芦屋市立美術博物館の「震災から15年」展で見た、吉野晴朗氏の写真集を見つけた。
題名もずばり「津高家の猫たち~阪神大震災に見舞われて」(東方出版、1995刊)
津高家の庭の石や陶板作品の上で遊ぶ猫たち、この家のソファや椅子は来客用というより、おそらくは10匹のネコさん用に置かれていたのだろう。庭中に、家中に、くつろぐネコさんがいる。
津高和一の作品は、こんな幸せそうな猫たちの寝顔を側らに、時々はいとけなき彼らの凝視を受けとめながら、創られたものだった。
津高は書いている。
「猫たちは私の少年期以降の人生の折々を 凝視しているようでもあった。
悲喜こもごもが交差する哀歓の渦中で、猫は黙々と不介入ではあったが 点景となっていた。」
「利害損得では猫たちとはつきあえなかった。
この小動物たちが、ほんの短い命を 生きながらえることができるならという思いがあるからである。
そしてこんなに清々と 気持ちのよいということが なにものにも替えがたいからである。」
そしてついに44頁には、展覧会に出ていた写真が登場する。
この瓦礫の下で、津高和一・雪子夫妻が亡くなった。(合掌)
吉野さんのあとがきによると、津高家の10匹の猫たちと老犬モミは無事で、その後日本各地の里親さんのもとで元気に暮らしているという。
良かったです。きっとお二人もホッとしていることでしょう。
この庭の石のオブジェ、どこかで見たことがある。
そう、西宮大谷記念美術館の庭だわ、と確かめに行ってきた。
あったわ。そして、ここでもくつろいだネコさんの姿が…
あっ、ボローニャ国際絵本展の時の、庭先案内ネコさんだ。
津高さん、あなたの作品は、ネコ達を引き寄せる力をもっているのですね。
題名もずばり「津高家の猫たち~阪神大震災に見舞われて」(東方出版、1995刊)
津高家の庭の石や陶板作品の上で遊ぶ猫たち、この家のソファや椅子は来客用というより、おそらくは10匹のネコさん用に置かれていたのだろう。庭中に、家中に、くつろぐネコさんがいる。
津高和一の作品は、こんな幸せそうな猫たちの寝顔を側らに、時々はいとけなき彼らの凝視を受けとめながら、創られたものだった。
津高は書いている。
「猫たちは私の少年期以降の人生の折々を 凝視しているようでもあった。
悲喜こもごもが交差する哀歓の渦中で、猫は黙々と不介入ではあったが 点景となっていた。」
「利害損得では猫たちとはつきあえなかった。
この小動物たちが、ほんの短い命を 生きながらえることができるならという思いがあるからである。
そしてこんなに清々と 気持ちのよいということが なにものにも替えがたいからである。」
そしてついに44頁には、展覧会に出ていた写真が登場する。
この瓦礫の下で、津高和一・雪子夫妻が亡くなった。(合掌)
吉野さんのあとがきによると、津高家の10匹の猫たちと老犬モミは無事で、その後日本各地の里親さんのもとで元気に暮らしているという。
良かったです。きっとお二人もホッとしていることでしょう。
この庭の石のオブジェ、どこかで見たことがある。
そう、西宮大谷記念美術館の庭だわ、と確かめに行ってきた。
あったわ。そして、ここでもくつろいだネコさんの姿が…
あっ、ボローニャ国際絵本展の時の、庭先案内ネコさんだ。
津高さん、あなたの作品は、ネコ達を引き寄せる力をもっているのですね。
不思議に心の落ち着く、雰囲気のあるブログですね。
ジリオラ・チンクエッティの記事などからおそらく同じくらいの世代だと思います。
また伺います。
心が動いた時に、ベランダでつぶやく独り言のようなブログです。
ここへは、「美しき五月のパリ」「マーシー」「猫は生きている」「夢見る想い」「ヤコフォームの靴」から、お越しにになる方が同じくらい多いみたいなので、なんだか嬉しくなります。