、マルセロとでもほかの選手とでも、それは当然のことだ。僕が望むのはプレイするということ。
Q:オ・ジョゴのインタビューでは、マドリーに残りたくないと言った、ということでしたが、同じ見解のままですか?
A:この機会にこの問題をはっきりさせておきたい。それは、ファンやクラブの誰かにその話をした、ということだったと思うけど、クラブの人間の誰にもその話をしたことはない。それに、もし僕がファンにその話をしたとかいうなら、不快なことだ。最初のシーズン、僕のパフォーマンスが、僕を残念に思うファンをなだめるのに十分じゃなかったというのは、皆が知っている。でも2シーズン目は、僕自身のパフォーマンスも上がって、ファンの愛情を得ていた。そんな内容のことを話すなんてありえないことだった。マドリーで、クラブのニュースを売っている人のことを考えたけれど、なにがしたかったのかわからないよ。
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おまけ
「未来のスポーツ・ディレクターたちだよ。次のベイルは、僕たちが連れてくるよ。」
と、アルベロア。スポーツ・ディレクターの修了証書を掲げた4人ですが、この画像を紹介していたスポーツ紙の読者コメントには「ラモスが取れたのか!?」的な……。
今夜のチリ代表との親善試合で、スペインフル代表デビューが見込まれています。実現すると、マドリーカンテラーノの代表デビューは、2002年8月22日にイニャキ・サエスの下でデビューしたラウル・ブラボ以来11年ぶりのことなんだとか。
ナチョ自身のコメントも混ぜた記事を、MARCAから。
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スペインサッカー協会が彼の召集を発表した時、ナチョの携帯電話は動かなくなった。突然のこと、予想もしていなかったことで、「シャイな」この選手は、衝撃を受けていた。「僕たちは自宅のソファでTVを見ていた。そうしたら、電話がメールのせいで鳴り止まなくなった。僕の人生でも嬉しい出来事だったよ。」とナチョは、決して失われない笑顔でそう言う。
「僕がマドリーでデビューした時よりもたくさんのメッセージをもらった。皆熱狂していたね。今もそうだよ。モウリーニョからは、もらってない。トリルからは来たよ。」と、質問されたナチョは答えた。彼のキャリアにおけるさらなる一歩で、これまでもすべてのものが訪れていた。代表とレアル・マドリーの両方で、下部のレベルからこれだけ長くのキャリアを積んでいる選手はほとんどいない。ナチョは、下部の組織から生み出された。8年間も、ラ・ロハのユニフォームを着ているのだ。「最初に代表に入ったのはU-15。その時のチームには、カマーチョやフラン・メリダ、イジャラメンディ、ロチェル、デ・ヘア、ジョエル、ボージャンがいた。まだ連絡を取り合っているよ。」
スペイン国歌を聞いた数は多い。「数えてないよ、たくさんだからね。U-15からU-21まで。様々な試合を経験した。公式戦、親善試合、ヨーロッパ大会、世界大会。僕は幸運なことにキャリアを通じて代表に招集されてきて、そして今、この何よりも素晴らしいステップを踏み出している。」
ドン・ビセンテへの感謝
フェルナンデスの兄の方のキャリア(弟のアレックスはエスパニョールに移籍した)は、デル・ボスケの温かい手なしで理解することはできない。彼はカンテラチームの監督であり、マドリーで育ったカンテラの価値を理解するためには、譲れない条件だ。「僕はビセンテのおかげで、ラ・ファブリカに入った。僕は10歳で、デル・ボスケは、僕をこのクラブに入れるよう父に話してくれた人の1人だった。だからラス・ロサスに集合した時、何よりも先に、僕のキャリアがこれほどうまく進んでいることについて、彼にお礼を言ったんだ。デル・ボスケは僕をマドリーに入れてくれて、そして今、彼は僕をここへ連れてきてくれている。」
デル・ボスケに対する感謝の言葉は止まらない。「彼は既にマドリーで、カンテラの監督として、僕たちに注意を払い、プレイするのには若い選手だということも気にしないことを示していた。代表でも、素晴らしい仕事を成し遂げている。こうして代表の下部カテゴリーににいる選手を扱ってくれるのは、下から上がってくる選手たちにとってはとてもポジティブなことだ。」
