先日、TV画面に自分の姿が映り、声が流れた。
声はまだ若いけれど、ずんぐりとした丸まった背中、笑った顔はくしゃくしゃだった。
思えば、動く自分の全体像なんて、ちゃんと見たことがない。
自分はこんな人だったんだと、他人のような目で見ながら、妙に納得してしまった。
歳をとったんだねー。せめて、姿勢正しく生きようよ。
そして、見てるかもしれないなぁ、と、突然、田村先生のことを、思いだしたのだった。
中学校の時、担任の先生が盲腸で入院していた週の学活の時間、
担任の代わりにやってきたのは、理科の田村先生だった。
私は今までに彼以上の太い眉毛の人に出会っていない。
田村先生は、その眉毛からは想像できない授業をした。
「しあわせって何だと思う?」と、突然みんなに問うたのだ。
教室を歩きながら、一人一人、指さしてあてていった。
私の番になった時、私はしどろもどろに
「放課後、自転車で学校から帰る時、夕日がきれいで、コスモスの群れが咲いている畦道のそばを通っていて、風にコスモスが揺れているなぁ、と感じた時は、しあわせだなぁ、と思います」というような事を答えた。
すると、私に向かってまっすぐに歩いてきた田村先生は、大きな黒いギラギラした眼差しで私を見据え、人差し指を私の顔の真ん前に突き出して言った。
「あんたはしあわせになる!」
これは、16年間の学生生活を通じて、先生達から言われた言葉の中で、他が霞んでしまうくらい、印象深い言葉だった。
もしかしたら、その時から今までずっと、自分を支えてくれている言葉かもしれない。
こんな言葉を、鍾馗さんのように眉毛の太い大人に言われた少女は、幸せになるしかないではないか。
「幸せになる」ということではなくて、正確には「幸せを感じる人になる」という意味の言葉だったんだと、気づいてはいる。
少女は、いつも幸せを感じるわけでもなく、いろいろ考えると、眠れない夜があったりする年齢になった。
子供のいない自分に何が残せるんだろう、なんて思うこともある。
そうだ、いつか機会があったら、田村先生からもらった言葉を、誰かに伝えよう。
これから人生を始める人に、「あなたはしあわせになる」って。
とりあえず、これを読んでくれた人に…
「 あなたはしあわせになる! 」
声はまだ若いけれど、ずんぐりとした丸まった背中、笑った顔はくしゃくしゃだった。
思えば、動く自分の全体像なんて、ちゃんと見たことがない。
自分はこんな人だったんだと、他人のような目で見ながら、妙に納得してしまった。
歳をとったんだねー。せめて、姿勢正しく生きようよ。
そして、見てるかもしれないなぁ、と、突然、田村先生のことを、思いだしたのだった。
中学校の時、担任の先生が盲腸で入院していた週の学活の時間、
担任の代わりにやってきたのは、理科の田村先生だった。
私は今までに彼以上の太い眉毛の人に出会っていない。
田村先生は、その眉毛からは想像できない授業をした。
「しあわせって何だと思う?」と、突然みんなに問うたのだ。
教室を歩きながら、一人一人、指さしてあてていった。
私の番になった時、私はしどろもどろに
「放課後、自転車で学校から帰る時、夕日がきれいで、コスモスの群れが咲いている畦道のそばを通っていて、風にコスモスが揺れているなぁ、と感じた時は、しあわせだなぁ、と思います」というような事を答えた。
すると、私に向かってまっすぐに歩いてきた田村先生は、大きな黒いギラギラした眼差しで私を見据え、人差し指を私の顔の真ん前に突き出して言った。
「あんたはしあわせになる!」
これは、16年間の学生生活を通じて、先生達から言われた言葉の中で、他が霞んでしまうくらい、印象深い言葉だった。
もしかしたら、その時から今までずっと、自分を支えてくれている言葉かもしれない。
こんな言葉を、鍾馗さんのように眉毛の太い大人に言われた少女は、幸せになるしかないではないか。
「幸せになる」ということではなくて、正確には「幸せを感じる人になる」という意味の言葉だったんだと、気づいてはいる。
少女は、いつも幸せを感じるわけでもなく、いろいろ考えると、眠れない夜があったりする年齢になった。
子供のいない自分に何が残せるんだろう、なんて思うこともある。
そうだ、いつか機会があったら、田村先生からもらった言葉を、誰かに伝えよう。
これから人生を始める人に、「あなたはしあわせになる」って。
とりあえず、これを読んでくれた人に…
「 あなたはしあわせになる! 」