星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

お地蔵様に水かける夏

2007-08-10 | 私の星々
私が都会で学生生活を始めるにあたり、田舎の両親は、「大学に近く男子禁制で大家さんのしっかりした下宿を」と、同郷の先輩に下宿探しを依頼した。

私は初めてそこを訪れる時、「橋を渡って大きな通りに出たら、右に曲がってお地蔵様のある家」を目指すようにと、教えられた。でも、私はお地蔵様を見つける前に、仙人に出会ってしまったのだ。古い木造家屋の戸口に座った、真っ白の長いおひげの仙人を見たとき、なぜか、私はここに違いないと思った。目があったら仙人はニコニコと天上の笑顔で迎えてくれた。誰一人知る人のいない都会でこの笑顔が私にはきっと必要なんだと思った。

その下宿の1Fには、お地蔵様と、大家の新太郎爺さん夫婦が住んでいた。2Fには同じ大学の英検1級をめざしていつもリンガフォンかけてる先輩と、私を含め新入生二人の3人の下宿人。座らないと流しが使えない屋根裏部屋のような一部屋はさすがに空室だった。
それぞれの部屋に通じる階段は別々で、間取りは部屋ごとに全く違っていたが、どこも台所と寝室の2部屋セットになっていた。隣人の部屋には、床の間があり、私の部屋にはガラスの天窓があった。それぞれの台所は中庭に面したベランダがついていて、互いの部屋のベランダがつながっているという複雑な間取りの2Fだった。

仙人の新太郎爺さんは、耳がほとんど聞こえない。お婆さんは黒いメガネをかけていてほとんど目が見えない。そんな二人が仲良くお地蔵様を守りながら暮らしていた。私は老夫婦とお地蔵様に守られながら、3年後、新太郎爺さんが、娘さんや息子さんのところに行ってしまうまで、その下宿で学生生活を送った。

毎朝、お婆さんはお地蔵様に新しい水をかけ、お花の水を変える。道行く人が供えた花をビンにさす。私は、新太郎爺さんの座る戸口から、その笑顔に送られて、新しい日々の中に出ていった。

月末に、私たちが揃って家賃を持って行った時、普段無口なお婆さんが、おはぎを私たちに勧めながら、話をしてくれた。
娘さんと息子さんは二人とも、1945年8月6日、爆心地近くでの、勤労動員で、建物撤去作業をしている時、被爆し、弔うこともできなかったと。写真もないのだと。自分たち夫婦も被爆手帳を持っていると。自分は真夏でも長袖しか着れないと。

ヒロシマという街で大学生活を送った私にとって、平和公園と元安川の川辺は、デートコースだった。緑が多く、ベンチも多い。暑い陽射しを浴びても、若い私は夾竹桃の暑苦しい色に、反感を抱く余裕すら持って、今の3倍くらいのスピードで、毎日ずんずん歩いていた。川沿いの道が整備されているのは、そこに何もなかったから、何もなくなっていたから、整備しやすかったんだとは、その頃は思いつかなかった。

8月6日、今年も広島平和記念公園で、式典が行われた。同じ場所で何層もの歴史が重なり合っているのは遺跡のあるローマだけではない。ヒロシマの式典の行われているあの緑の芝生の下に、私の青春の思い出があり、その下には、新太郎爺さん夫婦の、彼らの娘さん息子さんの地獄絵が重なっている。

私はずっと、だいぶ長いこと、自分が生まれる前は、世界が白黒だったと思っていたような馬鹿な子供だった。昔の写真や映画や、ニュース映像がみんな白黒だったからかもしれない。歴史を勉強しても自分とつながらなかった。
昔、絵巻物の時代にも、戦国時代にも、戦争中にも、美しい青空と、緑の木漏れ日があり、自分と同じように、空をぼーっと眺める人間がいた。と、本当に認識できたのは、あの平和公園の緑の芝生の上に寝転がり、赤い風船を飛ばした時であったような気がする。赤い風船は原爆資料館の上の青い空高く、飛んでいって空に吸い込まれて消えた。
その空を見ていて、あの8月6日の朝だって、ここの上に空は青く美しく広がっていたんだと、思った。でも青い空は一瞬にして、キノコ雲に変わり、黒い雨が降った。
それがどんなに酷いことか、ヒロシマに生き続けた、新太郎爺さんも、お婆さんも知っている。

爆心地から1.2㎞の場所のお地蔵様に、毎朝、水をかけるお婆さん。その水には、涙や悔しさや、新太郎爺さん夫婦がここにいる理由や、いろんな思いがこもっていること、が、私にもわかった。
私自身が、ここにいる、理由も、お地蔵様にかける水に含まれているような気がした。

                  
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2 コメント

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いい文章ですねー (shibako)
2007-08-15 20:32:09
またまたラミーチョコさんの文章萌えです。

私も世界はモノクロだと思ってたアホな子どもでした。皮肉なことですがアメリカが撮影したカラーの原爆の映像を沢山見て、初めて今の私が見ている現実との繋がりを感じた気がします。

ラミーチョコさんの目から見える世界がとても好きです。いつか一緒に美術展など回れたら、凄く幸せな気持ちになれそうです。
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shibakoさんと一緒に (ラミーチョコ)
2007-08-16 12:40:33
実は私、時々、shibakoさんと一緒に、イギリスをまわっているんですよ。
この間は、ガウディのスペインにも、行かせていただきました。

「Mr.キートン」のコーンウォールや、「マクベス巡査」のスコットランドにも行きたいです。

これからも、ぜひご一緒させて下さい。
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