彼が召集されたことは、多くのフットボールの組織にとっては驚きであったが、どこにいても謙虚でいるナチョは、自身の見解をこう述べる。「昨シーズン、僕はレアル・マドリーで多くの試合に出場して、よくやれていたと思うし、少しずつ経験を積んできていると思う。」 彼のポリバレントさ(ポジションの多才さ)も好まれるところだ。「誰もが、僕がセントラルでプレイするのが一番好きだということを知っている。そこが僕のポジション、キャリアを通じてやってきたポジションだ。でも監督たちにとっては、右や左のラテラルでもプレイできる選手がいるというのは、とても良いことなんだ。皆は、僕の身長が足りないと言う。でも、僕にはジャンプ力がある。重要なのは、どこであれプレイするということだよ。」
お手本
間もなくINEF(マドリード国立体育大学)を卒業し、監督の国内ライセンスを手にするナチョは、彼のお手本についても話した。「子供の頃は、いつでもイエロがお手本だった。成長するにつれて、カンナバーロを知った。それほど身長は高くなくても、彼がどんなふうにジャンプしてるかを見てよ。それからラモス、彼も特別な多才さを持つ選手だ。」
ナチョは、既に別の夢も達成している。マドリーのトップチームの選手となることだ。「たくさんのオファーを受け取ったよ。でも、僕はいつでも残りたいと思ってきた。僕たちカンテラーノは、このクラブのために日々戦う、そして自分たちの人生を通じてこのクラブのために戦う、という感覚を持っている。僕たちは、誰よりもマドリディスタなんだ。」 もしそうであらねばならないとしても、最近、彼の弟はクラブを離れることになった。「辛い、痛手だった。彼が決断を下すのを助けたよ。いつか、また彼と一緒にプレイしたいと願っている。」 あらゆる点が、明日(チリ戦)で、彼が代表デビューするだろうということを示唆している。「代表の試合にはいつでもワクワクする。夢の中にいるようだよ。」
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ヘセのインタビュー
昨夜のアルバニア戦よりも前に出ていた記事です。
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Q:U-21でデビューし、ゴールもきめました。不可能なんてないでしょう?
A:このデビューは本当に嬉しい。予選の試合は上手くスタートしなければならないけど、僕たちはうまくやった。でも、まだ向上させなければいけないことがあるとも感じて終わったよ。
Q:あなたは控えでした。ここでは多くの競争があります。
A:(前の)U-21から引き続きやっている選手も、U-20から上がってきた選手たちもいて…素晴らしい選手たちがいる、それはポジティブな点だ。僕たちには素晴らしいチームメイトがいて、共に戦える。
Q:ウルグアイとトルコのことを思い出しましたか?(今年のU-20世界選手権のことかと)
A:嘘はつくつもりはないから、イエス、何度か思い出したよ。ああいった形で世界選手権から敗退するというのは辛いことだ。でも、フットボールの世界、自身のキャリアでは受け入れなければならないことがある。うまく受け入れて、その細かい点やその時のことから学ぶ。より良い人格を持ち、手綱を引き締め、より賢くあるようになる時だ…。
Q:U-21で、心に残ったとげを抜くことができるかもしれません、そうでしょう?
A:またウルグアイと対戦して、勝ちたいよ。それで、心に引っかかるものをすべて取りされる。
Q:今シーズンの目標をどこに定めますか?
A:シーズンの終わりに今よりも良い選手になっていること、僕のクラブそして代表での目標を達成していくこと。
Q:あなたはマドリーでプレイしています。トップチームです。これを想像できますか?
A:誰ができないって? 夢は決して終わりがない。プロフェッショナルのフットボール選手にとって、重要な目標がある。ビセンテ(デル・ボスケ)の信頼を得て、フル代表に到達していくことだ。僕たちは一歩一歩進まなければいけない、今はU-21にいるんだからね。
Q:まだ満たされていない夢はありますか?
A:もちろん、いろいろね。代表では、できるだけ上まで行きたい。マドリーで執着しているのは、デシマだ。そして個人として、最高のところまで到達しようと試みていくこと。最高であることを夢見ない人なんている? でも、もちろんとても難しいことだけど。
Q:オリベルについて何か言うことは?(アトレチコのオリベルと一緒にインタビューを受けていたらしい)
A:オリーは仔犬ちゃんだな(笑)。彼は素晴らしい選手だよ。とても面白くて、素晴らしい人間で、そのクオリティには疑いの余地がない。彼の監督(シメオネ)は、とてもうまく彼を扱っていて、少しずつ起用し、よりアグレッシブであることとか一貫性を持つとかいうような、彼がまだできていないことを要求していっているね。
コケと共に、アトレチコと代表で上に立っていくだろう。彼は物事をとてもはっきりさせている。彼はオリベル、1人の選手であって、彼個人に集中させる。物事を、チャビやイニエスタのように扱っている。でも彼は天才だ。フットボールを、スペクタクルなやり方で見ている。彼と一緒にプレイするのはとても簡単なことだ。
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コエントランのインタビュー
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Q:ポルトガル代表には、フィジカルの問題を抱えて合流しましたね。北アイルランドに勝利して、コンディションはどうですか?
A:僕はいま100%の状態じゃない。でも、停滞していた選手なら当然のことだ。2か月の間で、2~3試合でしかプレイしていなかったから。フィジカル的にフィットした状態にあるというのは無理な話だ。でも、いつでも自分のベストを尽くして、チームを助けるよ。
Q:マドリー、そしてポルトガル代表で、良いシーズンを送る準備はできていると思いますか?
A:もちろん、それが目標だ。昨シーズンより良い状態でいたい。マドリーでは本当に高いレベルでいることが求められてきていたとしてもね。僕の最初のシーズンは良いものではなかった、でも2シーズン目はよりよくなった。この3シーズン目で、僕がマドリーに値する存在であることを皆に示したい。
Q:むしろマンチェスター・ユナイテッドに行きたかったでしょうか?
A:ノー。マンチェスター・ユナイテッドに行く可能性はあった。でも僕はマドリーに残ったし、それが大切だ。頭の中にマドリーのことをおいていなければ。僕が幸せでありたいと思う場所だ。僕は、世界でも最高のクラブにいるんだ。
Q:でも移籍市場が閉まる夜、ユナイテッドに移籍できなかったことを残念に思ったのでは?
A:ノー、もちろん違う。移籍の可能性はあったが、そうはならなかったということ。そして僕は幸せなはずだ、世界最高のクラブにいるんだから。
Q:マルセロはブラジル代表で負傷しましたが、彼は、マドリーの左ラテラルの最大のライバルです。彼とのポジション争いはどうなるでしょうか?
A:普通の争いになるよ。僕は2シーズンマドリーにいて、マルセロは常にそこにいて、多くの試合を戦っていた。僕はプレイするためにトレーニングしていく、マルセロとでもほかの選手とでも、それは当然のことだ。僕が望むのはプレイするということ。
Q:オ・ジョゴのインタビューでは、マドリーに残りたくないと言った、ということでしたが、同じ見解のままですか?
A:この機会にこの問題をはっきりさせておきたい。それは、ファンやクラブの誰かにその話をした、ということだったと思うけど、クラブの人間の誰にもその話をしたことはない。それに、もし僕がファンにその話をしたとかいうなら、不快なことだ。最初のシーズン、僕のパフォーマンスが、僕を残念に思うファンをなだめるのに十分じゃなかったというのは、皆が知っている。でも2シーズン目は、僕自身のパフォーマンスも上がって、ファンの愛情を得ていた。そんな内容のことを話すなんてありえないことだった。マドリーで、クラブのニュースを売っている人のことを考えたけれど、なにがしたかったのかわからないよ。
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おまけ
「未来のスポーツ・ディレクターたちだよ。次のベイルは、僕たちが連れてくるよ。」
と、アルベロア。スポーツ・ディレクターの修了証書を掲げた4人ですが、この画像を紹介していたスポーツ紙の読者コメントには「ラモスが取れたのか!?」的な……。